忍び寄る戦火

シオンは全身に黒い斑点が広がった、御者の死体に目を向ける。


「始めよう。」


シオンは布用の鋏で死体の服を切り裂いていく。服をはだけさせると、全身に斑点がある事を確認した。


「全身に斑点がある。でも、比較的大きくて、色が濁っているのは肺の部分。多分だけど、原因はここにあるはず。」


「肺か...胸を開けば分かるかもな。」


シオンはメスを取り、躊躇うことなく胸を切り開いた。胸骨を切り、器具で広げると、シオンの予想通りだった。萎縮した黒い肺が、今にも形を保てなくなりそうな程、ドロドロとしている。


「腐ってる...」


「肺が腐る?にわかには信じられないな。」


「他の臓器も腐り始めてる。」


「もっと調べてみろ。」


「分かってる。そのつもりだから。」


シオンは無言で死体の解剖を進めていく。

外に月が浮かぶ頃、全ての作業が終わった。


「はぁ..やっと終わった...」


シオンは衣服を脱ぎ捨て、作業台の近くに置いてある椅子に座る。長時間にも及ぶ作業は、シオンの体力と精神を削った。


「...終わったか?」


放置されて、軽い睡眠をとっていたテオが目を覚ます。シオンの顔を見ると、まるでゴミを見るような目をして見つめてくるので、テオはすぐに立ち上がり、距離を取った。


「その目は何だ。」


「集中して作業してる人の横で、良く眠れるよね。」


「俺が手伝えることは無かったはずだ。それに、休める時に休まなければ、有事の際に動く事は出来ない。俺に非は無いはずだ。」


テオが正当な理由を説明すると、シオンは不満気な表情を浮かべた。


「別に、テオに非があるとは言ってないけど。はぁ...折角原因が分かったのに、教えたくなくなった。」


「分かったのか?流石だな、シオン。」


シオンの意地の悪い言葉が聞こえなかったのか、テオはシオンの事を素直に褒めた。

褒められたシオンは、多少なりとも嬉しかったのか、生き生きと原因を話し始める。テオのしたり顔にも気付かずに。


「原因は獣の病。それ以外には考えられない。」


「獣か...あの御者が戦地から帰ってきたか、帰路で襲われているなら、十分に可能性はあるな。」


「テオはどっちだと思う?」


「...戦地だな。獣に襲われれば、馬車が壊れてもおかしくないが、あの馬車に目立った傷はなかった。それに、荷台の血の臭いは、戦死した動物を運んでいたからだな。」


「多分そうだね。戦争で犠牲になるのは人間だけじゃない。動物も犠牲になってる。」


「最近は、死体を運ぶ奴らも少なくはない。この御者は運が悪かったか、馬鹿だったか...どちらにせよ、獣を運んだに違いない。」


「獣の病は、血から感染する。決まった症状はない。同じ獣から感染しても、別の症状が出る事もある。だから、すぐに分からなかった。」


「流行病じゃなくて良かったな。この死体を処分すれば、広がることないだろ?」


「ちゃんと燃えればね。」


シオンは椅子から立ち上がると、作業台から離れた。作業台に手を向けると、作業台に赤い色をした、円形の魔法陣が展開される。


「作業台に刻まれた強化術式がちゃんとしてれば、燃えるはず。イグニ!」


イグニは基礎魔法の1つ。小さな炎を魔法陣の中心に作り出す魔法だが、作業台に刻まれた強化術式により、小さな炎は業火へと姿を変えていく。


「凄いな。これなら死体も...おい、何故俺の後ろに隠れてる。」


「隠れてるわけじゃない。ただ、予想より火が強かっただけ。」


シオンはいつの間にかテオを壁にして炎を見ていた。天井まで炎が届いているが、建物全体に掛けられた耐火魔法により、燃え広がることは無かった。


「もう夜か。あの人間...兵士の所に行くか?」


「報告してから宿に行こう。」


「分かった。俺は処理が終わるまで外で待ってる。先に出てるぞ。」


テオは狭い扉を無理矢理通り抜けて、外に出ていった。シオンは少しずつ弱まる火に近付き、脱ぎ捨てた衣服を拾い、火の中に投げ入れた。

死体が完全に灰になったのを確認すると、テオの待つ外へ向かった。扉を閉めると、部屋の灯りが消え、魔術工房は闇に包まれた。


「お待たせ。」


シオンはテオの頭を撫でてから、背中に乗った。しっかりと乗った事を確認してから、テオは走り出した。

門に着くと、シオンはロアの名を呼ぶ。門番の役についていたロアが、シオンの元へ走ってきた。


「遅くまでお疲れ様でした。何かわかりましたか?」


「あの御者は獣の病に罹ってた。」


「獣!?まさか街の中に!?」


「街の中には居ない。落ち着いて。」


ロアは獣と聞いて慌てだしたが、シオンの言葉を聞いて落ち着きを取り戻した。


「はぁ...良かった。」


「御者の死体は処理したから、もう広がることはないと思う。」


「あ、ありがとうございます!」


「検問所では、もっと詳しく見た方がいいよ。特に、戦地から帰ってくる人達は。」


「ご忠告ありがとうございます。」


「じゃあ、私は宿に戻るから。じゃあね。」


シオンが立ち去ろうとすると、ロアは慌てて呼び止めた。


「待ってください!こちらを受け取ってください。」


ロアは小さな皮袋をシオンに手渡した。皮袋の口を開けると、中には2000ルイ分の硬貨がぎっしりと詰まっていた。


「それはエリアス国軍からの感謝の印です。」


「こんなにいいの?」


「はい。馬車を止めてくれた事と、病の原因を突き止めてくれたお礼です。」


「...ありがとう。でも...」


シオンはロアに硬貨の入った皮袋を返した。ロアはこの行為に戸惑いを隠せなかった。


「が、額が足りませんでしたか?」


「ううん。そのお金は、馬車に轢かれた女性の子供にあげて。」


シオンはその言葉を残して、テオを走らせた。しばらくロアの声が聞こえていたが、露店の並ぶ通りに入る頃には、聞こえなくなっていた。


「貴重な収入を逃したな。」


「あれでいいんだよ。」


「あれでいいだと?確かに善行は積んだが、それだけだ。幾ら善行を積もうが、腹は満たされない、下手をすれば宿にも泊まることが出来ない。」


「そんな事ない。お金くらいまだ...」


シオンは自分の皮袋を取り出して、中を確認する。フランカから貰った500ルイを合わせて、550ルイしか入っていなかった。


「...まだ大丈夫。」


「この街は人が多い。いつでも稼げるだろうが、貰える時には貰っておけよ。」


「次からはそうする...」


シオンは何度も皮袋の中を確認する。しかし、減る事も、増える事も無かった。


「はぁ...お金も減ったけど、お腹も減ったな...」


露店の通りには、昼間とは変わって食べ物を扱う店が増えていた。魔女も食わねば生きてはいけない。何を食べようか露店を眺めていると、テオは早足で歩き始めた。


「テオ、お腹が空いたの。何か食べない?」


「保存食があるだろ?それを食え。」


「目の前に美味しそうな食べ物があるのに?」


「確かに食い物はある。だが、金は無い。少しは節約しろ。」


「どうして?まだ550ルイはあるよ?」


「550しかないとは考えられないのか?」


「うーん...確かにそう言われると、使っちゃいけない気が...」


「そうだろ?やめておけ。」


「だめ...かな?」


シオンの少し気分の落ち込んだ声を聞き、テオは許す事しか出来なかった。


「...安い物にしろ。」


「ありがとう、テオ。」


己の甘さに溜め息をつくテオを撫でながら、何を食べようか考える。


「あれにしようかな。」


ふと目についた肉の串が食べたくなる。テオに言うと、重い足取りで露店に向かった。

シオンは背中から降りて、肉を焼いている店主に話しかけた。


「2本貰える?」


「はいよ。ちょっと待ってな。すぐ焼き上がるからよ。」


鉄板の上で焼かれる肉の香りが、シオンだけでなく、テオの胃袋にも直接訴えかけていた。


「肉、美味そうだな。」


「うぉお!?喋るのか!?」


「テオは魔獣だからね。」


「魔獣か!初めて見たよ!」


「俺はお前のように驚く人間は見飽きている。」


「口が悪いんだな。お嬢ちゃんも苦労してるだろ?」


「テオの我儘にはいつも苦労してるよ。」


「後で噛み付いてやるからな。」


「嘘だから、本当に噛まないでよ?」


「ははっ!仲がいいな!ほら、肉串2本だ!」


「ありがと。」


シオンは肉串を受け取ると、1本をテオの口に押し込んだ。


「むっ...」


「噛んで。」


テオが肉を噛むと、串だけを引き抜いた。


「焼いた肉も美味いな。」


「良かった。2本で何ルイ?」


シオンも肉を食べながら、お金を払おうとする。


「2本で20万ルイだ!」


「に、20万!?」


あまりの金額に、持っていた皮袋を落としてしまった。店主は苦笑いしながら、その様子を見ていた。


「じょ、冗談だよ。20ルイだ。」


「なんか、馬鹿にされた気分...」


シオンは納得出来ないといった表情をしながら、店主に20ルイを支払った。


「確かに頂いたよ!あっ...」


店主が驚いた様な顔をすると、シオンは何者かに肩を掴まれて後ろに引っ張られた。

体勢を崩したシオンは、尻餅をついてしまい、咥えていた肉串は地面に落ちてしまった。


「シオン!」


テオが慌てて傍に寄り添い、シオンを立ち上がらせる。

シオンを引っ張った男は、見覚えのある顔だった。


「おい、その肉を寄越せ。」


「待て。あの子に謝らないなら、肉は売らない。」


「売るだと?俺は寄越せと言ったんだ!」


男が腰の銃を取ろうとしたが、ホルスターから銃がなくなっていた。


「あ、あれ...銃が...」


「これの事?傭兵さん。」


シオンの声に振り向くと、傭兵は怯えた表情を浮かべた。


「ま、魔女!?」


「また銃を抜く気だった?」


「返しやがれ!」


傭兵がシオンに飛びかかろうとすると、テオが体当たりをして突き飛ばした。


「シオンに近寄るな。」


「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」


店主が心配そうに声をかけてくる。シオンは笑顔を見せて、店主に答えた。


「テオが守ってくれるから大丈夫。」


「クソ...何でお前は俺の邪魔を...」


「運が悪いんだろ。」


テオは盾になれるように、シオンの前に立つ。その様子を、傭兵は妬ましそうに見ている。


「魔法が使えて...魔獣を従えて...お前は俺を見下してるのか!?」


「何を言ってるの?」


「黙れ!俺は新しい雇い主を見つけたんだ!まだ少し早いが...やってやるよォ!」


傭兵が上着を脱ぐと、体に無数の爆弾が取り付けられていた。ズボンのポケットから起爆装置を取り出して、シオンに見せつけた。


「ハハハ!俺は認められる!歴史に名を残せる!お前には俺を止められやしない!」


シオンは動けなかった。拳銃の銃弾を数発だけ止める事が出来る防御魔法は使えても、爆発を防ぐ事の出来る防御魔法は使えなかった。

周囲の街の住人も、傭兵に気がついて騒ぎが大きくなっていく。


「見ろ!見てみろ!雑魚共が俺を見て騒いでやがる!そうか!お前はいつもこんな気持ちだったんだな!」


「お前にシオンの何が分かる!」


「テオ、いいよ。」


シオンはテオを退らせると、傭兵の前に立った。


「どうした?何かする気か?やってみろよ!」


シオンは上着を脱ぎすてる。銃を見た傭兵は一瞬だけ驚きの表情を浮かべたが、3丁の銃を地面に捨てたシオンを見て、表情は一変した。


「おいおい...なんの真似だ?笑わせるじゃねぇか!そこの男!縄か何かあるだろ?その魔女の腕を背中側で縛れ!」


肉串屋の店主に傭兵が指示をするが、店主は動こうとしなかった。


「お願い。私を縛って。」


シオンが店主に頼むと、店主は悔しそうな表情で縄を持ってシオンの背後に立った。


「すまねぇ...」


「大丈夫。私に任せて。」


「縛ったら戻れ!」


店主が店の方に戻ると、傭兵はシオンに近付いて頬に触れた。


「クソ餓鬼め...こんな餓鬼が俺よりも優れてるなんて...」


「ひとつ聞いていい?どうして、みんなを巻き込もうとしているの?」


「そう命令されたからだ!この街を破壊すれば、戦地への食料供給が途切れる!」


「何でそんなことまで教えてくれるの?」


「どうせ死ぬから教えてやっただけさ!」


傭兵は起爆装置を中々押そうとしない。シオンは気付き始めていた。


死ぬのが怖い


シオンがその事に気付けたことは大きかった。ようやく、準備していた行動が実行出来るようになった。


「どうして、死のうとするの?」


「英雄として語り継がれるからだ!」


「なら、すぐにでもそのスイッチを押せばいいのに。」


「う、うるさい!俺にも準備がある!だが、俺を怒らせるような発言はもうやめておけ!次はすぐに押して、全員殺してやる!」


「黙るけど、気をつけた方がいいよ。」


「あ?何にだよ。」


「今日みたいな獣が居る夜には気をつけた方がいいよ。『狼の短剣ルフス・グラディア』」


傭兵の背後で、三つ葉の魔法陣が白く光り輝く。傭兵が光に気が付き振り向いた時には、魔方陣から生成された剣を口に咥えたテオが眼前に迫っていた。


「うわぁ!?」


この時、傭兵が死んでもいいと思っていれば、スイッチを押されていた。しかし、傭兵は死にたくないと思っていた、故にすぐにはスイッチを押せなかった。

傭兵が一瞬躊躇った瞬間、起爆装置持っている右腕の前腕が切り落とされた。


「腕1本だけで済んだのは、シオンの慈悲と思え。」


「腕がァあ!?」


切り落とされた腕と起爆装置を、シオンが地面に落ちる前にキャッチした。


「ふぅ...あの店主に感謝しないと。簡単に解けるように結ぶなんて...もし傭兵にバレたらどうなるかも分からないのに...」


店主に目を向けると、満面の笑みを浮かべていた。笑い返すと、起爆装置から腕を引き剥がし、左腕のナイフを取り、起爆装置を破壊した。


「これで、終わり。さぁ、話して。」


「うぅ...ぐぅ...腕が...」


「誰が雇い主?」


シオンは捨てた銃をホルスターに戻しながら傭兵を問いつめる。


「ヴェルト帝国の...工作員だ...」


「...エリアス国の傭兵だった筈じゃ?」


「おれは傭兵だ...雇い主を選ぶのも自由だ...」


「そう...後は、兵士に従って。」


「ま、まってくれ...せめて、治療だけ...」


「...」


シオンは自らを縛っていた縄で、傷口付近をキツく絞め上げた。流れ出る血の量が減少するのを確認して、傭兵の前から立ち去った。


「テオ、行こう。」


シオンがテオに近付くと、咥えていた剣は霧のように消えた。


「あぁ。大丈夫だったか?」


「うん。特に怪我もして無いから大丈夫。」


シオンが背中に乗ると、フランカの宿に走った。夜で人通りも少なく、すぐに宿に着いた。扉を開けて中に入ると、フランカの旦那が受付に座っていた。


「やぁ。部屋は空いてるよ。」


「ありがとう。明日の昼に発つ事にしたから、もしフランカに予定があったら、ありがとうって伝えておいて。」


「明日の朝は居るから、大丈夫だと思うよ。」


「分かった。じゃあ、部屋を借りるね。」


シオンとテオは部屋の中に入ると、各々荷物を下ろしたり、シャワーを浴び始めた。

テオが荷物の中にある乾燥肉を食べていると、寝巻きに着替えたシオンがシャワー室から出てきた。


「ふぅ...スッキリした。シャワーは良いね。あっ、乾燥肉まだある?」


「まだ少しだけある。」


「じゃあ頂戴。」


シオンはテオの横に座ると、テオに寄りかかって乾燥肉を食べ始めた。


「明日は昼まで時間があるな。今日行けなかった医者に会いに行ってみるか?」


「うん...そうしよう。」


「だが、人の作る薬に興味なんてあるのか?」


「魔女が作っても薬は同じ。薬草から作るものだから。でも、その街とか国で結構変わるんだよ?」


「それが見たいのか。なら納得が出来る。」


「...」


シオンは突然何も話さなくなり、テオに抱きついた。


「シオン?どうした...」


テオがシオンを見ると、小さく震えていた。


「シオン!?風邪か!?」


「違う...怖かった...」


「...お前はまだ幼い。何もかも背負おうとするな。」


「テオ...死ぬのは怖いよ...」


シオンはテオの名を呼ぶと、何も話さなくなってしまった。テオはシオンの体を優しく包み込み、そのまま目を瞑った。

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