第40話 エメラルドの瞬き

※ ※


 軍施設内の某所。暗がりの中、三人の男が話している。


「ガルトマーンも本当に居場所を知らないようだが……どういうことだ」

「分かりません。情報はすべてシャットアウトしていたのですが、どこに隠れやがったのか」

「必ず見つけろ。ただし絶対に殺すな。あれがいるから、ガルトマーンをコントロールできるのだ。万が一にでも逃すようなことがあれば、計画がすべて狂う」

「はっ。全力で」


 男のうちの一人、二メートルを超える巨漢の男が、部屋を出ていった。

 それを見送った男が、別の男――白衣を着た初老の男に目を向ける。


「ナプザック博士。計画はどうなっている」

「はい、回収したパイロットの『再調整』も済み、12機のモーターディエスのすべての準備が整っております。いつでも」

「ようやく、か。もうやつらに『神面』させておく時代は終わった。この宇宙は人間が支配するべきものなのだ。『ディーシール計画』を実行に移す」


 ナイフでえぐる様な声でそう言うと、痩身の男――エイジア軍大将、ワン・シーピンは暗い部屋を出ていった。


 白衣の男――ナプザック博士が、その後姿を見送った後でふっと息を吐く。


「本当にやれるんだな、ウィル」


 独り言のようにつぶやいた博士の脳内に、無感情なハスキーボイスが響いた。


『その為に、お前に何十年と手を貸し続けてきた。しかしそれも、もうすぐ終わる。お前は名誉を手に入れ、私は』

「名誉などいらん」


 脳内の声を遮るように、ナプザックが小さく叫ぶ。


『妻と子を奪われた、その復讐、か。人間とは不思議なもの。だがそれもよい。お前の本懐を果たすがいい』


 それきり、声は聞こえなくなった。


※ ※


 郊外と思しき場所に建つ少し大きめの屋敷は、その持ち主の身分からすれば随分とつつましやかなものである。その二階の窓から、一人の少女が外を見ていた。

 いや、正確に言えば『見て』はいなかった。少女の目は開いてはいたが、くっきりとラインの入った二重の目の奥にあるオリーブグリーンの瞳には、取り入れた光を神経へと伝達する能力がない。

 ブラウスとスカート、浅黒い肌を隠すように頭には黒いベールがかけられている。やや赤みがかった黒い髪が透けて見えているが、それは随分と手入れが行き届いていた。


「いよいよね。魂が震えそう」


 それは独り言だったのか、それとも、部屋の真ん中に立つ長身の女性に向けられたものだったのか。


 その長身の女性は、流れるようなロングヘアを頭頂から脚の中ほどまで垂らしている。あごのラインは細く、精悍な顔つきをしていて、ゆったりとしたローブをまとったその姿を見れば、知っている者であればきっとルナーのナイトランダー、カグヤ・コートライトを思い浮かべるに違いない。


 しかしその女性とカグヤとの間には決定的な違いが二つあった。一つは髪色。カグヤの髪色は銀色であるが、その女性は金色である。そしてもう一つが、顔にアイマスクをしていないことだった。


 窓から入り込む朝の光が部屋の中に入り込んでいたが、ちょうどその女性の胸元で切れていて、顔は薄暗がりの中に隠れている。しかし、その暗がりの中、その女性が持つ瞳だけが、エメラルドグリーンに瞬いていた。それは瞼の開閉によるものではない。光の反射でもない。瞳そのものが光を発していて、それが周期的に強弱を変えているのだ。


「アイサ・レヘル。お前は、プラヴァシーであるにもかかわらず『神封じディーシール』に協力をしてきた。つくづく人間というものは」

「ウィル、あなた間違ってる」


 長身の女性が放つ無感情なハスキーボイスを、盲目の少女の、そのあどけない声とは対極にあるとげとげしくも毒々しいニュアンスを含んだ声が遮った。


「やっているのはアイサ、協力しているのがあなた。それにアイサは『人間』なんかじゃないよ。遥か昔、人間の数を減らすためにあなたが作った『人間もどき』の肉体に偶然棲みついた『何か』、でしょ?」

「お前のその体はもう『人間』のものだ。中身がどうであれ」


 ウィルと呼ばれた長身の女性の言葉に、アイサは「ふん」と鼻を鳴らした。


「『神』は死なない。その肉体が消えても、また現れる。『存在理由』が存在し続ける限り。その『存在理由』であるプラヴァシーは、肉体が消えてもまた生まれ変わり、再び存在し続ける。だから『神』は死なない。なんて理不尽でずるい存在なの! そう思うよね、ウィル」


 窓の外を『見て』いた少女が振り返り、ウィルの方へと顔を向ける。見えていないはずの目が、エメラルドに瞬くウィルの瞳をまっすぐに見据えた。


「人間が滅びれば、その輪廻もなくなる。『神』を殺したいのならそれが一番確実だ」

「それじゃだめ。アイサが望むのは、『彼』が誰にも愛されることなく、ただひたすらに孤独という絶望の淵で悠久の時を過ごす世界よ。『彼』を愛するものはすべて、この世界から消えてもらうの」


 アイサの言葉に、ウィルの喉から規則正しい小さな破裂音が数回発せられた。


「あら、AIも笑うのね」


 その音は、およそ笑い声には聞こえない物であったが、アイサはそう判断したようだ。


「ああ、ウィルはAIじゃなくて『情報生命体』だったっけ。それにしてもその体、シリコン製なのによくできてるね」


 アイサの言葉に込められた毒は、しかしウィルには効果がない。


「ただひたすらに一つの存在だけを想い続ける。『愛』と『憎』、その違いは何であろうな。お前はコノエを『愛』している」


 真意か皮肉か、判別しがたいウィルの言葉に、アイサは軽く口元を上げた。


「そう、じゃあアイサの存在も消さなきゃ。でも、それは彼が孤独になった後。あのランダー達にはさっさと『退場』してもらうの。あ、『退場』じゃなくて、『封印』だっけ」

「重力の檻の中に閉じ込めるのだ。後者の方が正しい」


 ウィルは部屋の真ん中で微動だにせず、ただ口を動かし言葉を発している。アイサにはその異様さは見えていないのだが。


「どっちでもいいよ。また、人間がいっぱい死ぬね」

「そうだ」

「定期的に人間を減らし、増え続ける全体数を制御する。それがあなた達、ムイアンのやりたいことでしょ」

「『我々』ではない。それはコートライトの考えだ」

「ああ、ウィルは性懲りもなく『人間もどき』を作ろうとしてるんだっけ。アイサの時に失敗したのに、まだ考え方を変えてないのね」

「戦争は時に不測の事態を起こす。確定的な制御には生殖をコントロールする方法が一番良いのだ。しかしそれには、ランダーの存在が邪魔だ」


 アイサは、ウィルがすべてを言い切る前に、興味なさげに窓の方に向き直る。


「トゥールン様が屋敷からいなくなったって、ほんと?」

「軍が必死になって探している」

「バカね。トゥールン様がいようがいまいが、ヤナは動かないよ。ヤナの行動原理はトゥールン様じゃない。アイサなんだから」


 その見えない目で、アイサは窓の外に何かを見つけ、ふっと微笑んだ。

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