妖怪たまっころ

狸汁ぺろり

ぺたぺた

 蒸し暑い夜の事だった。

 僕は町を歩いていた。サンダル履きでペタペタ歩いていた。真夜中の住宅地はとても静かだった。

 気が付くと、僕は町の中学校の前に来ていた。僕は大学進学のためにこの町へ引っ越してきたので、この学校には何の所縁もなく、敷地に足を踏み入れたこともない。それなのに、どうしてここにいるのだろう?

 不思議に思う暇もなく。僕の体は門扉を乗り越えていた。見えない糸で引っ張られたみたいだった。息苦しいほどのねっとりした暑さと、頭の中に綿を敷き詰めたような重い眠気が、僕の脳みそから考える力を奪っていた。自分の行動がわかっていても、それを止めようとする気概が起こらないのだ。

 ひょっとすると、この異常な暑さは、僕の内側にある本能から湧きあがるものなのかもしれなかった。食物にたかるハエのような気持ちだった。

 グラウンドを突っ切って、体育倉庫の前に来た。いかにも安っぽい建物だ。扉の引手に触れてみると、ひんやり冷たかった。鍵は掛かっていない。まったく不用心な事だ。これだから田舎の学校は。

「だから僕みたいな奴が入っちまうんだ」

 僕の唇はしゃべっていた。嘲るように笑ってさえいた。今の僕は明らかに不審者であるというのに、それがどうした? とでも言いたげに笑っていた。

 扉を開けると革の臭いがした。倉庫の中は月の明かりも入らず、いよいよ真の暗闇の中だった。僕は踏み入った。そして様々な道具の中から、いとも迅速に目当てのモノを嗅ぎ当てていた。

 それは籠に入った野球ボールだった。

 一つ手に取ってみる。汗と土の匂いがする。使い込んで、どれだけ磨いても汚れが落ちそうにない小汚いボールだ。

 ボールに鼻を寄せてくんくんとその匂いを嗅いでみる。革とゴムの匂い。ああ、たまらん。口の中に唾が溜まってきた。

 かぷり。

 僕はボールを噛んでいた。舌を出して苦いものを舐めまわしていた。

 ボールは硬く、それ以上力を入れたら歯が折れてしまうのではないかと思われた。けれど、そんな心配は杞憂だった。僕の歯はいつの間にか牙になっていた。その牙を器用に使って革を突き破り、ボールを瞬く間にぺちゃんこにしてしまった。縫目の糸や中身も含めて、丸ごと噛む。噛む。噛む。呑み下す。

 がり、がり、ぼり、ぼり。――ごくり。

 食べてしまった。

 決して美味いわけではない。けれど、僕の両手にはすでに、次の餌食たちが握られていた。

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