第四十八話 天ノ目


 浅黒いおおきな手が黒いサイコロを振り出した。

 出た目は“天”であった。

 羽黒山の中腹に建てられた簡素な山小屋のなかである。

 天狗の師匠は出た目を読むと、うーむ……と唸って腕を組んだ。


「どうやら負けて“天”の境地に達したようじゃの」


 淡い光につつまれたものが現れ、天狗の師匠に向かって笑みを浮かべた。大地のいう大師匠である。


「あやつは……大地はもう帰ってこぬかもしれませぬな」


 淋しげな目を向けて天狗の師匠はいった。


「それこそがあのものの背負う“天”の運命さだめよ。よきかな、よきかな……」


 そういうと大師匠は姿を消した。

 大地は江戸にいてなにごとかを成す宿命にあったのだ。

 天狗の師匠は深いため息を漏らすと虚空を仰ぎ、手を合わせて大地の無事を祈るのであった。





 天下無双武術会が終結して一ヶ月後――


 大地の姿は、本郷の北のはずれにある葛城神社の社務所の裏手にあった。


「九十七……九十八……九十九……ううっ!」


 そこまで数えると、祐馬は鉄芯の入った素振りの木刀を滑り落として仰向けにひっくり返った。


「まだ、百いってねえべ!」


 切り株の上に座って祐馬を叱咤する。大地はすっかり若槻祐馬の師匠となっていた。


「厳しい師匠でやんすね」


 縁台には辰蔵と虎之介の姿もある。


「道場を開いたと聞いてきてみれば、いやはや青空道場ですかい?」


 目の前には小さな畑しかない。屋根も敷居もなく、これではただの広場だ。


「これからや。わいは剣客番付の第二席、あいつは第三席。宣伝次第で弟子がぎょうさん押しかけてきよる」


「その宣伝のふみを書けとおっしゃるんですね」


「ま、そういうこっちゃ」


 辰蔵は『そんなこったろうと思った』という顔をすると、懐から煙管きせるを取り出し付け木で火をつけた。


「ところで……お聞きになっておりやすかね。松浪さまのこと」


「お城での試合で星神道雪ほしがみ・どうせつに勝って、剣王位になったっちゅうことかいな」


「ええ、武術会で大ケガを負って出場が危ぶまれやしたが、見事、一本勝ちを納めたそうで……」


「その星神道雪っちゅう御仁のことやけどな。どこのなにもんなんや?」


「さあ、あっしにもとんと見当が――」


「ちょいと小耳に挟んだことがおうてな」


 とぼけ顔の辰蔵の言葉を遮って虎之介はいった。


「いまの公方様くぼうさまは六尺(約180センチ)を超える偉丈夫いじょうふで、武術の腕前も相当なもんちゅう噂や。

 鷹狩りの最中、藪から飛び出てきたイノシシをとっさに鉄砲の台尻で頭をいわして仕留めたこともあるそうやないか。

 ひょっとして星神道雪とかいう謎の剣客の正体は……」


「おっと、その先はいわぬが花……ならぬ身のためですぜ」


 少しドスをきかせて辰蔵が虎之介の口をふさいだ。


「あら、辰蔵さんもいらしてたんですか?」


 お盆に茶菓を乗せてやってきた暮葉が、


「ちょっとお待ちになってくださいませ」


 と縁台に茶菓を置くやいなや母屋にとって返し、紙の束を抱えて再び駆け戻ってきた。


「な、なんでやすか、これは?」


 紙の束を押しつけられて辰蔵が戸惑う。


「わたくしが風巻さまと試合うた際にみた幻影――いや、未来のこの国の姿です」


「……てえことは予言の書……でやんすか?」


「はい。『をのこ草子』と名付けました」


「そいつは面白そうだ。読ませてもらいやすぜ」


 辰蔵は目をきらりと光らせると、暮葉の原稿を押し頂くようにして懐に仕舞い込んだ。

 瓦版屋の記者としての勘がこいつは後世に残るものだと告げていた。



「あと百本、素振りいぐべ!」


「えーつ、師匠、少しは休ませてくださーい。あそこでみんな菓子を食べてます!」


「菓子なんか、あとで食えばええが!」


 左手で竹刀を足元にたたきつけ祐馬を奮い立たせる。

 大地の右手はもう使い物にならない。

 風門流抜刀術をだれかに託すしかないのだ。

 祐馬なら立派に受け継いでくれると大地は信じている。

 彼には兄の無念を晴らすという使命がある。

 なにかを背負うものにしか大事は成し遂げられない。

 大地はこの度の闘いでそれを悟った。

 自分は負けるべくして負けたのだ。


 ピーヒョロロロ……。

 鳶が空を高く飛び旋回している。

 大地は蒼空を仰ぎ羽黒山のある北西の方角を見た。


(……許してくなんしょ)


 帰れぬ故郷を想い、大地は天狗の師匠と大師匠にそっと胸の内で詫びるのであった。



    終章につづく


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