LINE33:Creator

 遥から物騒なメッセージが届き、返信してはみたが既読はつかない。

 僕は赤坂の家を後にする。弱っている彼女を置いていくのは少し気が引けたが、このままずっと停滞している訳にもいかない。

 遥はPCを使用して野中識くんと会った時のような自己解析をやってみるという。

 それ自体は確かに必要な行動かもしれないが、あの時は二日くらい気絶していて非常に心配した。それに情けない話だが遥がいなくては能動的に何かを実行することが出来ない。

 とにかく今は帰らなくては、と僕は街中に溢れる倒れている人や操られていると思われる人々を躱しながら電動自転車を走らせる。


 住み慣れた街もここ数週間でまったく姿を変えてしまった。

 商店は軒並み休業し、道路には乗り捨てられたり事故で大破した車やバイクが溢れ、少し視線を上に移すと存在意義を失った信号機が平常通りに点滅している。復旧作業をしようにも外出自体が危険なためそもそも健常者と思しき人をほぼ見かけない。

 数日も経てば物流が滞ることで食料を求める人々が仕方なく外に出てくるかとも思ったが、Orionの通販サービスが無人ドローンで食品などを宅配しているらしく、今のところは大丈夫らしい。とは言え食品を生産する人、管理する人がいなくなればそれらもいずれ限界が来るだろう。

 Orionの目的は仮想空間の外側であるこの世界を滅ぼすことなのだろうか。だとすれば宅配サービスを継続しているのは矛盾している。

 遥の処置によって生き残っている僕たちは、この世界で今後どう生きていけばいいのだろう。……それを考えるために親父も遥も頑張ってるんだよな、と独り言を呟き溜め息をつく。あの姉ちゃんでさえもこの状況に有効な対策は立てられない、と思うと絶望的な気分になる。


 家に到着し、自転車を止める。親父は調べものがあるとのことで会社に行ったようだ。

 Orionのサービスはどれも普段通りに動いている……ということは会社も普通に営業中ということなのだろうか。

 親父の場合は暗号化防疫を受けているので大丈夫だが、他の社員はこんな状況の中で働けるものなのか。それともOrion社はやはり黒幕で、社員が安全に動けるような何らかの処置の方法を知っている?もしくは遥や識くんのような存在が社内にいるのだろうか。情報が足りない、考えても分かるわけがない、そう思いながら僕はとりあえず遥の部屋に向かった。


 軽くノックして名前を呼んでみるが返事はない。この前と同じように眠っているのだろうか。戸を開けて部屋に踏み込むと、遥は机に突っ伏すような形で気を失っているようだった。

 違うと分かっているのに、最新型うつの、優斗を発見した時のことを思い出して嫌な予感というか気分が悪くなるのを感じる。PCを見ると真っ黒な画面上に何らかの文字列が絶え間なく流れている。

 僕は何というか、コマンドライン等と呼ばれるこの黒い画面が苦手だ。マシン上で明らかに何かが起こっているのに理解不能の文字列がものすごいスピードで流れているのを見るとウイルスに感染したのか、とか自分だけが置き去りにされているような感覚を覚える。


 机に近づき、遥の顔に視線を移すと彼女は呼吸はしているものの目を閉じたまま鼻血を流している。これはただ事ではない、脳に負担がかかってるんだ……。

 気持ち的にはこのまま続けさせるべきではないと思う。だが、途中で止めていいものなのかこれは?分からない、だが迷っている間にも遥は痙攣するような動きをしている。

 僕は反射的にPCのキーボードとマウスに手を伸ばすが、アプリを強制停止しようにもGUIタイプでないものは操作が分からない。タスクマネージャーの起動もESCキーも効果がない。

 僕はくそっ、と呟くとノートPCをひっくり返し、背面部のバッテリーを乱暴に取り外して投げ捨てた。HDDがキューン、というか細い音を鳴らすとプログラムはOSと共におそらく停止した。


 遥は目覚めない。何度も名前を呼びながら軽く頬を叩く。前にもこんなことがあったな、と思っていると遥が瞼を開き、しゅー君……?と僕の名を弱々しく呟く。開かれた目は充血で真っ赤で、鼻からはまだ鮮血が流れ出している。

 僕は衰弱しきった遥を強く抱き締めながらごめん、ごめんなと何度も謝る。僕の目からは涙が溢れだす。どうして謝るの、泣いてるの、と遥はきょとんとしながら言う。


 遥に頭を撫でられながら僕はまた嘘をつく。遥が、家族が心配だったと。

 家族?分からない。単に一緒に暮らしている人たちが家族という名称だと、役割だと何故大切なのだろう。

 姉ちゃんが家を出て寂しかった。母さんが倒れて助けなければと思った。遥が気を失って心配した。家族ではなくても優斗が倒れて悲しかった。赤坂が泣いていて放っておけなかった。

 すべて本当に僕が思ったことだ。だが違う。現に今も「僕は遥のために泣くべきだ」と考えてその役割を果たすために泣いていないだろうか。

 僕自身が自分でその役割を決めたのか、これまで生きてきた社会の空気が僕にそうさせるのか。そんなことも分からないまま、僕は遥を抱き締めながら涙を流している。


 少なくとも人は自分という器から出ることが出来ない。

 その器をどう使うか、その手段は無数にあるにせよ、今僕の腕の中にいる遥……他人から見て僕という存在が視覚的に、感覚的にどう映っているのかを知る術はない。それが小さな頃から不思議で仕方なかった。

 もし人の心の中身をすべてデータ化できたら、人同士は完全に分かり合えるようになるのだろうか。だが、他人のすべてが認識できる世界というものは想像がつかない。

 僕は性悪説の支持派だ。人は誰しも心に醜い部分を持っている。それをどれだけ外部に対して抑えられるか、それこそが人を善人であるか悪人であるかを判断するバロメーターだと思っている。

 もしそれらすべてが表面化した場合、誰が、何をもって善と悪を判断するのか。その世界ではそれを判断するモノこそがAIなのだろう。

 AIはすべてを矛盾なく判断し、断罪する絶対者、ひいてはavenueという世界の創造主となる。もしかすると、それこそがOrionが人格を集めている目的なのかもしれない。


 僕は手を伸ばしてティッシュを2枚ほど手に取り、ほら、血が出てるよ、と遥の血を拭いながら言う。


「遥は、どうして僕らのために頑張ってくれるんだ、こんなつらい目に遭いながら」と僕は問う。理由なんかないよ、と遥は弱々しくもあっけらかんと答える。


「……しゅー君がウチの外で倒れてた私を見つけた時、助けるのになんか理由あったの?小さい子に惚れられたいとか?」


 アホか、と僕も出来るだけいつもの調子で答える。だが次の言葉は出てこない。


「それと同じ……。ママもパパも、優斗くんも梨香ちゃんも困ってたら助けたい、それだけだよ。みんなが好き、だから助けたいって思う」


 これだけの頭脳を持っているのに遥の答えはとてもシンプルだ、単純に子供なだけかもしれないが。逆に、頭のいい子供だからこそ簡単に解答が導けるのかもしれない。僕は、子供だし頭も良くないのに無駄なことばかり延々と考えてしまう。


「違う……違うんだ、僕は遥が危険を冒してまで助けるような価値のある人間じゃない。結局こうして、大変な時には慰めてるふりをして女の子に甘えてるだけなんだ、遥にも、赤坂にも、姉ちゃんにも」


 救いようがないくらいに情けない言葉が口をついて出てくる。これも本心なのか役割としての言葉なのかどうか僕には分からなかった。だがそこまで言った瞬間、遥が僕を振りほどいたと思うと左頬に鈍い痛みが響く。

 思いっきりグーで殴られたようで僕はぶへっと変な声を出しながらよろめく。これは非常に痛い、痛くて泣いてるんじゃないかというレベルだ。


「バカじゃないの?というかバカのためにしんどい思いしてる私は何なの、大バカ?天才少女をバカの仲間入りさせたいわけ?」


 いや、そういうわけでは……と虚を突かれた僕はなんとも間抜けな返答をする。

 遥は溜め息をつくと眩暈を起こしたのか少しよろめき、咄嗟に支えようとするが、僕はまた振りほどかれる。


「しゅー君がいたから私はうちの家族になれたの、みんなと友達になれたの、それがすごいとか、価値がどれくらいとか考えるのは馬鹿馬鹿しいよ」


 震える声が響き、遥はまた涙ぐんでいるのかもしれないが下を向いていて分からない。そう思っていると絶叫のような声が部屋に響く。


「私はしゅー君が好き、当たり前のことをわざわざ言わせないでよ!」


 遥は顔を上げ、今度は間違いなく涙を流しているのが認識できた。僕はまた遥を泣かせてしまった。二人とも泣いていてそれこそ彼女が言うようにバカみたいだ。


「……しゅー君も寂しかったんだね。ひとりで抱え込まなくていいんだよ、きっと」


 遥の優しい言葉にまた涙が零れそうになる。これはきっと、僕の素直な気持ちだ、感情だ。役割でも、社会に作られたものでもない。


「説明が面倒なんだけど、新しい友達ができたの、きっとそいつとも仲良く出来ると思うから、しゅー君も仲良くしてあげてね」


 と遥が言う。誰のことかは分からない。でも僕はうん、ありがとうと答えた。


 ……まだ少し整理と検証をする時間がほしいんだけど、と少し悲しそうな表情で遥は言う。


「私も、多分野中識も、Orionに作られた存在とかではないみたい。もちろん人間だよ、普通ではないけど……」


 遥は遥だよ、と僕が答えるとうん……と頷きながら遥は続ける。


「むしろ逆で、おそらく私はOrionやLINKの暴走を止めるために現れた。そのためにこの異常な計算能力や超能力があるんだと思う。出来ることはさらに増えて、多分今なら接触なしで物質に干渉することもできるはず」


 まさに超能力だな、具体的にはどんなことが出来そうなんだ、と僕は問いかける。んー……と遥が唸ったかと思うと、テーブルの上のコップが浮かんでいた。


「これ意外と疲れるな……筋力とは別の力を使うというか。でももう少し慣れればもっと色々出来そう」


 もはや何でもありだな、だがもうそれほどの驚きはない。

 ただ、遥の仮説が正しいとして、この能力でどうやってOrionを止めるのだろう?今のところ物理的な干渉能力にしか見えないが、コップを持ち上げる程度の能力で世界規模の企業や病気を止められるとは思えないのだが……。

 そう考えているとそれを今から検証するの、と先読みされてしまった。彼女が成長したのか、能力によるものなのか。読心術……というほど大層なものではないがこれは僕の得意技だった。しかし少なくとも遥が今何を考えているのか、僕には分らなかった。

 なんというかもう、まるで創造主だな今の遥は、と僕は皮肉気味に言う。


「創造主?かみさまのこと?」と遥は言う。

「かみさま?何語だそれ?」


 僕がそう答えると、遥は動きを止め、その表情は少しずつ不安と懐疑が入り混じったようなものに変わっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る