第34話 遥か昔のおとぎ話

 遥か昔、人間が文明を持つ以前から人間とともにこの地球に存在し、歴史の裏舞台を渡り歩いてきた存在がいた。

 老いることも死ぬこともなく、様々な超人的な能力を持つ彼らを、人間は『神』と呼び、そして崇めていた。


 彼らが『表舞台』に出てきたのは、その歴史の長さに比べればそれほど昔ではなく、『わずか』数百年前のことでしかない。


 産業革命後の急速な工業化が指数関数的に加速し、十年単位で世界が変容していく中、超高度情報社会の到来とともに『ムイアン』が誕生したのが、その切っ掛けだった――


「実際のところ、アタシたちにも『ムイアン』の正体は分からなかったのよね。AIの一種と言われていたけど、本当のところはどうかしら。アナタはムイアンのことを『情報生命体』と言っていたのだけど」

「オレが?」

「ええ、そうよ」


 フィスの指が、ツバキの体をなぞる。ツバキは一つ、体を震わせた。


「脳を行きかう情報が意識を生み出すのなら、ネットワークを行きかう情報が意識を生み出しても不思議じゃない、とかなんとかアナタは言ってたわ」


 大国の政治にすら影響を及ぼした『ムイアン』は、やがて『神』と『人間』の両方を滅ぼそうとした――


「なぜ?」

「さあ。アタシに聞かないで」


 フィスが肩をすくめる。


『神』とムイアンとの戦い――しかし、そうはならなかった。『神』たちは、二つに分かれ、戦いをし始めたのだ。


「仲間割れ?」

「んー……そもそも、アタシたちに『仲間』意識なんかないのよ。そこをムイアンに付け込まれたのね。それはひどいものだったわ。そして最後まで残ったのが、十三体――今いるランダーよ」

「え? ランダーも死ぬのか?」

「ランダーの『死』は、肉体ではなく精神。精神が生きている間は、肉体が滅びても何度でも甦るのよ。でも、精神が崩壊したら、二度と蘇らなくなるわね」


 ツバキが唐突にフィスの二の腕を触る。


「もっと違うところを触りなさいよ。つまらないじゃない」

「いや、そういうんじゃなくて」


 張りと弾力のある皮膚。色以外は、若い人間のそれと変わらない。


「世界はムイアンの意向通りに進んでいた。そしてムイアンは、『人口抑制計画』をスタートさせたのよ」

「……なに、それ」

「DNA操作により、生殖能力のない『人造人間』を作り出し、人間と入れ替え、増えすぎた人間の数を減らすという計画よ」

「何か大量殺戮兵器でドカーンとかじゃなく?」

「それじゃ、地球が壊れちゃうでしょ。ムイアンは『人口の静かな減少』を狙ってたのよ」


 フィスの言葉に、ツバキは少し考えをめぐらし始める。フィスはそれにお構いなしに、ツバキの体への愛撫を続けた。


「でも、それだと『抑制』どころか『滅亡』するんじゃないのか?」


 その愛撫の効果があまりないのを、フィスは少し苦々しく感じたようだ。眉間にしわを寄せる。


「そうね。ムイアンの狙いが本当に『抑制』だったのか、それとも本当は『滅亡』だったのか。それもアタシには分からないわ。でも、アタシたちは人間と協力し、ムイアンをこの世界から退場させた。その『協力者』の一人がアナタ、コノエよ」


 ツバキから手を離すと、ツバキの目をまっすぐに見つめ、そう言った。


「オレが? そんな記憶ない」

「ホント、不思議ね。アナタって、どれだけ生まれ変わっても、『前世』の記憶を忘れずにいたのに、今回に限って、なぜ?」


 ツバキが『コノエ』としての記憶を失っている原因は、フィスにも分からないようだ。

 いや、そもそも人間がそんな『前世の記憶』を持ち続けること自体、ツバキにとっては信じられないことで、フィスの話もどこか遠い世界のおとぎ話かSF小説にしか聞こえなかった。


「なぜって言われても」

「特に。『恋人』のアタシのことを忘れてるなんて、ありえないわ」


 しばらく二人の間に沈黙が走る。


「恋人?」

「ええ」

「オレとフィスが?」

「そうよ」


 もしそうだとして、あまり考えたくない状況がツバキの脳裏に浮かんだ。


「オレとルースは?」

「んー、アタシたちほどじゃないけど、恋人かしら」


 きっとフィスの話には随分な『フィルター』がかかっているだろうと予想できたが、それにしても――ツバキは『コノエ』のクズっぷりにため息をつく。


「……オレ、どういう男だったの?」

「んー、まあ、今と性格は同じかしら。そういう点で言うと、肉体が変わっても、アナタはアナタね。変わらないわ。少しはアタシのことも楽しませてよ。久しぶりなんだから」


 フィスがまた、ツバキに顔を寄せた。


「待って、待って。もう少し教えてくれ」


 ツバキの言葉に、フィスの顔が『お姉さん』のものに変わる。『この子ったら、仕方ないわね』とでも言いたげだ。


「ムイアンは様々な科学技術を人間にもたらした。例えば、次元ドライブや重力制御は人間が発明したんじゃない。ムイアンの『遺産』よ。それらが人類の膨張を加速させるだろうことは容易に想像できた。だからアタシたちは、表舞台に立つことにしたの。人類が滅びの道を進まないように、ね。人間と契約を結び、人間を、そして世界を護るため、アタシたちは『舞い降りる守護者』ナイトランダーとして生きることにしたのよ」


 話し終わると、フィスはツバキに深いキスをした。


「さあ、これで満足かしら?」

「も、もう一つ。コノエは、ヤナ・ガルトマーンのプラヴァシーに随分恨まれてたみたいなんだけど、なぜか、わかる?」

「ああ」


 一瞬、フィスの視線が上に向く。そして下げた視線が『それ聞く?』と尋ねている。ツバキはもちろん、それに頷いた。


「アイサって子ね。あれは元々、ムイアンが作った『人造人間』だった子よ。ヤナはね、あの子のために、アタシたちのどちらでもなく、ムイアンに味方した」

「……そんな人もいたんだ」

「まあ、ヤナはアタシたちとは少し思考回路が違うみたいね。でもヤナは生き残った。ただ、ムイアンとの戦いの後、アイサをどうするかという話になってね。結局、ヤナは幽閉され、アイサにはロボトミー手術が施された。それを決めたのが、アナタだったのよ」


 まるで子供に聞かせるようなおとぎ話だ。


「そのアイサって子が」

「今のヤナのプラヴァシーね。その時のことを忘れずにいるみたい。もう何百年も前のことで、彼女も何度も生まれ変わってるはずなのにね。執念、いや怨念かしら。それとも」


――元々人造人間だったのよ。人間を超える何かをあの子は持っているのかもね。


 フィスは、ツバキの耳元に向け吐息交じりの言葉を吹きかける。


「さあ、いっぱい楽しみましょうか」

「あと一つ、あと一つだけ」


 しかしツバキの制止に、さすがにフィスも不機嫌さをあらわにした。


「これ以上は後にして」

「『コノエ』の恋人って、ルースとフィスだけだったのか?」

「いえ、他にもたくさんいたかしら」

「た、たくさん?」

「アナタ、誰にでも優しかったから。ああ、そうね、ただ『人間』の恋人は後にも先にも一人しかいなかったかしら。でも、もうそれも、遥か遠い昔の話よ」


 フィスはそう言うと、「もう質問タイムはお終い」とツバキの唇を押さえ、ツバキのまだ成熟しきっていない小麦色の体を抱きしめた。

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