対岸の景色
「疲れた……」
豊平川にかかる橋のひとつ、南七条大橋のたもと。居住パスを認識ツールに滑らせる。赤いLEDが明滅し、
紅葉山農場のある
LEDがブルーになって認証が完了。すーっと上がった遮断バーの下を、疲労の色濃い足取りでくぐる。長い橋を渡りだした。
『オレも疲れたよ』
「……失敗か。チッ」
地上に降りた
消防車とパトカーでごったがえした路地から、一ブロックも離れないうち、陽一は戻ってきた。
「末永く幸せな余生を送れよ。邪魔もの同士で」
『キミの身体はオレの物。その命尽きるまで、付きまとうぞぉ~』
「
『幽体だって』
「あーあ。できないとわかってれば警察に突き出すんだった。金も取れなかったし、撃たれ損だ」
『人生、いろいろあるさ。”ばっはっはーい”ってな』
「ケッ」
ますます肩を落とす
循環AIタクシーに位置情報をコールしながら、
「おい? なんでお前らがついてきてるんだ……」
ふたりの女子がいた。
「言ったよね。泊めてほしいって。夜の
そう言って頭を下げたのはミカ・アレン。背が非常に高く、170センチそこそこの
もう一人。
「家が遠い。農場はスラムより安全」
そう言って胸を張ったのは対照的に背が低く、ほとんど小学生レベルの
「たしかにな」
ススキノは昼と夜では、表情を大きく変える。
レストランや料亭、グリル、鮨屋、蕎麦屋、カフェなど、ここにしかない酒や料理を提供するさまざな、1000を超えるまともな飲食店がある。いっぽうで、サロンやバー、スナック、キャバクラ、ソープランドなどといったエロ店がビルに詰め込まれる。メールや電話番号だけで客の欲求をデリバリーするワンルームもひしめく。どれほどアコギであっても、届け出がなされ店名が明記される店はまともな部類。
この上ない娯楽と愉悦を追及した、人類最後の堕落のエンターテイメント。求める人間を引きよせてやまない、巨大画像装置とド派手なネオン。罠にかかる、あるいは憧れ自ら飛び込む若輩者は、成功という甘い言葉で言いくるめられる。運がよければ、根こそぎ搾り取られるだけで済む。
スラムが隣接し、所有者不明の怪しげな事務所が、畑を荒らすモグラの穴のように、不慣れな客をひっそり待ち伏せる。北国最大の繁華街だった街は、警察でさえ掌握しきれなくなっていた。
点々とある高い建造物は、かつてマンションと呼ばれたもの。所有者不明の萎れた遺物だ。度重なる地震により、大半は多少のヒビがはいり、いつ倒壊してもおかしくなかった。立ち入り禁止の勧告を受けているのだが、地上から高いことからネズミ対策の倉庫として、便利に不法占拠していた。農家連中は、神経が図太いのか無駄が嫌いな人種の集まりなのだろうか、自宅としている居住するツワモノも。紅葉山農場の敷地にも斜めに傾いた一棟があるが、
長閑すぎる地域だ。静まり返る夜間は、人も車も動くものはすべて目立つ。昼夜を通し、人とドローンによるパトロールの目もある。安全性でいえば、
「しかし、後にひっついてくるとは」
「気づかないほうがおかしい」
通行の制限される
「言ってる意味、わかってんのか? 出会ったばかりの男んち泊まるんだぞ」
「性格はわかったつもりだよ。紅葉山君は紳士だと信じてるからね」
「俺は紳士だ。でもそういうことじゃなくて」
「ヘタレは安心安全」
「……おい」
「それに農園なら寝るとこありそう。ミカは私んちに、私はミカん家に泊めてもらうと、それぞれ連絡した。対策は万全」
「……なんだそれは」
ミカが手を合わせて頭を垂れた。
あろまも同じく手をわせる。仏さまを拝むような合掌だ。
「このまま帰ったら、パパとママが心配する。両親は何かと騒ぎ立てる人たちだから、事件に遭遇したなんて知れば、警察や学校を巻き込んでの大事になってしまうの。わたしは、目立ちたくないんです。傷が癒えて身なりが整って、気持ちの整理がつくまでの時間が欲しいの。ついでに言えば、ボロの私たちを酔漢の前に放り出しないでください! 一晩だけ。お願いこの通り!」
「だから、言ったのによ。きちんと10倍返しでもらうぞ」
じつはこのやり取り、ススキノのど真ん中でも展開された。郷は、ファッションチェーン店にでも駆け込めと言ったものだが、あろまがそれを拒否。
見かねた郷は、「俺に見られるのはいいのか」という言葉を飲み込むと、同じくらいレーザーに焼かれた格好で、ドラッグストアに入店する。買い物脚と店員から奇異な目を浴びつつ、大きなタオルと焼肉で被るようなスモッグと、100円プラス税の伊達眼鏡を見繕って、女子らに与えたのだ。締めて450円。4500円を女子高生に請求する農業経営者だった。
「服はゴウの家族のお下がりでいい。このさい屈辱に耐える」
「やかましい! 迎えに来てもらうかタクシー拾えよ。学校に通える金持ちだろうが」
顔を見合わせるミカとあろま。
「ねぇあろま。この人おかしくない?随分抵抗が激しい気がするんだけど。わたしだけかな?」
「同意見。こんな美少女が二人も泊まる。ゴウくらいの男子なら、涙を流して喜ぶのが当たり前。よだれも流す。タオル代もチャラにする」
『オレも気になっていたところだよ。長い付き合いだが、自宅にはお邪魔したことがない。どのような家庭か興味がある』
美少女って自分でいうかよ。どこが長い付き合いだ。
「なにかあるのかな? 泊めたくない理由が」
「り、理由なんかない。ちょっと煩わしいだけだ」
「ほほう」
「ほほう」
「……タクシー、なかなか来ないな。渋滞かな」
『車なんて、ほとんど走ってないだろう。田舎だな』
「ドームでイベントあったかな」
「札幌ドームは使用不能。生まれる前の話」
そもそも人の行き来が制限されてる場所でイベントなんか、と。ジト目の
「なぁにあれ。いきなり無視するかな」
『あれだ。車がきたらさっさと乗り込むつもりだ。君たちを置いて』
「風向きが悪くなると、無理に違う話題にふったり話を打ち切るタイプ。小学校の男子にもいた」
ときおり通過するヘッドライト。照らされる
ひそひそ。ミカは、少年に聞こえないボリュームで耳打ちする。
「でも……あと、ひと推しって感じしない? 幽体さんって、紅葉山くんのこと詳しいのかな? あろま聞いてみて」
ユニークな思いつきだと、満面の笑みのミカ。だがあろまは同意しない。否定的であることを告げるため、胸の
「乗り気しない。この化け物。私たちを亡き者にしようと画策した」
蝶ネクタイをした2頭身半の髭ヅラを、首は動かさず指をさす。
ミカは少し上を見上げたが、そこには何もない夜の空中があるだけ。すぐ、あろまへ目を戻した。
「まぁね。でも他人の力を借りないとなんもできないんでしょ?なら無害じゃない」
「ボロを纏った原因。害悪がありすぎ。ゴウじゃないけどなすりつけても消えてほしい」
「そうだね。こんなボロボロにはなったよ。けど、なんとか生きてる。悪いヒトじゃないのよきっと。この格好で帰宅することを思えば、この際、ニュートラルでいこう。だから情報だけでも引き出せない?溺れる者は藁をもつかむっともいうし。ね?」
「ミカは人がいい……良すぎる。変な物の怪に憑りつかれるか心配」
「なんの話をいってるの。とにかく幽体さんを引き込んでみて?」
お人よしな友人に、ため息しかでない。柑橘果実の香りに切り替え、気分を持ち上げた。
「わかった。話し聴けてた”藁の化物”」
『誰が藁の化け物だ。人を前にして言いたい放題だな君たちは……陽一でいい」
陽一はムスッとしてると態度で腕を組んでるが、短い腕が絡んでない。あろまは、ユーモラスを無視して次を促した。
「それで、ゴウ情報」
『手伝ういわれはないと言いたいところだが、拠り所候補の頼みだ。叶えてやるのも面白いだろう。右脚君のことならなんでも聞いてくれ。つきあいは君たちよりも長い』
「あろま、なんて言ってる?」
「なんでも聞けって。よく知ってる風」
「なら、性格もわかってるよね。弱みとか知ってるなら教えて」
陽一は、大仰にひとつ頷いた。
『うむ。右脚君は威張っているようにみえるがシャイだ。それに考え込むタイプだ。牢の中では人生をあきらめたし、鑑識室では入室の早々、盗みにはいったことを後悔する始末だ。頼みごとに弱いし一貫性もない』
「盗んだ?」
「え?どろぼうにはいったの?なにを?なぜ?」
陽一の位置を掴めず、視線が宙に舞ってるミカに答える。目的した物が回収できたのがうれしいらしく、淡々とした態度の底には自慢が見えた。
『内臓だ。相棒に、ヌクレオシドと呼ばれるヤツに渡したろう。オレの指示で盗ませた』
「陽一のせいだと断言してる。路地で
「幽体っていうのは、人間を自滅させる存在なのかな。紅葉山君を操れるとか」
「ゴウを精神支配。陽一はできる?」
『それは置いとけ。いまは右脚君の話だろう。パッキンねーちゃんに翻訳しないのか』
「ミカ。結論からいうと、ゴウは考え過ぎる男」
「なにそれ?」
『負の情報が舞い込むと難しく思考する。あきらめて勝手に自滅する』
「自滅するとか言ってる」
「自滅?なにそれ怖いよ」
「うーん。攻略はカンタンそう。3段構えでいける」
あろまは、思いついたちょっとした謀略を披露した。ミカは、うまくいくかなと言いつつも、話に乗ることにした。
「そこまで拒否るっていうのなら、こちらにも考えがあります」
「そう。考えがある」
ミカとあろまにずずずいっと歩み寄られ、
「な、何をする気でしょうか」
「警察に駆け込んで紅葉山君のことを、いいつける」
「そこで、あることないこと、言いふらす」
「な……」
「きっと信じるよぉ~」
「私たちはボロ。警察がどんな想像を掻き立てるか。楽しみ」
いましがた。というには時間が過ぎてるが、一晩ものあいだ留置され、さきほどグレイゾーンで釈放されたばかりだ。その男が、再補導。それが、どれほどまで危ういことかわからないほど、世間知らずではない。
わずかな匙加減で釈放されたのだ。ならば、わずかな匙加減で重罪に陥なないと誰が言える。危険の導火線がどこまで伸びており、発火剤がどこに潜んでするかわからない。そんなものは無いのないかもしれないが楽観はできない。火気を隠し持った金持ちのお嬢様が、気まぐれでガソリン気化の路上で、発火炎上をかます。十分すぎるほど身長に熟考すべきだ。
あろま達の謀略にうんうんと唸る
「…………悪魔の所業だ」
『本当に堕ちやがった』
「ふっふっふー。私たち可愛いい
「ちょろ過ぎる。2段目、3段目があったのに」
ミルフィーユは、農業従事者は手厚く保護されていると言っていた。
「……来てもいいが。いいか。驚くなよ」
掠れ声。それだけをやっと、絞り出す。
AIタクシーが停車した。
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