問答デンデケデケデケ

 9月中旬、水曜の夜。

 良介の妻、晴香が身籠っているという嬉しい知らせが大西家の食卓を包んだ。晴香と良介の病院からの帰りを待っていた小次郎は、万歳三唱で迎え入れた。


「誠也が生まれた時と同じくらい嬉しいわい! 晴香エライ! ついでに良介君も!」


 まだ気が早いが、晴香の身につわりが起きた頃から小次郎と良枝は浮足立ってバタバタとしていた。現在妊娠3ヶ月。順調にいけば来年の初夏には新しいベビーベッドを買うことになるだろう。誠也が使っていたものは知人に譲ってしまったのだ。

 その誠也は、自分に弟か妹ができると聞き、不思議そうな顔をしている。良介は前もって考えておいた答えを口に出す準備をした。


「ぼくはいもうとがほしいんだけど」


 予測していたのと違う。それでも良介は慌てずに誠也の頭を撫でながら答える。


「生まれてきてくれるのが、女の子でも男の子でも、誠也の大事な家族だからね」

「いつごろうまれるの?」

「多分来年の夏が始まるころかな」


 そっか、と誠也は母のお腹をじっと見る。なにか考えているのだろう。そろそろ来るぞ。良介は再度、予定通りの質問に対して予定通りの答えを返す意識を高める。


「おじいちゃんとおばあちゃん、おとうさんとおかあさん。おさらとかおはしが、たりなくなるね」

「足りないものは買うんだ。誠也の分も買ったんだよ」


 またも予想を裏切られたが、それならそれで良い。まだまだお前が知らなくて良いことはいっぱいあるんだよ、と良介は心の中で返答した。


「ひとがふえたら、おうちのへやもふやさないとだね」

「それは難しいかな」

「なんで?」

「お家の大きさは決まっているからね。お部屋を増やすと他のところが小さくなっちゃう」


 それはそうだね、と誠也は納得しかけたが、小次郎が余計な一言を放った。


「誠也が小学校卒業する頃には、わしもばあさんも死んどるから大丈夫じゃ! ワハハ!」


誠也は祖父を見上げ、一言つぶやいた。


「しんどる」


 恐らく、小次郎の話の中で唯一分からなかった言葉なのだろう。誠也はその一言を繰り返している。

 小次郎が脳梗塞で入院した日のことを、良介はありありと思い出した。誠也に「死」という概念を教えていなかったのだ。先程から用意している「子供の作り方」に対する答えとともに、先延ばしをしていた責任を感じる。

 ふと脳裏に、ゴールデンハッピー教教祖の薄ら笑いが浮かんだ。この場に奴がいないことには感謝しなければなるまい。何しろあの男ときたら「我が教団に入信すれば絶対に死にません」くらいのことは言ってのけるのだ。


「おとうさん、しんどるってなに?」

「いなくなるっていうことだよ」

「なんでいなくなるの?」


 良介はしゃがみ込んで、誠也の目線に合わせた。


「例えば、みんなが死なずに済んだら、地球はどうなっちゃうと思う?」

「いっぱいになっちゃう」

「そうだね。いっぱいになったら食べ物も無くなるし、住む所も無くなる。もしかしたら空気もなくなっちゃうかもしれない。わかるね?」

「うん」


 ここまではいい。だが、この先は何も知らない子供にとっては理不尽な話にしか聞こえないだろう。


「だから、後に生まれる人が困らないように、人は、生き物は死ぬんだ」

「しぬといなくなる。どうすればいいの?」

「誠也がね、そのいなくなった人を覚えてればいいのよ」


 今まで黙っていた晴香が助け舟を出してくれた。


「おぼえてたら、またあえるの?」


 助け舟は木っ端微塵に砕け散った。

 原因をこしらえた小次郎は、いつの間にかどこかに消えている。いよいよ良介は大きな嘘をつかなければならない状況に陥り、親心をもってそれを敢行した。


「会えるよ。誠也がそう望めば」

「そうか、ならいいや。おじいちゃん、しんでもだいじょうぶだね」


 ちょうどおじいちゃんはコップに水を汲んで戻ってきたところだった。コップの水がこぼれそうになっていることからも内心の動揺がたやすく見て取れる。


「ぼ、ぼくのせいじゃないですよ、お義父さん」

「わ、わか、わかっとるわい、そ、そんなもん」


 そのコップの水をガジュマルの鉢植えにかけようとして、おじいちゃんは水の大半を机にこぼした。動揺しすぎだろうと良介がいぶかしんだ時、誠也のとどめの一声が大西家の二人の男に放たれた。


「なんでこどもができるの?」


 我が息子よ、タイミング、良すぎ。良介は父としての威厳を保とうと努力しながら、前もって準備していた答えを返す。


「大人になれば分かるよ」


 すこし声が裏返った。そもそもこれは答えになっていない。先延ばしの一環なのだが、今はそれで納得してもらうしかない。

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