めんどくさいんでそれで行きましょう

 ギターのネックを振り下ろす合図と共にシンバルが鳴り響く。長くて短い3分と少しの曲が終わった。

 一曲通しての「GET BACK」がこれほどの感動を生むとは夢にも思わなかった良介は、平均年齢79歳強のロックバンド「Old Holmes」に惜しみのない称賛を贈った。


「おためごかしはやめろ」


 一週間経っても大西“KOZY”小次郎(78)の機嫌は治らない。顔が紅潮しているのがその証だ。

 バンド名の和訳を「老ホームズ」、即ち年老いたホームズと教えられたものの、実際には「老人ホーム・ズ」だったことへの憤りがその原因である。


「しかし、KOZYも『老人であることを武器にする』という提案に乗ったじゃないか」


 バンド名の提案者でもある真田“ドラゴン”隆(82)がKOZYをなだめた。


「いつまでも犬のチンポコみてえな顔色してると、近い内に脳梗塞起こすぞ」


 最年長ということもあってか、諌め方にいやな説得力がある。納得したのか顔色の指摘がいやだったのかKOZYの顔色から赤みが抜けてきたが、


「おこなのですか? KOZY、激しくおこなのですか?」


 という間抜けな声により血流が雑に復活した。この間抜けな声の持ち主はドラムス担当の本条“ハッピー”幸雄(79)である。


 この人は一体どこからこういう時代が止まった言葉を引っ張り出してくるのだろうかと良介は訝しむ。化粧とかつらをして黒い服しか着てこないせいか、底が見えづらいというか、日常生活を送っている様が想像できない。炊飯ジャーからご飯をよそうとか、トイレ掃除をするといった風景が浮かんでこないのだ。分かっているのは糖尿病患者である、ということくらいか。

 良く言えば浮世離れしているし、悪く言えば見たまんまの蝋人形なのだが、音楽以外で深入りするつもりがない良介にとって、現時点では大した問題ではなかった。


「怒らないわけがないだろうが。古臭い言葉使いおって」

「私の周囲では、みんな普通に使っていますが」


 心の底からどうでもいい応酬が始まりそうだったので、良介は口を挟んだ。


「問題はまだまだあります。前を向きましょう」


 実際のところ問題しかない状況である。やっとGET BACKの演奏が形になっただけだ。次の曲を決めないと、ライブハウスに集まった観客に制限時間の限り連続してGET BACKを叩き込む羽目になる。カネを払って集まった客からしてみれば、地獄に落とされたか時間を巻き戻す攻撃を受けたレベルの苦痛であり、国が国なら銃撃されることうけあい。

 だが、今のレベルでスムーズに取り組めて、メンバーが寿命を迎えるまでに形になるような曲はあるのだろうか。これが第一の問題点。


 二つ目の大きな問題は、ボーカルがいない点。良介は、下手くそなバンド演奏をごまかすにはパワフルなボーカルがいれば良しという極論の持ち主であった。

 だが残念なことに、数曲を歌い続けることができるような体力がある者はいない。必要なのは音程ではなく、真後ろで鳴り続けるドラムの音に負けない声量なのだ。

 その為には腹筋に力を入れて声を出す必要がある。声の出元はあくまでお腹、喉は空気の通り道にしなければならない。それをせずに喉で大声を出すとどうなるか。

 通常は3分も持たずに金切り声になり、咳が止まらなくなるのである。年齢もあるのでもっとひどいことになるかもしれない。もしステージでそんなことになったら、統括者は誰だと警察が動く可能性もある。


 なにより最大の被害者は、老人の血がほとばしるような金切り声、すなわち断末魔を大音量で浴びせられた観客であることは間違いない。もしそれを幼い誠也が目の当たりにしたら、と考えるだけで良介の迷いは大きくなる。


 そして最後に、発注をかけたというホームページ用の写真である。この老人たちに「写真を撮りますよ」と言ったところでカメラ目線のバストアップ写真しか撮らせてはくれないだろう。

 それはそれで縦297ミリメートル横210ミリメートルのA4正寸に引き伸ばされ仏間を彩るという使いみちがあるかもしれないが、バンダナとサングラスをしている遺影というのは、良介の記憶の限りには無い。

 必要なのは活動的な、演奏している最中の写真である。だが、疲労困憊の老人バンドマンの写真を、世間様にお見せしてもいいのかどうか。首吊り死体に見えるベーシストは、閲覧注意項目にカテゴリーされるのではないか。虐待と捉えられる恐れはないか。マスコミが押し寄せてくるのではないか。


 大きな三つの山を見上げ、先程「前を向きましょう」と言い放った良介は最適解を導き出した。


「やめましょうか、バンド」


 KOZYが良介に近づき、割と強めにマイクで頭を叩いた。おまけに電源が入っていたので、ガレージ内にドラのような大音量がおんおんと響く。


「いいから次の指針を言え」

「では、ホームページ用の写真を撮るか、次の曲を決めるか、誰がボーカルをとるか決めましょう」

「どうやって」

「じゃんけんで。KOZYが勝ったら写真、ドラゴンならボーカル、ハッピーは次の曲を決めてください」


 めんどくさいんでそれで行きましょう、はい、と良介は手を叩いた。


「……あいつ今、めんどくさいんでとか言わなかったか」

「言ってましたね。ぞんざいに手、叩いてました。神をも恐れぬ所業」

「最近、ガレージと家の中でわしに対する態度が露骨に違うんだよな」


 わやわやと文句を言い合い密集する老人たちに追い打ちをかけるように、良介のカウントダウンが始まる。最近、ガレージ内では良介が主導権を握ることが多い。家の中では手も足も出ないが、音楽の前では皆平等。そして少しでも知識のある者が仕切りだすのは当然のことであった。


「はい、じゅう」

「覚えとれ、貴様」

「はい、ろく」

「誰が何だっけ」

「はい、よん」

「私は写真の」

「さん」


 場に集まった手はパー、グー、グー。KOZYの一人勝ちだった。

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