第19話 月

 ススキ野原フィールドから目と鼻の先の死角にこんちゃんはいた。


「み~つけた」

「ッ!? ぁ、う……シス、くん?」


 岩陰に隠れていたこんちゃんを覗き見ると、彼女は驚いたように目を丸くした。そして頬を拭うような仕草をした後、「どうしてここに……」と戸惑うように呟く。

 俺は気付かないふりをしておちゃらかすようにこう言った。


「決まっているだろ? 逃げ隠れる友達を追うのは“鬼”の役目だからさ」


 顔に被るように持っていた鬼の総面をずらし、アバターの素顔を晒す。鬼ごっこにかくれんぼ。友達を見つけるのは鬼の役目だと昔から決まっている。


「急に走り出したから吃驚したよ」

「ク、す、すみません……」

「罰としてこの鬼の面を少しだけ預かっててくださいな」

「え? あの……」


 有無を言わせず、彼女の手元に鬼の総面を置く。


「それは試合用の大事な装備だから、持っていっちゃ駄目だよ? すぐに返してもらうから」


 遠回しに『もう逃げないでね』と伝えると、こんちゃんは「……わかりました」と頷き、総面を太ももの上に置いた。ここに雫がいれば「にいやん回りくどーい」とか言われそうだが、うまく引き止める方法が思い浮かばなかったのだ。しょーがない。


「それで?」

「クゥ?」


 こんちゃんの隣――拳一つ分程度のスペースを開けて並んで座る。顔が見えない方が話しやすいかな? と思ったから。

 

「どうしてこんなところまで来たんだ? 門限が近づいたから――ってわけでもないだろ?」

「それは……」


 言葉に詰まりうつむく彼女。

 こんちゃんことF・こんこんは銀色妖狐アバターだ。

 キャラメイクのやり直し期限は残り数日だが、未だに作り直してはいない。彼女が思い描いた『本当の自分』は、黒髪ではなく銀髪のままだということだ。その心情を吐露するように、彼女は銀色の尻尾を撫で、銀色に輝く髪を指ですくうように月に掲げる。


「わたしは、御母様と毛色がちがうのです」

「……」

「御母様は周りからよく月のように美しいと評判でした。手を伸ばしても届かない気高さといつまでも変わらない輝きが周囲を照らしている、と。でも、わたしにはその輝きが受け継がれませんでした」


 月に掲げていた銀髪をこんちゃんは夜空と見比べ始めた。自分の黒髪を思い出しているのかもしれない。


「黒髪は嫌い?」

「……いいえ」


 静かで力強い否定。

 どうやらその質問は彼女にとっては愚問だったらしい。


「シスくん」

「ん?」

「わたし、ファザコンなんです」

「え、う、うん。知ってるけど……」


 突然どうし――いや、待て、この流れはつまり、


「黒髪はお父さんからの遺伝ってことね」

「はい、だから周りの言葉なんて本当はどうでもいいんです。御父様とお揃いというだけで、わたしは自分の姿に誇りをもっています。でも、ある時……わたしの噂をしているクラスメイトの話を耳にしてしまいました……残念だ、と」

「残念?」

「御母様の毛色を受け継ぐことができなかったのは残念でもったいない。同じであればもっとステキな母娘に見えたはずだ、と」

「……勝手な話だな」


 相槌を打つ俺に、こんちゃんはゆっくりと語り続けた。

 耳を澄ませるとクラスメイトだけでなく、街の住人にも同じ声があったこと。悪意はないがそのどれもが小さな落胆をにじませていた。言い返したかったが立場上できなかったし、どう言い返せばいいのかもわからなかったそうだ。なによりも大好きな父と同じことを肯定してもらえないことが辛かった。そんな彼女の本音が溢れ出てくる。


「さっき走り出したのは同じような会話をもう聞きたくなかったからってことか」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいよ」


 少しだけわかる気がする。

 俺も雫の兄として勉学に励み特待生を維持している。それは自分の評判で家族の評判を落としたくないという一心からきている。

 ただ、こんちゃんの場合は努力ではどうしようもないというのがネックだ。他人の言葉なんて気にするな、なんてありきたりな言葉では足りない。それだけでは彼女は自分にも周囲にも納得できないだろう。


 自分が原因で父親がけなされていると感じている彼女に、俺だけの励ましの言葉は届かない。

 いろんな人の想いを彼女に見せる必要がある。

 それなら、やることはもう決まっているのではないだろうか。


「ゲームをしよう」

「……クゥウ?」


 驚きのあまり目が点になったこんちゃんがこれでもかというほど首を傾げている。

 まあ、そんな反応になるよな。俺もこのタイミングでゲームに誘うのはどうかしてると思う。


「門限とかある?」

「え? えっと……あと30分後には帰らないといけません」

「よしよし、それなら最初だけ見ることができるな。ゲームをしようとは言ったがこんちゃんには俺の開催する【ゲリライベント】を見てほしいだけなんだ」

「ゲリラ、イベント……?」


 彼女の疑問に無言で頷くと、俺は<アーチ>を使用してAWのゲリライベントの項目を開き、黙々と必要事項を記入していく。開催時間は今から20分後。場所はこのススキ野原。主催者は俺――<寡黙な刃>。

 自分を餌にしてこの場にプレイヤーたちを集める。


「雪菜、聞いているだろ?」

『ご主人様のイベントに人が集まるようにして欲しいのね』


 適当に呼びかけただけで答えが返ってきた。しかもこちらの意図まで把握しているパーフェクトなストーカー……いや、従者だ。


「話が早くて助かる。できるか?」

『そこは「やれ」と命令してくれた方が個人的には熱くなっちゃうのだけど……どこが熱くなるのか、知りたい?』

「いいからやれ」

『ふふふ、ノリノリね』


 言わせたくせに。


『いいわ、ロプリル――ニィナ・バルケルがまだ近くにいるから彼女にも手伝ってもらいましょう。ご主人様の御手を煩わせたぶん、きっちりと桜として働いてもらうことにするわ』

「……」


 可哀想に。ニィナのやつユカナに目を付けられてしまったか。


「あの……シスくん、いったい何を……」

「俺はキミを最初に見た時、大和撫子のように綺麗だと思った」

「やまとなでこ?」

「なでしこ、な」


 未だに戸惑いの表情を浮かべるこんちゃんに、<アーチ>を使ってチャットを送る。文章ではなく『大和撫子』の文字のみ。検索機能の使い方を覚えた彼女は難なくその意味に辿り着き、頬を赤く染めている。


「今日、「着物を着てみないか?」ってオススメしたのも、俺がこんちゃんの着物姿を見たかっただけだ。絶対に似合う、可愛いと思ったから着てほしかった」

「シ、シス、くん? どうしたんですか?」

「本当は顔をよく見たかったからマスクだけじゃなくてサングラスや帽子も取ってほしかったし、ギルドに誘ったのだって下心満載だ。どうせ一緒にチームを組むなら美人で可愛い女の子と遊んだ方が楽しいしな」

「ク、クゥゥ……」

『褒め殺しね。こんちゃんが動かなくなっちゃったわ』


 はっはっは、ゲーム内でいつも妹が可愛いと連呼している俺を舐めるなよ? 現実では言えない本音でもゲームの中ではどんな相手にだって言えるぞ。なぜならアナザーワールドはMMORPG。ロールプレイの1つや2つ、俺もやってやるさ。


「そして何より俺は――君のことを“月のように美しい”と思っている」

「わたしが、月……? 意味がわかりません」


 こんちゃんはそう言うと少しだけムッとした表情を見せた。

 俺がいい加減な言葉を並べ立てているのではないかと感じたのだろう。あまり怒ることに慣れていないのかあまり顔は恐くない。むしろ可愛いくらいだ。もしかしたら怒って見せているのは建前で心のどこかで言葉の真意を探ろうとしてくれているのかもしれない。

 なんて考えてしまうのは、さすがに都合が良すぎるか。

 とりあえず、


「それが嘘じゃないことをこれから証明してみせるよ」


 

 ∠



 15分後、俺たちがいるススキ野原のフィールドは人でごった返していた。

 ブレイブ優勝の<寡黙な刃>が姿を見せ、大量のゼルを報酬にした【ゲリライベント】を開催するという情報が流れたからだ。雪菜が言うにはロプリルが棒読みながらも『え~ブレイブで優勝したあの<寡黙な刃>が【ゲリライベント】を開催してるー! しかも、挑戦者有利の高報酬! これは参加するしかなーい!』と触れ回ってくれたそうだ。おかげで100人近くの参加者が募ってくれた。オーディエンスも合わせれば300人はいるかもしれない。


「……そろそろ時間かな」


 俺は立ちあがり氷菓を呼んで装備を整える。

 コネクトルーム内で装備を変えたほうが身バレの危険性は少ないのだが、今回は雪菜にも監視を頼んでいるのでその心配もない。

 

「何をするつもりなんですか」


 人の数に気圧され、そこに向かおうとしている俺に、こんちゃんは不安な視線を向けてくる。 


「心配しなくても大丈夫だよ。ちょっと集まってくれたユーザーたちと遊んでくるだけだから。ただ、その前に1つ余興というか演出を用意した」

「?」

「この【ゲリライベント】は俺を倒すためのレイドバトルのようなもの。つまりボス戦だ。俺がボスらしく登場しないと興醒めもいいところだろ?」


 【ゲリライベント】の名は『月下の鬼』。そして概要欄には『月が影を纏うとき、鬼が現る』と中二病的なヒントを添える。これで準備は整った。


「……皆既月食って知ってる? 皆既日食でもいいんだけど」

「かいき――言葉は知りませんでしたが、意味は知ってます」


 彼女の検索の速さも慣れたものだ。最初の頃と比べると話し方も自然になっているし、もう少し日本に滞在することができたら数週間ほどでマスターできただろう。


「あれって不思議だよな」

「そう……ですか? 回数が少ないだけで不思議というわけでは――」

「違う違う、そういう意味じゃなくて……。とりあえず上を見て」

「ク?」


 俺が指差した方向には満月があった。

 こんちゃんが理想とする母と同じ色の月。

 だが、


「……え?」


 徐々にそれを侵食するように黒い影が落ちていく。

 皆既月食が始まっていた。


「どうして、ですか……? 今日は月食の日では――」

「忘れたのか? ここは拡張現実ARの世界だ。いつでも好きな時にフィールドを作り変えることができる。月に影を落とすことだって不可能じゃない」


 本物の月を<アーチ>のARによって月食させる。実際の皆既月食とは異なるため多少早送り気味に再生中だ。


「これがシスくんの言っていた余興?」

「そんなところ。んで、本当に見てほしいのはあっち、このイベントに参加しているプレイヤーたち」

「……」


 こんちゃんはまた俺が指差した方向に視線を向けた。

 そこには何人ものプレイヤーたちが先程の彼女のように月を見上げていた。


「俺の【ゲリライベント】に参加・観戦している人にも同じものを見てもらっているんだ。不思議な光景だろ? 普通の月は毎日見れるのに、月食とか日食のときは皆が空を見上げる」

「それは……珍しいからで」

「そう、珍しくて、綺麗だから・・・・・だ」

「……――ッ!?」


 あー恥ずかしい。こんちゃんは俺が言わんとすることに気が付いたようだ。気付いてほしいからこんなこっぱずかしい回りくどいことをしているわけで、結果としては大成功なのだが……恥ずかしいことに変わりはない。気付かれずに盛大に滑るよりは何倍も増しだけどな……。


「こんちゃんが周囲にどんなことを言われたとか、周りのやつらがどんな思いで口にしたとか、俺にはわからないけどさ。1つだけ俺が君に教えられることがある」

「……」

「たとえ色や形が変わろうと、月が月であることに変わりはない。影を纏った月もまた、俺は美しいと思うよ」

「……ぁ、う、シス……くん」


 届いただろうか、俺の気持ちは。

 ここで「何が言いたいのかわかりません」とか言われたら恥ずかしさで悶え死ぬ自信がある。だが、彼女の反応を見るにその心配はなさそうだ。


「さて、時間だ。預かっていてくれてありがとう」


 俺は照れを隠すようにこんちゃんの膝の上に載っていた鬼の総面を回収し、自分の顔に当てる。


「こんちゃん――いや、お姫様・・・はそろそろ門限が近づいて来たんだろ? 送ることができなくて申し訳ないけど、従者とかボディーガードの人は近くにいるんだよな?」

「え、あ、は、はい、ご心配なクゥゥゥ?」

「なにその鳴き方、斬新」


 素っ頓狂な声を上げたこんちゃんに思わず感想を漏らしてしまった。


「どうしてそれを……」

「ん~きっかけは色々あったけど……一番は“耳”かな?」

「耳……ですか?」


 彼女は首を傾げながら自分のに触れた。


それ・・だよ、それ。最初はロールプレイをしてるのかと思ったけど、人族と獣人では耳の位置が違うからね。中の人も獣人なら頭についている獣耳に触れてるんだろうな――って思ったよ」

「……うかつでした」


 隠し通せていると思っていたのだろう。本気で悔しがっているようだ。


「シスくん、わたしは――」

「またこっちの世界に遊びに来たら連絡してくれよ」


 謝りそうな雰囲気だったので遮った。

 今聞きたいのは謝罪の言葉などではない。


「せっかくボッチプレイヤーの俺に友達ができたんだ。これでもう最後ですとか言わないよな? こんちゃん」

「――はい、はい……! 絶対にまた来ます。そしてまた、私と一緒にゲームをしてください! シスくん……!」


 彼女の答えを聞き、俺は頷き仮面を装備した。

 そして別れの言葉を告げることなく、【ゲリライベント】の参加者の元へと歩き出す。


『可哀想に、ご主人様の照れ隠しのためだけに自分たちが集まったなんて、誰が想像するのかしら』


 空気を読んで今まで黙っていた雪菜が語りだす。

 目の前には様々な装備で固めたプレイヤーたちが真剣な顔で俺を見据えていた。


「俺が大会で得た副賞のゼルを山分けするボーナスイベントだぞ? 袋叩きにされる俺の方が可哀想だろ」

『ふふ、負けるつもりなの?』

「まさか」


 カウントダウンが始まる。

 その間に【鬼狂い野太刀】を腰に装備し、抜刀の構えをとった。

 数名のプレイヤーがざわついているのは俺が今から行うことを知っているからだろう。


(数十人は生き残りそうだな……)


 面倒だなと思いつつ、内心はこの多対一のデスマッチがどういう結末を迎えるのか楽しみで仕方がなかった。妹が言うように俺はこの一年ですっかりゲーマーになってしまったらしい。

 そして、カウントがゼロになる。さあ、


 ――ゲームを始めよう


 一斉に向かってくるプレイヤーたちに向かい、俺は無音の刀を抜刀した。

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