思い出の橋

テントで眠っていると、何かが近付いてくる音が聞こえた。シオンはその程度の音では起きないが、テオはすぐに反応した。

テオは耳を立て、暗闇の中に目を向ける。


「...向こうか。」


テルーに沿って、大型の馬車が走っている。その荷台には、大量の木材が積まれていた。


「...山賊ではなさそうだな。」


テオは周囲を見渡し、安全を確認すると、再び顔を伏せた。

夜が明け、朝日が昇り、シオンは目を覚ました。


「ふぁ...今日は寝起きがいい...かな...」


のそのそとテントから這い出でると、目の前に白い毛玉を見つけた。


「...やわらかそう...」


シオンは毛玉に抱きついた。何とも心地の良い暖かさと、触り心地の良さがシオンを2度目の睡魔が襲う。

その時、毛玉が話しかけて来た。


「2度寝をするな。あっちを見てみろ。」


シオンはテオの背中によじ登ると、テオの視線の先を見た。

夜に見た馬車がおり、その周りには新たな橋をかけようとしている職人たちの姿があった。


「...225本目だね。」


「本当に橋を架ける人間が居るんだな。」


「見に行く?」


「あぁ、少し気になる。」


「分かった。準備するから待ってて。」


シオンは慣れた手つきでテントを片付けると、テオの背中に飛び乗った。


「走るぞ。掴まれ。」


「うん、いいよ。」


テオは徐々に走る速度を上げて、橋を架ける職人の元へ向かった。

作業をしている現場へ着くと、何人もの作業員が慌ただしく動いていた。


「ほぅ...労働だな。」


「でも、奴隷じゃないだけマシ。」


「確かにそうだな...」


テオが建設中の橋に近づこうとすると、長銃を肩に担いだ男が静止を促した。


「やめときな。落ちても知らねぇぞ。」


「橋の関係者?」


「いや、雇われの警備さ。だが、言うことは聞いておいた方がいい。」


「そうだね。近寄らないようにする。だけど、ひとつ質問していい?」


「何だ?答えられれば答えてやる。」


「この橋を造っている職人はどこの国の人?」


男は口を真一文字に閉じたまま、目線だけをある1人の若者に向けた。その若者の飴色の髪、鉛のような色をした瞳は、純血のヴェルト帝国の人が持つ特徴だった。


「戦争の合間に橋造り。私は嫌いじゃないけどね。」


「元々は国境を越える為に、俺らが雇われた。まぁ、俺も偶には平和な方が楽だしな。」


「俺には退屈そうに見えるが、勘違いか?ヴェルト帝国の傭兵。」


「...俺を怒らせたいなら、戦場だけにしてくれ。つまらない事で捕まりたくはないんだ。」


「すまないな。俺の言葉は忘れてくれ。」


テオは素直に謝ると、シオンの目を見た。目が合ったシオンが、テオの背中を軽く叩くと、テオは歩き始めた。


「さよなら。橋が無事に完成することを祈るよ。」


「おう、達者でな。」


男と別れると、シオンはテオに問いかけた。


「どうしてあんな事を言ったの?」


「いや、傭兵があんなに呑気なのか気になっただけだ。だが、あの人間は、かなりの戦場を生き延びてるはずだ。」


「どうして分かるの?」


「目だ。傭兵と言った時のあの目は、まるで獣の目だ。」


「そう?私には普通に見えたけど。」


「お前も旅をしていれば、あの目を知る時が来るだろうな。」


「...それも知らないといけない...」


シオンは目を閉じて、腰のホルスターに収められた銃を強く握った。

しばらくの間、シオンは目を閉じていた。テオは街に向かって歩を進めていたが、木製の橋の上に椅子の老人が居るのを見つけた。


「シオン、あの人間は昨日の...」


「本当だ。挨拶しに行こうか。」


シオンとテオは、物思いにふける老人の元へ向かった。

老人はシオンとテオに気が付くと、笑みを浮かべた。


「おぉ、魔女のお嬢ちゃんと狼じゃないか。」


「私の事はシオンでいい。狼はテオ。」


「なら、遠慮せず呼ばせてもらう。シオンは、この橋が気に入ったのかい?」


「そう言えば、好きな橋があったらとかって言われてた気がするね。」


「まだ全ての橋を見てないな。」


「そうか...この橋には、私と婆さん、そしてこの橋を架けた男の名前が刻んであるんだ。」


老人が橋の欄干に刻まれた3つの名を手でなぞった。


「ライラ、ルーク、デロア...ライラは女の人、どっちが貴方の名前?」


「ルークだよ。もう、名前を呼んでくれる人は居ないがね。」


寂しそうな老人の目は、ライラの名前に向けられていた。


「ライラ、美しい名だ。その名に恥じぬ美しい女性だったろう。」


「...そうだ。ライラは街1番の美女だった。デロアもライラの事が好きだったが、ライラは私を選んでくれた。そして、デロアは私を恨むこと無く、この橋を私達2人の為に造ってくれたんだ。」


「この橋は、貴方にとって大事な物なんだ。」


「そうだな...これは、形見とは言わないな。大事な...大事な証なんだ。」


テオの一言から、老人の暗くなっていた表情は、徐々に穏やかになっていった。他愛のない話しを続けていると、最後には笑みを浮かべていた。


「元気出た?」


「あぁ、気にかけていてくれたのか?済まないね。」


「いいよ。人は暗い顔をしてるより、笑顔の方が見ている方も気分が良くなるから。」


「そうか...君は暖かい心を持っているんだな。その心は忘れない方がいい。私もそうだが、温もりを忘れた人間は、心が廃れてしまう。」


「シオンはまだ子供なだけだ。あまり増長させないでくれ。」


「ははっ、済まない。」


老人はテオに指摘されると、笑って誤魔化した。その後も、老人の身の回りの話や、シオンの旅の話をした。

老人は子供に戻ったかのように、旅の話を聞き入っていた。


「──大きな蛇だと言われてた獣は、実は大きな魚で、泳いでたら頭から飲み込まれたの。」


「良く生きてたな!?」


「そうでしょ?それで、テオが...」


「話の途中で悪いが、ここから退いてくれないか?」


楽しげに会話をする2人を引き離すように、男が間に割って入ってきた。


「お嬢ちゃん。この橋にいると、死んじまうぞ?」


割って入ってきた男は、シオンに心配そうに声をかける。声と顔を見て、シオンは昨日案内をしてくれた男だと気が付いた。


「退くのはいいけど、なぜこの橋にいると死ぬの?」


「この橋を落とすからだ。」


その言葉の直後、火薬の詰まった樽を大量に載せた荷車が数人の男によって橋の上に運び込まれた。

その荷車は、シオンが直した物だった。


「おぉ!昨日はありがとうな!」


荷車を引く若い男が手を挙げて、シオンに礼を言う。シオンはこの時、早く街を出ていればと後悔していた。


「その荷車は...爆薬を運ぶものだったの?」


「そうだ。荷車が壊れるまでは爆薬を運んで、橋を落とす仕事をしてたんだ。まぁ、人力でも運べたが、効率が悪くてな。直す暇も作れなかったんだ。」


「橋を落とす...?」


「その青年の言葉の通り、橋を爆破して落とす。だから、退いてくれ。」


中年の男性がシオンを笑顔で見つめている。しかし、その目は笑っておらず、邪魔者を見る目をしていた。


「私は...」


シオンが何かを言おうとすると、老人が中年の男性にすがり寄った。


「こ、この橋だけは止めてくれ!この橋は...この橋だけは!」


「爺さん...残念だが、決まったことなんだ。それに、周りを見てみろ。」


老人とシオンは辺りを見渡した。驚く事に、昨日までは誰もいなかった観光客が、橋が落ちる様を一目見ようと集まっていた。


「観客は橋が落ちるのを待っているんだ。それに、この橋は1番人気が無いんでな。」


中年の男性は老人を突き飛ばすと、若い男達に爆薬を降ろすように指示を出した。

爆薬を降ろそうとすると、老人が身体を割って入れて止めに入った。


「お、おい!爺さん邪魔をするなよ!」


「この橋には、婆さんと...私の大切な友人の思い出が詰まってるんだ...止めてくれ...」


若い男達も老人の姿を見て手を止めるが、中年の男性が怒鳴り声を上げた。


「お前ら!手を止めるな!」


「は、はい!」


中年の男性が老人を引き離すと、次々と爆薬が設置されていった。


「この...老いぼれが!」


中年の男性は老人を橋の欄干に投げ飛ばした。老人は運悪く頭を打ってしまい、鮮血が流れ出していた。


「あぁ...」


意識が朦朧としているのか、目の焦点が合わず、虚空を見つめていた。

その様子を見下ろしていた中年の男性は、懐から小型の自動式拳銃を抜いた。


「どうせ先も短い。この橋と一緒に崩れ落ちるんだな、老いぼれ。」


男は笑みを浮かべると、老人の右腿に銃口を押し付けた。

シオンが男を止めようと、腰の銃を抜こうとした時、1本の鉄矢が男の持つ銃を射抜いた。


「何をしている!貴様はそれでも男か!?」


黒いスラブホースに跨った若者は、新しく橋を架けていたヴェルト帝国の若い職人だった。その手には、弓が握られていた。


「ヴェルト帝国人!?」


「それがどうした?その目の前の命よりも大事な事か?それに、名はある。俺の名はディロイ。覚えておけ。」


「くっ...」


颯爽と現れたディロイは、すぐに辺りを見渡して状況を理解した。


「...爆薬か。橋を落とす気だな?」


「お前も止める気か!どいつもこいつも...橋がそんなに大事か!?誰も渡らない橋がそんなに大事なのか!?」


「あぁ、大事だ。橋には想いが込められている。それを無下にするつもりなら、俺はお前を許さない。」


「お前に許される道理は無い!」


男がディロイの眉間に銃を向けた。


「暴力に頼るか...良いだろう!」


ディロイは力強く弓を引く。互いに指先を動かせば、命を奪うことが出来る。

周囲に緊張が走る。お互い指先を少しも動かす事なく、時間だけが過ぎていく。

そして、男の汗が地面に落ちた僅かな音に、2人は反射的に動いた。

しかし、お互いに傷一つなく無事だった。


「なっ...」


「た、助けたのか...?」


ディロイの放った鉄矢はテオが口で止め、男が撃った銃弾はシオンの魔法陣で止められた。


「そこまでだ。お互い武器を納めろ。」


2人は意外と素直に言うことを聞いた。実際は、シオンとテオを見て驚いていただけだった。

シオンが2人の間に立つと、腰の銃を抜いて2人に向けた。


「2人ともそのまま下がって。さもないと、私は2人の人間を殺す事なる。私の為にも言うことを聞いて。」


シオンは2人をある程度の距離まで下がらせると、銃を下ろし、ホルスターに収めた。


「はぁ...大丈夫?」


シオンが老人に手を差し伸べると、老人は絶望に満ちた瞳に涙を浮かべて、手を掴んできた。


「頼む...橋を...」


「...分かった。貴方はゆっくり休んで...『聖母の抱擁カロル・オブ・マリア』」


シオンの治癒魔法により、老人の受けた傷は徐々に治っていく。優しく握った手を離すと、シオンはテオの顔を見た。


「...好きなようにしろ。俺はお前の味方だ。」


「ありがとう。」


シオンは目を瞑り、気持ちを落ち着かせる。再び目を開けると、シオンは帽子を脱いで2人と対峙した。


「魔女シオンの名において、この橋を...全ての橋を落とすことを禁じる!」


シオンの言葉を聞いて、街に住む人々は動揺していた。


「何を勝手な事を...」


「今からこの地域一帯に、1つでも橋が落ちたら全ての橋が落ちる魔法をかける。落とせば、全てを失うことになる。それでも落としたいなら落とせばいい。」


中年の男性がシオンの目を見るが、冗談を言っているようには見えなかった。だが、収入源が無くなってしまうので、今ここに立っている住人の代表としても、退くことは出来なかった。


「そんな愚行が許されるものか!」


男の怒声と共に、銃声が鳴り響いた。銃弾はシオンの頬を掠めるように外れた。


「...『身体強化カルネ・エクセ』」


シオンは自らの体に強化魔法をかけると、男の襟元を掴み、軽々と持ち上げた。


「な、何をする!?」


「さようなら。」


シオンは男を空に向けて、文字通り放り投げた。男の落下地点には、地面は無い。そこは底なしのテルーだった。


「う、うわぁぁあ!!?」


誰もがその光景に息を飲んだが、空中に展開された魔法陣から放たれた2本の槍が、男を隣の橋に磔にした。槍は脇の下に刺さって、体が引っかかるようになっている。


「はぁ...はぁ...」


男の顔は青白くなり、冷たい汗が服を濡らしていた。


「今のが全力と思わないで。私はこんな街、簡単に滅ぼせるから。」


シオンの笑顔は人々に恐怖を植え付けた。次第に人々は橋を落とすことを諦めて、街に帰っていった。

磔にされた男に、橋の上から最後の問いかけをする。


「もう2度と橋を落とさないって誓える?」


「誓う!誓うから助けてくれ!」


「いいよ。許してあげる。でも、誓を破ったら、全部無くなるからね。」


最後に釘を刺すと、テオに男を助けるように指示をした。男は橋を飛び移ったテオに引き上げられると、必死になって逃げていった。


「ふふ、可愛らしい。」


「相変わらず捻じ曲がってるな。」


シオンもこの場から立ち去ろうとするが、目の前にディロイが立ち塞がった。


「待て。人類の敵よ。」


「...そっか、ヴェルト帝国の人だからね。」


「魔女は敵だ。俺達は魔女を見つけ次第殺さなければならない。助けて貰ったが、魔女を許す事は出来ない。」


ディロイは既に弓を引いており、話が通じるような状態では無かった。シオンは諦めて腰の銃を抜こうとすると、老人の声が聞こえた。


「デロア...?」


老人はディロイを見るなり、欄干に刻まれていたヴェルト帝国人の名前を呼んだ。

その名を聞いたディロイは目を丸くして驚いていた。


「俺はデロアの孫のディロイです。貴方は...爺様が言っていたルークなのですか?」


「おぉ...おお...デロアにそっくりだ...よく顔を見せてくれ...」


「はい、ルークさん...」


デロアが近寄ると、老人は皺だらけの手でデロアの頬に触れた。その瞬間、老人の瞳から大粒の涙が流れ出した。


「爺様から貴方の事を生涯の友と呼び、幼い頃から俺に話してくれました。」


「デロアは...元気か?」


老人の問いかけに、ディロイは目を伏せた。


「...そうか。」


「...2週間前です。弔いの為に、爺様が橋を初めて造った場所に、俺も橋を架けようと思い、ここまで来ました。貴方に出会えて良かった...」


ディロイは老人を優しく抱きしめた。老人は震える手で抱き返した。


「なぁ...ディロイよ。お前が...お前達が魔女を嫌っている事は知っている。だが、あの魔女だけは許してくれないか...?」


その言葉に、ディロイは強く反発した。


「それは出来ません!魔女は悪です!いずれ人類の驚異になります!」


「あの魔女は私と、私達の思い出が詰まったデロアの橋を守ってくれたんだ。許してやってくれ。」


「...くっ。分かりました。ですが、見逃すだけです。」


ディロイは老人から離れると、シオンとテオの前に立った。


「ルークさんの慈悲だ。今すぐ消えろ。そうすれば何もしない。」


「ありがとう。橋造り頑張ってね。」


「黙れ!早く失せろ!」


「人間の小僧...命拾いしたな。」


シオンとテオはディロイの横を通り抜けていこうとした。


「...礼を言う。ありがとう。」


シオンは振り返ることなく、橋を渡りきった。

色々あったがシオンとテオは、ようやくテルーを渡ることが出来た。


「なぁ、魔法はかけたのか?」


「何のこと?」


「橋を落とす魔法だよ。忘れたのか?」


「あれの事?あれは嘘だよ。そんな大掛かりな魔法は、私には出来ないし、離れて維持する事なんて不可能に近い。考えたら分かるでしょ?」


「嘘だったのか。だが、奴らは信じてるぞ?」


「それでいいの。誰も渡らない橋は、確かに橋としての役割を果たしてない。でも、そこにあるだけで、誰かの支えになってくれてる物もある。」


「俺には分からないな。」


「いつか分かるよ。心の支え、思い出、大事な物が沢山ある事に。」


「だが、物はいつか壊れるだろ?そんな物に思いを込めても、壊れれば終わりだ。」


「そう。だから、人は考えるの。どうしたら壊れないようにするか。もし壊れても、どう忘れないようにするか。」


「人間も思っていたよりも考えているんだな。」


「そうだよ。人間だから、思い出を大事にするのかもね。」


「俺も、大事な物でも探してみるか。」


「大事なものならテオの背中に居るでしょ?」


「冗談だろ?」


2人は笑い合いながら、次の町を目指して街道を歩いていった。


橋の上にある街は、あれから橋を落とす事はしなかった。


魔女の言葉を恐れていたからだ。


毎日毎日橋の手入れを欠かさず行い、美しく保っていた。


橋はどんどん増えていき、手間は掛かったが、美しい橋がある街として、世界中に知れ渡っていく。


橋を壊す事で人を呼ぶのではなく、橋を魅せる事で人を呼ぶ事に成功した。


かくして、橋の上にある街は、いつしか美しい橋の街と呼ばれるようになる事を、シオンとテオは知る由もなかった。


いつか街に戻った時に、デロアの名前の隣にディロイの名が刻まれている事を知る事になるだろう。

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