あめりかん

 おにぎりですね。

 野球ボールはおにぎりです。具なしの。

『バスケットボールはどうですか』

 バスボはなんかアメリカンです。ステーキでしょうか。とってもボリューミー。

『ステーキを丸ごと一つ食べて、それからおにぎりまで入るんですね』

 言われてみれば、深夜なのに食べ過ぎたかもしれません。明日から部活がんばらないとですね。うふふ。


 ねっ、坂本さん――。

 下野は最後まで無邪気に笑っていた。僕らは連絡先を交換してその夜は別れた。

 結局、重要な話は何も出来なかった。重要な話とは当然、僕たち――つまりボールを食べる者たちの今後についてだ。

 もうこれ以上、あの学校に忍び込んでボールを盗むのは危険である。まだ警察が動くほどではないとはいえ、明日にでもそうなっているかもしれないのに、これ以上首を突っ込むのはあまりにマズい。もっとも、盗み出した『現物』が存在しない以上、仮に僕が犯人と特定されたところで有罪確定とまではいかないだろうが、警察に付き纏われる事態は避けるに越したことはない。もうあの倉庫は無理だ。

 そういう話を、もっと下野に強く訴えるべきだった。一応言うには言ったが、新たな快楽に目覚め夢中になっていた彼女が、どの程度それを真剣に受け取ってくれたかわかったものではない。下野は今日も部活らしいが、果たして今後どう振舞うつもりなのやら。出来ればこれ以上騒ぎを大きくしてほしくない。元々は僕が始めた事だが、便乗した奴のために発覚が早まるのは勘弁なのだ。

 とはいえ、もう心配しても遅い。僕は僕なりにやらねばならない事がある。食糧の確保だ。僕は初めてボールを食べて以来、普通の食物をほとんど口にしていない。食う気が起こらないのだ。ボールは必要。なんとしても。

「いらっしゃいませ……」

 一生縁のないはずだった、スポーツショップというところ。その扉を開けた時の凄まじい衝撃ときたら。

 ボールだ!

 ボールの匂いがいっぱいなのだ!

 店に入った瞬間に、この店は美味いと確信する飲食店がある。その感覚だ。狭い店内に所狭しと並んだスポーツ用品の数々。シューズやウェア、バットやグローブなんかはどうでもいい。店の奥に固めて並べられたボール・ボール・ボール。種類も様々転がし放題。芳しい球まみれ。腹に来る。空腹を刺激する香だ。涎をこらえるのに苦労する。早く買わねば。

「あのう」

「はいはい。お求めですか」

 店内には老店主が一人。スポーツショップより古書店の方が似合いそうな薄白髪の眼鏡紳士だった。

「この野球ボールを……」

「はあ、いくつほど」

「ええと……とりあえず十個ばかし」

「十個。とりあえず。ですか。クラブかなにかで?」

 店主は目を細めて、僕の顔をジロジロ見てきた。別に気にしなくっていいじゃないか。売り物なんだから。

「ええ、そんなところです」

「ははあ……」

 店主は歯の抜けた口をニヤニヤさせながら、ふいに声を低くした。

「違うでしょう」

「え?」

「食べるんでしょう。あなた。このボール、食用ですね?」

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