対岸の景色

「疲れた……」


 豊平川にかかる橋のひとつ、南七条大橋のたもと。居住パスを認識ツールに滑らせる。赤いLEDが明滅し、ごうの顔と網膜を精査していく。


 紅葉山農場のある農業生産区ファームには橋を渡る必要がある。豊平川には20もの橋が架かっていた。橋の向こうは農業生産区ファームに繋がるが、通行は厳しく制限されていた。農業生産区ファームは重要な食料基地であるとともに、新規作物の実験場。都市の将来を左右する試作も多い。自治政府はテロと、それ以上に厄介な作物泥棒を寄せ付けないための措置だった。


 LEDがブルーになって認証が完了。すーっと上がった遮断バーの下を、疲労の色濃い足取りでくぐる。長い橋を渡りだした。


『オレも疲れたよ』

「……失敗か。チッ」


 ごうは、ほわほわ笑う陽一に舌打ちする。陽一は地震が嫌いなのは周知の事実。”地震だ”といえば、慌てふためく。慌てたついでに憑りつき先を変え、異なる依り代に憑依するかと目論んだ。高城精矢になすりつけるられる。期待は裏切られた。

 地上に降りたごうがるんるん喜んだのは、一分足らず。

 消防車とパトカーでごったがえした路地から、一ブロックも離れないうち、陽一は戻ってきた。


「末永く幸せな余生を送れよ。邪魔もの同士で」

『キミの身体はオレの物。その命尽きるまで、付きまとうぞぉ~』

その命・・・じゃねー。このくそ幽霊が」

『幽体だって』

「あーあ。できないとわかってれば警察に突き出すんだった。金も取れなかったし、撃たれ損だ」

『人生、いろいろあるさ。”ばっはっはーい”ってな』

「ケッ」


 ますます肩を落とすごう。夜空には星があるはずだが橋の照明灯がそれをかき消す。やけにまぶしく感じる光を浴び暗い流れのせせらぎを聞き、橋を渡り終えた。まずは、知り合いの家までいき、置かせてもらった軽トラを回収。帰宅する運びとなる。


 循環AIタクシーに位置情報をコールしながら、ごうは何気に後ろを向いた。


「おい? なんでお前らがついてきてるんだ……」


 ふたりの女子がいた。ごうよりさらにワンランク上の疲れを醸し出してる。背の高いのと、背が低いのと。一度も会ったことがないクラスメイト。本日が初対面ながら、ごうの事件の巻き添えを食らった被害者、もとい、自分から渦中に飛び込んできた殉教者二人だった。


「言ったよね。泊めてほしいって。夜の中央区セントラルなんか歩きたくないから」


 そう言って頭を下げたのはミカ・アレン。背が非常に高く、170センチそこそこのごうが見上げるほど。健康的な肩甲骨まで伸びた透き通るような金髪が、都会の灯りを反射する。東洋と西洋のいいとこどりした完全フェイス。スレンダーながら、出るところはそれなりに出ており、年齢を鑑みると今後の成長が楽しみ。モデルとしてスカウトされないのが不思議な逸材女子だ。


 ごうが気づいた変わっている点。運動というか、体を動かすのが苦手らしい。たびたび転ぶのを目撃してる。だが道案内を先導してたときは転ばなかった。キャラづくりか。ミルキーと呼ばれる綿製の中折れ帽子を被って、どんな状況でも脱ぐことがない。制服が焼け焦げ、あちこち肌が露出している今もだ。アノ下には10円禿げが隠れているとごう勘ぐった。


 もう一人。


「家が遠い。農場はスラムより安全」


 そう言って胸を張ったのは対照的に背が低く、ほとんど小学生レベルの香焚かおりびあろま・・・だ。大人っぽくしたいのか、ヘアは斜めバングに三つ編み2本スタイル。怪しげなニオイ発生器を首にぶら下げている。名前の元か不明だが、アロマ香炉インセンスバナーというらしい。アロマセラピーなのか、芳香剤は部屋にあるだけで十分だ。


「たしかにな」


 ススキノは昼と夜では、表情を大きく変える。


 レストランや料亭、グリル、鮨屋、蕎麦屋、カフェなど、ここにしかない酒や料理を提供するさまざな、1000を超えるまともな飲食店がある。いっぽうで、サロンやバー、スナック、キャバクラ、ソープランドなどといったエロ店がビルに詰め込まれる。メールや電話番号だけで客の欲求をデリバリーするワンルームもひしめく。どれほどアコギであっても、届け出がなされ店名が明記される店はまともな部類。


 この上ない娯楽と愉悦を追及した、人類最後の堕落のエンターテイメント。求める人間を引きよせてやまない、巨大画像装置とド派手なネオン。罠にかかる、あるいは憧れ自ら飛び込む若輩者は、成功という甘い言葉で言いくるめられる。運がよければ、根こそぎ搾り取られるだけで済む。


 スラムが隣接し、所有者不明の怪しげな事務所が、畑を荒らすモグラの穴のように、不慣れな客をひっそり待ち伏せる。北国最大の繁華街だった街は、警察でさえ掌握しきれなくなっていた。


 ごうは、街灯のまばらなこちら側ファームに目をうつした。畑に牧草に果樹園。牛や馬や豚。キレイに灯りが並ぶ建物は、干物や缶詰、腸詰などの加工所。川を境にして、それはもう見事なまでに、地域造形が一転する。


 点々とある高い建造物は、かつてマンションと呼ばれたもの。所有者不明の萎れた遺物だ。度重なる地震により、大半は多少のヒビがはいり、いつ倒壊してもおかしくなかった。立ち入り禁止の勧告を受けているのだが、地上から高いことからネズミ対策の倉庫として、便利に不法占拠していた。農家連中は、神経が図太いのか無駄が嫌いな人種の集まりなのだろうか、自宅としている居住するツワモノも。紅葉山農場の敷地にも斜めに傾いた一棟があるが、ごうは近づきもしなかった。


 長閑すぎる地域だ。静まり返る夜間は、人も車も動くものはすべて目立つ。昼夜を通し、人とドローンによるパトロールの目もある。安全性でいえば、中央区セントラルとは比較にならなかった。


「しかし、後にひっついてくるとは」

「気づかないほうがおかしい」


 通行の制限される農業生産区ファームだが、入場には抜け道があった。居住者に同行するのも一つ。身分が明らかな者であれば、訪問客、あるいは見学者とみなされ、一緒の通行が可能となる。市民階層に限るが、ミカとあろまは”市民”だ。ごうと行動を共にしたことで、通行条件は満たされた。


「言ってる意味、わかってんのか? 出会ったばかりの男んち泊まるんだぞ」

「性格はわかったつもりだよ。紅葉山君は紳士だと信じてるからね」

「俺は紳士だ。でもそういうことじゃなくて」

「ヘタレは安心安全」

「……おい」

「それに農園なら寝るとこありそう。ミカは私んちに、私はミカん家に泊めてもらうと、それぞれ連絡した。対策は万全」

「……なんだそれは」


 ケガ回復湿布シールを貼って火傷は回復中だが、ミカもあろまもボロボロだ。着てる制服が焼かれ、部分的に肌がむき出し。周囲を燃やしたレーザーの熱量は、テーブルや陽一の氷では防ぎきれなかった。衣服の多くを、炭へと変えてしまったのだ。


 ミカが手を合わせて頭を垂れた。

 あろまも同じく手をわせる。仏さまを拝むような合掌だ。


「このまま帰ったら、パパとママが心配する。両親は何かと騒ぎ立てる人たちだから、事件に遭遇したなんて知れば、警察や学校を巻き込んでの大事になってしまうの。わたしは、目立ちたくないんです。傷が癒えて身なりが整って、気持ちの整理がつくまでの時間が欲しいの。ついでに言えば、ボロの私たちを酔漢の前に放り出しないでください! 一晩だけ。お願いこの通り!」

「だから、言ったのによ。きちんと10倍返しでもらうぞ」


 じつはこのやり取り、ススキノのど真ん中でも展開された。郷は、ファッションチェーン店にでも駆け込めと言ったものだが、あろまがそれを拒否。ごうには信じられない理由だが、安売りブランドは肌が合わないという。それ以前、見苦しい姿を晒したくないらしいが。人目を避けて、街の暗がりを歩く方を選んだのだ。


 見かねた郷は、「俺に見られるのはいいのか」という言葉を飲み込むと、同じくらいレーザーに焼かれた格好で、ドラッグストアに入店する。買い物脚と店員から奇異な目を浴びつつ、大きなタオルと焼肉で被るようなスモッグと、100円プラス税の伊達眼鏡を見繕って、女子らに与えたのだ。締めて450円。4500円を女子高生に請求する農業経営者だった。


「服はゴウの家族のお下がりでいい。このさい屈辱に耐える」

「やかましい! 迎えに来てもらうかタクシー拾えよ。学校に通える金持ちだろうが」


 顔を見合わせるミカとあろま。


「ねぇあろま。この人おかしくない?随分抵抗が激しい気がするんだけど。わたしだけかな?」

「同意見。こんな美少女が二人も泊まる。ゴウくらいの男子なら、涙を流して喜ぶのが当たり前。よだれも流す。タオル代もチャラにする」

『オレも気になっていたところだよ。長い付き合いだが、自宅にはお邪魔したことがない。どのような家庭か興味がある』


 美少女って自分でいうかよ。どこが長い付き合いだ。ごうは、二つのツッコミを引っ込めて、目をそらした。


「なにかあるのかな? 泊めたくない理由が」

「り、理由なんかない。ちょっと煩わしいだけだ」

「ほほう」

「ほほう」

「……タクシー、なかなか来ないな。渋滞かな」

『車なんて、ほとんど走ってないだろう。田舎だな』

「ドームでイベントあったかな」

「札幌ドームは使用不能。生まれる前の話」


 そもそも人の行き来が制限されてる場所でイベントなんか、と。ジト目のあろま・・・の目は冷たい。ごうは誰の言葉にも返答しないで、ふたりから距離をとると、ここにいるのが自分ひとりであるかのように、人通りの絶えた歩道の歩道柵にもたれたり、行ったり来たりを繰り返しだした。


「なぁにあれ。いきなり無視するかな」

『あれだ。車がきたらさっさと乗り込むつもりだ。君たちを置いて』

「風向きが悪くなると、無理に違う話題にふったり話を打ち切るタイプ。小学校の男子にもいた」


 ときおり通過するヘッドライト。照らされるごうの顔は青白かった。

 ひそひそ。ミカは、少年に聞こえないボリュームで耳打ちする。


「でも……あと、ひと推しって感じしない? 幽体さんって、紅葉山くんのこと詳しいのかな? あろま聞いてみて」


 ユニークな思いつきだと、満面の笑みのミカ。だがあろまは同意しない。否定的であることを告げるため、胸のアロマ香炉インセンスバナーにキツメのハーブ種を採用。口角がさがり無表情から渋面へと表情が動いた。


「乗り気しない。この化け物。私たちを亡き者にしようと画策した」


 蝶ネクタイをした2頭身半の髭ヅラを、首は動かさず指をさす。

 ミカは少し上を見上げたが、そこには何もない夜の空中があるだけ。すぐ、あろまへ目を戻した。


「まぁね。でも他人の力を借りないとなんもできないんでしょ?なら無害じゃない」

「ボロを纏った原因。害悪がありすぎ。ゴウじゃないけどなすりつけても消えてほしい」

「そうだね。こんなボロボロにはなったよ。けど、なんとか生きてる。悪いヒトじゃないのよきっと。この格好で帰宅することを思えば、この際、ニュートラルでいこう。だから情報だけでも引き出せない?溺れる者は藁をもつかむっともいうし。ね?」

「ミカは人がいい……良すぎる。変な物の怪に憑りつかれるか心配」

「なんの話をいってるの。とにかく幽体さんを引き込んでみて?」


 お人よしな友人に、ため息しかでない。柑橘果実の香りに切り替え、気分を持ち上げた。


「わかった。話し聴けてた”藁の化物”」

『誰が藁の化け物だ。人を前にして言いたい放題だな君たちは……陽一でいい」


 陽一はムスッとしてると態度で腕を組んでるが、短い腕が絡んでない。あろまは、ユーモラスを無視して次を促した。


「それで、ゴウ情報」

『手伝ういわれはないと言いたいところだが、拠り所候補の頼みだ。叶えてやるのも面白いだろう。右脚君のことならなんでも聞いてくれ。つきあいは君たちよりも長い』

「あろま、なんて言ってる?」

「なんでも聞けって。よく知ってる風」

「なら、性格もわかってるよね。弱みとか知ってるなら教えて」


 陽一は、大仰にひとつ頷いた。


『うむ。右脚君は威張っているようにみえるがシャイだ。それに考え込むタイプだ。牢の中では人生をあきらめたし、鑑識室では入室の早々、盗みにはいったことを後悔する始末だ。頼みごとに弱いし一貫性もない』

「盗んだ?」

「え?どろぼうにはいったの?なにを?なぜ?」


 陽一の位置を掴めず、視線が宙に舞ってるミカに答える。目的した物が回収できたのがうれしいらしく、淡々とした態度の底には自慢が見えた。


『内臓だ。相棒に、ヌクレオシドと呼ばれるヤツに渡したろう。オレの指示で盗ませた』

「陽一のせいだと断言してる。路地で廃品回収マシンスキャベンジャーにあげた」

「幽体っていうのは、人間を自滅させる存在なのかな。紅葉山君を操れるとか」

「ゴウを精神支配。陽一はできる?」

『それは置いとけ。いまは右脚君の話だろう。パッキンねーちゃんに翻訳しないのか』

「ミカ。結論からいうと、ゴウは考え過ぎる男」

「なにそれ?」

『負の情報が舞い込むと難しく思考する。あきらめて勝手に自滅する』

「自滅するとか言ってる」

「自滅?なにそれ怖いよ」

「うーん。攻略はカンタンそう。3段構えでいける」


 あろまは、思いついたちょっとした謀略を披露した。ミカは、うまくいくかなと言いつつも、話に乗ることにした。




「そこまで拒否るっていうのなら、こちらにも考えがあります」

「そう。考えがある」


 ミカとあろまにずずずいっと歩み寄られ、ごうはのけぞり声が上ずった。


「な、何をする気でしょうか」

「警察に駆け込んで紅葉山君のことを、いいつける」

「そこで、あることないこと、言いふらす」

「な……」

「きっと信じるよぉ~」

「私たちはボロ。警察がどんな想像を掻き立てるか。楽しみ」


 ごうは身を震わせた。

 いましがた。というには時間が過ぎてるが、一晩ものあいだ留置され、さきほどグレイゾーンで釈放されたばかりだ。その男が、再補導。それが、どれほどまで危ういことかわからないほど、世間知らずではない。


 わずかな匙加減で釈放されたのだ。ならば、わずかな匙加減で重罪に陥なないと誰が言える。危険の導火線がどこまで伸びており、発火剤がどこに潜んでするかわからない。そんなものは無いのないかもしれないが楽観はできない。火気を隠し持った金持ちのお嬢様が、気まぐれでガソリン気化の路上で、発火炎上をかます。十分すぎるほど身長に熟考すべきだ。


 あろま達の謀略にうんうんと唸るごう。戦術というには拙過ぎるごうの思考はあっけなく絡めとられていく。


「…………悪魔の所業だ」

『本当に堕ちやがった』

「ふっふっふー。私たち可愛いいデモネス女悪魔

「ちょろ過ぎる。2段目、3段目があったのに」


 ミルフィーユは、農業従事者は手厚く保護されていると言っていた。ごうはそう思わない。現にいま、軽い脅し言葉で硬直させられ、ごうの進退は極まってる。甘くみていた。


 ごうの指が金属柵をコツコツ叩く。固く目をつぶったかと思うと、頭を掻きむしる。口を開きかけては、何度か何かを告げようとする。が、声になることはなかった。そしてようやく力なく柵に腰をあずけ、ミカとあろまを横目にニラむ。


「……来てもいいが。いいか。驚くなよ」


 掠れ声。それだけをやっと、絞り出す。

 AIタクシーが停車した。


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