第7話 鬼婆

 咲が光画社自動車に勤めてから、一月が過ぎた。


 相変わらず美智子のいびりは酷いのだが、それでもめげずに必死に働いている咲を、和彦達は感心しており、毎週のように貴子を交えて安い居酒屋で一杯引っ掛けている。


 だが、他の女性社員からの羨望と嫉妬は凄まじい。


「あいつは顔が可愛いから、他の男性社員に媚を売っている」


「どうせ今日も誰かの腰の上にいるのだろう」ーー


 それに輪をかけて仕事の納期がキツくなってきており、連日休日出勤や残業が多くなっており、和彦はストレスで5キロ落ちた。


 咲も徐々にだが目に生気が無くなってきており、会社に行く前に洗面所で鏡を見るのだが、目が死んでいるように感じている。


 一平は煙草を吸う本数が増えて、歯がヤニで真っ黄色になっている。


 貴子はというと、外受注が一気に増えてパソコンでの入力や書類作成の業務が増えて肩と腰を痛め、毎日のように近所の整骨院に治療に出向いているのだ。


 そんなある日、それは起きたーー


「お疲れ様です」


 咲は仕事を終えて、事務所での終了処理を終えて、同僚達の忌み嫌う視線を浴びながら一礼をして事務所を後にした。


 時刻は午後の19時を回っており、サービス残業と言うわけではないのだが、きちんと残業代を支払って貰っているため、給料日に何を買おうかな、今日の晩ご飯はファミレスでパスタでも食べようかなと思いながら更衣室に足を進める。


 他の部署はシフトがある為、深夜の12時近くまで残って働いているのである。


 更衣室に入ると、香水の匂いが鼻につき、咲は思わず顔をしかめる。


 女性だからって香水なんかつけなくても良いでしょう、でも汗臭いよりかはだいぶマシねと思いながらロッカーの方へと向かうと、美智子が仁王立ちしている。


「あ、あ、お疲れ様です……」


 鬼婆の異名を持つ美智子が自分に何の用か、また説教でも受けるのかと思っていると、手に持っている紙袋を咲に手渡す。


「これ、あんたにあげるわ、先週の温泉のお土産よ」


「え!? 私にですか!? ありがとうございます!?」


「それと……」


 美智子は格安店で売っている、鼻に付くとイラつくような安い香水の匂いをプンプンとさせて、口を開く。


「あんたの仕事最高ね、今までの人よりも断然良いわ、派遣の管理の人に私からよろしく伝えておいてあるからね……」


 説教かよまたと思っていたが、意外な一言に、咲はあっけにとられて馬鹿のようにポカンと口を開く。


「またね……」


 美智子はふふふと微笑み、手を振ってロッカールームを後にする。


 その後ろ姿に、咲は思わずお辞儀をした。


 ♫♫♫♫


 咲が自室に着く少し前、和彦は先に自分の部屋に着き、クーラーを入れておもむろに服を脱ぎ捨てる。


 時期は7月中旬、暦では真夏に差し掛かっており、和彦が着ていた紺の下地で、黄色の鳥のワンポイントの入ったポロシャツと、黒のスリムフィットジーンズは既に汗で濡れて潮を吹いており、和彦はそれを洗濯機に入れてショーツ一丁になり、浴室に足を進めようとするとスマホから着信があり、足を止めた。


(誰だろうな……?)


 スマホには、咲のアカウントからのメッセージの受け取りの着信が入っている。


『お疲れ様です(^^) 榊原さんに褒められました!』


(ほう、あの糞婆に褒められるとは大したものだな……)


 和彦はニヤリと笑い、スマホを指で操作する。


『凄いね、努力した証拠だよ、時給上がると良いね(^^)』


『それがね、時給が上がったんですよ! さっき電話があって、30円上げてくれると……これも、榊原さんのお陰なんです!』


『ほうよかったな、時給が上がったら何かを買うのかい?』


和彦はすかさず、咲にLINEを送る。


『まだ決めてないんですけどね、家にオーディオが無いんで、それでも買おうかなと』


咲から直ぐに返信があり、和彦の顔は綻ぶ。


(あの糞婆、人間らしい一面があるんだなあ、安心したぜ、ってか、何故俺の時はあんなに厳しかったんだよ、ったく……)


和彦が新人の時に、美智子は散々いびり倒したのだが、休みがちになり、流石に言い過ぎたと反省したのか、それからあまり和彦に対して言わなくなった。


「カァ……」


「!?」


 和彦は鴉の鳴き声に体を震わせてベランダの方を見やると、1羽の鴉が止まっており、カァと一鳴きして飛び立って行く。


(なんだったんだありゃあ……?)


 鴉が消えた後の静寂が、和彦のいる部屋に不気味に纏わり付いた。





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