第28話 引き裂く力

 初老の男、ナイトランダーであるヤナ・ガルトマーンが放った『光線』を、その身に纏うバリアのようなもので弾き防いだ少女は、その顔に何の表情も浮かべることなく、そのままヤナに対峙している。

 濃紺のパーカーシャツと短めの黒いスカート。まるで公園で遊んでいた少女がそのままこの場に来たような、そんな格好だった。


 宙からわき出るように現れた少女を見て、ヤナが右手を下ろす。この場にいる「人間」は皆、彼女の出現にある程度の驚きを見せていたが、ただ一人、ヤナの横にいるゴーグルの少女だけは、顔色一つ変えず、ヤナの左腕に腕を回したままだった。


「邪魔をしないでもらおうか、キリカ・ファーシア」


 ヤナが、威圧的な声を少女に掛ける。


「お断り」


 しかし、キリカと呼ばれた少女は、それを一向に介すこともなく、そう返した。

 紫色のリボンでくくられた上向きのツインテールが、ふと風に揺れる。そのキリカに助けられた大男――キャプテンが、彼女に低く小さい声で囁いた。


「エイジアのナイトランダーか」

「そう」


 その返事に、キャプテンは肩をすくめながら「助かった」と漏らす。


「ではどうするのかな、キリカ。君一人で、四人もの人間を私の攻撃から護ろうというのかね。生死を問わず。私が受けた命令は、そうなっている。君ら全員もろとも、吹き飛ばしてもいいのだが」


 ヤナがゆっくりと、その場にいる人間――キャプテン、サガン、ユウ、そしてツバキを見た後、キリカに視線を戻す。


「誰を護るのかな」


 その言葉に、キリカの頬が少し動いた。


「ヤナさん、ですよね」


 突然、ツバキが声を発した。ヤナは眼だけをツバキの方へと向けたが、それ以上の反応を見せない。ツバキはそれを気にすることなく言葉を続けた。


「貴方はオレのこと知らないかもしれませんが、オレは貴方を知っています。あの時、ティシュトリアがまさにここで攻撃を受けた時、貴方のガルーダがオレたちを助けてくれた」


 ヤナが軽く手を上げ、ツバキを制止する。


「ルース・メガラインには伝えたはずだ。君らを助けたわけではない、と。それに、君をよく知っている。私も、そしてこのアイサも。そうだろう、コノエ君」


 そう言うとヤナは、先ほどから一言も発することなく自らに寄り添うようにしてる少女に目を向けた。その少女は、ゴーグルの奥からずっと、ツバキを見つめている。


 しかしツバキには、彼の言葉が理解できなかった。


――よく知っている? 確かに高速エレベータの入り口で一度目線が合った。しかしそれだけだ。言葉を交わすのはこれが初めてだし、それに……


「いやオレの名前はツバキです。『コノエ』では」


 しかしそこまで言って、ツバキははたと気が付いた。


――コノエ。フラッシュバックに出てきた名前。そして、ルースのプラヴァシーとして登録されている男性……彼は『コノエ』を知っている。


「コノエとは、何者ですか」

「……覚えていないのか?」


 ツバキの問いかけに、ヤナがこれまでに見せたことのないような、少し驚いた表情を見せた。


「覚えて? いえ」

「なるほど、君は先の戦いで、ルシニアに」


 何かが、分かる。そんなツバキの予感を、心の奥底から絞り出すような声が遮った。


「ふざけないで!」


 皆の視線が声の主――視覚補助ゴーグルをつけた少女に注がれる。


「アイサ、やめなさい」


 ヤナが彼女を制止しようとしたが、少女は怒りの表情を隠そうとも、その叫びを止めようともしなかった。


「ヤナやアイサのこと、覚えてないなんて、そんなはずないよね? あれだけのことをしておいて、忘れただなんて言わないよね?」

「アイサ」

「アイサは、忘れたことなんか一度もない。何百年経とうが、あなたを……あなただけは絶対に許さないんだから、コノエ!」


 そろそろ林の中に差し込む日の光も、ごく僅かになってきている。暗くなった木々の中に、アイサの叫び声だけが響き渡った。

 ヤナがアイサを抱きかかえる。その場にいた皆が草の中、張り詰めた場に縛られたように動けないまま、この場の成り行きを見守っていた。


「失礼した。君には身に覚えのないことだろう。気にしないでくれ」


 ヤナはそう言ったが、しかし、隠しようもないほどの負の感情が少女のゴーグルの奥から自分に向けられている。そのことを、ツバキは強く感じ取っていた。


「オ、オレは……」


 確かに身に覚えはない。しかしなんだろう。この、呵責に満ちた感情は……


 ツバキは少女の顔を見るのがつらくなり、つと視線を逸らした。


「君がどうあれ、私のやることにはかかわりのないことだ。その女性を、こちらに渡してもらおう。これが最後の『交渉』だ」


 ヤナの声は重く、そして冷たい。ツバキは一旦、アイサという少女の感情を頭から追い出し、更に食い下がった。


「待って下さい。彼女は、ユウは、スクードゲイルを撃沈し、ティシュトリアを襲撃した機動兵器のパイロットだ。その彼女をエイジアが探し、捕まえようとしている。なぜですか。貴方なら、その意味が分かるでしょう。そして、ここでティシュトリアが攻撃された原因も、その首謀者も、知っているはずだ。エイジアの誰ですか」

「なんだって?」


 キャプテンとサガンが同時に驚きの声を上げた。しかしヤナ・ガルトマーンはただ「それで?」という言葉を返しただけだった。


「それでって。それを知ってなお、ユウを連れて行くんですか」

「私は、掟と契約に基づいて行動するのみ。それがナイトランダーの務めだ。私情を挟むつもりはない。それは君に対しても同じこと。私たちがどれだけ君を許せないと思っていても、それは私の行動には影響しない。かといって、例えルシニアが私を報復対象にするとしても、私は君を消し去るのに躊躇もしない」


 そう言うとヤナは、右手を前に差し出す。

 キャプテンが「キリカ」とつぶやいたが、ツインテールの少女は「無理」とだけ返した。


「コノエとは……コノエとは、どんな人物ですか。貴方たちと何が」

「それはルシニアに聞くべきことだ。君が生きてここを出られたらの話だが」


 ツバキは後ろ手でユウを庇うようにする。しかしそんなことをしても、ユウを護れるとは思えなかった。

 いや、キャプテンやサガンはおろか、ナイトランダーの一人であろうはずのキリカにも、手の打ちようがないように見えた。


――無理なのか。


 ツバキがそう思った瞬間、庇っていたツバキをユウの手が押しのける。


「我が行かば、それで良いのだろう?」


 そう言うとユウは、ゆっくりとヤナの方へと歩き出した。


「ユウ!」


 ツバキが声を掛けるが、ユウはそれには反応しない。


「それでこの者たちは、無事でいられるのか」


 一旦立ち止まり、そうヤナに尋ねた。


「私の任務は、貴女を確保すること。他にはない」


 そのヤナの言葉に、ユウはまた歩き始める。


「待って、ユウ!」


 思わず駆け寄ったツバキが、ユウの腕を取った。ユウがゆっくりと振り向く。暗闇の中、ユウが軽く微笑んだ。

 と、ユウの顔がツバキに近づく。ユウの唇がツバキの唇に触れた。


「我はそなたを忘れない。ツバキ」


 呆然と見つめるツバキにそっと囁くと、ユウはもう振り向くことなく、ヤナのもとへと歩いて行った。


※ ※


「キサラギ伍長」


 サガンが声を掛けても、ユウを連れてヤナとアイサが消えた方向を、ツバキはずっと見つめていた。

 己の無力さを、ユウの唇が触れた自分の唇と一緒にかみしめる。唇に残るユウの感触に、血の味が加わった。


「大尉、統合司令本部の命令、裏にいたのはエイジアですよね」

「ああ、そうだろう」

「おめぇさん、どうすんだ。俺たちと一緒に来るか?」


 キャプテンもツバキに声を掛ける。その声に向けたツバキの瞳を見て、キャプテンは一瞬息を飲んだ。


「オレのことをルースに伝えたのは、貴方たちですか?」

「ああ。ルースに頼まれて、おめぇさんを探し出したのは俺たちだ。だからルースはおめぇさんを迎えにミドルスフィアに来たんだよ。ただ、その情報がエイジア側に漏れていたらしい。ナイトランダーと合流する前に、おめぇさんを消そうとしたんだろうが……ルースにおめぇさんを殺させようとしたんだろう。なぜそんな回りくどいやり方をしたのかは、俺には分らんが」

「プラヴァシーを直接殺せば、ナイトランダーの報復対象になるから」


 キリカが呟くように、キャプテンの言葉を補足する。


「なぜオレがそこまで狙われたのか、分かりますか? オレは一介の軍人に過ぎなかった。エイジアに恨まれる覚えはないし、あの様子だとヤナ・ガルトマーンが原因でも無いようです」

「さあな。キリカはどうだ?」


 キャプテンに話を振られたキリカは、しかし肯定も否定もしなかった。


「君は何か、知ってるのか?」


 その様子を見て、ツバキがキリカに問いかける。キリカはふと、どこか寂しげな表情をツバキに見せた。 


「多分、『コノエ』になら分かる」

「君も『コノエ』を知ってるのか。一体、『コノエ』とは」


 そこまで言ったツバキの言葉をキリカが途中で遮る。


「キリカはお前を助ける。でもそれは、

「なぜオレを助けてくれる。自分で思い出せってことは、やっぱりオレが『コノエ』なのか?」


 しかしキリカは、それ以上ツバキの問いかけに答えることは無かった。


「色んなことが繋がりました。すみません、色々ありがとうございました」

「何もできなかったけどな」


 ツバキに礼を言われたキャプテンがそう言って肩をすくめる。


「また、会うこともあるだろうよ」

「ええ。大尉も、ここでお別れです」

「伍長、君はどうするんだ」

「エイジアからユウを取り返す。何をしてでも。どんな手を使っても。だからオレは、ルナーに戻ります」


 そう答えたツバキに、サガンは何か言おうとしたが、ツバキの目を見てそれを止めた。

 そしてツバキは一人、すっかり暗くなった林の中を、外に向けて歩き出した。

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