第8話 愛か、憎しみか

 ルースの言葉を消化するのに、少し時間がかかった。

 因果関係がつながらなかったからだ。


「いや、助けたからって、あの時オレはもう女……」


 そう言いかけて気が付いた。

 ルースが言っているのは、あの男たちに襲われそうになった時のことじゃない……


 ルースはその紅い眼で、俺をじっと見つめていた。

 この眼。

 やはり、見たことがある……


 そう、あの時『仮面』の下から俺を見ていた、『死神』の眼だ。


「お前……あの時の……『死神』なのか……そんな……そんなことって……」


 ルースが、みんなを、そして隊長を殺した『死神』だというのか?

 俺は、俺は、その『死神』を好きになっていたというのか?


 頭の中はパニック状態だった。


 ルースを突き飛ばす。ルースはその拍子に床に尻餅をついた。

 立ち上がって、扉の方へと後ずさりする。

 床から見上げるルースの、懇願するような眼を見ても、俺の凍り付いた心はこの場からの逃避を叫び続けていた。


 後ろ手に扉に触れる。

 扉が開く音がした。


 俺を引き留めるルースの声が聞こえたが、俺はそれを振り切るように部屋を飛び出す。

 外への扉をでたらめにたたくと、蒸気を吐き出すような音を立てて開き出した。

 全部開くのを待つことなく、できた扉の隙間から体を外へ出す。

 朝の光が、辺りを照らしていた。


 近くの茂みへと走る。

 走りに走る。どこへ向かっているのかもよく分からない。ただ、走る。

 茂みに入っても走り続け、そして何か硬いものにつまづいて転んだ。


 起き上がってまた走ろうとして、つまづいたものが目に入る。


「そ、そんな……」


 俺はゆらゆらとおぼつかない足取りでそれに近寄り、膝をついて、それに手で触れた。

 戦闘の最中さなかに捨てた、ずっしりとした質量感で鈍い光を放つ、『帚星そうせい』のグレネード射出機だった。


 記憶を頼りに、茂みの中を歩く。

 茂みを出ると、正面にはグレネードの破裂跡と、どす黒く変色した地面の染みが見えた。

 俺はその場にしゃがみこむ。


 ここは、俺が『死んだ』場所なんだ……


 足音が聞こえ、それが止まる。

 ゆっくりとその音の方に顔を向けると、『死神』が視線を俺から外して、立っていた。


「お前が、お前が皆を殺した」

「ボクは……ボクは『翼』を守らなければならなかった。ごめん」


 なぜ謝るんだ? お前は敵だろう?


「なぜ、オレを助けた」

「ボクには、キミが必要だから。キミをずっと探してた」


 必要? 俺が? 一体何に必要だというのだ。


「軍の機密情報でも聞き出したかったのか? 残念ながら、オレは下っ端の一兵卒だ。機密なんて聞かされてはいない」

「そうじゃ……そうじゃない」

「じゃあ、何なんだ? それに、なぜオレを女にする必要があった? お前を信用させる為か? そもそもどうやったんだ? オレの、この体は一体何だ!」


 俺はルースを睨みつける。

 ルースは、俺の方に目を向けると、俺の視線を悲しい目で受け止めた。


「出血がひどくて、キミの体はもう持たなかった。だから、キミの遺伝情報ゲノムを書き換えたんだ」

「な、なんだよそれ……そんなことが……そんなことができるのか?」


 随分と科学は進歩した。ゲノム編集だって、もうすでに行われている。実際、優秀な兵士のクローンを生み出しているという話も聞いていた。

 しかし、生身の人間のゲノムを書き換えるなんて、さすがにそんな技術聞いたことがない。


 多分、俺はあり得ないものを見るような眼をしていただろう。

 ルースは横目で俺を見ると、軽くうなづいた。


「ボクにはその力があるんだよ。キミのその身体は、代謝速度が速くて自然治癒力が高いリュナ族という種族のものだ。もう滅びてしまったけどね」

「聞いたことがない、そんな力も、そんな種族も」

「うん……地球人スフィアンじゃないから。ボクも、その女性も、ね。ボクの知っているゲノムの中で、キミの体に適合するリュナ族のものはそれしかなかった。女性になってしまったことはすまないと思っている」


 俺は自分の手を見、そして顔に触れた。


「これは、誰なんだ?」

「……遥か昔、リュナ族だった時のキミだよ。キミは女性である自分を随分嫌がっていたけど」

「オレ? オレは生まれた時から地球人スフィアンで男だ。宇宙人スペーシアンだったことも、女だったことも無い」

「今のキミが生まれる、もっと昔のことだよ」

「何の話を……」

「人は生まれ変わるんだ。そして、いくつもの人生を送る。だからキミを見つけるのに、時間がかかってしまった。でも、やっと見つけたよ」

「オレは、お前のことなんか知らない」

「ボクはキミを知っている。キミが生まれるもっと前から、ね」


 こいつは……こいつは、何を言っているんだ?


「お前は……誰なんだ? 宇宙人スペーシアンはおろか、人間ですらない……」


 俺の言葉に、ルースの表情が無機的なものに変わる。

 まるで、ちっぽけな人間を冷酷に見つめる、神のように。


「ボクは、ルース・メガライン。モーターカヴァリエを操る、ナイトランダーだよ」

「ナイト……ランダー……」


 数々の異能を持ち、大型の機動兵器≪モーターカヴァリエ≫を操る、宙空の騎士。星の守護者。

 惑星間戦争において、モーターカヴァリエは戦場の支配者であるが、その絶対的戦闘力は、異能の持ち主であるナイトランダーが操縦してこそ発揮される。


 けれど、そんな話、俺には無縁だと思っていた。その異能の持ち主たるナイトランダーが、俺の目の前にいるというのか?


「G弾」


 ふとルースが口を開く。


「ん? それがどうした?」


 G弾とは着弾地点に強い重力場を発生させる爆弾だ。対象物をその強い重力で破壊するだけでなく、半径ニ十キロのエリア内では人間が住めなくなるというシロモノで、星間条約で惑星への使用が禁止されている大量破壊兵器だ。


「もうすぐここに撃ち込まれると思う」

「なっ……なんだよそれ。どこが?」

「エイジアの連中さ」

「何でそんなものをここに! アイランズ自治区はエイジア軍閥の一員だぞ!」

「ボクとティシュトリアを破壊するため、かな」

「ティシュトリア?」

「そう。ボクの『翼』、ティシュトリア。ボクが乗るモーターカヴァリエだよ」

「待て、そんなモーターカヴァリエ、聞いたことがない。さすがにオレも、十体あると言われるモーターカヴァリエの名前くらい知っているぞ」


「ボクはね、十一人目のナイトランダーなんだよ。しかもミドルスフィア、特にエイジアに敵対している、ね。だからエイジアのお偉いさんは、ここでボクを葬りたいのさ。多分キミたちは、ボクを足止めするために送り込まれたんだと思うよ」

「……嘘だ」

「本気で破壊する気なら、もっと兵力を投入するはずだ。もちろん、それでも通常兵器じゃかなわないだろうけど。なぜ、あの基地は放棄されたんだと思う?」


 G弾を使うつもりなら、分かる。重力の影響が出る範囲の外へ全部隊が退避したんだ。

 しかしそんなことは、あらかじめ準備していなければ不可能なことだった。


「キミたちはG弾を撃ち込むまでの時間稼ぎに使われたんだよ。キミたちも随分エイジアのお偉いさんに嫌われてたみたいだね……」


 確かに、アイランズ自治区はエイジアの一員でありながら、その独自性を保っている。エイジアの行政府に楯突くこともしばしばあった。でも。


「そこまでするのか……」

「最近、エイジアに属するいくつかの自治区が不穏な動きを見せているらしいから、アイランズを見せしめにしようとしているのだろう」


 認めたくない、そんな現実がルースの口から語られる。

 しかし、その話は、ここまでの軍の動きの不可解さを説明するのに十分な説得力を持っていた。


「嘘だ……」

「嘘かどうか、自分で確かめるといい。でも、ここから逃げないと、その機会も失われてしまうよ」

「お前は逃げないのか?」

「……逃げられないんだ」

「なぜ?」

「ティシュトリアの支援コンピューターがやられてしまってね。重力制御システムを動かすことができない。ボクには、重力制御の適性がないんだ。出来損ないのナイトランダーなんだよ。だから、ティシュトリアはもう、飛べない」


 彼は苦しそうに眉間にしわを寄せる。

 そして俺を、あの懇願するような瞳で見つめた


「キミが必要なんだ。単にここから脱出する為じゃなく、ボクが本当のナイトランダーになるために」

「どうして、オレなんだ?」

「ナイトランダーは、その能力を補う存在『プラヴァシー』がいて初めて、モーターカヴァリエの能力の全てを使いこなすことができる。ナイトランダーとプラヴァシーは相性だ。ボクのプラヴァシーはキミしかいない。ずっと、ずっと探してたんだ。仲間からキミを見つけたと聞いて地球ミドルスフィアに来た。でもまさか襲撃部隊の一員だとは知らなかったんだ。仲間のことは本当にすまないと思ってる」


 ナイトランダーは個人の戦闘力も超人的だと聞いたことがある。初めから相手がナイトランダーだと分かっていれば、ハーディ隊も全滅することは無かっただろう。

 それにルースからしてみれば、襲撃された以上、反撃するのは正当防衛と言える。

 分かってる。分かってはいるが……感情がそれを許さなかった。



「お前の言うことは、信じられない」

「信じなくてもいい。でも、キミでないとだめなんだ。キミはボクが持っていないものを持っているはずだ」


 異能と呼ばれる能力のいくつかは、それを持っている人間が存在する。俺もその一人だ。もちろん、モーターカヴァリエを操縦するにはいくつもの異能を持っている必要があり、とても一般人に操れるものではない。

 ただ、ルースが持っていないと言う重力制御能力を、確かに俺は持っていた。


 だから?

 まるで口説き文句のような言葉を掛けられ、「はいそうですか」と受け入れろというのか?

 ハーディ隊の仇である、この男を?


「断る、と言ったら?」


 俺の言葉に、ルースの表情は更に悲しげなものになった。

 その姿に、「戦場の支配者」と呼ばれるナイトランダーの面影はない。


 

「ここにG弾が落とされる。ここら一帯は、暫くの間、人間はおろか一切の生き物が住めないエリアになるだろう」

「お前はどうなる」

「ティシュトリアのバリアシステムは動かせるから、破壊されることは無いけど、重力場が消えるまでボクはティシュトリアと一緒に、ここに封じ込められることになる」

「いつまでだ?」

「分からない。G弾の性能にもよるけど、百年では済まないと思う」


 話が本当であるとしよう。ならば、このまま俺がここを去れば、ルースはここに封じ込められるということか。

 そして、俺の仇は討てたということになる……本当にそうだろうか?


 俺はなぜあの時、撤退しなかったのだ?

 それは、自らの手で、皆の仇を討つためだったはずだ。

 他の奴らに倒させる為じゃ、ない。


「キミが去るというのなら、止めはしない。また何百年かかっても、キミを探し出す。キミがボクのプラヴァシーになってくれるまで」


 ルースの眼は、冗談も嘘も言っているようには見えなかった。

 ただ、俺をまっすぐに、悲しげな紅い瞳で見つめていた。


 その瞳を見ると、俺の胸が熱くなる。

 この熱さは、何なのだろう。


 仲間を殺された憎しみ?

 今、もしハンドブラスターを手にしていたら、俺はルースに向けて引き金を引くだろうか?


 俺は、何も持っていない右手を上げて、ルースへと向けた。

 ルースの表情は変わらない。

 俺は、持っていない架空のハンドブラスターの『引き金』に、指を掛けた。


 そして指に力を入れる……


「お前は俺が倒す」

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