番外編という名の小ネタ集

その1 センパイさん堕ちる

「んー、おかしいぞ、なんだこれ」

「どした」

「あ、センパイさん。なんかzipファイルが解凍できなくて」

「みしてみ。あーこれ、ターミナルからコマンドで解凍できるぞ」

「ターミナル……?」

「これを、こうして、……ほいできた」

「うお、できた。センパイさんありがとうございます。さすが技術者」

「よせやいよせやい。そうだ、今日の晩飯何?」

「ここんとこ暑いんで、いっそのこと開き直って激辛麻婆茄子にしようかと」

「マジ? 神かよ。ビール冷やさなきゃ」


「センパイさんとメコンさんって、付き合ってるんですかぁ?」

 私は画像の補正作業を中断して、向かいのデスクでイチャついてる二人に声をかけた。

「は? なんて? あー、ベンジーちゃん、俺らのこと疑ってんの?」

「女の子はそういう話好きっすもんね」

 軽く呆れたような返事が戻ってくる。二人ともあしらうような表情で、無駄に息が合っているのが尚更ムカつく。

「いやいやいや、そもそも先輩たちって前から付き合ってる噂あるの知ってますよね。メコンさんなんて何かあるとすぐセンパイさんの部屋いくから、通い妻なんて呼ばれてましたし」

「あー。それって冗談だろ? そんくらい俺らも分かってるからさー、今更怒ったりしねえよ」

「そっすねー。みんなそれ言ってたし、なんならそれに乗っかってふざけたりとかしてるし」

 あっだめだこの人たち天然でやってる。私は徒労を感じ、作業中のデータを保存しアプリケーションを終了させる。こんなの見せつけられてる中で作業なんかできない。

「センパイさん、今の見た目わかってやってるんですか?」

「おう。結構かわいいよな」自分で言うんかい。

「いやあ見た目これでも中身バッチリセンパイさんだからね」

「いやだから、センパイさんそんなになっちゃって、お互いなんも思わないんですかって!」

 暖簾に腕押しなやりとりに、なんだか無性にムカつく。おかしい、自分から話を振ったはずなのに。

「あーそういうこと。俺らもさ、ガキじゃないからね。ちゃんと話し合ってやってんのよ。最初とか結構助けてもらった恩もあるし」

「そうそう。そんな感じ」

 はっとしてしまった。センパイさんは変人だが、たまにまともすぎる。

 センパイさんは先々月の頭に、なぜか女性になってしまった。正直わけがわからなかったが、結局部員や研究室のメンバーには受け入れられている。私だって最初は混乱したが、あまりに女性としての自覚がないセンパイさんに危うさを感じ、いろいろ構うようになった。

 老婆心からか、いらないことを訊いてしまったようだった。

「あ、そうなんですね……。失礼しました。ちょっと、飲み物買ってきます」

「それにメコンくんは思っててもなんかする度胸ないもんな! ガハハ!」

「センパイさんビール抜き!」

 私は頭を冷やそうと、いつものようにはしゃぎ合う二人を置いてサークル室を後にした。



 僕はセンパイの部屋で買い物袋を下ろすと、額の汗を拭う。

「あっつ、死ぬ」

「もう、飲んじまおうぜ」

「ダメっすよセンパイさん。激アツ激辛にビールをぶつけてやりましょうよ」

「そ、そうだな」センパイが喉を鳴らす。

 あの日以来、定期的にセンパイの部屋で自炊している。僕も一人暮らしなので、どうせなら一緒に作って食べてしまった方が楽だし安いのが理由だ。それにこっちの方がキッチンが広い。いままで大して料理もしなかったセンパイがなぜこの部屋にしたのかは謎だ。

 とりあえず、買ってきたものを冷蔵庫にしまっていく。最近センパイはビール専用冷蔵庫を買ったので、随分庫内がスッキリしている。いいことだ。ちなみに野菜は実家から鬼のように送られてくるので、サークル内でばらまいたりしている。今日はその中からナスを消費しようという魂胆だ。

「センパイさん、麦茶いります?」

「うえーい。くれー。溶けそうだー」

 いつの間にかセンパイは部屋着に着替え、部屋のエアコンの前で棒立ちになっている。冷風を独り占めしてやがる。タンブラーに麦茶を注ぐと、テーブルまでもっていき、センパイの真後ろに立った。

「あぁー生き返る。こっち暑すぎないっすか? いまだに慣れないっすよ」

「そっか、メコンの地元、河原で芋を煮る奇祭があるとこだっけ?」

 今日の部屋着はギネスビールのTシャツか。こんなにたくさんどこで買ってるんだろう。

「生まれは別なんすけど、育ったのはそこっすね。あっちはいいっすよ、ここまで暑くないし」

「そんなに違うのか。うらやましー」

 十分に体が冷えたのか、Tシャツの裾をバサバサさせてエアコンの前から退く。

 正直、こういう所作にドキッとしてしまう。

 今日のサークル室でのやりとりが去来する。それに今は十分に可愛い女性の見た目だ。意識しないタイミングがないとは言い切れなかった。


 ——センパイはいい人だ。


 金髪拡張ピアスで厳つい印象だが、実際には「なんとなくかっこいい」という理由でそうしているので、決して輩や不良ではない。少し何を考えてるのかわかりにくいところはあるが、つるんでいて気持ちがいい。さらにこの前の一件から、より親密になった気がする。

 しかし、健全な男子大学生の端くれとして、悶々としてしまうことも多くなった。僕はなんとか均衡を保っている。


「あいー、麦茶もいいなあ。焼酎入れるか」

「ちょっとは我慢しなさいこのばかたれ」

「手がね、震えるんだよ。シャッキリしないと……」

「あーもーダメすねこれは」

 センパイと冗談に笑い合い、麦茶を飲み進める。こういう時間が好きだ。だらだら時間を消費する感じがいい。すっかり汗も引き、ようやく一息つけそうだ。そんなとき、ふとセンパイの一部が目に飛び込んできた。眩しく輝くようなふとももだ。しかも内腿。

 今のセンパイはベッドを背もたれに、左足を投げ出し、立てた右膝に右腕を置いて座っている。メッシュ生地のハーフパンツの裾が、重力に従って股間近くまでずり落ちていた。

「オフッ」

 思わず麦茶にむせてしまう。慌てて目をそらすが、この両目にはふとももの輝きが焼き付いている。

「おっなんだ、大丈夫か? どうした、顔なんか赤くして。あれか? 意識しちゃった?」センパイが悪い顔をしている。

 残念ながら僕は赤面症がちだ。すぐに顔に出てしまうので、こうやってからかわれることが多々ある。

「いやっ、すんません。ふ、ふとももがね、目に入ってしまって……」

「あっごめんごめん、気遣いが足りなかった」

 センパイは急に気まずそうに居住まいを正す。なんだ、妙に居心地がわるい。

「あれっすかね、ちょっとベンジーちゃんに言われたこと引きずってるんすかね、僕」照れ笑いを演じながら言う。

「あー、なるほど……」

 センパイは両腕を頭上へ伸ばし、ベッドへ寄りかかった。と、思うと急に立ち上がり、なんかの鼻歌を歌いながら小躍りして、僕を両手で指差す。

「じゃあ確かめてみようぜ!」

「は?」

「は、じゃねえよ」


「よーし、じゃあまずは手をつないでみよう」

「は?」

「では早速。……どうよ? なんかある?」

 センパイは急に僕の手を握ってきた。しかもあれだ、恋人繋ぎというやつだ。頭が沸く。

「メ、メンタルが童貞なので、あの、ドキドキします」なんとか絞り出す。

「そっか。俺も思ったよりメコンの手がでかくて少しドキドキしてる」

 少し顔を赤くし、それを隠すようにうつむいている。

 は? なんて? なんで急にそんなしおらしいんだ?

「あっ、あの、これどういう」

「うるせえな。嫌か?」少し顔を上げ、上目遣いの状態で訊く。

「んあー、嫌じゃ、嫌じゃないっす」

 複雑な気分だ。目の前にいるのはセンパイだが、センパイじゃないような感じ。見た目にはどうしたって勝てない。頭では理解しようとしてきた。この中身は男で、今まで散々一緒にバカをしてきた仲だ。一度の間違いはあったが、これまでも変わらずやってこれたじゃないか。

「そっかあ……。んー、俺さ、中身男じゃん? 気持ち悪くねえ? 正直どうしていいかよく分かんねえんだよね、いろいろ。それでさあ、こういうの、相談できるのって、おまえくらいしかいないんだよね……」

 センパイは、僕と繋いだ手の指を開いたり閉じたり、力を入れたり抜いたりしながら告げる。

「あっそうなんすね」

 悲しいかな僕はヘタレでもある。

「おまえはどうなんだよ。俺といて、どうなんだよ」

「い、いやあ。いい先輩だなって、思ってますよ」

「ちげえわボケナス。つまり、どうしたいんだよ、おまえは」

 どうしよう、答えが見つからない。思わず目が泳ぎまくる。何を言ったらいいんだ? 確かに今のセンパイには友情や憧れ以外の感情を抱くこともある。だって見た目は女の子じゃん。ただ、そんな目で見てしまってはセンパイに申し訳ない。望んでなったわけじゃないし。それに、今まで培った関係を裏切ることになるような気もする。あっそういえばご飯炊いてない。

「なんとか言えバカヤロー!」

 センパイが物理的に突っ込んできた。

「エフッ」

 センパイの頭が真横にある。髪の毛から、あまい女の子のにおいと、たばこの混ざりあったにおいがする。初めてのにおいだ。というか、なんで抱きつかれてるんだ。わあ、耳まで真っ赤だ。

「おっ、おまえのこと、すげーいい後輩だと思ってる。こんなことになっても助けてくれて、すげーいいヤツだよおまえ。実はさ、気味悪がって離れてくやつとか、下心丸出しのやつも結構いたんだよ。そう思うとさ、やっぱおまえすげえなって。あーダメだ、今もこんなにドキドキすんの、マジ笑うわ」

 センパイは耳元で呟くと、んへへと笑う。

「正直俺もよくわかんないんだけど、いろいろ考えんのめんどくさくなってさー。どう? やっぱやめる?」

「や、やめなくていいです。センパイさんがいいなら、俺もいいです」

「君たまに自分のこと俺って言うよね」耳元でころころと笑う。

「そ、そうなんすよ。中学から呼び方変えたんですけど、たまに出ちゃって」

 もう一度笑うと、センパイはがばりと身を離し言った。

「よっしゃ! じゃあセックスするか!!」

「は?」

 なに言ってんだこの人。あ、すっげえ顔赤い。かわいい。

「うるせーチンコ出せー! ずっとおっ勃てておいてなんだその目は! 体で分からせてやる!」

「ちょちょちょセンパイさん!?」

「摩季さんって呼べー!」



「あぁー……もうなんも出ない……」

 下腹部から内臓が全部出て行ってしまったような虚脱感を抱えた僕は、ベッドを背もたれにし、床に両足を投げ出して座り込んでる。いつもはセンパイが座っている場所だ。振り返ると、当の本人がうつ伏せで顔を枕に埋めている。

「大丈夫ですか? ま、摩季さん……」

「……ほへ、ふっほい」

「……?」

「これすっごい」

「……フフッ」

 なんだかおかしくて笑ってしまった。



「辛っ! うま! ビールビール!」

「ほんとにお米いらないんすか?」

「さすがにね、胃の大きさを把握したよ。米よりビールを入れたいし」

 センパイは自嘲の笑みを浮かべ、遠くを見る。

「確かにご飯物食べるとビール入らなくなりますよねー」

「もう最近シメのラーメンも辛くてさー。ハーフサイズとか欲しいもん」

「なるほど、酒飲みには辛いですね。酒の強さは変わってないんですよね」

「若干、弱くなったかなあ? まあ、酔っ払うより先にお腹いっぱいになる。だから誠くん、君はこれからしっかりと俺の分まで飲んでくれ」

「肝臓こわれちゃう……」



「はあああ? 結局付き合うことになったんですかぁ!?」

 センパイの面倒をよく見てくれているベンジーには報告した方がいいと思い、後日、サークル室にていきさつを話した。毛先を緑色に染めた彼女は、クールな印象を抱かせる目を思いっきり見開き、素っ頓狂な声を上げて驚いている。

「いやあ、メコンくんはいいやつだけど、このままじゃ妖精さんになりそうで。だから俺が貰ってあげようと」

「そんなこと一言も聞いてねっすよ。ベンジーちゃん、ごめんね、これからもセンパイさんが迷惑かけるかも知れないけど、よろしく」

「そうだぞ!」

「あんたは少し黙ってなさい」

 しばらく口元に手を当て考えるようなそぶりをすると、彼女はサムズアップをして言った。

「いやあ、あまりの展開の早さに驚きましたけど、サブカルクソ女の私的にはおいしいシチュエーションですね! センパイさん、これからはビシバシ女の子を叩き込んでいくんで覚悟してくださいよ! メコンさん、期待しててください。バッチリ可愛くしてお返しするんで。お代は今度みんなで飲み行きましょ」

「お、おう。了解。……ベンジーちゃんすごいな」

「じゃ、センパイさん、メイクの練習しましょ。今日は逃さないっすよ!」

「マジかあ……」

 センパイを見ると、力のない笑顔を張り付かせている。相当スパルタらしい。

 僕は笑うと、センパイの手を後ろに組みベンジーちゃんに差し出した。


「おっおっおっ、裏切りものー!」

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