お初天神で道に迷いて心を惑う その2

「さあー次なる挑戦者は阿納桧都月あのひの つづきさん! 選手入場です」


 いきなり名前を呼ばれ戸惑うボクをよそに、どこからともなく聞こえてくるアナウンスは続く。

「果たして制限時間以内にこの巨大な迷宮を抜け出すことは出来るのでしょうか!? ここ大阪は曽根崎の地から遠く幾星霜、辿り着いた異世界にて、最初の試練が待ち受ける!」

 テンション高いな天の声。

 ノリノリである。


「って、幾星霜って距離やなくて時間やないかーい! って突っ込んでもらわなきゃ。関西人でしょ?」

 さらに無駄に知識も要求してくる、お笑いに厳しい天の声だ。

 その域に達するまでは何光年もかかる……光年は時間じゃなくて距離だけどな!


 よく見ると、さっきまで日中の下を歩いていたはずが、空は暗く鬱蒼と生い茂った森のような場所に立っていた。

 そびえ立つ木々は周囲の様子など全く伺い知れず、獣道のようななんとか歩ける道があるだけだ。

 そういえば、曽根崎は昔は森だったと聞いたことがある。

 曽根崎心中の舞台に選ばれたのも人気のない暗い森だったからかもしれない。

 それを再現しているとでもいうのか。


「さーどうした挑戦者! その場から一歩も動かない。何か策を練っているのか? それとも怖気づいたのか。こうしている間にも制限時間は刻々と迫ってくるぞっ!」

「ちょ、すでに始まってるの!?」

 早く言ってよ!

 ボクは導かれるように前進して、とりあえず道なりに森を歩いていく。

 よくわからないことに巻き込まれている自覚はあるのだが、こういうときにどっしり構えることができない小心者なのだ。

 慌てふためくことしかできない。

 好奇心旺盛で勝手に動いて殺されるやつとどっちがマシだろう。


 迷宮と言ったか。これは確かに巨大な迷路だ。

 テーマパークによくあるけれど、難易度が段違いだ。

 まず直線じゃない。自然の森を歩いているのと同じ感覚かもしれないが、道がうねっていて頭の中に地図が描けない。

 さらに茂みの奥にも道があったりして想像以上に分岐点が多い。

 月明かり程度の明るさはあるが、街灯のない道を歩いているようなものだ。


 一寸先は闇。

 しかも先程まで威勢の良かった天の声も黙りこくってしまった。

 おい、なにかヒントとか出せよ!

 せめて残り時間とか言えよ!

 ボクの湿った土を踏む足音や小枝の折れる衝撃音だけが響き渡る空間でしか無かった。

 巨大迷路のはずがお化け屋敷じゃないか。

 口に出すとますます恐怖心が湧き上がるので、心の中にとどめておいた。


 突如目の前が光り出し、目がくらんで顔を腕で覆う。

 上の方で出題音のような効果音が響き渡り、天の声が饒舌に語りだす。

「さあここで問題です。『あなたはお互い好きあっているものの、決して結ばれないとわかっている身分違いの恋よりも、上の者が用意した手堅い相手との婚姻の方が良いに決まっている。』マルかバツか!?」


 目の前には二股の道が現れ、それぞれ○と×の書かれた紙が浮いている。

 クイズ番組でよくある選択問題だが、これは果たして何を問われているのだろう。

 曽根崎心中の物語を理解しているかを問うているのか、ボク自身の考えなのか。

 正解のない二択ならば、どちらを選んだとて死にはしないだろうが。

 流石に異世界に来て死ぬのはゴメンだ。


 駆け落ちか政略結婚か。

 有り体に言えばそういうことだ。

 正解など無い。

 あってたまるか。

 しかしボク個人の考えを述べるとするなら。


「やらない後悔より、やって後悔した方がマシだ」

 バツの道に向かって勢いよく走り出す。

 全力疾走のような格好いいものではなく、雨上がりのぬかるむ道で水たまりを避けるように飛び跳ねる間抜けな走りだ。


 進めど道が消える雰囲気はない。

 静寂を駆け抜ける音だけが聞こえる。

 というか正解でも不正解でもいいから、なんか効果音くらいはくれよ!

 天の声が聞こえるような世界なんだからそれくらいあって然るべきだろ。

 やり場のない怒りが沸き上がりつつ、再び暗がりの道を進む。


「問題です!」

 再び光が溢れ、目の前には二股の道が現れ、天の声が響き渡る。

「『たとえ信用できる相手であっても、お金の貸し借りは行うべきではない。』マルかバツか!?」

 ○と×の書かれた紙が上から降りてきて、ひらひらと揺れていた。


「むむぅ……」

 正直、こういうことはあまり考えたことがないし、お金のトラブルも起こしたことがないから自分のこととしては答えにくい。

 一般論という立場で言えばマルが正解だろう。

 しかし、周囲の人間が困っていたとして、自分が手を差し伸べれば助かるという状態だったら、きっと自分はその手を差し出すだろう。

 といっても、それは博愛精神などては決してなく、善行を重ねたほうが異世界へ転生しやすいのではというむしろ利己的な発想だ。

 神様がチートスキルの一つや二つくらいオマケしてくれるかも。


 だから、答えは。

「バツだね!」

 ドヤ顔を浮かべながらバツの方へ歩いていく。

 外面だけは良いって言われるのは、こういうところなのかもしれない。

 ……だけってなんだよ、だけって。


 正解か不正解かもわからない道を進んでいく。

 せめて結果くらい教えてくれたっていいじゃないか。

 もしくはただのアンケートでしかないのなら、マルを選んだ人は何パーセント、一方でバツの人は何パーセントでしたって結果を公表してくれ。

 ボクはこう見えて実は小心者だから多数派に居ないと不安になってしまう。


 闇が深くなってくる。

 夜更け過ぎ、草木も眠る丑三つ時ってやつだ。

 風が騒がしく木々を揺らす。

 森を往く獣の咆哮までは聞こえないが、臆病な耳は枯れ葉を踏んだ音にすら過敏な反応を示す。視覚を失うと他の五感が研ぎ澄まされるというのは本当らしい。


「うう……」

 嗚咽が漏れる。

 もしも死ぬまでこんな謎の迷路で歩き回っていなきゃいけないのではと不安がよぎる。

 小さな前進すら、次第に歩幅は小さくなる。

 立ち止まってはいけない。

 深淵のど真ん中で立ち尽くすことになる。

 もう泣きたい。


「問題!」

「わっ!!」

 思わず大声を出してしまった。

 三度目のスポットライトタイム。

 突然あらわれるのはやめてほしい。

 ……でも、ちょっとだけ嬉しかったかも。


「これが最後の問題です」


 声のトーンは落ち着いていて、それがかえって不気味で緊張感が増した。

 つばを飲み込む音がはっきりと聞こえる。

 目が慣れてきて、ようやく目を開けて前をしっかりと見られるようになった。

 それを見計らったように最後の問題が出題される。

「『こんなくだらない世の中なんてさっさとオサラバして異世界へ旅立ちたい。』マルかバツか!?」

 願望にも聞こえるその問いは、安堵していたボクの心を突き刺すような熾烈な一撃だった。


 二択の紙が揺れている。

 しかし風の音はなく、まるで世界が止まってしまったかのような静寂が支配する空間。

 恐れていた、深淵が支配する世界。

 光は降り注がれているのに、心の闇が支配する孤独であり孤立している世界で立ち止まっている。


 ボクは、迷ってはいけないその問いに答えを出せないでいる。

 このまま正解だと思う方の道を進めばいいだけのはずなのに。

 二択の紙は同じ選択肢のように見える。

 それがどちらを示しているのかは、なぜか光が当たらず見えないでいた。


 その刃を誰かに突き立てる覚悟はあるのか。

 その刃を受け入れる覚悟はあるのか。

 ボクはまだ答えを出せない。


「ブブーッ! 残念、時間切れです!」

 紋切り型のアナウンスが流れる。

 照明は落とされ、辺りは暗闇に包まれる。

 一気に恐怖心が湧き上がるが、少し先の空間にスポットライトが改めて当てられる。

 巨大な松の木が照らし出され、その下に人影が見える。


「あ……ああ……あ…………」

 低い唸り声が消え入ってはまた発せられ、正気の沙汰ではないと一瞬で察せられた。

 ギラリと光る短刀を両手で握りしめた着物姿の男性が目を見開きこちらを見ていた。

「うわあああああぁぁぁ!!!」

 雄叫びを上げながら男は走り出す。

 髷を結った頭に草履の足音、どう見ても徳兵衛をあしらった人間だ。


 足が動かない。

 確実にこちらに近づいてくるのに、逃げようと判断する頭に体が追いつかない。

 自殺する手間が省けたじゃないか、なんてことを思う余裕は一切ない。

 これ、どうなるの。

 異世界で死んだらどうなるんだ。

 また別の異世界へ旅立てるのか。それとも同じ世界を繰り返す系か。

 そんな楽観的な話だろうか。

 馬鹿言え。

 ボクにはその刃を受け入れる覚悟もないし、こんな異世界を望んだ覚えも――ない。

 猪突猛進してくる刃はまっすぐボクを捉え、獣より恐ろしい咆哮は鼓膜を破る勢いで耳を突き破る。




 風鈴が風に揺られ明媚な光景を見せ、風流な音を鳴らす。

 しかし一陣の風はやがて強くなり、風鈴同士がぶつかり合いガチャガチャと不快な音となる。

 参道の一角にあるすだれ屋根には一面に風鈴が下げられており、それらが共鳴しあって巨大な衝撃音となる。

 風が収まれば風流だが、強風ともなれば不愉快だ。

 そんな不協和音を流す風鈴がボクを現世へと引き戻す。


 後味の悪い異世界を過ぎた先にあるお初天神の北出口付近には立呑居酒屋のような店があり、店頭にはドリンクとたこ焼きセットの写真と、その横にタピオカジュースのポスターも貼ってあった。

 どんな食べ合わせだよ。


 お初天神を抜けた先もまた飲み屋街で、独特の匂いと提灯や看板の明かりが支配する空間に戻ってきた。

 お酒の良さは、もう一回りくらい生きてみないとわからないのかもしれない。

 果たしてそれまでに答えは出せるのだろうか。

 恋い焦がれるような誰かに出会うこと。その誰かを突き刺すこと、その誰かに突き刺されること。異世界に行くというのはそういうことだ。

 今はまだ、答えは出せそうにない。


「今日もまた異世界へ行けなかった」

 とおりゃんせのメロディーがどこからともなく流れたような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る