第11話「戦争帝王と凶刃」

 トーマス・サンソンという男は大喰らいだ。ロクスレイを含め、その場に居合わせた者はそんな印象を彼から感じただろう。



 それは印象だけに留まらない。トーマスは小麦でできた白いパンを切り分けもせずに口に頬張り、肉は手のひら大の大きさで大雑把に切り取って安々と噛み切ってしまう。



 皿のフチまで注ぎ込まれたスープも一息で飲み干し、酒はボトルのまま口をつけ、卓上は戦争の後のように荒らされた。



「はあーっ。食った食った。黒く固いパンで飢えをしのぐ生活からして見れば、ここは天国だ。生きてたどり着いた甲斐があったというものだ」



 トーマスが食べるため以外に口を開き、やっと初めて聞いた言葉がそれであった。



 これには同じ食卓を囲んでいるミリアも辟易した。



「こんな無作法な男がこの隔たれた世界で一番の大国の、その使者? 何かの間違いじゃないの」



「こらこら、ミリア。言いすぎですよ。人の格式と言うものは国々によって違います。これはこれで彼らなりの普通なのかもしれませんよ」



 ともあれ、トーマスは食べるのを一時中断してこちらとの話し合いを始める格好となった。



「俺はそこのロクスレイがそちらの世界の大国であるところの、その使者だと思っていた。しかし、ただの外交官。そこの特使の小間使いとはな。いやはや、こんな高級な宿に泊めてもらって何だが。そちらの国もあべこべだな」



 ロクスレイ、ミリア、トーマスが今いる場所は大商人や外国のお偉方が泊まるようなお高い宿だ。三人はその宿の会食室を借り、白いテーブルクロスの掛けられた縦に長い机を囲み、食事をしつつ話している。



「そちらも、というと貴方の国も似たような事情で?」



「おうよ。こう見えてもこの大髭のトーマス。今回の件が初めての仕事でな。右も左も分からぬという有様よ!」



 トーマスはそんな気の小さい事を豪語した。これにはロクスレイも、ミリアも開いた口が塞がらない。



「よりによって、この国の大事な予言に外交の経験もない使者を寄こすだなんて。よほど予言に確信が持てなかったのかしら」



「いやいや、こう見えても俺はアルマータ帝国では名の通った武人なのだぞ。地位だけなら、そこいらの聖職者よりもよっぽどふさわしい。これは適材適所の判断だ。決して軽視していたわけではないのだぞ」



 それはトーマスの外観を見れば自ずと察せられる。フサール王国でもこれほど歴戦と言える身体を持つ男は五本指もいないだろう。例えトーマスが将軍と名乗ったとしても、納得できる。



「密偵には顔を見られただけで襲われていましたが、よほどタルーゴ共和国に嫌われていますね。何をしたんですか? 貴方は」



「ううむ。それを話すにはまずアルマータ帝国にある<戦争帝王>という制度について話す必要があるな」



 トーマスが言うには、アルマータ帝国には実質二人の帝王がいるらしい。



 一人は平時における帝王、これは一般的な国王と同じく血縁で選ばれる正当な王。もしくは王位を簒奪した王がなるらしい。それに対して<戦争帝王>とはこの平時の帝王が戦争の際に任命する軍の長官にあたるそうだ。



 ただし、その権限は計り知れない。文字通り戦争に関してだけ戦争帝王は全権を掌握し、国家の総力を上げて戦うのだという。つまり戦争帝王は戦時の帝王と考えて相違ないのだ。



「その戦争帝王が貴方と言うわけですね。言うなれば、元国王もしくは現国王でもある、と」



「正確には前戦争帝王だ。既に戦争帝王としては引退の身でな。如何せん、この老骨まともに戦うことができんのだ」



 その割には鮮やかな密偵との戦いは、やはり年季というものだろうか。



「こう見えても中々活躍してしまってな。タルーゴ共和国で泣いた妻子は数十万は下らんだろう。おかげで引退した後も賞金首を掛けられておってな。おちおち旅行もできんと言うわけだ」



 トーマスは他人事のように言い放ち笑っていた。



「そんな男をフサール王国まで護衛なんて、無理があるのではないかしら?」



「いえ、それに関しては特に問題はないと思います」



「えっ?」



 ロクスレイは何ということもなしに、そう言ってのけた。



「単純に私達がフサール王国の使節団ということで、表だって襲ってくる輩は少ないでしょう。使節団を襲うと言うことは国交の破棄と同義ですからね。そんな重罪をわざわざ被るよりも暗殺という手段を用いる方が得策でしょう。ですが、それもそれでリスキー。首都ではともかく、各領主の領地で暗殺されたとなれば、当然彼らに疑いがかかりますからね」



「どちらにしろ、一番の得策はさっさとタルーゴ共和国からでてしまうことだ。それまでよろしく頼んだぞ。俺は明日に備えて、寝る!」



 トーマスは子供のように欲望に忠実に動き、与えられた部屋に入ると鍵をかけてしまった。





 間がいいことに次の朝、ロクスレイらはフサール王国から一時帰国する旨を手紙で指示された。



 その他にも国交の正常化の締結、商業の相互通行条約の締結は現地のロクスレイらに任せることと。不可侵については後続の特使が引き継ぐと書かれていた。



 大方予想通りのため、ロクスレイはすぐに手紙の中身を実行に移した。



 まずタルーゴ共和国のデイドウ外務大臣とコンタクトをとり、あらかじめ作成していた条約文章を互いに吟味しあい。三日かけて承諾の上、二つの条約を締結した。



 思えば、これがミリアの初仕事であったが、感慨にふける暇もなくロクスレイらの使節団は旅支度をして元来た旅路を引き返すことにした。



 帰り際に出送りも受け、使節団一同は友好的にタルーゴ共和国首都を後にした。



 それから使節団はひたすら東に進む。帰りも来た時と同じ街にたどり着くと。領主に渡していたものがよほど良かったのか。丁重に迎え入れられ、帰り旅はおおきな時間のロスをすることなく順調に進んだ。



 そうしてタルーゴ共和国最初の街に到着したのは、たったの一月で済んだ。



 その間にトーマスを追ってか、タルーゴ共和国の部隊に追い掛けられることがしばしばあり。これはロクスレイが、自分達はタルーゴ共和国の客人であることを示し、また締結した文章を見せて自分たちの身体不可侵性について力説したところ。相手を追い返すことに成功した。



 宮仕えである身分、彼らも御上の方々から不況を被るのは避けたかったらしい。中には堂々とトーマスの引き渡しを要求する部隊もあったが、これはトーマスがフサール王国の客人のため応じられないと返した。そして要求は要求だけで、彼らが実力行使に出てくることはなかった。



 だが、人間万事塞翁が馬。うまくいくことだけとは限らない。



 順調にタルーゴ共和国から安全圏のシラテミス王国領内に至るまで後三日というところで、それは起きた。



「外交官殿、またタルーゴ共和国の部隊が近づいて来ておりますよ」



 ロクスレイらの使節団が行軍隊列で進んでいると、先に進んでいた斥候からミラーへ報告が入った。



「方角と距離、数はどうですか?」



「方角は太陽の位置からして大体北東、距離は約三キロ。数は約百人。このまま東に進むとぶつかりますな。外交官殿、いかがしましょう」



 ロクスレイがその方向を見ると、確かに地平線の向こうに群衆の影がある。このまま進めば、おそらく一時間後に衝突する進路だ。



「もちろん、私が交渉に出ます。万が一、異常があれば南に進路を取って何とか逃げ延びてください」



「あまり恐ろしいことを言わんでくださいな。ですが、了解であります」



 ロクスレイは鹿のヴェッリを走らせ、詳細不明の部隊に近づく。ヴェッリの駆け足は馬ほどでないにしろ速く、十分もしないうちにその部隊と接触した。



「フサール王国、外交官のロクスレイです。タルーゴ共和国との使者としてこちらの部隊長に面会を求めます」



 ロクスレイが部隊の先頭に回り込み、鹿のヴェッリから降りて近づくと、向こうの部隊長らしき男が馬に騎乗したままロクスレイの目の前に現れた。



「私がこの部隊の隊長。クレイ・スィフトである。貴様が壁向こうの異邦人達で間違いないな」



「ええ、その通りです。どうか私の話を聞いていただけないでしょうか」



 ロクスレイは見せられる範囲での外交文章を提示しようとした時、クレイはそれを遮り返答を口にした。



「こちらは交渉のつもりはない。貴様の無条件降伏か、殲滅によってしか応対するつもりはない! あの憎きトーマス・サンソンを、この手で打ち滅ぼせねば、私が舐めた苦汁を洗い流せはしないのだからな! 応えよ異邦人、死か降伏か?」



 ロクスレイは到底飲めない条件を付きつけられ、面食らう。まさか二言目で降伏勧告をされるほど取り付く島もない相手だとは思いもしなかったのだ。



 外交官と言うもの。交渉さえできれば多少無茶な要求でもなんとか妥協点を見つけられる。だがこういった手合いには弁論術も交渉術も役には立たない。できることは必死に追いすがるか、一目散に逃げるしかない。



 ロクスレイはその前者を選び、どうにかして解決の糸口を見出そうとした。



「お待ちください。ここで無益な戦いは必要ありません。せめて降伏に応じるか否かの相談をする時間をください」



「馬鹿を言え! ここは間もなく壁向こうの国との境界線。話し合いなどとうつつを抜かしている間に逃げるつもりであろう。その手には乗らんわ!」



 クレイはロクスレイの考えをいともたやすく看破してしまい。これはもう逃げの一択しかなくなった。



「交渉、決裂ですか。では失礼します!」



 ロクスレイは背を向けて、鹿のヴェッリまで走る。その後ろを追いかけるように馬の蹄が地面を強く叩く音が聞こえる。どうやらロクスレイを逃がすつもりはないらしい。



「先ほど言ったろう。死か、降伏だと!」



 すぐ後方からクレイの怒声が聞こえる。



 ロクスレイが鹿のヴェッリの手綱にやっと手を掛けた時、その脇腹に湾曲した刃が吸い込まれるように振り下ろされた。

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