Scene 2. 実践と、チャンス。

 隊長は「全」船員と言った。この場合、指導員と訓練員に関わらず砲撃の際の役割が割り振られている。と、いうことは、ミィヤも司令室からの操縦だ。小型とはいえ、数十人が長期間過ごす船体はそれなりに広い。しかし一分と経たずにミィヤとヴァースは司令室の扉の近くにたどり着く。


「さて。」


 ヴァースが扉にたどり着く直前で突然歩を止めてつぶやく。ミィヤは危うくその背中に全速力で衝突してしまうところだった。なんとか立ち止まり、とっさにつぶった目を開けて見上げると、いつの間にか指揮官レベルにだけ渡される帽子をかぶったヴァースが振り向き、ミィヤを見下ろしていた。近い。他の訓練員が二人、その横をすり抜けて先に扉に向かう。


「ミカエルソン、チャンスだぞ。」

「は?」


何を言われたのか解らず、思わずミィヤは間抜けな声をあげてしまった。ヴァースが構わず続ける。


「昨日の試験の再試だ。今日うまく行ったら評価を書き換えてやる。」

「え?」


 ヴァースはにぃ、と微笑むと、状況を飲み込めていないミィヤをほったらかして踵を返し、司令室の扉を開いて、その中心にある指揮官席に向かった。室内に響き渡る声で叫ぶ。


「敬礼の必要なし!各員続けろ!」


ヴァースの声に反応して数人が立ち上がりかけたが、指示を理解してすぐに座り直す。指揮官席を中心に、放射状にいくつも操縦席が設置されている司令室では、既に数人が操作を初めていた。司令室の正面上方にはスクリーンが映し出され、真っ黒い闇の中に、ちらほらと星が散らばっていた。


 出遅れたミィヤの横をすり抜けて、また一人、自分の席へ飛ぶように駆けていく。再試?評価?まださっき聞いた言葉を頭の中で繰り返しながら、ミィヤも慌てて自分の席に駆け寄り、着席した。機械がそれを認識して、目の前に傾斜した台のようにスクリーンが現れる。一瞬の間の後にミィヤのフルネームが表示され、「確認」という文字とともにロックが外れ、安全確保の指示と現在の状況を表す情報が眼の前に浮かび上がった。しかしそこには、見慣れた「訓練」という文字は無い。


実践。ミィヤはゴクリとつばを飲み込んだ。これは試験じゃない。失敗すれば犠牲が出るかもしれない。連絡船に乗る大勢にも危険が及ぶ。ミィヤは僅かに震えだした手でシートの両側からベルトを引き、腰元でクリップを装着した。クッションの付いたバーが伸びてきて、ミィヤの膝の辺りを固定した。背中には、またじっとりと汗が滲んでいた。



「全船員の安全確保、完了。」


落ち着いた声が、全船員が衝撃に備えてベルトを装着したことを伝える。訓練員ではない、指導員だ。


「動力を切り替える。重力装置、解除。」

『ジュウリョクソウチ、カイジョ』


 指揮官席に座った、防護船の主要AIへの指示権限をもつヴァースが言うと、機械音声がその言葉を繰り返した。直後に、ミィヤは胃が浮いたような感覚を覚える。船内に重力を発生する装置が止められ、その動力が操縦と砲撃に回されたのだ。ふわりと、髪の一房が目の前に浮かぶ。しまった、留めるのを忘れていた!


「さぁ、頼んだぞーお前ら。」


 ふいに、ヴァースが音声機を通さずに声を張り上げた。指示ではない、語りかけるような口調に、ミィヤも含めた訓練生たちは一瞬戸惑った。ヴァースは穏やかな声で続けた。


「大丈夫だ、お前たちなら楽勝さ。信じてるからな。」


信じてるからな。


ミィヤはなぜか、それが自分ひとりに向けられている言葉なような気さえした。


わたしを、信じてくれている。


胸の奥に温かいものが広がり、肩の緊張がほぐれ、体中に力がみなぎるようだった。そしてそれは、他の訓練生も同じだった。役目を、果たさなければ。そのことだけに、全身の神経を集中させる。


髪の乱れに一瞬焦りを感じたミィヤだったが、主砲発射直後にレーザーの防護壁を発するための準備を進める手は止めなかった。今髪を直している暇はない。大丈夫、落ち着いて。そう自分自身に言い聞かせる。自分自身の、役目を。


 僅かな振動が伝わってきた。船体の数カ所からジェットが噴射され、船体が砲撃方向に傾けられていく。ミィヤは船体の各所に取り付けられている防護壁の発生装置にアクセスを進めていった。ひとつ、ふたつ…… それぞれの装置の起動を知らせる通知が、スクリーンに映し出される。


『こちらウエスト号隊長ジーン。援護待機完了。』

「こちらサウス号隊長ヴァース。了解した。」

『せいぜいヘマしないようにな、訓練員諸君。』

「心配ありませんよ、ジーン隊長。」


連絡船を守る、別の防護船からの通信に、ヴァースが力強く答える。冷やかしに返すその言葉からは、船員たちへの心からの信頼が読み取ることが出来た。それを聞いて、訓練員たちはますます鼓舞されるのだった。



 作業を進めながら、ミィヤはやっと、ヴァースの言った言葉を飲み込み始めていた。


 再試。評価。


 隊長は、わたしに挽回のチャンスをくれたんだ。


 信じているからな。


その言葉を何度も噛み締めながら、ミィヤはスクリーンを操作し続ける。自分を信頼して託してくれたチャンスを、無駄にする訳にはいかない。大丈夫、私はこの仕事をよく知っている。やるべきことを、いつもどおりに。ミィヤにとって、ただひとついつもと違うのは、ヴァースがそこにいるからこそ心強く感じられることだった。


「標的の情報を読み込み。」


ミィヤの声に反応して、スクリーンに対象の候補が表示される。選択肢は一つだけだ。ミィヤがそれをタッチで選択すると、センサーが感知した隕石のサイズと形、座標と方角、速度が計算機に読み込まれる。立体映像が映し出され、主砲レーザーの射程範囲でそれが爆破した際の、粉塵の散りがシミュレーションされる。


「防護対象物を確保。」


立体映像が、保護船を中心としたものに切り替わり、防護船のセンサーが感知できる範囲にある物体が加わる。ミィヤは手を伸ばして、連絡船と母艦マザー・グリーンをつまむような動作をする。親指と人差指にはめられた指輪のセンサーがそれを認識し、二体をマークし、その方向をシミュレーションに組み込む。地球は大丈夫。隕石そのものであっても、大気圏で燃え尽きるサイズだ。しかし連絡船にぶつかればただでは済まない。


防護壁の出力の座標、エネルギーレベル、破片の到着時間の予測。それぞれの計算を進め、主要AIに読み込ませていく。それぞれの操作席にいる他の船員たちも、音声と手動で機械を操作し作業を進める。その情報は組み合わされ、部屋の中央の大きなホログラムスクリーンにも浮かび上がっていた。ヴァースはそれを手元のパネルで見易いように操作して状況を把握し、微笑んでいた。準備は順調だ。十分に間に合う。


砲撃を契機として防護壁を発生する指示を装置に出して、ミィヤの作業は完了した。祈るように自分の計算結果を何度も見直してから、手を止めて緊張しながら頭上のホログラムスクリーンに目を向ける。大丈夫、やるべきことはすべてやったはずだ。


程なくして、全船員が作業を終えた。通知音が鳴り、全ての準備が整ったことを機械音声が伝える。


『シュホウホウゲキジュンビ、カンリョウ』

「砲撃を許可する。」

『ホウゲキヲ、ジッコウシマス』


ヴァースが答え、再びの機械音声とともに、正面のスクリーンにカウントダウンが表示される。砲撃までは十数秒あった。ごく僅かな時間のように思えるが、隕石の接近を感知してからの時間と、先日の試験でのシミュレーションからの時間短縮を考えれば、それば素晴らしい結果だった。訓練員は皆、かたずを飲んでスクリーン上の数字が減っていくのを見守った。船内の離れたところから、キィーンと響くような音が伝わってくる。


3、2、1――― そして「発射」の表示とともに、スクリーンとホログラムの真ん中に真っ直ぐな閃光が映し出された。主砲発射による船体の振動が固定されているシートに伝わってくるのと、映像の中央が一瞬眩しく光ったのがほとんど同時だった。眩しい光は、強力な主砲レーザーが目標物を爆破した証拠だ。船外の真空では音と熱は伝わらない。伝わるのは光だけだ。


『シュホウ、モクヒョウブツニメイチュウ』

「やった!」

「よし!」


通知音声とともに、何人かの訓練生が小さく喜びの声を上げる。ミィヤはまだ緊張を解いていない。数秒と経たずに、緑色の光がスクリーンとホログラム映像の数カ所で、キラキラと輝いた。指定した座標に作り出したレーザーの防護壁に、隕石の破片があたって破壊されたのだ。


危険な速度で散る粉塵が全て防護壁に阻まれ、スクリーン上は再び深い闇と静かに輝く星々だけになった。それを待って、静寂だった室内に機械音声が再び響いた。


『ボウゴタイショウノ、アンゼンヲカクニンシマシタ。』


(やった!)ミィヤは声には出さずに、安堵のため息を付いた。今度こそ、ミィヤは間違いを起こさなかったのだ。ミィヤは指揮官席に目をやる。全てが終わって役目を果たしたことになるには、もう一つ、待たなければいけないことがあるのだ。


図らずとも、全員がヴァースを見つめていた。真剣な顔でスクリーンを凝視していたヴァースは、ふ、と表情を緩め、口を開く。


「全項目の異常無し、砲撃体制を解除する。」

「やったぁ!」


砲撃体制の解除。それはつまり、防護船のやるべきことは全て、滞りなく終わったことを意味する。ミッションの成功を告げるヴァースの声を聞いて、今度こそ、訓練生たちは喜びを露にした。堂々と大きな声を上げるものもいれば、無言で拳を突き上げるものもいた。安心して体の力を抜いたのか、無重力に任せて天を仰ぐものもいる。隣の訓練員と手を取り合って喜ぶものもいた。それに比べて指導員たちの仕草は控えめだったが、それでも皆、ホッとした様子だった。ミィヤも、大きく息を吸ってからほう、と深く吐いた。


『ホウゲキタイセイヲ、カイジョシマス。ジュウリョクソウチ、キドウ。』


機械音声が再びヴァースの言葉を繰り返し、スクリーンに映されている情報がふつふつと消えていった。続いて大きなアラーム音がなり、徐々に重さの感覚が戻ってくる。アラーム音が消えると、船員たちは各々固定バーとベルトを外し、立ち上がり始めたのだった。

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