第5話 時計的な労働

 サイカはギリィンと二人で街に入った。

 オフトゥたちとは分かれての行動になる。

 足元にはラジニアが歩いていて、その背中にはカクテラルが乗っていた。

 オフトゥはギリィンと二人だけになるのを心配していたようだが、ライとメイのふたりよりは年齢が少し高く、またカクテラルもいることからこの組み合わせとなった。なにかあったらすぐにカクテラルを走らせろとオフトゥには言われた。携帯電話もあるというのに心配性だなとサイカは思う。

「平和な街だな」ギリィンが陽気な調子で言った。「悲しいぐらいに」

 普通の住人にまぎれて、サイカとギリィンはまだ日の高い街の中を歩く。地方ではあったがそれなりに人の多い都市で、一階にテナントが入ったようなビルが立ち並んでいた。

 ギリィンの言葉どおり、人々の様子は平和そのものであった。盗賊なんてものは出ないし、現れてもすぐ警察のローブに対処されるだろう。それでもどこか明るい様子が感じられないようにも思えた。覇気がないとでも言うか、レジスタンスの人間たちに比べて湿度が高く温度が低いようなイメージを受ける。

 オフトゥたちと別れる前に、サイカはこの街の説明を受けた。同じ家の血を継ぐ人間がずっと選挙に勝っており、この街ではその家の者以外が長になったことはないらしい。現在の首長は私利私欲のために悪事を働くような人間ではないのだが、能力で選ばれた人間でもないため、街は徐々に疲弊しており少しずつ寂れていっているとのことだった。

 サイカは街の人間たちを見回す。

 サイカの今までの人生に比べればうらやましいぐらいに平和な世界ではあった。

 けれど、このどこか灰色の世界は変わることのない上の人間によって作られた、希望のない悲しい世界なのだろうか、とサイカは思う。そんな世界を変えるために国を変えなければいけないのかと。

 無能な人は席にしがみついていちゃいけないとメイが言っていたのを思い出す。

「やっぱりヘスデネミィは譲ってくれない?」

「渡せません」

「かわりのローブあげるから」

「だめです」

 あのときギリィンからヘスデネミィを譲って欲しいと言われて、サイカはすぐに断った。どうやらギリィンが目的としているローブにヘスデネミィは近いものであるらしい。断ったことで一旦は引いたギリィンであったが、その後、何度も何度も聞いてくるようになった。

「あまりわがままを言っていると神罰がくだるよ」

 わがままなのはどっちだとサイカは思う。

「神様なんていないでしょう」

 神官という者に対していじわるを言う。そんなものがいるならもっとはやく救ってほしかった。

「いるよ。定義次第だけどね」ギリィンが笑う。「三百年前、この国を一度滅ぼした大災害も神様の怒りを買ったものだ。精神層というものを知っているかな」

 サイカは首を振った。

「人間の祈りや感情が集まる場所のことを精神層と呼ぶ」ギリィンが空を指差した。「どこにあるのか目には見えないけどね。イメージとしてはあの空に人間や他にも生物から溢れた意識がたくさん集まっていると考えればいい」

 サイカは空を見上げる。雲だけがいくらかある青空だった。

「ミスリルとはそんな精神層に行くはずだった人間の思考や感情を信号に変える装置なんだ。他にもいろいろ変換機構を持っているからそれだけじゃないけどね。ローブはそうやって信号に変えられた感情を元に動かされている。また、ミスリルにも限界があって、変換ミスを起こした余剰分がローブを動かすわけでもなく、精神層に向かうこともなく、外部に漏れ出し、それを人間が持つ受信器官が捉えることによって、音ではない言葉、心の声のようなものを聞くことになる」

 サイカはゆっくりと説明を聞く。すぐには理解できなかった。しかし、違和感はあった。

「神様というのはそんな精神層のあるサブセットのようなものだ」

 ギリィンが微笑みを消して言った。

「人間の祈りが神様を生み出すんだ。おもしろいだろう? オーダーが」

 サイカはわずかにあとずさりしつつ言う。

「さっきの説明では精神層の存在は証明できていなくないですか?」

 精神層というものがなくても、ミスリルが説明通りの機能を持っているだけでローブは動くはずだ。

 ギリィンが表情に笑みをもどす。

「君は思ったよりも頭がいいね。そのとおりだし、けれど精神層は実在する。ここまでは科学的に証明されていることだ。神学ではなく科学でね」

 その説明はかなり難しいのだと言う。ギリィンが先を歩いた。

「僕の目的は、その先にある。神様の存在を証明することだ」

 ギリィンの表情は見えなかった。


 ギリィンと出会った日、あのあとギリィンはサイカたちの目的についても話した。

「僕が探しているローブが、君たちの探す首都の鍵でもあるだろう。あのローブはこの国で三百年前に途絶えた王家に由来するものだ。持ち主もその縁でこの都市の長に選ばれているしね」

 それだとたとえ協力してローブを奪ったとしても、ギリィンとサイカたちでの奪い合いがあるのではないかとオフトゥが問うた。

「だったら話さないでしょう? 大丈夫、そこは解決する方法がある。ただ、今はまだそれを話せないんだ」

 それがギリィンの返答だった。

 その後、二人だけでローブを使って移動したときにも同様の返答だったので、解決策があるというのは嘘ではないらしい。内容についてまでは上手く伝わってこなかったが。

「どうかした?」ギリィンがサイカの顔を覗き込むようにして言った。

「なんでもないです」

「そう」ギリィンが顔をあげる。「こうして歩いているとデートみたいだね」

 ふいの言葉にサイカは動揺した。

「私は女ですけど」

「君は男の子でしょ? 別に僕はどちらでもいいけれど」

 サイカはギリィンの目を見て身震いする。体の性別が変わったことは話していない。念のため隠しておこうということにしてあった。移動していときにミスリルを通して伝わってしまったのか。

「違うよ。ヘスデネミィを知っているんだ。アレにそういった機能がついているって」

 レアだね、とギリィンが笑った。

「だからヘスデネミィがほしいんですか?」

「僕が男になるためにって?」

 どことなく男であるような印象を持っていたことは確かだった。

「少なくともそれが目的ではない。それだけなら僕の国にはそれだけのための機械がある。利用料は高いけどね。それにヘスデネミィのそれは特別な人間にしか使えないはずだ」

 ギリィンがサイカを見る。

「サイカ、君はいったい、なに……?」

 ギリィンの問いにサイカはなにも言えず黙ってしまった。

 代わりにラジニアの背で顔をあげたカクテラルが答えた。

「姫様です」

「なんの?」

「この国の」

「君、ちょっとバグってる?」

 直してあげようかとの言葉にカクテラルは怒りを見せて眠ってしまった。

「そういうわけで、ヘスデネミィのその機能ではなく、ヘスデネミィ自体がほしいのだけど、とりあえずいきなり奪ったりはしないから安心してほしい」

 ギリィンがいつものように微笑んだ。

「ところで、サイカは男の子に戻りたい?」



     §


 目的のローブを手に入れたらヘスデネミィを使って体を戻してもらう約束をした。

 女になるのがイヤということではなかった。当初覚えた酷い違和感も時間が経つとともに薄れ、最初からこの体だったのではないかとさえ思うようになった。

 だから、それが怖かった。

 本来の自分でないものに強制的に変えられてしまうことが。

 この体は自ら選んだものではない。

 もちろん最初の体も自分で選んだわけではないのだけど。

「着いたかな」ギリィンが言った。

 ここはこの街の代表が所持するお屋敷だ。代々、受け継がれて来たものなのだろう。都市に似合わない広さを感じさせるように遠くまで高い塀が続いていた。刑務所だと言われても信じてしまうだろう。塀の上には有刺鉄線がしっかりと貼られている。

 大切なものを守るための宝箱も犯罪者を閉じ込めるための刑務所も同じようなものを目指して作られる。

 オフトゥたちの作戦としてはこの中にいるだろうローブを郊外まで誘い出し、そこで機能停止に追い込んで奪取するというものだった。オフトゥら三人はそのために街の外で待ち構えている。

「ここに襲いかかったほうがはやいのにね」ギリィンが言った。

「街中で戦ったら警察のローブが集まってくる」

 それがこの場所で戦闘するのではなく外で戦うことにしたオフトゥの理由だった。だが、それだけではないとはサイカも感じていた。オフトゥは街の人間に被害がでることを嫌ったのだ。たとえ仕方がないことだとしても、可能な限り減らしたいと考えている。ある部分では、本当の目的よりも優先して。

「甘いなあ」ギリィンは笑う。

 否定はできない。サイカも同じ感想だった。

「それでどうやって誘い出すんですか?」

 作戦を相談していたとき、その場では話せないけれど、確度の高い方法があるとギリィンは言っていた。だから今回はそれに乗ることにしたのだ。たとえ失敗してもギリィンがするだけならレジスタンスへの注意は減るし、ここで情報を集められれば、次の機会を狙ってもいいとの判断だった。

「最近? ずっと前からかもしれないけど、誘拐が流行ってるって知ってる?」

 サイカは固まる。

「労働力としてや売り物として悪い人間が子供をさらっていくわけだ。そしてそんな世界で育った人間は同じように新しい子供をさらっていく」

 盗賊にさわわれて育った子供は盗賊になり、また次の子供をさらうことになる。自らが味わった不幸を永遠に引き継がせるように。

「まあ、僕らの目的は子供じゃない。だから後で返すよ。代わりにローブを出してもらうというわけだ」

「だからみんなの前で言わなかったんですね」

 ギリィンが無言で微笑んだ。

 携帯電話が震える。サイカはポケットから携帯電話を取り出した。メイからだった。

「もしもし」

「ごめん。こっちが戦闘になってて、警察が来そう。ライが戦ってる。オフトゥもすぐにでる。わたしも連絡が終わったら……」

 なにがあったのだろう。慌てていて要点が伝わってこない。

「落ち着いて。どうしたの?」

「盗賊に誘拐されそうになってる子供がいて。ライが止めに行ったら殴られて。オフトゥから作戦を中断してサイカたちを呼び戻せって」

 だいたいわかった。隣で聞こえていたのだろう。ギリィンが声を出して笑った。

「おもしろいね。こっちでは誘拐をはじめていて、一方では誘拐を止めようとしている。目的は同じはずなのにね。すばらしいオーダーだ」

 どちらが正しいだろうか。目的のために手段を選ぶべきかどうか。

「戻りましょう」サイカは言った。さらに電話越しにメイへ告げる。「すぐに行く」

「もう遅い、言っただろ。こっちもはじめている」

 塀の内側で地面が鳴った。そしてサイカたちの頭上に影ができる。衝撃。思わず目をほそめ後ろに下がった。塀を飛び越えて落ちてきたものがある。ジェネルだ。人の形をしてメイドのような服を着ているが顔は人間ではなく、服から出ている手も金属だった。

 ギリィンがジェネルから携帯電話を受け取った。

 さらにサイカの持つ携帯電話を取る。

「まだつながってるかな? 目的のローブも、警察のローブも、それから僕らもみんなそこに集まる。全部倒せるならそれが一番いいけれど、無理だと思うから耐えるだけを頼む」

 ギリィンが携帯電話を操作して通話を終えた。笑顔のギリィンから返却されたそれを受け取る。ギリィンは続けて、ジェネルから受け取った携帯電話をかけはじめた。相手は、この都市の首長だ。

「もしもし、この携帯電話の持ち主を預かった。確認はじぶんたちのジェネルにしてほしい。要求は……、そうだね。今、郊外で争ってるチンピラのローブたちがいるだろう。あの争いにあなた方の家に伝わるローブを参加させてほしい。その上で、そう、当然のことだけど勝ってくれたら、大事な宝物は無傷で返却するよ。警察? 勝手にどうぞ。じゃあ、よろしく」

 ギリィンが携帯電話を地面に落として踏みつけた。粉々に砕けた破片が散らばった。

「それじゃあ、行こうか」

 サイカはなにがなんだかわからなかった。遅れて言葉に出す。

「なんですか、今の」

「子供を誘拐したので、要求事項を告げただけだよ。このジェネルはメンテを請け負った業者のところでちょっといじってあってね。協力してもらったわけだ」

 ギリィンが「もどっていいよ」と告げるとジェネルがまた塀を飛び越えて屋敷の中へ入った。

「子供は無事だよ。連れていっても仕方ないし、屋敷の中の目立たないところで二、三時間すまきになっていてもらうだけだ。本当はローブに乗るジェネルをいじれれば早かったんだけね、使わないやつはメンテもあまりなかった」

 聞きたいことはいくらでもあった。

 けれど時間はない。

 オフトゥたちが戦っている。

 ローブはこれからさらに増える。

「行きましょう」サイカは顔をあげて言った。

「明瞭なオーダーだ」

 ギリィンが太陽のように微笑んだ。



     §


 サイカたちはローブに乗って、オフトゥたちが戦っている場所へ急ぐ。離れた場所に置いていたので街を回り込む形になり時間がかかった。

 移動しつつサイカはまだ悩んでいた。

 目的のために手段を選んでいていいのか、いけないのか。

 そんな考えがミスリルを通して伝わったのだろう、ギリィンが言った。

「僕なら目的を優先する。手段なんて一番成果に近いものを選ぶだけだ」

 ギリィンはそういう人間だ、と短い付き合いでもわかる。

 オフトゥたちは違う。

「違う? 本当にそうかな? だって、レジスタンスの目的はクーデターでしょ? それはこの国の現在の法律に則って考えれば犯罪だ」

 それはその通りだ。

 だけど、ライは作戦よりも目の前の子供を救うために行動を起こした。それにギリィンの考えを先に知っていたらたぶんみんな反対しただろう。

 手段を選ぼうとする。最終的にどうしても必要なところで犯罪になるような行いをするかもしれない。けれど、それは選んだすえの答えだ。目的を第一にするわけではない。

 正しいことを為すために。

「僕にはそれがわからないな」ギリィンの声。「正しさとはなにか?」ギリィンの声。「正しいことのために」ギリィンの声。「結局、犯罪を選ぶことがある」ギリィンの声。「正しい目的のためなら許されるものがあると考えているわけだ」ギリィンの声。「それって、たんに目的のためなら手段を選ばないような人間よりもとてもすごいね。素晴らしい知性だ」

 ギリィンの笑みが見えた気がした。

「まるで神様みたいに」

 横から黒いローブが二体、飛び出してきた。攻撃をよけて、両の拳を振り下ろした。もう一体はギリィンが体当たりで動きを止める。目的地が近い。他のローブも集まって来てるのだ。すきをついて先に進む。

「どうするんですか?」サイカは念じるようにして問いかける。「数が違い過ぎます」

 目的のために手段を選ばないと言うのなら、この窮地を乗り切る手段があるのだろう?

「目的のローブが来てからね。それまでは適当に戦って数を減らせるだけ減らそう。無理そうなら逃げ回るだけでいい。ただ、ヘスデネミィが戦えなくなるようなことだけは避けてくれ。僕には切り札がある。その策の要はヘスデネミィだ。さあ、行こう」

 着いた。

 オフトゥたちが戦っていた。メイのジッカはもう膝をついていて、動くのがやっとという様子だった。ライのアードラがメイを守るような動きで、取り囲む警察の黒いローブの攻撃を弾き飛ばしている。盗賊のものらしいローブは一体を除いて停止していた。最後の一体が傷つきながら逃げようとするのをオフトゥのヴィブラリィアンが球体を飛ばし防いでいる。

 つまりあのローブがまだ子供を載せているということか。だから攻撃も上手くできないでいるとも考えられる。子供が載っていることは警察のローブにも伝わっているだろう。それが首長の子供という勘違いまで伝達されている可能性もある。

 途中でやり過ごしたローブも追いついてきた。

 ローブは増えるばかりだ。

 けれど、目的のものと思われるローブはまだ来ていない。そもそも確実に来る保証もないのだけど。

 地面を蹴り、飛んで、アードラに棍棒を振り下ろそうとしていたローブを蹴り飛ばす。

「遅い」ライの声。

「お礼は?」サイカは思った。

「ありがとう、助かった」

 意外に素直だ。そんなことをサイカが思ったとき、横の腹に衝撃を受ける。増援だ。気づかなかった。下がって体勢を立て直そうとしたところで、ローブの頭にアードラの剣が突き刺さった。

「礼はいらない。そういうのは全部、終わってからだ」

「了解」サイカは答えた。

 お互いにそれが言えたらいいねと思う。

「私だって」

 メイのジッカが膝をついたまま片腕だけで昆を振り回した。

 なんとか致命傷は避けている。

 それは敵も同じだった。

 一体、二体、潰しても数と頭脳に差があるのだ。単体のローブだけを見ればスペックはこちらが上だったが、乗り手に人間とジェネルという差がどうしても存在する。思考の速度、疲労のない知能、長引くほど人間は弱っていく。ヘスデネミィはカクテラルが補助してくれるが、それでも決定権を持っているのはサイカだ。疲労は溜まっていく。

 ギリィンの声が綺麗な音で響いた。

「さあ、どうする?」

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