Scene 6. 確定と、正体。

 驚きで目が冷めてしまったミィヤは、周りの盛り上がりをよそに、ヴァースから目を離すことが出来なかった。目が合ってしまうのは怖かったが、ついついその見慣れない姿に目が行ってしまう。自分が一番前の列でなくてよかった。体がじわじわと熱くなる。どうしよう、なんか更に男らしくてかっこいい……


こんな人と、わたしはほんとにデートするの?ただ見惚れていたのが、そこに考えが至った瞬間に、どっと今までの混乱が舞い戻ってきた。


(バカわたし、こんな時まで!)


不謹慎な自分にいたたまれなくなって、ミィヤは一度下を向いて、居住まいを正すふりをした。



 その時、


「え?」


と小さい声がした。となりのロブソンだ。ミィヤが反射的に横目で伺うと、ロブソンは前方を見ながら口元に手を当てて、怪訝そうに眉を寄せていた。「ん?」とまた声を漏らす。ミィヤは不思議に思ってロブソンが見ている方向を見たが、とんでもなくかっこいい人が一人(ヴァース)いる以外は、特におかしなものは見当たらなかった。ロブソンは、なんだか更にそわそわし始めた。


「いや、まさか……」


と、今度は独りごちる。口元の手は震えている。顔はなんだか青白い。その様子があまりに挙動不審だったので、ミィヤは心配になって思わず声をかける。


「ロブソン?」



しかしその時、副隊長が搬出の流れの説明を終えて、隊長であるヴァースに場を受け渡した。


「それでは、隊長に最後の言葉をもらう。お前らしっかり聞けよ。」


ヴァースはその言葉を受けて、壇上の中央に立つ。後ろで組んだ手に持っている帽子が、少し揺れる。一瞬場の空気が張り詰め、敬礼の号令が下った。訓練生たちが直ると、ヴァースは拡声器を使わずに、朗々と話し始めた。


「六ヶ月に渡る訓練、ご苦労だった。」


訓練生たちは皆一心に、ヴァースの言葉に耳を傾ける。


「軍の訓練校における教育の総仕上げとなる、連絡船防護の実地訓練は本日で終了となる。諸君は軍の一員として必須の教育を立派にやり遂げた。誇りに思っていい。特に先日の対隕石防護の実践においては、諸君の従軍適性が証明されたと言っていい。本当に見事だった。よく頑張ったな。」


ヴァースは少し表情を緩めた。訓練生たちは、ヴァースからの直接の労いの言葉に湧き上がる喜びを噛み締めていた。ヴァースは続ける。


「諸君は今後、各々適切な管轄に配属される。同朋と別れ、再度の新環境に戸惑う者もいるだろう。だが、諸君なら立派にやっていけると信じている。私が保証しよう。苦しいときは、それをどうか思い出してくれ。諸君の健闘を祈っている。」


信じている。もうこの場所で聞くことが無いであろうヴァースの言葉を、一字一句逃さずに記憶に焼き付けようといつの間にか夢中で聞いていたミィヤは、その言葉に先日の実践を思い出して胸が熱くなった。他の多くの訓練員同様、ミィヤは絶対に、その期待を裏切らない人間になろうと心に誓った。



「さて、湿っぽい話はここまでだ。」


ヴァースはそこで、気持ちを切り替えるように一息ついた。


「ここだけの話だが、諸君は全員、希望する配属先への着任が既に確定している。」


「えぇ!?」と、一同がどよめいた。それに構わず、ヴァースは続けた。


「推薦書は受理され、希望先からの返事も既にもらっている。もちろん、正式な発表があるまでは他言無用だ。口外するなよ?」


多くのものが、今度は遠慮なく大声をあげて喜びを露わにした。配属先への希望に対してそれほど思い入れの無いものも居ないわけではなかったが、殆どが、周りのものと肩や手を組んで笑顔で喜びを分かち合った。ミィヤも同じだった。


母艦配属が確定。


マザー・グリーンに乗れる!!


「おいやったな!」と言って、背後の訓練員がミィヤの肩を揺さぶる。ミィヤの母艦への思い入れの強さは、みんなが知っていた。時には身体的に挑戦的な厳しい訓練をくぐり抜けた、防護専攻の数少ない女性訓練員を、周りの男子訓練員は特に盛大に祝福した。ミィヤの頭を、髪がくしゃくしゃになるほど撫でるものも居た。普段は現場での女性に対する特別扱いを毛嫌いするミィヤも、このときばかりは抗議せずに、素直に喜びに浸った。何列か離れたところに並んでいるビーと目があって、親指を立ててウィンクしあった。ビーは連絡船の勤務だ。地上での勤務を希望していたリディの姿はミィヤからは見えなかったが、周りと抱き合って喜んでいるに違いない。



そんな若者たちの様子をヴァースはしばらく微笑んで眺めていたが、皆がひとしきり喜びを表現し終わるのを見計らって、再び喋り始めた。


「さて、ここからは私事だが……諸君に伝えておきたいことがある」


まだ嬉しさの収まらない訓練員たちだったが、お互い取り合っていた手を離して、敬愛する隊長の言葉に再び耳を傾けた。


「私は本訓練期間を持って、防護船の実地訓練部隊における隊長の座を退くことになった。後任は、現副隊長のホーク曹長が引き受けてくださる。」

「ええ!?」

「そんな!」


防護船での着任が決まったものたちだろう。もしかしたら引き続きヴァースと行動を共に出来たかもしれない希望を裏切られ、先程の興奮をそのままに、不満を露わにする。「却下です!」と叫ぶ者もいて、また少し笑いが起こった。そして皆、ヴァースの次の言葉を期待を込めて待った。私達の敬愛するリーダーは、どこに行くのか?私達はまた、この人の元で働けるのか?


その期待をもったいぶるように、少しの間を置いてヴァースは続けた。


「次の着任先は母艦マザー・グリーンだ。」


訓練員達の多くから、また歓声が上がった。母艦着任の者達だ。その数は多く、全訓練員の半分ほどになる。逆に他のもの達はがっくりと肩を下ろす。僅かな可能性に期待を掻き立てられ裏切られた女性訓練員の多くは、可哀想なことに相当ショックを受けていた。騒ぎは、先程の着任先確定の通知の時より大きいくらいだった。


もちろんミィヤは天にも登る気持ちだった。


ヴァース班長は、てっきり防護船での勤務を続けるものだと思っていた。まさか同じ母艦着任だなんて!また会える可能性がある!場合によっては、直属の上司なんてこともあるかもしれない。ミィヤはなるべくあからさまな表現は避けつつも、突然降ってきた喜びを噛み締めていた。横を見れば、ビーがニヤニヤ笑っているに違いない。リディはがっかりしているに違いなかったが。


訓練員達は再度声を潜め、ヴァースの次の言葉を待った。マザー・グリーンの空中船艇軍の中でも、どこになるのだろうか。


「配属先は防護班に再配属となり、『准将』として艦長の補佐にあたる。諸君の多くにとっては上官となるわけだが、引き続き共に任務を遂行できることを嬉しく思うぞ。」



この時、ミィヤはほとんど頭が回っていなかった。ヴァースが次の着任先にいる、それだけで頭と胸がいっぱいだった。しかし他のものは違った。




今、隊長はなんと言った?


准「将」?




多くのものは耳を疑った。


広い室内は一変して、水を打ったような静けさになった。



空中母艦マザー・グリーンは、まるで一つの都市だった。いくつもの戦闘機や戦艦、運搬機の母艦であり、要塞であり、数え切れないほどの人間の生活の場だった。地上の安全を脅かす外敵から地表を守る為に、その宇宙に面する外側は軍事用設備と砲台で固められており、その逆の地表側は、軍員たちの住居と生活を支える施設が占めていた。娯楽や商業施設すらあった。そしてそれは常に増築され続け、まるで地表に向かって育つ鉄骨の森のようだった。母艦との行き来を行う連絡船が出発する地表の港の周辺地域は、空中船艇軍の自治が認められている程だった。


マザー・グリーンを率いるということは、一国の長であるようなものだった。それが空中船艇軍の艦長。その艦長の補佐を行うだと?ヴァースの口ぶりからすれば、それは直属の部下になると言っているように聞こえる。


自分達は一体、誰と行動を共にしていたんだ?艦長の補佐をするような人間がなぜ、一般公募の訓練校の訓練員達の引率などやっているのだ?


さっきまで手離してはしゃいでいた訓練員達は皆、事の計り知れなさに恐れ慄いた。


訓練員達は、ヴァース隊長が選ばれた人間であることは十分知っているつもりだった。その出自は詳しくは知らされていなかったが、母艦内にある士官学校の出であることは皆想像していた。士官学校の生徒、つまり士官候補生達は皆、学校を卒業すればそれだけですぐ少尉、すなわち幹部として各班に配属される。逆に言えば幹部として受け入られるだけしか、士官学校には入れず、卒業もできない。あの若さで、例え訓練用だとしても一船を任されるならその可能性もあると皆噂はしていたのだ。そしてその予想は当たっていたことになる。



だがヴァース班長は准「将」と言った。


それぞれ三段階設けられているはずの尉官、佐官を通り越して将官であると?


この人は、一体何者なんだ。自分達と笑い合い、暖かく導いてくれたこの人は、苦楽を共にしたと思っていたこのひとは、一体何者なんだ。



張り詰めていた緊張が溶けて、喜びにほぐれていったせいで戻ってきた眠気のせいであまり頭が働いていなかったミィヤだったが、流石に周りの静寂を不審に感じ始めていた。何だ?隊長はなんて言ったっけ?


その時、視界の端でふ、と何かが落ちたように見えて、ミィヤは反射的に手を出した。ロブソンが倒れたのだ。思わず声をあげて駆け寄る。


「ロブソン!?」


後ろにいた訓練員がロブソンが腰を打つ寸前に支えてくれたようだったが、ロブソンは青い顔で目を見開き、震えた手で壇上を指差して、腰を抜かしたように床にへたり込んでいるままだ。ヴァースの話を聞いてしんとしていた周りの訓練員達も、何事かとこちらを振り向く。


「おい、ロブソン!?」

「あ、ああ」


ロブソンを支えた訓練員は、彼のあまりの挙動不審さに慌てたように声をかけたが、ロブソンは言葉にならない声を漏らすだけで返事をしない。


突然、ロブソンが何かを思いついたように息を飲み、呟いた。


「T……トレヴァース!」


それはヴァース隊長の正式なファーストネームだ。だがそれが何だと言うんだ?周りのものは、まだ誰も、何がロブソンをそこまでおかしくしているのかわからない。そしてロブソンはまた呟く。


「艦長だ……」

「は?」


なに言ってるんだ?と言うように後ろの訓練員が声をあげる。周りのみんなが、ロブソンの驚愕に満ちた真っ青な顔を覗き込んでいる。ロブソンは今度ははっきりと、大きく言葉を発した。


「アクレス艦長……ジェイスン・T・アクレス艦長!!」

「なっ、」


その名を聞いた誰もが息を飲んだ。


その名を知らないものはいなかった。


皆が一斉に、ヴァースの方を見た。


ヴァースはまた少し笑うと、後ろ手に持っていた帽子を被ってから言った。


「元、だ。」


その帽子は、訓練員の前で彼がいつも被っているものとは違っていた。身に纏っている正装軍服とも異なるデザイン。


そこには、空中船艇軍のシンボルである地球のモチーフとともに、マザー・グリーンの最高権威者にのみ許されているはずの色、黒のリボンが縫い付けられていた。



ジェイスン・T・アクレス。


それは、空中母艦マザー・グリーンの、前艦長の名前だった。

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