第3話 前衛的な休養

 落ち着くまで時間がかかった。まだ本当に落ち着けているわけではない。ただ混乱と吐き気がおさまってきて、なんとか前を向ける程度になったということだ。

「これはなんなのでしょうか」

「わからない」オフトゥが答える。「ヘスデネミィの機能だとしか思えない」

 王族専用のローブ。特別な機能が備え付けられていてもおかしくはないだろう。だが、それがローブの搭乗者にまで影響するものか。

「君は人間なのか?」オフトゥの隣に立っていた女性が口を開いた。

「おい」オフトゥがいさめるように言う。

「わたしはこのレジスタンスのリーダーであるレク・チエだ。君がレジスタンスに参加したいということは聞いた。我々は来るものを拒まない。どのような過去があろうと未来のために戦う覚悟があるのならば迎えいれよう。しかし、リーダーとして、仲間にいれるものは確かめなければならない」

 レクが強い視線を向けてくる。

「再度、問おう。君は人間なのか?」

「わかりません……」サイカは言う。

「人間のように動き、人間のように話すのだから、きっと人間だろう」

 オフトゥが話し、笑い声をあげた。

「なにかあったときの責任は取るんだな」レクがオフトゥに尋ねる。

「取れる範囲しか取れませんが」

 レクがオフトゥを睨みつけた。オフトゥはそんな視線を無視して微笑んでいる。

「サイカ、君はオフトゥの小隊に入れ。あの特異なローブと共に戦力として期待している」

 サイカは言われた意味をすぐに理解できずぼんやりとレクを見た。オフトゥがサイカに言う。

「こういうときは返事をするんだ」

「はい」

「戦力にならないようならば、ローブを剥奪することもある。覚悟はしておくように。もっとも、あのジェネルの言葉が正しければ、君のローブに乗れる人間は他にいないかもしれないがな」

 レクが部屋を出て行った。緊張していた空気がやわらいでいく。

「怖かったか?」オフトゥが尋ねてきた。

「少し……」

「リーダーとして責任を持ち、気を張っているんだ。悪い人ではない。とてもやさしい人だよ。やさしいからレジスタンスのリーダーなんてことをするはめになっている」

 それはなんとなくわかったような気がしていた。尋問のような言葉だって、集団を率いるものとしては当然のものだろう。いきなり体が作り代わるような人間がやってきたのだ。スパイにしては目立ちすぎておかしいにしても、なんらかのリスクと考えるのはおかしくない。

 体。

 サイカは自らの体をもう一度確認する。こみ上げてくる吐き気を我慢しながら、体に触れていった。女性の体だ。あったはずのものが消えて、なかったはずの特徴が現れている。鏡を見た。顔は以前のままのような気がする。しかし、どことかなく女性らしさが増しているようにも感じられた。それがもとからだったのかわからない。もとから女のような顔だとバカにされていた。自分の顔なんてそんなに覚えていない。汚れて泥にまみれてばかりいた。

 盗賊に拾われて。

 人間としての扱いを受けず。

 ただ生きているだけだった。

 そこから抜け出す機会があって、

 だけど油断していたら死にかけて、

 気付いたら女になっていた。

 なんて意味のわからない人生だ。

「もう少し休んでいるといい」オフトゥが言った。「なんとなく元気になってきてはいるようだが、本来は生きているのが不思議なぐらいの怪我だったんだ」

「はい」

「いい返事だ。起きたらライやメイにここでのことを聞くといい。活動の目的や日々の生活について。元気になったら忙しくなるからな」

 オフトゥがサイカに触れようと手を伸ばしかけたがすぐにひっこめた。サイカはそれに気づかなかったふりをする。

「じゃあ、またな」


     §


 夜。

 森。

 月。

 上段からローブの構えた剣が振り下ろされる。

 どうすればいい?

 いま、サイカの近くにカクテラルはいない。

 ヘスデネミィを動かせるのはサイカだけだ。

 前へ。

 ブースト。

 ヘスデネミィには、受け止めることができるような剣や盾もなければ昆もない。バグズナイフでは、剣を切り裂くことはできても勢いのついた刃がそのままヘスデネミィを切り裂いてしまうだろう。

 だから、前へ出た。

 振り下ろされる剣の根本、柄を持つ手を、ヘスデネミィの腕で受け止めた。衝撃が縦に走る。しかし、ダメージは少ない。

「壊さない程度にな!」ミスリルの拡声器を通してオフトゥの声が届いた。

 だったら、こんなことさせないでほしい。

「だったら、すぐに負けてくれよ」

 サイカの感情がミスリルを通して伝わったのだろう。アードラに乗ったライの声が頭に響いてきた。

 アードラは元はサリトーのローブだった。めずらしい魔法剣士型のローブ。剣と盾を持ち攻守に優れたバランスのいい機体だ。そんなアードラを操っていたサリトーは、わずかな油断だったのか、この前の戦いによる負傷でローブに乗ることはできなくなった。命があっただけ幸運だったのかもしれない。

「なにが幸運だ」ライの声。

 ライはそんなサリトーに頼み込んでアードラを譲ってもらおうとした。憧れていたローブだったということもあるだろう。しかし、それよりも慕っていたサリトーの代わりにという気持ちが強いように感じられる。

 振り回される剣を避けていく。

 カクテラルがいないので以前のように自由には動けない。

 なんとか、致命傷をさけて、サイカはチャンスを待っていた。

「かかってこいよ」ライの挑発するような声が響く。

 ライはサリトーにローブを譲るように頼んでいたが、サリトーはそんな権限は自分にはないと答えた。そしてその場にやってきたオフトゥが言ったのだ。サイカのヘスデネミィと模擬戦を行い、勝てばアードラを使わせると。

 だからサイカは戦っている。

 オフトゥは、サイカの肩に乗っていたカクテラルをとりあげ、これは練習だ、と言った。

 サイカにとってこの戦いの勝ち負けに意味はない。負けてあげたほうがライが喜ぶのではないかという気持ちもはじめのうちはあった。だけど、ヘスデネミィに乗ったとき、サイカの頭に声が響いた。

「お前は、倒されるために生まれてきた敵だ」

 カクテラルが言ったのかと思ったが、彼はローブに乗っていない。

 その声は、ミスリルを通して伝わってくる搭乗者の感情のような響きで、内側からサイカの体に伝わった。

 目の前のローブに対する明確な敵意と共に。

 サイカはローブを反転させながらアードラの横をすり抜ける。

 後ろを取った。

 その思考はライに伝わる。

 ライは後ろからの攻撃に備えて前へ跳んだ。

 振り返るよりもそちらの方がはやく、攻撃圏内から逃れられるとの判断だ。

 それはわかっていた。

 作戦ではない。

 作戦はローブ同士の戦いでは意味を持たない。

 思考は伝わり、

 作戦は漏れる。

 意識を無にすることはできない。

 ゆえに意識を超越しなければならない。

 ゆえに思考を理詰めで追い詰めねばならない。

 どんな反射神経を持ってしても逃げることできないゴールまで。

 ヘスデネミィでアードラを追う。ヘスデネミィはアードラより武装が少ない。よって質量が少ない。それは同じ出力ならば、よりヘスデネミィが加速しやすいことを意味する。もっとも出力においてもヘスデネミィが上なのだけど。

 アードラに追いつく。

 アードラは反転しようと試みる。

 悪あがきだ。

 バグズナイフを振り抜いた。

 アードラの右脚が地面に落下する。

 アードラは後ろ向きに片足で着地、そのままバックステップするがバランスが保てていない。

 トドメ。

 どこを。

 完全に停止させ……。

「これはどういうことだ」レクの声が頭に響いた。「いますぐ停止しろ!」

 目の前がクリアになった。

 ナイフを振り抜こうとしていた腕を止める。

 なんでも切り裂くことのできるナイフはアードラの首の横で止まった。片足でバランスを保つことのできないアードラがゆっくりと後ろに倒れ、大きな音を響かせた。

 息が乱れているのがわかる。

 さっきまでは気にもならなかったのに。

「ふたりとも戻ってこい」

 どうやらレクはオフトゥからミスリル拡声器を奪い声を伝えているようだった。

 サイカは目の前で尻もちをついているアードラにヘスデネミィの手を伸ばした。アードラがヘスデネミィの手を取る。ライの感情が伝わってきた。それはよく戦ったなというようなお互いの健闘を称えるようなものではなかった。

 悔しさと悲しみとわずかな憎しみが混ざる複雑な言葉たち。

 そしてそれに気付いたサイカの感情もまたライに伝わっただろう。

 ライの感情がまたわずかに変化したのが感じられる。

 レクたちの前に戻り、サイカとライはローブから降りた。レクが口を開こうとするよりはやく、駆け出してレクの前で跪いたライが言った。

「アードラを俺に使わせてください」

「許可はすでに出したはずだが」レクが表情を変えずにオフトゥを見る。「伝えてないのか?」

「サイカに勝てたらやると言った」

「それでこれか……」レクがため息をはく。「あれは、勝っていたか?」

 レクの問いにライが表情を曇らせる。

 決着はついていない。しかし、誰が見ても明らかな状況だった。あのとき、ライですらもう諦めていた。それはみんなにも伝わっているはずだ。ただ、もうひとつ伝わっていることもある。

「俺の負けです」ライが認めた。

「そうか。ならアードラはお前がそのまま使え」

 ライが理解できないというような表情を見せた。

「うちは、賭け事でローブの使用者を決めるようなことは認めていない。私は既に許可を出した。それだけのことだ」

 メイがライの元に駆け寄って、喜びの声をあげた。ライがぎゅっと拳をにぎりしめて、喜びを噛みしめるようにうつむいた。

「よかったな」オフトゥが言った。

「お前は罰掃除だ」レクがオフトゥに話す。「勝手なことを」

「あの……」ライがレクの前に立ち言った。「ほんとうに俺でいいんですか?」

 レクがふたたびため息をはく。

「めんどうな奴だな、良いと言われたのだから素直に受け入れろ。それに私だけではない、みんなもきっと同意見だ」

 レジスタンスの人間が集まっていた。最初はおもしろい見世物程度に思っていたのだろう。けれど、ライの感情が大勢の人間を揺さぶったのだ。そう、負けを覚悟した感情だけが伝わったのではない。ライが、どれだけサリトーにあこがれていたか、どれだけ代わりにアードラを駆りたいと思っていたのか、どれだけの戦いに対する熱い気持ちを持っていたのか。戦っている最中にライが抱えていた思いが、すべてが伝わったのだ。

「アードラを他の者に渡そうとしても乗りたいという奴が出てこないさ。だから、ライ、お前が乗れ」

「ありがとうございます!」ライが深く頭をさげる。

 サイカは、激しい鼓動を感じた。本来ならなかったはずの柔らかな肉の奥で、心臓が高鳴っている。そんな体の熱量に振り回されないように、サイカは意識してゆっくりと歩き、ライとメイの元へ近づいた。生まれてはじめて得た大切な仲間として、サイカもライを祝福したかった。

「よかったね」

 サイカは、一瞬、ライの目が曇ったように感じた。しかし、落ち着いてみるとそのような様子は感じられない。喜びに溢れているようで、楽しい感情でいっぱいのように見えた。

「次は負けないからな」

「次も勝つよ」

 ふたりは声をあげて笑いあった。

 ローブに乗っていない者の感情は誰にも伝わらない。

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