LINE08:Tailing

 今日は留守番を任された。

 真由の父親が急に都内に来ていると連絡してきたらしく、大学の帰りにどこかで食事をしてくるとのことだった。普段の料理は彼女に任せっぱなしなので、今日は自分でやらなくては。

 いつも真由が作っている姿は見ているし、レシピなんかも知識としては頭に入っているからたぶん大丈夫だろう。後で食材の買い出しにいかないと。

 しかし自分のためだけの料理っていうのは虚しいものだな、保存が効くものを作って明日真由にも食べてもらおうかな。そう思うとモチベーションが上がってきた。

 せっかく留守番なんだし真由が帰ってくるまでに部屋の掃除とかもこなして驚かせてやろう、と部屋を見渡すが、真由の家事スキルは完璧で残念ながら僕が出来ることはないという結論が出た。

 生活費を稼いでるとはいえ、これでは完全に居候だ。


 着替えを済ませ、階段を降りてスーパーへ向かう。

 近所の住宅では調理中なのか、そこかしこから夕食の香りが漂ってきて僕もお腹が空いてくる。

 真由は健康のためにもう少し食べた方がいいと思うのだが、あの年代の女性は太らないために少食で済ますのが普通らしい。

 摂取カロリーと代謝のバランスを取れば体型の維持はそう難しいことでもないと思うのだが、そこを見誤って体調を崩してしまっては元も子もない。僕もつい食べ過ぎてしまうこともあるから人のことは言えないが。

明日のメニューを決めるには今日何を食べてくるのかにもよるので、真由の携帯にLINKでメッセージを送る。


 僕は能力を使えばデバイスを介さなくてもネットワークに直接アクセス出来るのだが、できるだけ目立つ行動は避けた方がいいということで真由名義でもう一台携帯を契約してもらっている。

 戸籍もない僕がこの国で普通に暮らしていくのは楽ではない。一人でただ生命活動を継続していくだけなら何の問題もない。

 この世界の情報はほぼ好きなように改竄できると思うし、食べるものにも住む場所にも困らないだろう。

 だが真由は僕に社会というものを教えてくれた。


「自分の思い通りに改竄できる世界なんて面白くないし寂しいと思うよ、でもこんなことができるなんてひょっとして識くんって創造主とかなのかな?」


 彼女はそう言うとふふ、と少し笑ったのだった。

 創造主とはいわゆる神のことだろうか?それが何者であれ、人と違う存在というのはとても孤独なのだろうと思う。きっと僕もそうだった。


 そういえば真由の両親はどういう人なのだろう。あのきっちりとした真由を育てたのだ、立派な人なのだろう。

 普通に考えて僕と暮らしてることは両親には伏せてあるだろう、彼女に隠し事をさせるのは少し申し訳ない気がした。

 僕にも両親がいるのだろうか。いたとしてもあまり会いたいとは思えない。

 真由と暮らし始めたこの半年ほどで僕は様々なことを学習した。

 真由はよく僕に識くんは本当になんでも知ってるね、と言うが、知識があってもそれを正しく有用に使えるかどうかは別問題ということも学んだ。

 少しずつ常識を身に着けてゆくうちに、自分が普通ではないことを否応なしに認識させられる。

 この間の一件でも、あの尾行者はおそらく僕を監視していたのだろう。

 相変わらず記憶が戻る気配は全くないが、記憶なんて戻らない方がいいような気がしている。

 もし自分の正体が分かってしまったらもう真由とはいられないかもしれない。そう考えると、真由の悲しそうな顔が頭に浮かぶのだ。

 彼女は僕に名前と感情と、何より存在する理由をくれた。真由を守ること、それが今僕がここにいる意味だ。


 買い物を済ませると、僕は尾行者の存在に気づく。最近、尾行者が現れる頻度が高くなっている気がする。

 今日は僕一人なので撒くのも破壊するのも自在だ。

 だが、人を傷つけたりしたら真由を悲しませてしまう、破壊する以外の対処をしよう、と僕は考える。とにかく相手は何故僕をつけ狙うのか理由を明確にしておきたい。

 この前は狭い路地を利用して相手を撒いたが、今日は行き止まりを使って待ち伏せして質問してみることにする。

 対象との距離15m、通信機の類、おそらく携帯電話を所持しているようだ。

 相手の死角に入るように小道に隠れ、逆に尾行するような格好を取る。

 対象は袋小路で立ち止まりキョロキョロしている。身長177cm体重67kg、肉体年齢28歳、黒いスーツを着ている。それに、拳銃を所持しているが公的機関の関係者だろうか。


「なにかご用ですか」


 僕が問いかけるとスーツの男は一瞬驚いたような表情を浮かべ、道に迷ってしまって、と苦しい言い訳をする。

 そうじゃなくて、あなた僕を尾行してるでしょう。僕がそう言うと男はもと来た方向へ走り出し脱出を図った。

 このまま見逃すべきか一瞬迷ったが逃がしてしまっては何も分からないし、また来るだろう。

 時速12km、十分追い付ける速度だ。僕は自分の移動速度を時速15kmほどに設定すると逃げる男に簡単に追いつき、腕を掴み一時的に四肢を麻痺させた。

 男はその場で転倒し、顎の辺りを地面に打って呻き声を上げた。


「拳銃を持っているようなので念のためを四肢を麻痺させました。一時的なものなので安心してください。こちらに攻撃する意図はありません、ただしいくつか質問に答えてもらいます、まずあなたは何者ですか?」


 男は答えない。

 拷問して口を割らせてやろうかと一瞬考えるが、暴力は駄目だよ、と窘める真由の顔がちらついたので考え直す。

 そもそも記憶領域に直接アクセスして情報を引き出すことも可能なのだが、人の心に干渉するようなこともしちゃ駄目だよ、と真由に止められている。仕方なく別の質問もいくつかしてみるが男は答えようとしない。

 ……効率が悪い。早く家に戻って料理しないといけないんだけどな、と僕は考える。

 少し脅してみるか、実際に暴力を振るわなければセーフだろう、と自分を納得させ、男に問いかけてみる。


「何も答えないようなら物理的攻撃を加えますよ、四肢を切断することもできるし視聴覚を奪うこともできる」


 それを聞くと男の表情に恐怖の色が浮かび、呻き声を上げながら麻痺した腕を必死で動かそうと身体をよじっている。

 10分は動かせない設定にしたから無駄なのに、と思った次の瞬間、男の指先が僅かに動き、携帯電話のタッチスクリーンに触れた。

 僕は一瞬混乱した。馬鹿な、動けるはずがない。

 男はおそらく応援を呼んだのだろう、何人かが接近してくる反応を検知した。これ以上ここにいるのは危険だ、しかしこの男を放置して立ち去っていいのだろうか。

 そうだ、何か身分証のようなものを持っているかもしれない。男のスーツを少し調べると手帳のようなものを持っている。開いて中身を確認すると警察・公安関係者であることを示す身分証が入っていた。なるほど、僕は警察に監視されているのか。


「どうせ質問しても何も答えてくれないんでしょ。見逃してあげるからできればもう近づかないでくれないかな」


 ため息をつきながら倒れている男に言う。まだ身体は動かないようだ。

 相変わらず返事はないが、彼は憎悪するような表情で僕を睨んでいた。僕は危害も加えていないし憎まれるような心当たりもない。

 今の出来事をこの男の記憶領域から消した方がなにかと都合がいいのではと考えたが、真由が悲しむだろうと思ったのでやめておいた。

 しかし何故この男は一瞬とはいえ指を動かせたのだろう?彼の精神力や物理的筋力が僕の能力を凌駕したというのだろうか。だとすれば僕の能力なんて大したものではないな。

 普通の子供になれたら、こんな風に狙われることもなくなるのだろうか。こんな能力のせいで憎まれたり狙われたりするとしたら理不尽じゃないか、僕は真由と静かに暮らしたいだけなのに。

 僕はスーパーの袋を持ち上げ、倒れている男を尻目にその場を後にした。


 家に到着し、焼きそばを作りながら警察関係者が僕を監視する理由を考える。

 この半年、僕は目立たないように能力をなるべく使わないようにしてきた。それでも奴らに存在がバレたのはおそらく半年ほど前の公園での一件が原因だろう。

 あの時の僕は社会的常識観に乏しく、人前で二体も人間を破壊してしまった。おそらく写真や動画を撮っていた野次馬がいたのだろう、12歳程度の子供が大人を一撃で昏倒させる姿は贔屓目に見ても普通ではない。

 僕のこの能力が警察関係者からの監視に関係しているのはほぼ間違いないだろうが、最終的に僕をどうするのが目的なのかはまだ分からない。今のところは尾行・監視されているだけで破壊や消去が目的ではなさそうだ。

 それでは捕獲や利用が目的だろうか?確かにこの能力は様々なことに使えるかもしれないが、とても万能といえるような代物ではない。

 僕が破壊したり改竄できる対象は直接触れたものだけだし、現在の検証範囲では病気や怪我を治療するような回復方面に動作させることは出来ないようだ。どうも僕の能力は破壊する方向にばかり特化しているような気がする。

 僕が何者かにデザインされた存在だとしたらテロ等に利用できる生体兵器として作られたのかもしれないな、特に暗殺などにはかなり有用だろう、と考える。

 実行したことはないが、おそらく現在地と目的地の座標を入れ替えることで瞬間移動なども可能ではないだろうか。


彼らの目的が利用でなければ、僕を複製して同性質の存在を量産しようとでもしているのだろうか?僕自身にすら自分の正体が分からないというのに、彼らにそんなことができるとはとても思えない。

 いずれにせよ私利私欲のためにこの能力を使ってやるつもりは毛頭ない。壊すことしか出来ないかもしれないが、僕がここにいるのは真由を守るためなのだから。


真由がそろそろ帰ってくる。少し焦げてしまった野菜を眺めながら、真由にもここにいる理由が何かあるのかな、とぼんやりと思った。

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