第5話 魔女の在り方

誰よりも優しい魔女

突然の事だった。

ほんの少し前まで空は青く澄み渡っていたのにも関わらず、まるで濁流のような雨が降り注いだ。


「この時ほど雨が嫌いになる事はないよね。」


「雨を防ぐ魔法陣か何かを作れ!」


「...使えたら使ってる。」


諦めたシオンは、ずぶ濡れになることを選んだ。


「せめて俺に強化魔法を掛けろ!」


「もういいよ...もう濡れたし。負荷もすごいし...」


「俺はこれ以上濡れたくないんだよ!」


テオが走っていると、道の脇に丁度いい大きさの、緑色の葉が生い茂った木が生えていた。


「とりあえずあの木で休むぞ!」


テオはすぐに木の下に潜り込んだ。シオンはテオの背中から降りると、ずぶ濡れになった上着を脱いだ。


「あーあ...」


「魔法で乾かせるだろ?」


「そうだけど...はぁ...」


濡れた帽子も脱ぎ、上着と一緒に湿った地面に投げ捨てた。


「ちゃんと畳んでおけよ。」


「雨が上がったら乾かすからいいよ。」


シオンは木の根元に腰を下ろすと、木の幹にもたれかかった。テオが目の前で体を震わせて、水飛沫を飛ばした。

テオは満足していたが、水飛沫をかけられたシオンは、眉をひそめていた。


「ねぇ...」


「...すまない。わざとじゃないんだ...」


「わざとなら撃ってたよ。」


「濡れたからって、苛立つな。」


テオが苛立ちを隠せないシオンに呆れていると、豪雨の中、シオンとテオが雨宿りをしている木に向かって歩く人が居た。


「おっ、先客かい?ご一緒しても良いかな?」


声をかけてきた白い髪の女性は、一切雨に濡れていなかった。そして、露出している肌には、刺青のようなものが描かれていた。

女性の頭上には、白い魔法陣が浮かんでいた。


「良いよ。」


「いや〜、ありがとう!断られたらどうしようかと思ったよ。」


「断る理由がないからね。」


ノエルはシオンの隣に腰を下ろすと、頭上に浮かんでいた魔法陣が消えた。


「それもそうか!所で、銀色の髪はこの辺りの国では珍しいけど、どこの出身?」


「ディメテリア。」


「ディメテリア?聞いた事あるような...まぁいいか。それと、君は魔女だろ?僕を見ても驚かないしね。」


魔女と見抜かれたシオンの前にテオが立ち、牙を向いた。


「シオンに手を出すなら、俺が相手をする。」


「誤解しないでくれないかい?それもも、僕がそんなに好戦的な魔女に見える?」


「テオ、この人は大丈夫だと思う。私はシオン、こっちはテオ。貴女の名前は?」


「僕?僕はノエルだよ。」


「ノエル...」


シオンはその名前に聞き覚えがあった。少し考え込むと、すぐに思い出すことが出来た。


「ノエル...噂だけしか聞いたことないけど、戦争の最中に現れ、傷ついた者、力のない者を助ける魔女って話だけど、貴女で間違いは無い?」


ノエルは笑って誤魔化そうとしていたが、シオンの真っ直ぐな眼差しに、ノエルは誤魔化すことを止めた。

ノエルは、微笑みながら答える。


「そのノエルは、僕だよ。」


「貴女の話は何度か耳にしたけど、同じ魔女として誇らしい。」


「そう言ってくれると、僕は僕のしている事が正しいと思えるよ。」


ノエルはシオンの言葉を聞いて、嬉しそうに笑った。


「ノエルと言ったな。シオンは知っているようだが、俺はお前のことを知らない。信用するつもりもないが、少しの間でもシオンの近くに居るなら、お前の素性を言え。」


「...テオ、君は少し過保護な様だ。」


「悪いか?」


「いや、まるで親子みたいだなと思ってね。でも、教えてあげるよ。暇だからね。」


ノエルは話すと言い出してから、突然上着を脱ぎ出した。シオンが慌てて止めるが、ノエルは上着を脱いでしまった。

胸に布を巻いただけのノエルの体は、黒い模様が描かれていた。


「お前のその体...」


「それ、全部魔術式?」


「よく分かったね。僕の体に刻まれた模様は、全部魔術式なんだ。よく見ると細かい文字が刻んであるよ。」


「見てもいいか?」


「構わないよ。」


テオがノエルに近寄り模様をよく見ると、ノエルの言っていた通り、模様は小さな文字列で構築されている。


「...体に刻んで何の意味があるんだ?」


「そうだね...シオン、君が得意な魔法はある?」


「.....修理。」


シオンは笑われると思い、恥ずかしそうに答えたが、ノエルは笑わなかった。むしろ、ノエルは目を輝かせていた。


「へぇ!君は修理の魔法が使えるんだ!修理か...分解術式と構築術式は僕には使えないんだ。君は凄い魔法が使えるんだね。」


「...誰も使わない魔法なだけ。」


「でも、君は勉強しようと思ったんだろ?資料が少ないのに、よく頑張ったんだね。」


「ありがとう。そんなに同じ魔女から褒められた事は無いから、少し恥ずかしい。」


ノエルに褒められたシオンは、頬を赤くして照れていた。


「他に魔法は...防御魔法は何が使える?もし使えるなら、魔法陣を展開してみてくれない?」


「分かった。」


シオンは立ち上がると、前に手を出した。手の位置を中心として、魔法陣が広がっていく。

シオンの体を覆う程の大きさになると、魔法陣が完成した。


「これでいい?」


「少し展開が遅いね。基本通りに防御魔法を展開すると、強化術式と硬質化術式が邪魔をして遅くなる。君なら硬質化術式を短縮する事が出来るんじゃない?」


「確かに...少し長いって感じてたけど、硬質化術式は考えてなかった。今度少し変えてみるね。」


「それがいいよ。早く展開出来れば、早く守れるからね。」


「シオンの魔法も良いが、お前の魔法は見せないのか?」


「おっと、忘れていたよ。じゃあ、同じ基礎魔法を展開するからね。」


ノエルがシオンと全く同じ魔方陣を展開する。しかし、展開する早さは格段に早く、大きな防御魔法が一瞬で展開された。


「凄い...同じ魔法なのに、ここまで違いが出るなんて...」


「体に魔術式が刻まれてるからね。お掛けで、魔法陣に魔術式を書いていく手間がないから、一瞬で展開出来るんだ。」


「その早さで展開できるなら、守れない物は無いだろうな。」


テオが口にした言葉に、ノエルは表情を曇らせた。魔法陣を消すと、再び木の根元に腰掛ける。そして、静かに話し始めた。


「テオ、君は誤解している。この世は、全てを守れるようには出来ていないんだ。」


「何だ?お前にも守れない物があるのか?」


「...沢山あるよ。僕の噂がどれだけ尾を引いてるのかは知らないよ?でも、噂の通りの魔女じゃないよ。」


ノエルは笑っているが、その目の奥には、シオンやテオには計り知れないほどの暗闇が潜んでいた。


「ノエル...」


「僕は、悪い魔女さ。」


ノエルは空を見上げた。

雨は強く、まるで、泣かない魔女の代わりに、空が泣いているようだった。


「ある戦場の外れで泣いている女が居た。僕は何も考えずに駆け寄った。女は僕の足に飛びついてくるやいなや、息子が居なくなった探してと頼んできた。勿論僕は承諾したよ。」


ノエルの手が震え出した。シオンが優しく手を重ねると、ノエルの手の震えが収まると、再び話し始めた。


「僕は女の息子を探しに戦場に向かった。その時は野戦病院で、すぐに見つけることが出来たよ。五体満足じゃ無かったけどね。」


「怪我をしていたの?」


「そうだよ。それも、爆発に巻き込まれたのか、両足が無かったんだ。それでも僕は、良かれと思って女を連れてきた。でも、言われたのはお礼じゃなかった。」


「なんて...言われたの?」


「人で無し、そう言われたよ。当たり前のことだけど、傷つくよね。あの時は、どうしたら良かったのかな。」


「...その母親は、両足を失った息子を見て、気が動転してただけ。貴女は何も悪くない。」


「でも、もし僕があの戦場に行けていれば、息子の足を失う事には...」


「お前は守りたいんだろう?人間を、命を。なら、何故守らなかったんだ?」


テオの言葉に、ノエルは怒りを顕にした。

突然立ち上がると、シオンを押し退け、テオの前に立つ。


「僕だって守りたいさ!全てを守れるなら守ってみせる!けど!誰かを守る度に、誰かが悲しむ顔を見せるんだ!誰かが苦しむ!僕はそれが一番辛い!辛いんだ!」


「...それがどうした。お前が守りたいんだろう?なら、辛かろうが、苦しもうが、お前の心が決めたものを裏切るな。」


「君は...随分残酷な事を言うんだね...」


「お前の優しさは、ここにあるべきでは無い。そう言っているだけだ。それともお前は、守れなかった人を増やす為に、ここに居るのか?」


「本当に君は、僕を怒らせたいようだね...」


ノエルは拳を強く握ると、テオの額に固い拳を叩きつけた。


「...それだけか?」


「これだけだよ。」


ノエルはテオから離れると、上着を羽織ってシオンとテオに背を向けた。


「ノエル、まだ雨は...」


「シオン、君とはもう少し話していたかったけど、今は時間が無い。僕はまた、悪い魔女になりに行かなければならない。」


「貴女はそれでいいの?」


「構わない。これが僕の選んだ道だからね。」


「...そう。なら、私も止めない。でも、ひとつ言わせて。」


「最後に聞いていくよ。」


「...貴女は、気負いすぎてる。助けられなかった人の事より、助けた人を見て。必ず貴女に感謝しているはず。」


「...じゃあ、また会えることを願っているよ。」


ノエルは最後まで振り返らず、雨の降る道を歩いていった。

姿が見えなくなると、シオンはテオの方を向いた。


「悪い狼。」


「なんとでも言え。」


「慰めるにしても、言葉が足りないし、怒らせる必要は無いでしょ?」


「あの魔女がそんな簡単な奴に見えたか?」


「見えなかったけど...」


シオンはテオの傍に腰を下ろした。まだ湿っているテオの体に、顔を埋める。


「ノエルは自分を悪い魔女って言ってたけど、私は誰よりも優しい魔女だと思う。」


「あぁ、俺もそう思う。」


「...辛いよね。」


「辛いだろうな。だが、俺はアイツの事は、嫌いじゃない。」


「私も、ノエルが魔女で良かった。私と同じ魔女で嬉しい。」


「それは良かったな。魔女の友人なんて初めじゃないか?」


「初めてだね。旅をしてからあまり会ってなかったし。」


「良かったな。久しい友人が優しい魔女で。」


「うん...」


シオンとテオは、戦場に向かったノエルの事を思い浮かべて雨が上がるまで、曇った空を見上げていた。

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