6月30日 その後

「ほう、ドラゴンがいきなり殴りおったか、靴で」


 大西“KOZY”小次郎(78)は車椅子の上で快活な笑いを見せた。病室には良介と小次郎の二人だけだ。


「笑い事じゃなかったんですよ。お義父さんは全部僕に任せるし」

「正直めんどくさいというのもあった」

「あなたという人は……」


 良介はあきれたことを隠そうともせず、ため息混じりに愚痴をこぼした。

 教団での一件からの帰宅後、覚えている範囲を都合よく切り取って小次郎に報告した。後のつじつま合わせはドラゴンとハッピーに任せるしか無い。

 それはそれとして、と前から不思議に感じていたことを良介は口に出した。


「なんでハッピーはバンドを続ける気になったんですかね? 鼻っ柱ぶん殴られてるんですよ?」

「それは本人に訊かなきゃわからんが、それを結果的に我慢するほどの魅力があったんじゃねえのか」

「なんかつまらなそうな顔して木魚みたいに叩いてましたけど」


 それは言ってやるなと小次郎は苦笑する。


「宗教団体の長ともなればプレッシャーも大きいんじゃねえのかな。知らんが。そこから解き放たれる唯一の手段がバンド活動だとしたら」

「それはロマンチックに解釈しすぎじゃないですかね」


 ロマンチックという言葉が面白かったのか、小次郎は屈託のない笑顔を見せた。


「まあ、それでも結果まとまったようで良かった。良介君、世話をかけたな」

「全くです。もうこりごりです。二度とごめんです。金輪際、バンド内の人間関係には関与しないことを誓います」


この誓いはすぐに破られることになるのだが、今の良介にそれを知る由はない。


「それはそうと、わしのフェンダーを君にやる。アンプごと丸々もらってくれ。いらなければ誠也に上げてもいい。10年後には弾きまくっておるじゃろ」


 軽い口調の勧めに、良介は眼の前が歪んだ気がした。

 小次郎の回復は確かに早い。医者や作業療法士が目を瞠るほどのスピードで立つことができるようになった。それはひとえに、もう一度ギターを弾けるようになるまで頑張るという精神的な支えがあったからなのではないか。下半身のぎこちない動きも、一週間で元通りになった。この年齢でこの回復力はただごとではない。

 それでも左手だけは、入院から2週間経った今でも動かすことすらできないのである。ギターどころか、自分の意志では指一本動かすことができないのだ。その労苦や絶望を推し量ることはできないが、諦めることはしてほしくなかった。


「お義父さん、ダメですよ。そんな弱気なことを言ったら、必ず良くない影響が出ます」


 小次郎は目をぱしぱしと瞬いた。


「何か勘違い、というか期待してないか。わし、バンドは続けるぞ」

「え?」

「キーボード、シンセサイザーというのか。あの、肩から引っ掛けて立って弾くタイプの鍵盤楽器があるじゃろ。あれなら右手でしか弾けなくてもカッコいいんじゃないか」

「お義父さん、鍵盤、弾けたんですか」

「いや、まったく」


 根拠なき自信に溢れた老人の顔は輝いている。


「そもそも触ったことがない。だから両手で弾けるわけがない」

「それはまあ。まあ、それは……」

「左手が動かない理由を予め観客に知らせておけば、わしが右手でしか弾けないのもおかしくはない。というか感動的じゃろ」


 良介も我知らず目をぱしぱしと瞬いた。この義父は、あろうことか自分を苦しめている障害を、ライブステージの演出に利用するつもりだ。


「ライブが楽しみじゃ。感動は当たり前として、大きな話題を呼ぶぞ、きっと」


小次郎は車椅子から立ち上がり、また座るという運動を繰り返している。ヒマさえあればリハビリに励んでいるのだ。


「……あなたという人は……」


 思わず呆れたような笑いが溢れる。義父を見る目には、掛け値のない称賛の色が浮かんでいた。


「だけどそうすると、問題があってな」

「はい」

「ギターがいないんじゃ」


 良介はまた明日来ますああ忙しいさようならああ忙しいと早口でつぶやきながら立ち上がって病室を出ようとした。


「待て待て待て。良介君に弾いてもらおうという訳じゃない」

「あ、そうなんですね」


 安堵の色を隠さず椅子に戻る。


「帰ったら良枝と晴香にも訊いておいてほしいんじゃ。ギター弾ける老人知らんかと」

「何か条件ありますか?」

「特に無いが、ロック好きならなお良し。コードなんか3つも知ってれば十分」

「スタジオ代もかかりませんし、誰かしらいるとは思いますよ。ドラムとベースが見つかったんですから」


 そうじゃな、と小次郎は車椅子を漕いでベッドに近づき、器用に乗り移った。


「なにしろわしの目的はギターを弾くことじゃない。誠也にカッコいいとこ見せてやるために頑張ってるんじゃ」


 ありがた迷惑という言葉をご存知か、と良介は心の中で応える。


「そう考えると、この試練は、感動的なステージを演出するために神様が授けてくれたチャンスと思えなくもないわな」


 そう言って小次郎は目を閉じた。ほんの数秒後には静かな寝息を立てている。積極的なリハビリで疲れているのだろう。良介は起こさないよう静かに掛け布団の乱れを直しながら


「多分、その神様も苦笑いしてますよ」


 と穏やかな寝顔に向かってつぶやいた。

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