大河原橋で故意の上級者乱す その4

「どうせ邪魔者はいない。このまま上まで突撃する!」

「わかりました。皆のもの、聞いたな! 全軍突撃用意!!」

 発破をかけて味方を鼓舞する。

 なんだろう、ちょっと楽しい。

 ボクは体育会系のノリは好きじゃないし、試合前の円陣とか内心くだらないってバカにしていたタイプだけど、それが果たす役割というものを少しだけ理解できたのかもしれない。

 20名にも満たないような生き残りの兵士を連れて、ボクは恋志谷神社を目指す。

 きっとそこに、答えはあるのだ。


 結論から言うと、恋志谷神社があった場所は存在した。

 手前の左右に分かれる道も再現されている。

 しかし山肌を削って作られていたような恋志谷神社そのものは無く、ただの空き地のような何もない原っぱがあるだけだった。

 鳥居もなければ社号標を書いた石柱もない。石段の登り口にあったはずの手水舎もない。

 呆気にとられていると、急に背後から気配を感じる。

 振り向こうとするより先に後方より声がした。

「やあ、待っていたよ」

 ボクはその声の主を、完全に振り返るよりも早く気付いた。

 そしてその予測は見事に的中した。

「遅いよ、つっきー。あ、鳳凰院殿って言ったほうが雰囲気出るかな」

 もう驚きもしない。

 ウチの妹は世界への参戦も手慣れたものとなってしまった。

 ……ここボクの異世界なんだけど!


「やつこそが北条の使い! あやつから秘伝書を取り戻すのだ!」

 副将っぽい人が檄を飛ばし、それに呼応するように怒号が響く。

 威勢は良いのだが、誰も突撃しようとはしない。


 北条の使いは、つまるところ妹は、ボクと同じように馬に乗っている。ボクは自分が乗馬している姿を見ていないのでわからないが、恐らく妹のように頭身が高くないからあまり似合っていないと思われる。

 加えて格好も尼将軍とでも言うべきか、鎧を着ているわけでも兜を身に着けているわけでもなく、弁慶とか謙信が被っている頭巾に麻布の服みたいな格好で、本当に軽装なのだ。そんな恰好なのに、立派な馬に負けていない。

 あまり自分を鑑みたくないのだが、対してこちらは兜や鎧に着させられているような、そんな印象すら感じられてしまう。

「これが本当の馬子にも衣装?」

「……るさいっ」

 口にだすんじゃない。


 しかし、誰も手を出そうとしない本当の理由は別にある。

 彼女の右手には薙刀が握られている。

 竹の模造品ではなく、本物の刃である。刃先は地面に付きそうなほど柄が長い。

 刃を下に向けているので臨戦態勢ではないのだが、それでも威圧感がすごい。

 下手に動こうものならあっという間に一突きで命を奪われるだろう。

 あの人みたい。

 なんか歴史のゲームに出てくるめっちゃ強い人。

 駄目だ、髭の人ってあだ名しか思い出せない。

 まあいいか。


「しかし数で言えばこちらが圧倒的に有利」

 ボクはいかにも余裕綽々な態度で言った。

 だが内心はビビっていた。

 妹は文武両道で薙刀の腕前も凄い。少なくとも、ボクよりは。

 一騎打ちではまず勝てないような相手なのだ。

 だから数で押し切る作戦に出るしかない。

「でも、よろしいのですか?」

 急に他人モードのスイッチが入り、よそ行きの声で妹が続ける。

「ワタシが死んでしまえば、秘伝の書の在り処は永遠に不明のまま、ということになります。秘伝の書はすでにワタシの手を離れてしまいました」

 そう言って左手を開いて放り出すような仕草をする。

「何をっ、貴様が隠し持っているのだろう!」

「信じるも信じないも自由です」

 圧倒的不利な状況にもかかわらず、妹の態度に一切の焦りは感じられない。

「鳳凰院様ならば、ワタシの言葉が真か偽りか、想像に難くないでしょう」

 他人モードの妹はお嬢様レベル99のカンスト勢並の強さだ。

 ボクのような半端者では勝ち目がない。

「ならば約束しよう。秘伝書の在り処さえ教えてくれたら見逃してやろう」

「なっ!? よ、よろしいのですか!」

「……ああ」

 そもそも、たとえ異世界であれ何であれ、妹と果たし合いをしたいと望む者がどこに居ようか。

 初めから生殺与奪権などボクは持っていなかったのだ。


「流石、つっきーは優しいね。じゃあつっきーにだけ教えてあげる。ちこーよれちこーよれ」

 そう言って薙刀を地面に突き刺し、軽く手招きする。

 ボクが馬に乗ったまま近づくと、平行になるように馬の向きを変え、にやけながら自分の耳をトントンと指差す。

 耳をこっちに傾けろという意味だろうか。

 言われるがまま体を傾けて、心なしか背伸び気味で頭を斜めに突き出す。別にそんなことしなくたって声は聞こえるけどね。

 妹が耳打ちするように左手を口に添えてボクの左耳に手を触れる。

 そして、一瞬何かを言おうとして戸惑うように視線を横にずらし、さも自然に言った。

「あ、こと姉」


 いやね。

 わかってるよ。

 こんな異世界に姉が来るはず無いし、居たところで何がどうなるんだって話さ。

 あっUFOとか、そんなレベルの相手の気を逸らせる古典的な方法に今更引っかかるやつなんてそうそう居ないよ。

 普通はね。

 普通は。

 そんな非現実的な事象を持ち出したところで信じていないんだから、騙されたりなんかしないよ。

 うん。

 いやね。

 わかってるよ。

 わかってはいるけどさ。

 ボクの耳はどんなマイクよりも正確にその音を拾うし、ボクの体はどんな機械よりも素早く反応するわけで。

 居るはずのない虚の空間を振り返ってしまったわけで。

「――あ」

「つっきー、ごめん!」

 妹の謝罪の言葉とともに、ボクの体は突き飛ばされて不安定な馬の上から何もない宙を舞ったのだ。

 ふわりと浮かぶ感覚は一瞬で、その武具の重さから全身がずしりと地面にめり込んだような感覚に襲われた。

 そしてボクの意識は痛覚を認識するより先に朦朧としていった。



「つっきー! 大丈夫!? ねえ、大丈夫っ!!??」

「いたた……ちょっと転んだだけだろ。大げさだなぁ」

 ボクは地面に大きく尻餅をついていた。

 今にも泣きそうな不安そうな顔でボクを見ていた。

 ……いや、さっき突き飛ばしたのはお前だろう?

 異世界の話なのでそんなこと言っても仕方ないのだが。

 むしろボクを突き落とした妹なんて存在しなかったのだ、良かった。


 妹の手を取りながら立ち上がる。

 雨上がりの土はまだ湿っていて、ストレッチパンツは思いっきり濡れた跡が付いた。

「うわ……中までびっしょりだよ」

 お尻をはたきながら、少しでも乾くように生地を引っ張る。

「こりゃ電車の中でも座れないな……」


「もぅ! ノートを見ようなんてするから、バチが当たったんだよ」

 呆れたように妹が言う。

 幸いノートはそれほど汚れたり濡れたりしなかったようで、拾い上げた妹が再び棚に戻す。

 そして笑顔のまま、無言でこちらに首を向ける。

「わかってる。もう見ないよ」

 ボクがそう言うと大きく頷いてボクに駆け寄る。肘とか汚れた部分が他にもあったらしく、軽く叩いて汚れを落とす。

「もう少しで『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ』を体験するところだった……」

「? そうなの?」

 よくわからないといった表情を浮かべてボクの独り言を拾い上げる。こればっかりは仕方ないのだ。妹に罪はない。


 ちなみに、実はノートに書かれていた内容を少しだけ垣間見ることは出来た。

 ただ、そこに個人を特定できる名前が書かれていた、というわけではなかった。

 なんというか、恐らくどこかのカフェの店員かあるいは客のことではなかろうかと思われる。コーヒーショップのチェーン店など通学路にいくらでもある。

 ちょっと意外だったのは妹が一目惚れをしていることだ。そのような素性の知らない相手に好意を寄せることはしないと思っていたのだが、まぁ年相応の乙女であったというわけか。


 ところでボクは田舎の電車事情のことをすっかり忘れていた。

 待っている間にお尻は乾き、無事電車には座れた。


 疲れてぼーっと電車に揺られていると、ボクらと共に電車に乗ってきた中年女性が話しかけてきた。

「あら、その制服って京都市内の女子校のでしょ。ウチのご近所さんの娘さんが通ってたのよ~。ここからだと朝は始発で夜も遅くってね~、結局寮に入ったみたいだけど。ねぇ、あの学校ってどんな感じなの? やっぱり良いところのお嬢さんが通ってるのかしらねぇ」

 止まること無く永遠に続くマシンガントークに、ボク達はただ相槌を打つことしか出来なかった。

 最初の姉の言葉通り、確かに制服は目印としては適しているようだ。

 もしもこの後何者かに拉致られたりしても、この女性の証言によりボク達の生存率はぐっと上がりそうな気がする。


 だがそもそも、話しかけられたことによって続くこの永遠のような時間から抜け出す方法を教えてほしい。

 加茂駅に着くまでの15分程度の間に、何度外の景色が歪んで見えただろう。


「今日もまた異世界へ行けなかった」

 車内は異世界よりも危険な空間だったのだ。

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