異世界の外交官─四大国の使者―

砂鳥 二彦

第1話「目覚めと契約の更新」



 ロクスレイ・ダークウッドは目を開けて生まれてきた。かつての偉人のように、哲学者のように、芸術家のように。



 それは比喩でもなく、誇張でもなく。実際の出来事であった。



 ロクスレイは記憶力の良い男でもあった。なので生まれた時のこともはっきり覚えている。



 眩しい光。暗い部屋。手を捧げて祈りを捧げているような人々、ロクスレイを抱き上げて嬉しそうにする産みの親らしき女性。どれも鮮明で忘れがたい印象をロクスレイに刻み込んだ。



 なのに、記憶はそこで途切れてしまう。



 気づけば、ロクスレイは絹のローブに包まれたまま森の中に捨てられていた。





「どうしましたか、ロクスレイ殿」



 ロクスレイは白昼夢のような過去の記憶から呼び起こされ、目の前のシラテミス王国の宰相の顔に目を移した。



 ロクスレイと呼ばれた男はロウソクの火のように淡い赤の髪、黒真珠のような大きな眼、顔立ちも二枚目とは言わないまでも整っており、薄橙色の肌をしている。



 ただ客用のソファーに座っていても分かるようにロクスレイの身長は高くない。具体的には見た目の歳から五つ下の子供よりも背が低かった。



 そんなロクスレイが今いる場所はシラテミス王国の王宮、その貴賓室の一室である。部屋の装飾は絢爛で、調度品もいちいち値段の高いものが置いてある。入り口の脇に置いてある花瓶など、ロクスレイの見立てでは自分の年収一年分くらいはありそうだ。



「いえ、少し懐かしい思い出が頭をよぎりまして。ご心配なく」



「それはそれは、疲れているのでしょう。ここ連日、交渉続きですからな。ロクスレイ殿も早く故郷に帰ってあげればよろしいのに」



「お気遣いなく。では契約内容の詳細をもう一度詰めていきましょう」



 ロクスレイは暗に早く契約を締結しろという誘いを断って話を戻した。



 ロクスレイが今、シラテミス王国と行っているのは、外交官としての仕事である。外交官とは王より外交権力を委託された外交職員の事だ。王の代理で契約や条約の交渉、締結を行う仕事である。



 目下の悩みはシラテミス王国と、ロクスレイの仕える王が住まうフサール王国との傭兵契約の更新交渉だ。ちなみに傭兵を提供するのはシラテミス王国、雇う側はフサール王国である。



 これはただそこらの放浪傭兵と契約するのとは訳が違う。王国が王国に対して兵を出すと言うことは実質、軍事同盟なのだ。



 これまでは一年ごとに傭兵契約は自動更新され、シラテミス王国もそれで納得していた。なのに今年に限って契約料の見直しを要求してきたのだ。



 見直し、つまりは契約料の割り増しである。



 表向きには、予言の日を迎えるにあたって派兵の負担増加による契約料上乗せとしている。しかし、本音は何のこともない。シラテミス王国は金欠なのだ。



 王国も、はいそうです。と認めるほどプライドは低くない。例え、傭兵としてここ二百年派兵した経験もないくせにマスケット銃を大量に購入してしまい、ちょっとした資金難にあっていても。頭など下げたくもないだろう。



 それも王国が王に対してではなく、一介の外交官に対してなら尚更である。



 他の四王国はそれぞれ交易や農耕や林業、傭兵稼業などで潤っているため、今年の傭兵契約も同じ契約料で済んでいる。それなのに、今年のシラテミス王国は通年の二千レクトーンを四千レクトーンに変えろとしつこいのだ。



 この二千レクトーンの差額がどれくらいかと言えば、ロクスレイの外交官としての年収十五年分相当だ。シラテミス王国は高い花瓶を追加で十五個よこせと言っているようなものなのである。



 シラテミス王国の宰相も、最初は腰を低くして、派兵の準備がいかに国庫への負担を強いているかを説いていた。



 だが日を追うごとに、腰を低くしていた宰相の態度も悪くなる。まずは脅しで、契約の可否自体を見直す必要が出てくるかもしれない。と、同盟関係の解消をちらつかせ始めたのだ。



 傭兵契約はなし崩しに二百年も続いていて、それはもはやフサール王国とシラテミス王国との外交の歴史となっている。所詮一人の外交官であるロクスレイだ。宰相の不興を買って二国の外交の歴史を傷つけたとあっては大変不名誉なことになる。そうなれば外交官としてのキャリアに泥を塗ることにもなるだろう。



 宰相の嫌がらせは脅しだけでは収まらない。ロクスレイの待遇もどんどん悪くなっていく。



 例えば、客人が来たと交渉の開始時間を遅らせたり、客人のために部屋を空けて欲しいと小さい部屋に案内させたり、急に見張りなどを付けて行動を逐一監視させたり、色々な嫌がらせをされた。



 それを一ヶ月も続けられては宰相に対する苛立ちを通り越して呆れを感じるほどであった。



 予言の日まで後二週間を切ったというのになんともまあ、悠長なことである。



「――王宮の調度品を売るなどということもできませんし。やはりここは契約料を上げていただけなければ、我が国としては苦しいのですよ。御分かりで?」



 宰相は飽きもせずにこれまで幾度も確認した言い分を再確認するように繰り返した。



「同盟の歴史をたどればはるか二百年の月日、私としましてもここで途絶えさせるのは残念であります。それにロクスレイ殿のキャリアも心配です。このことで外交官から格下げされてしまうなど、あってはならないことです」



「……ご心配、ありがとうございます」



「それに、ロクスレイ殿は予言の日に予言の場所へ行かなくてはならないという重要な役割があるのでは?」



 この時、ロクスレイの眉がピクリと動いた。



 何故ならば、予言の場所にロクスレイが派遣されることはフサール王国の十人会議のメンバーと国王しか知らないのだ。



 これは十人会議の情報が外に漏れ出たことを示していた。



「おや、ご存じない。私はこう見えても情報通でしてね。友人も多いのですよ。例えば、ロクスレイ殿がダークウッドの出身であることや――」



 宰相がロクスレイのしかめっ面に気分を良くしてネチネチと言葉責めしようとした時、急に貴賓室の扉が開かれた。



「――どうしたのですか。外交官殿との会談中ですよ」



「すみません。ロクスレイ様への緊急のお手紙を預かりまして、すぐにお知らせしなければと思いまして」



 召使らしき男は、そう言って手紙をロクスレイに差し出す。手紙には二匹の鹿が描かれた茶色い封蝋がされている。偽造でなければ、この封蝋を押せるのはテムール大陸広しといえど、ただ一人である。



「フサール国王から――」



 宰相もロクスレイも緊張する。何せ、国王からの緊急の手紙なのだ。



「拝見させてもらいます」



 ロクスレイは宰相に断りを入れてから、手紙を受け取る。それから封蝋を綺麗に横へ裂くと、中身の紙を広げた。



 ロクスレイは手紙の内容を真剣な眼差しで見た後、フッと笑みをこぼした。



「手紙にはなんと書かれていたのですか?」



 宰相がそう訊いてくる。けれども、ロクスレイはその問いに応えない。代わりに宰相へ、こう告げた。



「すみません、宰相殿。急用ができたので会談はここまでとさせてください」



 ロクスレイは笑みを絶やさず、宰相が青ざめた顔になるような返答をした。





 会談を切り上げた後のロクスレイの行動は、それはそれは早かった。



 自分の召使に荷物を纏めさせると、シラテミス王国から荷物を運ぶ鹿を借りて、すぐに出発してしまったのだ。



 ロクスレイがいとも簡単に帰ってしまったのを、宰相はただあっけに取られて見ていただけではなかった。シラテミス王国からフサール王国へ帰還しようとするロクスレイに対して、何度も傭兵契約の再度交渉について問い合わせる使者を送ったのである。



 しかし、ロクスレイの反応はそっけなかった。ロクスレイは重要な要件があるとだけ言い、どの使者にも色よい返事を持たせずに帰してしまったのだ。



 これには業を煮やした宰相が動いた。自ら早馬ならぬ早鹿でロクスレイを追いかけ、ロクスレイが王宮を出て四日、やっと追いついたのである。



「傭兵契約は解消でも構わないのです。だから王宮を後にしたのですよ」



 宰相が来たからといってもちょうどよい会議室があるわけではない。宰相が通されたのはロクスレイが泊っている宿屋の豪華な一室であった。



 わざわざ高い宿に泊まらなくてもと思うかもしれないが、外交官は王の代理なのである。清貧は美徳だが、王国の顔としてはこのくらいの贅は必要なのだ。



 どのくらいの贅沢かといえば、一晩がロクスレイの月給の三分の一もする。だが、ロクスレイの財布は痛まない。これは国の経費で落とせるのである。



 だからといって、経費を使いすぎると旅の路銀が空になることもあるし、後で横領罪で腕を斬られかねない。何事もほどほどがよいのである。



「よ、傭兵契約を解除ということは同盟も解消ということなのですよ。それは一介の外交官の身分で決められることでは……もしや!」



「そうです。これはフサール王直々のお達しなのです」



 宰相は王からの手紙を思い出して、愕然とした。シラテミス王国から傭兵契約を切るのと、フサール王国から傭兵契約を切られるのとでは、責任の対象が違う。



 これまではシラテミス王国との傭兵契約を締結できない外交官という形だったのが、フサール王国に見限られてしまった宰相という形になってしまったのだ。



「こ、このままでは私の責任問題となってしまう。それに二百年も続いた同盟関係が解消されてしまう。そんな失態が王に知られては、おおお」



 宰相は一人悲嘆に暮れている。ロクスレイはそんな宰相に同情したように、助け舟を寄こした。



「その重責、私にもよく分かります。そこで一つ提案があります」



 ロクスレイは恩着せがましくこう述べた。



「私の個人の財布から今年の分の契約料を負担し、形式上同盟を続けられるよう王に掛け合いましょう。そして来年までには王を説得して、契約料を払えるようにします。こうすれば二百年の歴史と責任は守られるでしょう」



「ほ、本当か」



「はい、ただし契約料は私個人の財布から出るので一括とはいきません。そこで二百レクトーンを月々で十二回払い。それでもよろしいでしょうか」



「……しかし、それでは合計は二千四百レクトーン。四百レクトーン多いのでは?」



 流石に宰相であるだけあって暗算が早い。それから直ぐに宰相はロクスレイの意図を汲んだ。



「これは私からのせめてもの心遣い。長年同盟国としてあり続けてくれるシラテミスへの恩返しです。国庫の憂いを取り除くために、少しでも受け取ってくださればありがたいのですが」



「おおお、そこまで我が国の事を考えてくださるとはありがたい。ありがたい」



 宰相は感謝に嬉し泣きをしそうな顔になりつつ、ロクスレイと固く固く握手を交わしたのであった。





「本当に、ロクスレイのお財布で契約を更新したのか?」



「するわけないでしょう。そもそも私はそんなに金持ちではないですよ」



 ロクスレイの隣には騎乗用の鹿の轡を並べた、短くもシルクのようにきめ細やかな銀の髪をした少女がいた。



 少女は粉雪を撫で上げたような白い肌に、ウサギのつぶらな瞳のような赤い眼をしており、目頭の先は下に垂れていて大人しそうだ。無表情で白い顔も合わさって、それは悲しそうな顔にも見られがちだった。



 少女は目深に被った緑色のフードを被りなおし、ぶっきらぼうにロクスレイへ問いかけた。



「ではどうしたのだ? 王国から経費は出ないのだろう?」



「私は宰相にそう言いましたが、実際は費用が出ます。傭兵契約を解消するという発言も、私の財布から金を出すというのも、上辺だけのことです。分かりましたか。メイ」



 メイと呼ばれた少女は険しい顔をしてロクスレイを睨んだ。それはくしゃりと顔を潰したウサギのような鋭い目つきだった。



「ロクスレイは嘘をついたな。嘘つきめ」



「嘘つきとは言いがかりです。私は駆け引きで言ったまでです。それにバレない嘘は全て、ただの言葉の綾。万能神カーントもそれくらいお許しになるでしょう」



「でもロクスレイはいつも、外交は誠意で成り立っている、と言っている。矛盾してないか?」



「矛盾など一つもありません。現に私は宰相に慈悲を与えたのですから」



 ロクスレイは王から送られた手紙を再度見た。手紙には「三千レクトーンまでの値上げならば、良し」と書かれていた。



「慈悲、か。二千レクトーンから値下げしても文句を言われそうになかったのに、二千四百レクトーンにしたのも、慈悲なのか?」



 実際の所、シラテミス王国の財布事情が本当に困っていなければ、それも可能だった。しかし、シラテミス王国はフサール王国との大事な貿易相手でもある。財政に不渡りを出されると、交易に支障が出て、ひいてはフサール王国の痛手となるのだ。



 それならばいっそ、契約料を上乗せして感謝される方がこちらとしても得なのである。



「二千レクトーンを受け取るはずが、月々二百レクトーンしか受け取れないとなると、宰相の苦労は絶えそうにないですけどね。それよりも早く予言の場所に行かなければなりません。護衛をお願いしますよ。メイ」



「ロクスレイは盗賊程度に殺されない。私は召使の方を守る」



 ロクスレイは笑って「ではそれでお願いします」と言い、乗っている鹿を進ませたのであった。



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