アブノーマル⑥


「時間稼ぎ、ごくろうさん」


その声には聞き覚えがあった。声の主の正体に気づいた瞬間、ブラッドは悪寒に身体を怖ばらせる。


「伏せろ!」


言いながら、ブラッドも地面に本日何度目かのダイブをした。何かが頭の上を通りすぎた。クレイは、その気配に気づかなかった。あんなに浴びせた銃弾でも、クレイを無力化する事は出来なかったのに。クレイの左胸を綺麗に貫いたそれは、なんとクレイが最初に持っていたナイフだった。その柄を握るのは、肘から切断された腕だった。クレイが着ている服と同じ布を纏っていたから、それがさっき青年に切断されたクレイ自身の腕である事が分かった。


「が…」


クレイが、漸く、止まった。心臓一突きで、呆気なく。同時に喧騒が止み、静けさが降りてきたと思うと、ぐちゃぐちゃと不快な音が耳に飛び込んできた。いや、その音は、ずっと聞こえていた。ただ、意識していなかっただけで。


ブラッドは立ち上がって、振り返って彼を見た。


まともにくっついているのは腕だけだった。切断された筈の腕だけが、まるで何事もなかったように、周りに打ち捨てられた肉塊を拾い集めている。その肉塊も、意思を持って蠢いているように見えた。本体である彼の体に引き寄せられるように。意思を持って蠢く姿は辛うじて生き物とは呼べるだろうか。


頭からは脳みそが露出していた。顔の半分は悲惨なことになっていて、目の片方は飛び出し、口の端が裂けて、頬が削がれて奥歯が丸見えだ。腕だけがなぜか綺麗にくっついているのは、そこを優先的に再生させたからだろうか。


捌かれた胸からは心臓という最も大切な臓器が晒され、腹からもそれを溢れさせて彼は生きていた。片足は離れたところに落ちている。身体を引き摺った跡も生々しく残っていた。


「…ぶっ殺してやる、て、めぇ、おぼ、え てろ」


驚くべきなのか、クレイもまだ生きていた。しかし、彼の所為でそれも薄れる。むしろその後、糸が切れたようにクレイが崩れ落ちても、まだ生きているのではないかと疑った。ブラッドが指図をすると隊員の一人が慌てたように駆け寄って、生存確認をする。傷はいくつもあるが、致命傷は一ヶ所のみ。左胸、心臓一突き。更に体を見て行くと、銃弾が数えきれないほども体に埋まっていた。隊員が、息を飲む。


「ま、まだ息、が…」


震えながら告げられた言葉を慣れたように受け入れる。もしかしたら今にも起き上がり、襲ってくるのではとすら思う。


「息があるなら早く縛れ」

「は、はい」


さて、意を決し、視線を彼に戻す。まだぐちゃぐちゃと不快な音を立てて、修復作業に勤しんでいる。ブラッドは青年に歩み寄った。離れた位置で本体に戻ろうとズルズルと動く足を拾い上げる。その血に濡れた肌は、生きていると主張するように体温がある。それを差し出すと青年は少しだけ目を見張った。


「…ありがとう」


目の前にすると、一層異質だった。体が元に戻ろうとする様は、異様と言う他ない。自分の腕で溢れる内臓を零れない様に抑え、皮膚が修繕されるのを待つ。


「…良く、見て、られるね」


じろじろと見ていると青年が呟いた。不躾だったかもしれない。応えようと口を開こうとして、隊員に呼び止められる。


「クレイ、拘束完了しました」

「厳重に連れていけ。一瞬も油断するな。バカみたいに警戒して行け」

「は、はいっ」


異常者とはいえ、満身創痍の人間相手に異常な程の警戒心。それが普通。けれどブラッドは、目の前の青年相手にそうしなかった。飛び出していない方の目玉と目が合う。その目からは生気を感じられない。


「…おれの、」


青年が言った。


「ああ、」

「…可能、なら、傷口を、洗って、くれ、ると…たすか、る」


ブラッドは、砂まみれの腕を見て分かったと答えた。残っていた隊員に水を持って来るよう指示を出すと、水の入ったボトルが供給された。傷口に雑に水をかけて簡単に洗う。


腹が皮膚で覆われたのを見計らって腕に足を渡す。青年はまた律儀に礼を言って、足を切断面に押し付けた。また雑な、と思う間もなく、細胞が意思を持ったかのように蠢いた。腕を離すと、もうくっついている。


「よ、いしょ、っと」


ふらふらと覚束ないながらも、青年が立ち上がる。しかしまだ完全にくっついていないのか、何かの筋がブチブチと千切れる音がした。


「…肩、貸そうか」


ブラッドの提案に震えたのは隊員達だった。


人間の殆どは、異常者というだけで嫌悪するものもいる。防衛隊員だって訓練されているとはいえその例に漏れない。だけどブラッドは、もう彼に恐れを抱いてはいなかった。彼がクレイ討伐に多大な貢献をしてくれたことは変わらないし、何よりも、彼から狂気が感じられない。


「勘弁してくれって顔しているけど」


ブラッドではなく、背後の隊員を指しながら青年は言い、歪な顔のままふっと笑った。


「すまない。許してやってくれ」

「いや、いいよ。俺が化け物なのは間違いない。それより…可笑しいのはあんただろ。こんなん見て普通でいられるとか」

「ああ、正直まだ夢だと思っている」

「悪いねぇ、現実で」


まともに会話できているが、彼はもう生きているだけで紛れもない異常者。ただ、異常者の定義は『残虐な思考回路』を持っていることが前提で、身体的特徴は二の次だ。ただ、彼等はかろうじて、『人間』に区別される存在。


そこまで考えて思案する。彼を『人間』とするには余りにも…。


「…一応言っておくけど」


 彼は両手を上げて、降参のポーズを取った。


「敵意はないし、俺はさっきの異常者みたいに大立ちまわりは出来ない」


それは、そうなのだろうなと思った。ぼんやりしているのもあるが、ただ酷く鈍いだけのようでもある。それは不死故だろうか。回復の速度もあまり速いとはいえない。その変わり、彼の気配は驚く程静かだ。クレイさえ欺くほどに。


負けはないが、勝つこともできない。再生している間に逃げられて終わりだ。


 青年の閉じた筈の腹が、まだボコボコと蠢いている辺り、治癒しているのは外面だけで、中身はまだ修復途中なのかもしれない。ブラッドはまた彼の飛び出した目と視線を合わせる。


「いくつか聞きたいことがあるが…その顔は何とかならないのか。なんというか…目のやり場に困る」


言ってしまえば、それさえなければ、普通の人間と言っても良かった。


「ん?あ、ごめん気づかなかった」


青年は自分の目玉を、手で直接引っ込めた。潰された頬肉が再生し、薄い皮膚が少しずつ覆い被さる。その間、胸の再生は止まっていた。なる程、全て同時に再生できないらしい。ある意味難儀な体である。


なんて考察し始めたのだからブラッドの思考もそうとうイかれているのかもしれない。背後で嘔吐している隊員は見逃してやることにする。


「…あんたも異常者なの?」

「は?」


ブラッドの不躾な視線を意に返すどころか、青年はブラッドにそんなことを聞いた。ブラッドはまさか自分がそんな事を聞かれると思わずに目を剥く。異常者に異常者と聞かれるなど滑稽でしかない。しかし心当たりがある手前、強く否定する言葉が出てこない。そんなブラッドの代わりに口を開いたのは、後ろに控えていた隊員だった。


「てめえはケンカ売ってるのか」

「ブラッドさん、こんな化け物に礼儀なんて必要ないです」

「お前がいなくたってクレイは捕らえられた。恩着せがましいんだよ!」

「別に、恩着せようなんて思ってないけど」


喚く隊員に、慣れたように淡々と青年が言い返した。『異常者』は最上級の差別用語だ。常人に使えばただの罵倒。隊員が怒るのも無理はない。しかし。


「待て、お前ら。こいつは普通の異常者とは違う」

「ああ、今まで会った中で一番やべぇ異常者っすよ!」

「…彼がいなければもっと犠牲が出ていた。この事実は変わらない。これ以上俺に恥をかかせないでくれ」


 それは、防衛隊員にとっては屈辱的である事実だろう。けれどブラッドはいくら相手が人間の定義から外れていても、その事実を捻じ曲げたくはなかった。


他でもない、ブラッドに諭されて、隊員達は勢いを失った。


「冷静になれ。…見るからに異常者相手にまともに話し合おうとしてんだ。異常者と思われても仕方ない」


その言葉は、彼すらも彼が異常である事を自覚しているからこその言葉だった。

青年がニヤニヤしながら、ブラッドたちの様子を見ている事に気づいた隊員の一人が我慢しきれずに声を張る。


「何笑ってんだてめぇ、」

「おい、口を慎め」

「でも、慎むのはあいつですよ」

「俺?」


口の端を釣り上げ未だに笑う青年。その顔が、小馬鹿にしているようにしか見えないのだ。


「とぼけてんじゃねぇ!」

「もう黙っておけお前ら」


ブラッドは溜息を吐いた。


「君もからかうのは止めてくれ。俺達は異常者に何度も辛酸を舐めさせられてきたんだ」

「ふうん…慕われてだなぁ、あんた」


ブラッドが青年に対して言った言葉で、漸く隊員達が静まった。


「取りあえず話をしよう。礼もしたい。…おい、お前ら。応急処置が終わったなら隊社に戻っておけ」


礼がしたい、と言った瞬間、隊員の空気がピリリとしたのを見かねて、ブラッドが指示を出す。


「隊長を置いていけるわけねーだろ」

「じゃあ黙っとける奴は残って良い。文句がある奴は後で聞いてやるから今は帰っとけ。残るなら文句はないとみなし、苦情は受け付けん」


隊員は羽虫を噛み潰したような顔をした。どうしてもここにいたいらしい。あと、青年がブラッドを侮辱しようものなら割って入る気も満々である。そこ隊員が二人、前に進み出た。その内の一人は女だ。しかし、隊員からは文句どころか、大人しく前を譲った。


「私とスカーが残ります。あとは戻ってください」

「アイルー」


ブラッドが女隊員の名前を呼んだ。アイルー・ミューロン。今回のクレイ討伐作戦で唯一の女性で、二班の班長をしていた。もう一人はスカー・エレイン。ブラッドの弟で、一班の班長である。この二人が残るなら、他隊員も文句は言えない。


「ああ、そうだ。報告は俺がまとめてするから、彼に関して他言しないように。他の隊士にも言っておけ」


 後ろ髪を引かれるように戻っていく隊員の背中にそう言葉を投げると、渋々返事が返ってくる。ああ見えて、多分大丈夫なはずだ。


「取りあえず名前を聞こうか」


アイルーとスカーが厳しい視線を彼に向けている。それを飄々と受け止めて、青年は応える。


「ノイズ。ノイズ・ルーチェス。話の前に一個だけ良い?」


青年、ノイズはにこやかに笑い、頷くブラッドたちに向けてこう言った。


「お前ら、俺の事殺せる?」


と。

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