第11話 冤罪、逃亡

  暫くの間、イルルクは火葬場と客室の往復だけを行った。どうやらルドリスはイルルクの担当になったらしく、イルルクが移動する時には必ず一緒にいた。

 そしてフェルも、大抵の場合一緒に付いてきた。ただいつものようにイルルクに絡んだりはせず、ルドリスの隣に真面目な顔をして立っていた。

 イルルクの前では見せた事のない顔に、最初に見た時は少し笑ってしまいそうになったが、自分が火葬している時の姿もフェルにとってみれば同じ事かもしれないと思い、表情に出すのをやめた。


 相変わらず火葬場に運ばれてくるのは幼い少年少女ばかりで、死体を運ぶ遺族たちの感情に引っ張られてイルルクの気持ちまで深く沈み込んでいくようだった。

 そんな感覚に陥る度に、”凪げターラ”と呟き、さざめく魔力を落ち着けるのだった。


 イルルクは部屋にいる間、部屋の床に敷かれた毛足の長い布に指で魔法陣の練習をした。基本的には魔力を込めたインクも特別な紙もなしに魔法陣は発動しないから安心して練習しなさいとキリは言った。

 当然の事ながらキリは見本を書く事が出来なかったので、イルルクはキリの言葉での説明を頼りに魔法陣を書かなければならなかった。

 キリが言葉で図案を説明するのには限度があった為、イルルクが覚えた魔法陣は各属性の初歩的な物だけだった。



 イルルクがそんな生活を初めてから何日が経っただろう。

 イルルクは再びリュエリオールと向かい合っていた。

 リュエリオールはイルルクの肩に両手を乗せ、真剣な顔をして言った。


「お前を街から逃す」


 イルルクは驚いた。イルルクにとって世界はこの街だった。街の外にも世界があるなんて、考えもしなかった。

 それに逃すとはどういう事だろう。イルルクが疑問を口にしようとした時、キリが声を出した。


「魔術師殺しの犯人だからかい」


 リュエリオールを始め、部屋にいたイルルクとフェル以外の人間は、一度周囲を窺った後でイルルクの首にぶら下がった不恰好なぬいぐるみを見た。

 イルルクは、キリがリュエリオールと対面するようにむいぐるみを掲げる。


「私はキリルスモーヴ。元魔術師であり、今は魔石になってしまっている」


 キリの名前を聞き、リュエリオールは明らかに動揺した。しかしそれは一瞬で、イルルクには感じ取れない程の速さで平静を装った。


「キリルスモーヴくん、君の言う通りだ。イルルクは、ハメられた。中央特区の中でも力のある魔術師が数日前から行方知れずになっていた事は知っていたが、まさかその魔術師を殺し、証拠隠滅の為に燃やした火葬人としてイルルクの名が挙がるとは……」

「そんな気はしていましたけど……それで、この街から逃がしてどうなさるおつもりですか」

「魔術師殺しの件については私が何とかするが、中央特区の中でも更に面倒な所を相手取らなきゃならん。武力行使に出る訳にもいかない以上、どうしても時間がかかる。だからその間、中央特区の者たちに見つからないようにしていてほしい」

「俺とフェルも同行する」


 ルドリスがイルルクに向かって言った。

 街を出るのは今夜。赤い月が沈み始める闇に紛れる事になった。

 イルルクはリュエリオールを見た。自分のせいで、どんなに迷惑をかけただろう。

 リュエリオールはそんなイルルクを、離し難いと言わんばかりに抱きしめた。そして自分の嵌めていた指輪を外し、イルルクの左の親指に嵌めた。


「絶対に捕まるな、イルルク」

「はい、ボス」


 イルルクたちは頭から薄汚れた布を被り、赤く染まるヤクニジューを後にした。

 中央特区の更に中央、高くそびえる魔術院の尖塔が、イルルクを見つめていた。


 ヤクニジューを囲う壁の中に埋め込まれるような形で作られた両開きの門を抜ければ、広大な大地が広がっていた。

 ヤクニジューの外へ出たのは初めてだった。イルルクはなるべく顔を隠しておかなければならないとは理解しつつ、周囲の景色を見た。

 ヤクニジューの外の世界など、イルルクは想像した事もなかった。

 思ったより殺風景な外の世界。ヤクニジューの外門から森へ伸びる道が一本。その周りには大きな石がごろごろと転がっていた。所々に足の短い植物が生えているものの、視界の殆どは茶色だった。

 砂と石にまみれた大地に伸びる一本の道だけは踏みしめられたように硬く、そこには石が転がっている事もない。綺麗に整えられた道は足を取られる物が何もなく、走りやすかった。

 道の先には鬱蒼とした森が広がっており、その中までは木々に遮られて見通す事が出来ない。森の中は隠れて移動するのに最適だとルドリスが言っていた。

 イルルクはルドリスたちに遅れないように懸命に両足を動かした。


 ヤクニジューの方を振り返ると、もう外門は小さく、殆ど見えなかった。

 いつ、戻って来られるのだろうか。

 イルルクは寂しい気持ちを振り切るように首を振り、森へ向かって無心で走るのだった。

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