砂井さんが――――攻めっ攻め。

「おい、オマエがハネカワ・ヘイタか?」


 僕に声をかけてきたのは、金髪・ツインテールの背の高い女性だ。


 駅前のポストの近くだった。砂井さんとの待ち合わせには、特に深い意味もなく毎回そこを選んでいる。今日は日曜日。それなりに人も行き交っていて、中には恋人同士が仲良く歩いているのも見かける。

 僕と砂井さんもあんなふうに見えるのだろうか?

 そんなふわふわしたことを考えてぼんやりしていたところを背後から話しかけられたので、僕は飛び上がりそうになった。


「なあ、訊いてるんだが」


 金髪ツインテの女性は、勝気そうな青い瞳でこちらを睨んでいる。

 確かに僕は羽川兵太だけど。


「……そっちこそ、誰ですか」

「アタシか? アタシはリンゼ。そう呼ばれてるだけだがな」

「…………」


 怪しい。

 見た目はまあ、すらっとした美人だ。黒を基調としたオフショルダーのトップスに、ぴっちりとしたジーンズを穿いている。肌は白くて綺麗だ。色白といえば砂井さんだけど、どちらかといえばベビーピンクな砂井さんに対して、この人はまさに白人。うーん……特に外見は怪しくはないんだけど……「そう呼ばれてるだけ」って何だ? 偽名ってことか? それに何より、初対面にも関わらず僕の名前を知っている。何者なんだ。


「あー」


 リンゼと名乗った女性が頭をがしがしと掻く。


「悪い。こんなんじゃ怪しさ全開だよな。話すから聞いてくれ。まず、アタシは雑な喋り方だが、日本語を話す時これが癖になっちまってるだけなんだ。気にしないでくれ。次に、リンゼは偽名だが、これも職業柄仕方なく名乗ってるだけだ。フェアfairじゃないのは謝る。それから、なぜアタシがオマエの名前を知っているのか」


 喋りながらスマートフォンをいじっていたリンゼは、画面をこちらに見せてきた。

 SNSらしき画面には、〝リンゼ〟と〝砂井さくら〟の会話の履歴。


【サクラ この前言っていたラストリゾートM990だが、今日引き渡せそうだ】

【リンゼちゃん、ありがとう。いつもの場所で受け取るね。】


 僕は今一度リンゼの顔を見る。

 こちらを睨みつけたままニヤリと笑っていた。


「アタシは、スナイ・サクラの友達であり、姉貴分であり……懇意にしてもらっている武器商人だ。だから安心してくれな」


 そう言って更にニタァと頬を歪ませるリンゼさん。

 ひょっとしてこの人、笑い慣れてないのか?

 雰囲気を和らげるために笑おうとして失敗しているのでは?


 そんなことを思いながらどう応えたものか思案していると、リンゼさんは不気味な笑みのままで招き猫みたいなポーズをした。


「安心してくれ、にゃんっ」


 なんとなくだけど、この人はたぶん良い人だな。




     ◇◇◇




 待ち合わせの時間まではまだ十分とちょっとある。僕はリンゼさんと少しの間、話すことにした。ポスト付近のベンチに座る。


「武器商人って、なんか、すごいですね。いやスナイパーもすごいんですけど。砂井さんと取引してるってことは、やっぱり砂井さんの腕前に惚れ込んだとか……?」

「そうだな。サクラは千年にひとりの逸材だ。かの有名なホワイトwhiteフェザーfeatherも、伝説の白い死神белая смертьですらも、サクラには敵わないだろう。技術だけを見れば、だがな。……彼女が人を撃たない、いや撃てないのは、世界中の兵士にとっての僥倖といえる」


 よくわからないけれど、とにかく、その筋の人からもかなり高い評価を受けているのはわかる。


「それよりも」

 リンゼさんが胸の前で腕を組み、こちらをまっすぐ見つめる。「アタシはオマエのことが知りたい」


「僕のこと?」

「そうだ。CPUcomputer照準器sightを全く必要としない、化物のようなスナイパーsniperであるスナイ・サクラ……彼女が幼い頃から惚れている少年に、興味がある」


 なんだかそう言われると僕がすごい奴みたいに聞こえるけど、全然そんなことはない。申し訳なくなってくる。


「別に、普通ですよ。砂井さんのことが好きだって気持ちだけは誰にも負けませんけど」

「ほう。どんなところが好きなんだ?」

「そんなの、ありすぎて全部は言えませんよ。……恥ずかしいなこれ」

「クク。なら交換条件だ。サクラが言っていた〝ヘイタくんの好きなところ〟をひとつ教えてやろう」


 僕はベンチから立ち上がった。

 よろめいて、足をふらつかせ、倒れかけたところをポストに手を突いてどうにか支える。

 荒くなった息を落ち着かせようと深呼吸するが、特に効果はない。

 仕方なくハァハァ言ったままベンチに座り直し、リンゼさんに頭を下げた。


「お願いします」

「そんなにか?」

「それはもう」

「サクラのことだから、もうオマエには伝えているかもしれないぞ? まあいい。これは割と最近、サクラから聞いたことだ。サクラがオマエと海辺の公園でピクニックをしている時に――――」

「はあーーーーーーーーん」

「どうした」

「いえ。続けてください」

「海辺の公園でピクニックをしている時に、海風が少し寒いね……と言った時。ヘイタくんは……着ていたアウターを脱いで、羽織らせて、くれたけど……あ、あの、自分が半袖になっちゃったせいで、さむくなっちゃった、みたいで……。念のため持ってきてた、二枚目のレジャーシートにくるまって……みのむしみたいになってたのが、その、可愛くて、好き……っ。……とサクラが言っていたな」

「声真似が上手い!!」


 僕は心臓のあたりを押さえながらなんとかリアクションを絞り出した。さすがは姉貴分を自称するだけあって、砂井さんの特徴を捉えている。

 砂井さん、そんなことを思ってたのか……。そういえばレジャーシートにくるまる僕を見て、やけにニコニコしていた気がする。どうりで……。


 リンゼさんは僕の反応が可笑しいらしく、笑い声を立てている。


「そんなにサクラのことを気に入っているとはな。しかし……」

「しかし?」

「しかし、ならば何故、サクラのことを苗字で呼ぶ?」


 リンゼさんの碧眼がこちらをまっすぐに見つめる。


「親しみを込めるなら、ファーストfirstネームnameで呼ぶのが自然だと思うがな。もちろん、ファミリーfamilyネームnameで呼び合いながらも熱烈な愛で結ばれている関係もあるが。……オマエはサクラを『スナイさん』と呼ぶが、サクラの方はオマエを『ヘイタくん』と呼んでいる。アタシから見ると少し特徴的に見えるよ」


 特徴的。

 確かにそうかもしれない。

 恋人同士というのは下の名前で呼び合うようなイメージがある。どちらかといえばそっちの方が親密な感じがするし、僕も砂井さんを下の名で呼んでみたい気はする。でも、あえて呼んでいないのには、理由があった。


「砂井さんと付き合うことになった時、何て呼べばいいかなって訊いたんですよ」

「ふむ。それで?」

「あなたの呼びたいように呼んでいいよって言われたので、僕は、さくらちゃんって呼びました」


 リンゼさんが、ふふ、と少し笑う。だいたい察しがついたのだろう。


「で、まあ、砂井さん照れるじゃないですか」

「照れるだろうな、アイツは。それで未だに『スナイさん』呼びというわけか。ん、ということは、オマエは本当は『サクラちゃん』と呼びたいわけか?」

「さくらちゃんって呼べたらもっと、その、好きになれるかもしれないですね。なんとなくですけど」

「好きな呼び方をすることは愛着につながるからな。アタシもよく愛銃に名前をつけるよ。それで、オマエは……」


 ずい、と顔を近づけて、リンゼさんは僕を見つめる。この人は僕よりも若干背が高いから、目線もほんの少しだけ見下ろされるような形になる。


「オマエはアイツとどこまで進んでいるんだ?」

「どこまでって」

キスkissはしたのか?」


 僕は砂井さんの淡くてみずみずしい唇を想像した。


「はううーーーーー」

「その様子では、まだらしいな……。キスくらいスキンシップだろうに。……そうしたら、サクラを『サクラちゃん』と呼ぶようになればもっと距離が縮まるか?」

「それは……そうかもです。なんか、砂井さんは小動物みたいな愛くるしさがあるんですけど、その可愛さが増幅して、もっと大好きになれたり……」

「なるほどな。よし、練習だ。アタシをサクラだと思って、スナイさんではなくサクラちゃんと呼んでみろ」

「え、リンゼさんは砂井さんじゃないから無理ですけど」


 僕とリンゼさんは沈黙する。


「……いいから呼べ。サクラとキスしたくないのか」

「目が怖い! わかりましたよ……さ、さくらちゃん」

「もっと大きな声で」

「さくらちゃん!」

「もっと愛を込めて!」

「さくらちゃんっ!」

「情熱的に! 世界で一番好きだという気持ちを伝えろ!」

「さくらちゃんッッ!!」

「病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、サクラを愛し、慈しむことをここに誓い、ここに想いを届かせろッ!」

「さくらちゃああんッッ!!!!」


 僕は叫んだ。

 リンゼさんが「よし」と言って背後を振り返った。

 僕もつられてその視線の先を追う。

 砂井さんが顔を真っ赤にしながら、カタカタと震えていた。


 え?

 砂井さん?


「ぁ……」

「え、あ、あの、いつから」

「……ぇと…………とつぜん、わたしの名前を、呼び始めた……ちょっと前あたり、から……」


 長い前髪の間から、ちらっ、ちらっと見てくる砂井さん。黒ストッキングの細い脚は内股でぷるぷるしていて、さながら怯える小鹿のようだった。僕は怖がらせないように、穏やかに口を開く。


「大丈夫だよ、さくらちゃん」

「ひぅっ!?」


 さっきの名残が出てしまったので僕は自分を殴りたくなる。


「あ、えっと、嘘嘘。砂井さん。砂井さ~ん。怖くないよ~」

「ぷくくくく。くく。くくくふふ」

「リンゼさん笑ってないで状況説明を手伝ってくださいよ! ……あー、砂井さん? これはリンゼさんの罠なんだ」

「ぅ……うん……。リンゼちゃん、そういう悪戯、する子だから……」


 砂井さんは顔を上げて、ゆっくりとベンチへ来た。僕の隣にちょこんと腰を下ろして、それからリンゼさんに向かって短く「ラストリゾートを……」と言う。「ああ、もちろん渡すぞ。これだ」リンゼさんがジュラルミンケースを差し出した。中身はたぶん、武器だろう。砂井さんはそれを無駄のない動きで自然に受け取った。

 毅然としたその動きを見て、僕はハッとする。

 武器のケースを持ったということは……

 もしかして。


「兵太くん」


 砂井さんが落ち着いた声で言った。


「わたしのこと、さくらちゃんって呼びたいの?」


 こちらを見上げる仕事人モードの砂井さんの眼差しは、どこか妖艶だ。


「あ、え、と」

「さくらちゃんって呼んで、何がしたいの?」

「そ、その」

「聞いてたよ。さくらちゃんって呼べば、愛くるしい小動物みたいな『さくらちゃん』のことを、もっと大好きになれるかもしれないんでしょう?」


 砂井さんが僕に顔を近づける。

 しなやかな指が僕の肩に触れ、温もりがぞくりと体を震わす。


「……いいよ」

「あ、あう」

「あなたになら、さくらちゃんって呼ばれても、いいよ。あなたのためなら……いいよ」

「わ、わ」

「ねえ……兵太くん……? わたしも、伝えていい?」

「は、はえ?」

「さっき兵太くんが、届けてくれた気持ち。情熱的で、世界で一番で、結婚式の誓いみたいな、あの気持ち……」

「あふ、あ」

「兵太くん……」


 耳に吐息がかかった。

 熱っぽい囁き――――


「あなたが、すき……」


 うわああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああアア♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡




     ◇◇◇




 こうして僕は、砂井さんから『さくらちゃん』と呼ぶ許可を得た。しかし実際に平常モードの彼女を『さくらちゃん』と呼ぶと恥ずかしがって黙られてしまうので、妥協点として『さくらさん』と呼ぶことになった。


 ちなみに、さくらさんは仕事人モードになって攻めっ攻めになった時の自分の記憶がバッチリあるみたいで、あの後は道端でアルマジロみたいに丸まって「ぅぅぅぅぅ」と唸っていた。リンゼさんはそんな様子をスマホで密かに撮って、『宝物』というフォルダに入れていた。この人もけっこう怖いな。


 そんな感じで、激動のデートになってしまったけれど。

 でも……楽しかった。


 さくらさんとのお付き合いは、まだ始まったばかりだ。

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