2頁目 家族会議と母の愛

 エルフの里を訪れた商人相手に魔法薬ポーションを売りつけた私は、そのままの勢いで今度は本を手に入れるべく、値段交渉の席へと座った。


「何でよ」


 交渉を終えた私は、二冊の本を持ってトボトボと家へと歩いていた。

 結局、六キユで三冊を希望したものの、二冊しか買うことが出来なかった。見事にやり返されてしまった形となる。その後は今の町の様子や他の交易の状況、同僚や奥さんへの愚痴ぐちなどの世間話を軽く聞いてお別れした。


「ここでは、私くらいしか本買う人なんていないのだから、三冊くれても良いのに……」


 エルフ族は本を読まない。エルフだけに限らないが、多くの亜人は人間のように文字として記録や記憶を残す習慣がないのである。その理由は様々であるが、例えばエルフであれば、長命であることが原因の一つとなっている。

 ハーフエルフであれば、片親の種族によっては文字を学ぶ機会はあるだろうが、そもそものハーフエルフの数も少なく、この集落では私しかいないので分からない。

 子が増えることもそう滅多めったになく、次世代に記録などを残す必要がなく、あったとしてもそれは口伝くでんで解決するというものである。それゆえに、文字が読めないエルフは多くいる。

 実際ここ数百年の間、里の人口も四〇~五〇人とほとんど変わっていない。

 ドワーフ族の場合は、人間と取引をする為、一応文字の読み書きは出来るが、それでも技術は口伝であったり見て盗めという職人気質だったりするので、やはり本をじっくり読むという文化が定着してない。

 母も、簡単な単語程度なら読めないことはないが、書くことは難しいとのこと。

 獣人族は、人間と生活圏が近かったり、共存共栄きょうそんきょうえいしていたりしているから割と本を読んでいる方だとは思うが、元の動物によっては脳筋だったりするので、これは個人差だろう。その他の種族については、深く関わったことがなかったり、会ったこともなかったりした為に分からない。機械人とかもいるのだろうか。

 ちなみに、今回買った本は、とある旅人が諸国をめぐって食べた料理の感想本と、最新版の薬草大全集である。

 製紙技術は意外と広まっており、それなりに質も良く、それに合わせて活版印刷かっぱんいんさつや製本の技術も割とあったりする。ただし日本のように手軽にコピー用紙や文庫本、漫画本を買えるような物でもないので、安くはない程度である。

 主な用途ようととしては、聖書や図鑑だろうか。旅行記などの娯楽本は数少ない。書けば売れるのかもしれないとは思う。主に貴族などの階級の高い身分の人達などは、気軽にあちこちを見て回るということは出来ないだろうから、そういった層には受けるだろうと思う。

 パラパラとページをめくりながら、今日買った本の内容を眺めていると、段々と薄暗くなってきていた。作業台の上に掛けられたランタンに火を入れる。


「もう夕方か。さて、今夜も魔法薬作り、頑張ろうかな」


 エルフは食事をほとんどらない。大体が一日一回。朝食を食べればそれで一日の食事は終わりである。また、睡眠もあまり必要なく、三、四日程度なら睡眠は必要ない。エネルギー効率が良いのか、魔力が高い種族故、魔力によって補助されているだけか分からないが、日本のブラック企業が是非ぜひとも欲しがりそうな体質である。問題は、文字の読み書きが出来ないということと、おそらく電子機器関連の扱いが出来ないと思われることであるが。

 さて、と棚から必要な材料や道具を取り出していたところで、扉の外から母が私を呼ぶ声が聞こえた。


「シアちゃん、今ちょっと良い~?」

「アリン? いいよ?」


 席を立とうしたところで、母が扉を開けて入ってきた。


「どうしたの?」


 一見、普段と変わらない、おだやかで落ち着いている様子であるが、一〇〇年以上そばで見てきた私は分かる。何となく不自然な落ち着き方というか、いつもの彼女とは違う感じがする。何か言いたいけど言い出しづらいこと、相談事か何かだろうか。


「ちょっと前から考えてたことなんだけどね~……シアちゃん、もう一度、冒険者にならない?」

「……え?」


 唐突とうとつに何を言い出すかと思えば。私は、自分の意思で冒険者になって、そして自分の意思でやめたのだ。その原因に、母の存在がなかったとは言えないが、今こうして母とのんびり過ごし、魔法薬を作ったり、時々採取さいしゅや狩りに出掛けたり、そんな穏やかな日々を送ることに不満はない。

 何より、それは母が望んでいたことではなかったのだろうか。私が冒険者をしていた頃の母は、きっと内心で非常に心配していたことを何となく感じていたし、だから一〇年経ったことを節目ふしめに引退し、母と一緒にのんびり暮らそうと決断したのだった。

 実際に一〇年振りに再会した時の安心したような表情は、今でも忘れられない。私の決意は間違っていなかったと思っていた。


「なんで……」

「私はシアちゃんの母親よ。だから分かるの」


 いつもの間延びした話し方と違い、しっかりとした口調で言い切った。私は椅子に座り直し、改めて姿勢を正して母に向き直る。


「やめて欲しかったんじゃないの?」

「心配はしてたわ。それに、やめた後、一緒に暮らすこともすごく嬉しかったし毎日楽しいわ。でもね……シアちゃん、未練があるんじゃないの?」

「未練?」


 未練なんてあっただろうかと首をかしげるが、母は断言してきた。


「あるわよ。商人さんとの取引を楽しみにしてたり、里の外の話をしたり、本をいっぱい買って、世界のことを学んだり、時々道具の手入れとか言いつつも、冒険者の頃に使っていた武器も手入れしていたり、狩りや採取の時に嬉々ききとして出掛けていったり、窓の外を眺めては溜め息をいたり……」

「……」


 未練、あり過ぎた。確かに、今の生活は満足しているが、物足りないとは常々思っていた。そのことを解消しようと本を読んだり、外の人の話を聞いたりとしていたが、それで満たされることはなかった。そのことに気付き、言葉を失ってしまう。


「だからね。お母さんね。シアちゃんが本当に冒険者を、また始めたいって言っても止めないわ。役目だとか、役割だとかで縛り付けたくないの。あなたは特別よ。生まれた頃から聡明そうめいで、とてもエルフとは思えない程の精神の成長が早かった。もしかしたら、特殊な体質な子なのかもと心配した時期もあったけれど、今はそんなものないわ。あの人との間に出来た、たった一人の愛する娘よ。そんな子が世界を見たいと言うのなら、それを応援するのが、親としての務めでしょ?」

「アリン……」

「もう、私のことは、お母さんって呼んでっていつも言ってるでしょ? あなたが疲れた時に帰ってくる場所は、この家なんだから。この家を守ることが、母としてのつとめなんだから」


 唖然あぜんとしてしまう。いつもポヤポヤしている母が、そんなことを考えていただなんて、思いもしなかった。


「ごめん、アリン……お母さん……」

「うん♪ でもね。この場合は、ごめんじゃないわ~」


 いつもの口調に戻ったことに、思わず笑みがこぼれてしまが、気にせず今言うべき言葉を口にする。


「ありがとう。お母さん」

「うん♪ で、どうするの~?」

「うん、私、行くよ。冒険者に戻って……前はお金をかせぐことに重点を置いていたりしてたけど、今度は違う。世界を見て回りたい。本にも載っていないような、私の知らない物事を、いっぱい目にしたい。そして、それを本に残したい」

美味おいしい物いっぱい見つかると良いわね~」

「話聞いてた?」

「聞いてたわよ~。世界の色んな美味しい物を食べ歩くんでしょ~?」

「それも間違ってないけど、間違ってる! 私は食べ物だけじゃなく、その土地のその人達の生活、文化などを見てみたいの。それと、人間、亜人などに限らず、怪物モンスター達の様子もじっくり観察したい。普段は、狩る狩られるの立場だけど、出来れば観察して、それも記録に残したい」

「うん、良いと思うわよ~。やりたいことをするのが一番。あ、でも~悪いことはしちゃ駄目だからね」

「しないよ。だって、お父さんとお母さんの子だもん」

「えぇ!」


 話が一段落したところで、作業台の上の旅行記へと目を落とし、決断する。


「じゃあ、早速、準備しなきゃ」

「え?」


 突然のその言葉に、母は驚いた様子である。


「決めたからには、早速明日には出るから」

「え~もうちょっと……来年にしない? もう少しゆっくり準備して~……」

「時間かけ過ぎじゃないかな! お母さんも未練あるんじゃん」

「それはそうよ~。だって、また娘としばらく会えないんだもの~」

「駄目だよ。余計に未練が残ると思う。うん、明日朝に出るから」


 私の意思が固いことを認識したのか、母は諦め、ねるような表情をする。


「そんな顔しないの」

「だって~」


 やれやれ、これではどちらが親なのか分からない。先程までの立派な母親は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。だが、こんなのも悪くないなと、自然とほおが釣り上がってしまう。


「あぁ~笑った~! もう知らない~。シアちゃんなんてどこへでも行っちゃえ~」

「さっきと言ってることが違う」

「やっぱり行かないで~」

「どっち!」

「嘘嘘、気を付けてね」


 不意打ちである。突然そんな真剣な表情で言われたら、うなずくしかない。


「分かってる。無理や無茶はしない。長い旅になると思うけど、絶対にお母さんの元に帰ってくる。約束する」

「分かったわ~じゃあ、私はそろそろ寝るわね~明日朝は腕によりを掛けて豪華な食事にするんだから」

「ふふっ分かった。楽しみにしてる。じゃあおやすみ」

「おやすみ~」


 母が部屋から出て行き、古びた扉がきしみながら閉じられる。すると途端とたん静寂せいじゃくが辺りを包み込む。そのことに、ある種の寂しさを覚えながらも、自分で決めたことだと活を入れ、支度したくを始める。

 まず武器は弓矢と剣。この剣は所謂いわゆるショートソードとも言う物で、片手でも扱える程度の長さがある。派手な装飾そうしょくなどはないが、冒険者時代から愛用している物であり、手入れは欠かしていない。

 続いて取り出したのは狙撃銃ライフル。なんとこの世界には銃が存在するのだ。私が、機械文明が進んだ国があるかもしれないと予想した根拠こんきょがコレの存在である。

 この銃は、父の形見である。父も弾の補給がとぼしいので、頻繁ひんぱんに使うことはせず、お守り代わりとして持っていたらしい。その為、年季の入った骨董品アンティークである。あまり銃に詳しくはないのだが、第二次世界大戦とかそれ以前で使われたようなデザインで、ボルトアクション方式の銃である。

 銃はこの国ではすごく珍しいらしく、弾もなかなか手に入らない。だがそこは問題ない。魔法で精製せいせいした弾、魔弾まだんもちいれば解決する。または、動物や怪物の骨や牙などを加工して、魔力でおおうのもアリかもしれない。

 狙撃銃に限らないが、魔力を付与ふよすることで、武器はその威力を底上げすることが出来る。そして、その魔力は、基本、一人に対し、一つか二つの属性しか保有出来ない。その為、この世界には、異世界で定番の生活魔法と呼ばれるような、飲み水を出したり、洗濯をしたり、着火をしたり、物を収納するといった魔法は存在しないと思う。作ることは出来るのかもしれないし、あると便利ではあるが、特に必要と感じないのは、自分がハーフとはいえ物欲に乏しいエルフだからだろうか。

 私の魔力は二種類。雷と回復だ。戦闘向きと補助向きを二つも持ち合わせているので、両親に感謝だ。ちなみに母が回復で、父が雷だ。魔力は遺伝によって受け継がれ、それが一つか二つなのである。よって、二つの魔力を持つ親同士から子が生まれたとしても、四つの内、受け継がれるのは、同じく一つか二つになる。

 雷魔法は基本無詠唱むえいしょう。漫画やアニメで得た知識を転用出来ないか試行錯誤しこうさくごした結果、ある程度ものになったと思う。

 回復魔法は簡易詠唱による外傷の治癒ちゆが可能だが、病気や状態異常は治すことが出来ないので、そこは魔法薬頼りということになる。簡易詠唱では治療出来ない状態異常も、長文詠唱によって発動させれば可能となる場合もある。

 後は補助武器として、いくつか投げナイフを持っておこう。不意打ちや牽制けんせいなどに使えるし、しまう場所もそれ程困らない。

 武器の確認はここまでとして、次は防具だ。

 私の戦闘スタイルなら、いつものエルフの民族衣装でも問題ないのだが、露出も多いので流石さすがに里の外で着るのは恥ずかしい。性能は問題ない。耐刃たいじんにより物理耐性はそれなりにはあるし、エルフの着る服なので耐魔法に関しても申し分なし。欠点としては、女性の衣装は、腕や脚など露出が目立つので、里の中で着る分では良いのだが、エルフ以外の種族が多くいる里の外で着ることにはいささか抵抗がある。

 性能は問題ないのだ。それに見た目も、どこか和服を彷彿ほうふつとさせるデザインで、私は可愛いと思っている……が、それとこれは別である。よって、冒険者時代に使っていた物や、その頃に作ったものの、結局使うことのなかった物を使うこととする。

 上半身は小飛竜しょうひりゅうの革やうろこを用いた革防具レザーアーマーを着、下半身はいつものホットパンツにしよう。足下は、ひざまで覆う小飛竜の素材を使ったブーツで……と見たところで気付く。


「灰色が多いかな」


 小飛竜は全身がほぼ薄い灰色の為、必然防具も灰色となる。一応、アクセントとして、ベルトを赤くしたりしているが、ホットパンツが茶色ということもあり、地味さが半端はんぱない。小飛竜の防具は、少し値が張るが、それでも鉄よりも非常に軽く、同じような強度だからと、冒険者に人気である。色合いが地味だから、オプションで様々な塗装とそうをする人が多いが。

 私もケチらずに塗装しておけば良かったかなと思いつつ、ならばと、父の形見である薄汚うすよごれたフード付きのコートを引っ張り出す。


「うん、深緑ね」


 やっぱり地味であった。たけは膝に届くくらいに長いが、そでは私に合わせて短く加工してある。色合いは地味だが、このコート、冒険者時代も使っていたが、非常に頑丈がんじょうである。何せ、鉄火竜てっかりゅうの素材が使われている為、耐火性、防御力と申し分ないのだ。それでいて軽くて動きやすい。父は、特注品だと自慢していた。

 鉄火竜。別に鍛冶かじをする竜ではない。鉄のように硬く火を扱う竜から来たらしい。

 前世日本人だった私からすると、鉄火と聞くとまず浮かぶイメージが美味しそうであるが、実際に美味しいらしい。是非とも食べてみたいが、珍しい怪物なので、なかなか機会は巡ってこないと思う。

 アーマーにコートとそろえたので、防御面は問題ないと思うが、そなえあればうれいなし。もう一つ防具をしておこうとベッドの下から取り出したのは、鉄よりも軽さも頑丈さも上回るライトメタルのアーマーである。とても高かったので、胸部を覆う分と手足の甲を守る分しか購入出来なかったが、それでも十分だ。色もシルバーであるが、光の加減で薄らとピンク色にも見えるので、地味な色合いばかりの防具の中でも丁度良いアクセントとなるだろう。

 その他は、リュックサックに簡易キャンプ道具、魔法薬などの薬品に、後、薬草事典に何も書かれていない本を数冊。記録を残すのに、しるす物がなければ話にならない。多少荷物はかさばるものの、食事をほとんど必要としないエルフである為、食糧のスペースを活用出来るのは大きい。また睡眠もあまり取ることもないので、キャンプ道具と言ってもテントは必要ないし、シートなども荷物になるので除外、あくまで簡単な調理器具と雨具くらいか。他にも、薬品類や薬草、これまで稼いだ全財産が入った革袋の財布、替えの下着とホットパンツ。裁縫さいほうセットも持って行こう。

 着るか分からないが一応、今日まで着ていたエルフの民族衣装も持って行こう。リュックに入りきらない分は、腰のベルトに取り付けたサイドポーチ、それでも入りきらない分は、ベルトに直接取り付けたり、コートのポケットに入れたり、急遽きゅうきょ縫い付けたポケットに放り込んだりする。

 頭部はどうするか。何も身に付けないのも良いが、一応、様々な環境へ行くことを考慮こうりょし、防塵ぼうじん用のゴーグルと、マスク代わりのスカーフを首に巻くことで解決したことにした。

 用意が出来たところで、一回着替えてみる。


「うん、意外と悪くないかも」


 冒険者時代は流石にここまで大荷物を持っていた訳じゃなく、拠点となる宿屋に荷物を置いたり、商隊と行動の際には一緒に運んでもらったりするなどしていた為、ここまで用意することはなかったが、今回は拠点も決めず、パーティを組むつもりもなく、ただ一人で気ままにあちこち歩き回る予定なのでそれなりに荷物が必要なのである。


「しかし、あれだけあったのに、よく入ったね……」


 パンパンにふくれたリュックサックを見下ろしてつぶやく。本だけでも何冊もあるのだ。普通ならあふれるだろうと予想したのだが……


「もしかして、この背負い袋、空間収納魔法とかかかってないよね?」


 存在しないと否定したばかりであるが、もしかしたらあるのかもしれないと期待してしまう。だが、実際、入りきらなかった分はあるので、細かいことは気にしないことにする。

 こうして、準備をしたところで、窓の外を見ると、薄らと空が白み始めていた。


「朝だ。今日から、私の新しい生活の一歩が始まるのか」


 そう思うと、途端に胸が高鳴る気がした。

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