第2話 かみさまが負けた日

―――――3ヶ月後


 少し前まで、自分のことを人間だと思っていた。

 しかし、体が大きくなるにつれ、徐々に人と違うことに気づいた。


 どきどきすると、体からなにか糸くずのようなものが生えて落ちるところとか。

 食べることが苦手なのに、日向ぼっこをしているだけでお腹が満たされる感じだとか。

 体から流れる汗が、時々、甘かったりすることだとか。


 そのことが不安で、考えないようにして、それでも自分が他の友達とは違うことに、佳乃はいつも押しつぶされそうだった。


「私、ちゃんと大人になれるかなぁ」


 葛城くずしろ 佳乃よしの、10歳。小学4年生。友達にそんなことを相談したら、笑われました。


 そしてその日、佳乃は姫様に出会った


「待って! こんなカードを見たことない……。あ、そう。そこの人! こんな絵のカードを……」


 交差点で道行く人に片っ端から声をかけた、綺麗な、高校生ぐらいの女性だった。

 鮮やかな金髪と青い目。高い鼻と、少しだけのそばかすが、奇妙に似合っていて、どこかお姫様のようだった。


 引っ込み思案を自分には、あんな風に声をかけるなんてとても出来ないと思いながら、そのお姫様を立ち止まって見ていた。


「そんな話はしてないよ! だからこういう……ううん! まったく……」あ、こっち来る。「ん、そこのキミ。こういうカードを……んんっ!?」

「ひゃっ!?」


 突然、その姫様に佳乃はアゴを掴まれた。まるで王子様がキスするときのように。


「ほう……ほうほうほう。驚いたね」


 ぺたぺたと、顔を触ってくる。佳乃は、固まったままなにも言えなかった。


「な、なにするんですか!?」


 やっと絞り出した抵抗。

 防犯ブザー、防犯……でも女の人だしなぁ……こんなに、綺麗な……


「すごい! 女神デエスじゃないの、キミは」


 ばしばしと、姫様が肩を叩いてくる。


「え? へ?」

「これ! 運命だよ、この出会い!」


 姫様が、笑う。にっこりと。

 その瞬間、なぜか、佳乃は世界に光がこぼれ落ちた気がした


 なぜ、こんなことを思い出すのだろう。

 まるで今日、この日が永遠の別れになってしまうかのように。


「駄目……女帝ランペラトリス……。ごめん……早く! 早く逃げて! 運命フォルテューヌ!」


 ああ、私は。

 いつも泣き虫で、臆病で、一人では立っていることも出来なくて。

 誰かを守る力をもらったのに、こんな時も震えていることしか出来なくて。


ソレ……イユ……」


 私の大好きな、お姫様が、力を失っていく。

 ぴしぴしと、佳乃の目の前で、木になっていく。


「早く、逃げて。大丈夫、大丈夫! こんなの、へっちゃらだから! それにね……!」


 佳乃は、逃げ出した。震える体で、『あいつら』が追ってくるか不安で、何度も振り返りながら。

 泣きながら。崩れ落ちそうになる体を、必死でかばって。


 それにね……! 私達がやってきたことが正しかったなら、運命は、必ずあなたに味方するから! 自分のアルカナを信じ……て!

 

 最後の、姫様の言葉は、かすれるように小さかった。


 誰も居ない路地裏で立ち止まって、私は崩れ落ちた。

 3人居たのが、1人になった。


 そう、1人になった。

 かみさまなのに、私は、なにも出来なかった。





 東京赤坂。某料亭。

 グラント・コールマンは海老の天ぷらを口に運んだ。口の中でじゅっととろけ、旨味が広がる。


「美味い」


 思わず、声が漏れた。いい海老、いい腕、いい環境。故郷アメリカの日本料理店では味わえないものだ。


「相変わらず聞き取りやすい日本語だ」

「光栄です」

「ところで、プリキュアを知っているかな、コールマン大佐?」

「プリキュア? アニメーションの?」


 グラントの眼の前にいる、五十ぐらいの紳士がつぶやく。

 落ち着いた眼差しをしているが、せっかくの天ぷらも箸が進んでいないようだ。


「娘が、小さい頃に見ていた。意外と面白かったのを覚えている。確か、一度派手に負けるが、その後パワーアップする、ような展開もあった気がする」

「なるほど。我らが女神様も、パワーアップして帰ってくるかもしれないと」

「そうであればいいなと、思うだけだよ」

「素晴らしい料理に出迎えていただけて光栄ですが、総理、まさか私とアニメの話をしたいわけではありますまい。Universalユニバーサル SpecialスペシャルSpecial Forceフォース、通称・USFの日本支部長であるこのグラント・コールマンに」


 グラントは、いくらか芝居がかった言い方で、日本国最高権力者の出方をうかがった。


「内閣支持率が落ちているのだ、大佐」

「知っております。30%台になってしまいましたな」

「君たちUSFの影響もある」

「まいりました、総理。今日はお説教でしたか」

「日本からUSFへの、思いやり予算は年間500億にもなる。にもかかわらず君たちは、目立った成果を挙げられていない。街を怪物たちから守っているのは、予算無料のラ・デエースだ」

「確かに。彼女たちはリーズナブルです」

「これ以上は、言葉にしたくはない。だがこのままではお互いに、不幸な結末を迎えるのではないかね?」


 平和な国とは言え、さすがは先進国の首班。なかなかの迫力だった。


「内閣支持率の低下は、我々のせいだけではないと思いますが」

「だが、連日マスコミがUSFへの巨額予算を叩いているのもまた事実だ。日本は民主国家なのだ。民意を裏切る組織への支援は、打ち切らざるを得ない」

「言葉にしないと言ったではありませんか、総理」

「ならばUSFが追い詰められていることを、自覚したまえ」


 ジョークのつもりが、場の雰囲気は悪くなった。

 残念ながらこの紳士は、ご立腹でいらっしゃるらしい。


「昨日、ラ・デエースが負けた。1人は囚われ、もう1人は行方不明。運命フォルテューヌさんは逃げ延びたようだが消息不明。実に、大きなニュースでしたな」


 良くも悪くも3人の女神は、注目されている。

 彼女たちが街に出現すれば、例外なくトップニュースとなり、その日の戦いが何度もVTRで流される。動画サイトも、たまたま居合わせた民間人が撮影した、ラ・デエースの動画が、常にランキングを賑わせている。

 それだけに、彼女たちの敗北は、センセーショナルに、そしてショッキングに拡散された。日本中は今、その話題一色だ。


「もう女神の加護には頼れないということだ。USFが『ハザード』から逃げ回るのはもう終わりにしてもらいたい」


 一連の事件で暴れまわる化け物連中を、人々は『ハザード』と呼んでいた。危険物。奴らにぴったりだ。


「さて、USFは奴ら相手にまったくいいところがありません。何度かの出動と交戦は、惨憺たる結果に終わりました」

「知っている」

「何度繰り返した議論かわかりませんが、総理。本当にハザードを潰したいのなら、重火器の使用許可を願いたい。アサルトライフルではなく、ミサイルやロケット砲を含めたものです」

「東京のど真ん中でそのような武器など、許可できるわけがないだろう。7.62弾の発泡許可やオスプレイの使用ですら、相当に揉めた」

「ハザードによる、死者が足りませんか?」

「……」


 無言は肯定と見えた。

 奇妙なことだが、あれだけ街中で暴れながら、化け物連中は死者を出していない。重傷者軽傷者はのべ1000人にも達するが、犠牲者は0で、不自然とも言えるほどだった。

 そこが、逆に厄介だった。被害が大規模でないだけに、政府も本腰で動けない、というところがある。


「最新の装備と、最高の人材を集めながら、我らが勝てないのはそこです。小火器では、化け物相手に有効とは言えません」

「だが、君たちの流れ弾で死者が出ては、USFはおろか政府が吹っ飛ぶ」


 この話を、何度繰り返したのだろうと、グラントは思った。

 ミサイル攻撃すら視野に入れた、重火器の使用許可。それが降りるまでに、必要な死者はどれだけだ。


「重火器を使用しての鎮圧行動なら、自衛隊にだってできる。私が言いたいことはわかってくれるな、コールマン大佐」

「わかっておりますよ。まぁ、マスコミやネットに叩かれるのは飽きたところです。『年金受給者』だの、『イタリア軍』だの、『最新鋭猟友会』だの、我らへ向けられる悪口を、そろそろ払拭しなければなりませんな」

「期限は一ヶ月と思ってもらいたい。それまでは、私はなんとしても野党から君たちを守ってみせる。だがそれを過ぎれば、USF日本支部の解散すら議論されることとなるだろう」

「承知いたしました」グラントは、自分の笑みが少し硬くなるのを感じた。だが、追い込まれるのは嫌いではない。「源一郎げんいちろう


 グラントは、隣の男に声をかけた。

 この偏屈な、十年来の友人は、せっかくのごちそうにも手を付けず、相変わらず濁った瞳で世界を他人事のように眺めていた。


「なんだ、グラント」

「我らが切り札はどうなっている?」

「鍛え始めて3ヶ月だぞ。3ヶ月で実戦に投入するつもりかよ。だいたいあのガキ、俺がUSFの人間だってことすら知らねぇんだぞ。それに英語だって……」

「ラ・デエースは負けたぞ源一郎」

「……。俺は、最低でも1年は必要だと言ったはずだ」


 本岡もとおか源一郎げんいちろうは30歳だった。なのに、時々42のグラントよりも老成して見えることがある。

 それが、多くの犠牲と引き換えにかつて世界を救った代償なのだろうか。


「急ぐべきだ、源一郎。あまり猶予はない」

「うるせぇよグラント」


「私からも頼む、本岡君」


 総理も、軽く頭を下げた。


「俺のときもそうだったけどな」本岡源一郎は、やや不機嫌そうな顔で、眼鏡を外し、掛け直した「ケツの青いガキに、いい大人がケツふいてもらおうとすんじゃねぇよ」


 前言撤回。

 まったく、こいつは。

 30になっても、大人になれてない。




 東京赤坂の、夜の公園だった。

 ハザードが出現し始めて、さすがに人々は夜間の外出を控えるようになっている。21時でも、人の気配は希薄だった。


「そらよ」


 本岡源一郎は、近くの自動販売機から買ったコーヒーを、グラント・コールマンに渡した。


「ありがとう」


 なんとはなしに、二人でベンチに座った。晩秋である。コートを着るには暑く、スーツだけでは少し肌寒かった。木々は葉を落とし、冬を迎える準備をしている。


 首相との話し合いを終えた。USFの現状は、決して良くない。


「源一郎。私は、ラ・デエースが負けたことが決して悪いことだとは思ってはいない」


 グラントは、そう口を開いた。黒人と白人のハーフである彼の、浅黒い肌は闇に溶け込んでいる。

 軍人あがりだが細身であり、品のいいスーツを着ればそのまま大学教授に収まってしまいそうな風貌だった。


「薄金を使う、大義名分になるからか?」

「そうだ。重火器の許可はなくても、薄金なら日本国民を納得させやすい」

「もう一度言うぜ、グラント。まだ3ヶ月だ。おまえは、基礎訓練しかやってない16歳のガキを、グリーンベレーに放り込むような無茶をやらせようとしている」

「しかし、薄金だ。女神が敗れた以上、いまこの国には必要なものだ。年齢や未熟は承知の上で、戦ってもらうしかないと私は思う。それに、装着の資格を有しているのは彼だけなのだろう? 贅沢は言えない」

「……ああ。苦労したぜ、資格者を見つけ出すのはな」

「薄金が、誰でも使えたら苦労はしないのだが」

「どうかな。それはそれで、別の苦労があるんじゃねぇのかな」


 すると、グラントが笑った。


「正装着者としては、独占欲があるか源一郎?」

「ねぇよ、そんなもん」

「そう言うが、君は薄金を使いたがっていない」


 言われても、源一郎に動揺は無かった。海千山千のグラント・コールマン大佐だ。気乗り薄な自分の心に、気づいていないはずがない。新宮鉄心という、顔が壊れた少年を拾いはしたが、ラ・デエースがハザードを倒してしまえばそれでいいと思っていた。

 しかし、負けた。女神3人のうち、2人を失うという敗北。ハザードに対する有効な抑止力を、この国は失った。


「独占欲はともかく。使わないに越したことは、ねぇと思ってる。ハザードはまだ一人も死人を出してない。薄金が出て行くには早すぎる」

「私は使うべきだと思っている。正直、死人が一人も出ていないというのが、どこか腑に落ちん」

「どういう意味だ?」

「確証の無いことだが、どうも裏がある気がする」

「わざと人を殺さないようにしてるんじゃねぇのか。日本政府を、本気にさせないためによ」

「それだけなら、話は単純でいいが。ハザードの目的が、恐ろしいもののような気がしてならんのだ」

「……そりゃあ、奴らは変だが」


 言われなくても、違和感はあった。

 ハザードは金品を盗まず、政治的な主張もしない、テロリストにしても、犯罪集団にしても、奇妙だった。異世界からやってきた化け物が、ただ暴れているだけだという論説が、大真面目に信じられていたりする。


「日本は平和ボケをしている。総理も含めて、どこかハザードとラ・デエースの戦いを見世物のように思っている。私は、ハザードを放置すれば、いずれ大変なことになると思う。薄金を使用してでも、早期に鎮圧するべきなのだ」

「わかってるよ。だから、薄金の装着者を育てることには同意したんだ」


 日本全体がハザードに対して緊張感を欠いている、というのは適切な指摘だった。ラ・デエースについても、どこかアイドルのように思っている。

 グラントの判断を、源一郎は信頼していた。ただ、ハザードの目的は見えてこない。


「源一郎。テッシン=シングウとは、どういう少年だ?」

「報告書と顔写真は渡しただろ?」

「君がなぜあの少年を選んだのかを知りたい」

「薄金を装着する資格がありそうだからだよ」

「本当にそれだけかね? 16歳だろう? 君は確か、薄金の装着資格があるのは、おおよそ100万人に1人だと言った。単純計算で日本に120人はいるということになる。ならば、成人の資格者もいるはずだ」

「あのな、簡単に言うなよグラント。100万人に1人を探すのがどんだけ大変だと思ってんだ」

「USFのスタッフと、手分けして探せばいい。16歳を特殊部隊に入れることは、それだけでリスクだ。マスコミが嗅ぎつける可能性も無くはない」

「それ以上言うな、グラント。契約違反だぜ。薄金の運用については、俺に一任する約束だったはずだ」

「……そうだな」


 グラントは引き下がったが、納得はしていないだろう。

 軍人だった。友人とはいえ、言うことを聞かない部下がいることを、歓迎してはいないだろう。


 鉄心を、なぜ選んだのか。

 莫大な資料と、動画の山から、なぜ選んだのか。


 それをわざわざ人に話すつもりはなかった。それに、源一郎は今の処、それほど鉄心を評価していなかった。人格、体力、判断力、すべてが足りない。このままだと、薄金を任せる事は出来なかった。


 秋風が、吹く。昔はこの程度の寒さなど、気にならなかったが、今は冷えが鬱陶しかった。


 本音のところでは、ハザードがなにをしようと知ったことではなかった。大惨事を引き起こそうが、何万何億と人を殺そうが、どうでもいい。源一郎に、長く生きるつもりはなかった。

 自分にあるのは、10年前をやり直したいという浅ましい想いだけだろう。それについて、グラントは気づいている気配がある。なにも言わないのは、言っても無駄だと知っているからだ。

 仮に鉄心が装着できるのだとしても、自分が納得しないのなら薄金を渡すつもりはなかった。それでラ・デエースが全滅してしまうのなら、それはそれで彼女たちの運命だろう。

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