第14話 故郷を想う

「うわあ」

 湯浴みを終え、屋敷の広間に通されたローザリッタは驚きに目を見開いた。その頭にができているのは、湯殿での一件のせいだろう。


「ずいぶんなご馳走ね」

 リリアムも静かに目を輝かせる。

 食卓には豪勢な料理が並んでいた。村の規模を考えれば、祭りや何らかの祝い事でもなければお目に掛かれないような贅沢さだ。風呂まで貸してもらったあげく、ここまでもてなされては、やや気後れしてしまう。


 だが、そんな思いとは裏腹に二人の腹の虫が鳴った。特にリリアムのは雷鳴を思わせるほどだ。激しい戦闘を乗り越えた肉体は速やかな栄養補給を求めている。


「腹が空いておられるでしょう。どうぞ、お食べくだされ」

 村長が喜色満面の笑顔を浮かべながら席を勧めた。


「ですが、ヴィオラがまだ……」

 二人と入れ替わる形でヴィオラが湯浴みを行っている。先に箸をつけるのはいかがなものか、ローザリッタは困り顔をする。


「ご心配なさらずとも、料理はまだまだ出てきますでの」

「……そう言って頂けるなら、お先に失礼しましょうか」

「そうね、冷めてしまうのも申し訳ないものね」


 ローザリッタとリリアムは顔を見合わせると、そそくさと席について、思い思いに箸を伸ばした。


「美味しいですね!」

「本当ね。生き返るわ……」

 湯気を立てる炊き立ての米と麦の混ぜ飯に、色とりどりの豆の煮物。柑橘で香りつけした川魚の酢漬け。根菜の漬物。甘辛いを塗って香ばしく焼いた野禽の肉などに舌鼓を打つ。二人はたちまち笑顔になった。美味しいものを食べるということは、ただそれだけで人を幸せにする。


「お二方、酒は嗜まれますかな?」

 村長の手には徳利と盃が握られている。


「わたしはちょっと……」

 ローザリッタは苦笑を浮かべて辞退する。元服の儀に際して、申し訳程度に口にしたが、まだまだ飲み慣れるまでには至らない。


「じゃあ、頂こうかしら」

 リリアムは繊手を伸ばして、透明な液体が注がれた盃を受け取った。上品な仕草で唇をつけ、熱っぽい息を吐く。頬がじんわりと紅潮し、真紅の瞳が潤み出す。生乾きの銀髪とも相まって、妙に艶のある横顔にローザリッタはどきりとする。


「……なに?」

「あ、いえ。お酒、飲まれるんですね?」

「嗜む程度よ」

「それ、最初に剣術について聞いた時も言ってませんでした?」

 ということは、酒豪と言うことになるのだろうか。リリアムの底知れぬ食欲と合わせて、村の酒蔵が空っぽにならないか心配になる。


「これは本当に嗜むくらいよ。痛い目を見たからね」

「なら、いいんですけど。……それにしても、これからどうしましょう?」

「野盗はほぼ壊滅したと思っていいけれど、最後の一人が気になるわね」


 ローザリッタは口の中のものを飲み下しながら、頷いた。

 ――

 頭巾の偉丈夫はそう言っていた。その言葉を鵜呑みにするなら、また襲撃してくるということだろうか。


「朝一で騎士団に遣いを出して、討伐をお願いするのが一番かしら」

「では、わたしが文をしたためましょうか」

「なに? 騎士団に知己でもいるの?」

「ええ、まあ」


 曖昧に言葉を濁す。言うまでもなくローザリッタの父はモリスト地方領主であり、先代の近衛騎士団の長だ。その娘の立場を遣えば、色々と融通が利く。


「失礼いたします。追加のお料理をお持ちしました」

 この村の今後について意見を交わしているところ、静かに扉を開けて初老の女性が新たな料理を運んできた。

 恭しいしぐさで皿を並べている途中、ちらり、とローザリッタと視線が合う。


「……なにか?」

「い、いえ」

 女性は何でもないと言うように表情を取り繕って口ごもる。


「これだけもてなして頂いているのです。何でも言ってください」

 にこりと微笑むローザリッタ。やや躊躇うように、女性は口を開いた。


「……ローザリッタ様は、女子おなごであるというのにお強いのですね」

「それほどでも。まだまだ修行中の身です」

「羨ましいことです。私にあなたさまほどの力があれば、みすみす息子を失わずに済んだのかもしれませんのに……」


 痛ましげな吐露に、ローザリッタが息を呑んだ。

 村長は村一番の腕自慢が斬られたと言っていた。この女性は、その人の――。


「これ、栓無いことを申すでない」

 村長が女性を嗜めた。


「……失礼しました。ささ、お食べください。すぐに次の料理をお持ちいたしますから……」

 深々と頭を下げ、女性は下がっていく。

 その寂しげな後ろ姿を、ローザリッタは悲痛な面持ちで見送った。



 †††



 食事を終え、寝間に案内された三人は早々に床に就いた。

 満腹になり、これまでの疲れがどっと襲ってきたのだろう、ヴィオラとリリアムはすぐに寝息を立て始める。


 だが、ローザリッタはなかなか眠りに落ちることができなかった。体は疲労困憊しているというのに、どういうわけか目が冴えてる。

 用意された布団からそっと抜け出し、寝息を立てる二人を起こさぬよう、忍び足で寝間を後にした。


 ひたひたと廊下を歩いていると、縁側に出た。

 ちょうどいい、夜風にでも当たろう。そう思い立ったローザリッタはちょこんと縁側に腰掛け、夜空を照らす月をぼんやりと眺める。


 シルネオの街を発って数日。

 まだモリスト地方の領土境を抜けてすらいないが、故郷の街から一歩も外に出たことがなかったローザリッタからすれば、まるで異国から月を眺めているような心地であった。ずいぶん遠くに来たものだ、と懐郷するには尚早すぎるとは思うが。


「……眠れないのか?」

 どれくらいの時間が流れたのか。

 寝間にローザリッタがいないことに気づいて後を追ってきたのだろう。ヴィオラが柱によっかかるようにして立っていた。

 気づかなかった、とローザリッタは反省する。心の底から放心していたらしい。


「ごめんなさい。起こしちゃいましたか」

「いや、いいさ。初陣だったもんな。気が昂って当然だ」


 よっこらせ、とヴィオラが隣に座る。

 暫くの間、二人は口を閉ざした。春の夜風が二人の髪を揺らす。


「……もしも」

 ぽつり、とローザリッタが口を開く。


「ん?」

「もしも、わたしが灯篭切りの試しを早くに終えていたら……誰も失わずに済んだんでしょうか」


 寝付けない原因。それは、宴の席での女性の言葉が耳に残っているからだ。

 ローザリッタがもっと早くに旅立っていたら、被害が出る前に野盗を成敗できたのではないか。犠牲が出てしまったのは、自分の未熟さが原因ではないのか。彼女はそういった妄念に囚われていた。

 しかも、一人を討ち漏らしてしまった。頭巾の偉丈夫。よりにもよって、あの女性の息子を手にかけた男を。自分は満足に仇を取ってやることもできなかった。己の未熟さを痛感する。


「なんでそうなるんだよ。まるで、お嬢が悪いみたいじゃないか」

 ヴィオラは不満げに鼻を鳴らした。


「でも」

とかとか言い出したらキリがないだろが。あたしたちがここでこうしているのは、街道で野犬に襲われて、その後に雨が降ったからだ。ちょっとでも歯車が違えば、あたしたちはこの村に立ち寄ることもなかったし、ここの人たちが野盗に苦しめられていることさえ知らなかった。違うか?」

「それは……」

「……お嬢は背負い込み過ぎだ。救えるだけ救った。それでいいじゃないか」

 励ますようにヴィオラは笑顔を向けるが、それでもローザリッタは悲し気な顔をして俯いた。


「ヴィオラの言っていることは解ります。でも、わたしは全てを守りたい。十分じゃ足りない。上出来じゃ満足できない。誰一人取りこぼすことなく、守り抜きたい。誰も奪われない世界を作りたい。そのために――」


 ――強くなる。誰よりも何よりも。

 その一念でローザリッタは故郷を発った。念願の真剣勝負も経験した。しかし、理想の自分にはまだまだ遠い。それどころか、実戦を経験したことで理想との距離が明確に見え始めた。今日一日だけを切り取っても、何度ヴィオラとリリアムに助けられたかわからない。

 それでも――


「もっと、強くなりたいな……」

「……変わらねぇな。ま、それがお嬢か」

 ローザリッタの切なる吐露に、ヴィオラは呆れたように肩をすくめる。


「今更否定はしないさ。なんせ、その執念で石灯篭まで斬っちまったからな」

 白い歯を見せて、ヴィオラは笑った。

 いかなる奇跡か魔性の技か、ローザリッタは不可能に等しいとされる灯篭斬りを成し遂げた。彼女なら、ひょっとしたら。そう信じさせる力が、その小さな体には秘められている。

 だったら、とことん付き合ってやろう。それが侍女たる者の役目だ。


「やれるだけやってみようぜ。あたしは最後までお嬢の味方だからさ」

 ヴィオラが優しくローザリッタの肩を叩いた。


「……ありがとう、ヴィオラ。大好きですよ」

 にこり、とローザリッタが微笑んだ。

 月夜に咲く花のような可憐な微笑みに、ヴィオラの頬が真っ赤になった。


「……お前、いきなりそういうこと言うなよな。照れるじゃんか」

「ふふ、照れた顔のヴィオラは可愛いですよ」

「はってなんだ、はって。照れてないと可愛くないのか、あたしは。大体な、そういうこと軽々しく言うもんじゃない。あたしが女だったからいいものの、男だったら間違いなく恋に落ちているぞ」

「……ヴィオラにしか言いませんよ、こんなこと」

 ローザリッタははにかみながら囁いた。ヴィオラの中で何か邪なものが弾ける。


「いつの間にそんな悪い娘に育ったんだ、お前は!」

「きゃー!」

 がばっとヴィオラに抱き着かれ、ローザリッタはわざとらしい悲鳴を上げた。


「あ、お嬢、また下着付けてねぇな!? 寝る時もしとけって言っただろうが!」

「だって苦しいんですもーん」

「言うこと聞かないやつはお仕置きだ!」

「あはは、ヴィオラの手つき、いやらしいです!」

「このこの!」

「もう! お返しです!」

 きゃいきゃいと二人はじゃれ合う。気心知れるヴィオラとの触れ合いは、早すぎる望郷の念に駆られたローザリッタを優しく癒していく。


「布団がもぬけの殻だから、どこに行ったかと思えば……」

 二人の姿がないことに気づいたのか、それとも騒ぎを聞きつけたのか、リリアムも縁側にやってくる。


「元気なのはいいけれど、安眠妨害よ、あなたた……ち……?」

 寝ぼけ眼に飛び込んできたのは、はだけた衣装のまま絡み合う主従の姿。リリアムの表情がみるみる凍り付く。


「……ヴィオラさん、やっぱり……」

「ん? なにがやっぱりなんだ?」

「なんていうか……その……ごゆっくり……?」


 気まずそうな表情を浮かべながら、音もなく去っていくリリアムにヴィオラは首を傾げる。


「なんだったんだ、あいつ?」

「なんだか、ひどく誤解されている気がしますね……」



 †††



 朝餉も昨晩の宴にも負けず劣らず豪華だった。

 寝起きであるにもかかわらず、三人の食欲は大したものだった。リリアムは言うに及ばず、ローザリッタとヴィオラも忙しなく箸を動かす。剣術遣いは体が資本。特に朝餉は一日の活力だ。せっかくの馳走を平らげない道理などない。


「さて、これからどうする?」

 ヴィオラが三回目のおかわりをよそった茶碗をリリアムに手渡しながら尋ねた。

 日の出とともに、最寄りの駐屯中隊に宛てた書状を持った遣いの者が村を発っている。書状が届き次第、すぐにでも動いてくれるだろう。


「騎士団が到着するまでは、念のためにここに滞在したほうが良いでしょうね」

「そうね。今日明日で終わるでしょうけど、ここまでご馳走になっているもの。最後まで付き合ってあげましょう」

「ありがたいことですじゃ」

 同席していた村長が、しみじみと手を合わせる。三人は今や村の英雄だ。


「あ、それと村長。もし、今夜も泊まらせてもらう場合、この二人と部屋を分けてもらっていいかしら?」

「それは構いませんが……何か、ご不満でも?」

「ちょっと身の危険を感じるのよ」

 半眼のリリアムに、ローザリッタが頬を赤らめる。


「ご、誤解ですってば。誰彼構わず、ああいうことするわけじゃないんですって」

「どうだかね」

 視線が冷たい。無遠慮に胸を――掴まれた、いや、それには語弊がある――撫でられた身としては、信じられなくとも無理はないか。


「別におかしいことでもないだろ。女同士、付き合いが長けりゃ乳を揉み合うことくらいあるさ」

「ないわよ」

 ヴィオラの偏った意見を、リリアムはばっさりと斬り伏せる。

 すると――


「た、たいへんです!」

 悲鳴に近い声をあげながら、村の若い男が転がり込んできた。

 物々しい様子に村長が眉を顰める。


「なんじゃ、なんじゃ。息せき切らしおって。なにがあった?」

「そ、それが……野盗の生き残りが……!」

 その言葉に朝餉の和やかな空気が吹き飛んだ。

 野盗の生き残り――あの頭巾の偉丈夫のことか。ローザリッタの脳裏に、昨夜の女性の寂し気な背中が鮮明に浮かび上がる。


(……今度は逃がさない。決着をつける。あの女性ひとの無念を晴らす!)


 ローザリッタは立てかけておいた太刀を掴むと、荒々しく席を立った。

「お嬢、具足は!?」

「そんな暇はありません!」

 鎧を身に着けている間にも誰かが斬られないとも限らない。。そのような些事にかかずらわっている場合ではなかった。


「お、お待ちください! それが、その……どうにも様子が違いまして……」

 今にも飛び出そうとするローザリッタを男は制する。


「……どう違うって言うのよ?」

 怪訝そうに眉根を寄せるリリアム。


「それが、その……」

「その?」

 男は息を整え、ごくりと唾を飲み込んだ。


「ローザリッタ様に決闘を申し込みたいと!」


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