メソポタミア三国志 (紀元前前19世紀末~1772年ごろ)

 ウル第三王朝が崩壊すると、アムル人による群雄割拠の時代がやってきた。自らをシュメール文明の末裔と主張するイシンと、同国から独立したラルサの二大都市国家が覇権争いを繰り広げる時代だ。

 最終的にはラルサが勝利を収めるものの、メソポタミアの統一には至らなかった。と言うのも彼らが覇権を争っていたのはシュメール地方、つまり南メソポタミア地域だけであったのだ。

 南部を除くメソポタミアは、ウル第三王朝崩壊後に独立した諸国が乱立していた。エシュヌンナ王国、マリ王国、古アッシリア王国などの諸王国である。


・メソポタミア三国志


 ラルサがイシンとの覇権争いに打ち勝ち、シュメール地方(南部メソポタミア)を統一したころ、アッカド地方(メソポタミア中部)、アッシリア地方(北部メソポタミア)それぞれの地域にも統一国家が生まれつつあった。


 アッカド地方(中部メソポタミア)を支配したのはエシュヌンナ王国だった。ティグリス川の支流ディヤラ川に位置する都市エシュヌンナを首都として発展し、周辺諸国を支配下に収めるまでになる。

 元々はイシン王国の領土であり、武功を立てた家臣に与えられた封土のようなものであった。しかしイシンが弱体化、消滅していくにつれて独立を勝ち取ったのだ。

 元々がイシン領であったこともあり、エシュヌンナはイシンの宿敵、ラルサの侵攻を受けることとなる。イシンを倒すほどの勢いを持ったラルサに対抗することは難しく、次々と国土を失っていった。

 ラルサに対する脅威に対して、エシュヌンナは他国との協力を選んだ。当時アッシリア地方で勢力を高めつつあった古アッシリアと同盟を組んだのである。


 アッシリア地方(北部メソポタミア)にはそれまで、北東部の古アッシリア王国、北西部のマリ王国の二大大国が存在した。

 ティグリス川沿いのアッシュルを首都とする古アッシリア王国は、ウル第三王朝に従属していたが同国が滅亡すると独立。メソポタミアの辺境という地勢を活かして勢力を拡大した。

 これに対してメソポタミア北西部、ユーフラテス川沿いのマリ王国が強力な対抗馬となる。しかし古アッシリアの名君、シャムシ・アダド1世はマリ王国の内紛を利用してこれを支配下に置いた。こうして古アッシリアはアッシリア地方のほぼ全域を掌握したのである。

 古アッシリアはこうして、ラルサと共にメソポタミア統一の有力候補となった。


 古アッシリア、ラルサの両大国に挟まれる形となったエシュヌンナは、どちらに付くかの選択肢しか残されていなかった。そして彼らが選択したのは古アッシリアだった。

 こうしてメソポタミアは着実に統一への道を歩んでいた。そしてそんな中、古アッシリアにひっそりと従属していた中堅国家があった。エシュヌンナの南西、古都アッカドのすぐ西方——バビロン第一王朝である。


・下克上


 紀元前一七九二年、バビロン第一王朝にハンムラビ王が即位した。小国に過ぎないバビロンが、この後の半世紀で全メソポタミアに覇を唱えるとは誰も想像しなかったであろう。


 元々はバビロンも他国と同様、ウル第三王朝の衰退と共に独立した都市国家の一つだった。六代ハンムラビ王が即位するまでの間に近隣のキシュ、シッパルなどの都市国家を支配下に置いていたものの、大国に逆らうほどの国力はない。当時も古アッシリア王国に従属していた。

 しかし紀元前一七八一年、バビロンに転機が訪れる。古アッシリア王国を北メソポタミアの支配者にした名君、シャムシ・アダド1世が崩御したのだ。

 自らを従属させた強大な王が死んだとなれば、もはや従う理由はない。古アッシリアに従属していた諸国は次々と独立し、バビロンも当然その流れに乗った。マリ王国も独立したため古アッシリアはユーフラテス川沿いの西部領土を喪失。シャムシ・アダド1世の業績は全て破壊され、アッシリア地方とバビロニア地方は再び乱世へと逆戻りしたのである。


 古アッシリア王国の圧力がなくなると、エシュヌンナ王国は同盟関係を破棄。ユーフラテス川中流域へ進軍する。南北から大国に圧迫されていたところで、思いがけず領土拡大のチャンスがやってきたのだから仕方ない。

 エシュヌンナ王国がメソポタミアの支配者となる最後のチャンスであった。

 しかしエシュヌンナ王国の侵攻に対し、旧アッシリア領諸国は連合して対処した。バビロンのハンムラビ王はマリ王国と同盟を結び、同国の侵攻に対処する。この戦争に勝利したのはバビロン・マリ連合軍であった。エシュヌンナは撤退を余儀なくされ、メソポタミア情勢の混乱は収束していった。

 バビロニア、エシュヌンナ、カトナ、ヤムハド、マリの五王国によってアッシリア地方とバビロニア地方は安定し、勢力均衡状態となる。シュメールを統一していたラルサでさえ、容易に手を出せないという盤石ぶりである。この調子ではメソポタミアの統一はまだまだ先になるかもしれない。そう思われた。


 しかしこの均衡関係は、世界史の伝統的な方法で破られることになる。そう、いつものだ。


——遊牧民の侵入である。

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