邂逅

 長かった地震が治まった。窓を見上げれば、ホバリング停止していた豆粒のようなドローンが、荷物配達を再開した。ビル係留のワイヤー間を飛ぶいつもの光景が戻った。小さく揺れてる天井の案内板に目を戻し、ミカがつぶやいた。


「たいしたことなかったね」


 地震のあいだふたりは、欠席した授業内容を自主補修していた。授業には電子ボードを黒板に使う。電子ボードに書かれたことは、教科書の範囲とともに学校のサーバーに記録される。生徒なら誰でも閲覧可能なそれを、アイデバイスでチェックしていたのだ。


 アイデバイスは、音と画像を閲覧できる携帯型VRマシンで、4つの種類がある。最も普及し、かつ汎用性が高いのが、着脱自由な眼鏡タイプとコンタクトレンズタイプ。埋め込みタイプは手術が必要で、取り外しができないことから、装着者が少ない。網膜にICチップを貼り付ける網膜タイプ。それと、3歳までの幼児に、自身の細胞を培養し施す眼球移植型がある。


 眼球移植型は、機能が未発達なうちに施される。細胞培養の初期過程で、映像機能付加したシステムバイオブリックパーツが挿入、眼球が生育するのを待つ。幼児の年齢まで生育した眼球を移植して完了する。当人の細胞なので拒絶反応はない。


 目玉は、受送信機器のように画像を視認し、視覚野の傍にある細胞サーバーに記録可能だ。音声のほうは、同細胞サーバーを経由し聴覚連合野で理解する。視聴覚も記録も、細胞サーバーを前提としている。受精卵の段階で、エピジェネティクス処理し、バイオブリックパーツをしかるべき位置に挟み込んでおかなければならない。つまり眼球移植型は、計画的にデザインされた人間にのみ可能なアイデバイスなのだ。


 香焚かおりびあろま・・・とミカ・レアンは、眼球移植型だ。


「震源が遠すぎるから。5月の3日間スリーディのような揺れはないでしょう」


 案内の女性警官が、まるで気象予報のお姉さんのように返答した。

 フェイスマスクを装着したあろま・・・が、伏せた目を上げる。


「世界を崩壊させた地震。お巡りさんも体験した人?」

「真顔で失礼ね。31年前のことよ。生まれてもいません!」

「何年後に生まれた?」

「翌年……て、言わせないでよ」





 31年前。2028年5月1日。

 太陽系第3惑星地球において、人間文明を破壊しつくす地震が発生した。


 揺れの大きさを示す震度は2から9。震源は不明。マグニチュードは測定不能。同時多発的に発生したことで、初期の位置が特定できなかったのだ。学説はある。ユーラシアプレートと北アメリカプレートのせめぎあいに、太平洋プレートが巻き込まれたと唱える地震学者。南アメリカプレートと南極プレートだ力説する大学の専門家。ほかにもあるが、どの説にも裏付けできるデータが不足する。世界にくまなく配置された10万を超える震度計が破壊されて、正確なデータがないのだ。知識と経験からなる推測がすべてだった。


 学術的攻防に意味はない。プレート同士が玉突きのように押し合ったという点で意見は一致するが、問題はそこでもない。


 世界中の地層をくまなく探査できるようになるまで、はたして人類が生存できるのか。可能な限りの数のコンピュータを並列計算させ、はじき出したところによれば、現在、世界の人口は最盛期の9%にも満たないらしい。次に同規模の地震がくれば、種として存続さえ危ぶまれる。


 地震は三日間、断続的に続いた。道路は寸断され、ほとんどの建造物は崩壊。山は崩れダムや河川も決壊。低地は水浸しになった。生活に必要なあらゆる基盤インフラが、片端から破壊されてつくされた。木造住宅などは真っすぐに立ってる物は1軒もなかったという。


 被害は陸上にとどまらない。地震エネルギは―は、記録的な津波を立て続けに発生させた。3メートル、5メートル、12メートル。引いては押し寄せ、さらってはやってくる津波。沿岸部流域は、ことごとく洗い流されていく。世界をつなぐ貿易の主流といえばタンカーを始めとした大型船。工場や倉庫など、生産や交易の拠点はどこにあるか。もちろん集中するのは港だ。それがすべて、海に呑み込まれ、砂だらけの更地にされてしまった。


 震源は不明だといったが、日本においての発端は、東海沖だったと判明してる。マグニチュード9.1を告げる地震速報が、国中を駆け抜けたのだ。たった数分の間に、情報は更新された。三陸沖、四国沖、浦河沖と、複数の観測地点からの警報が、折り重なるように流れ、人々の心を凍らせた。東京が発信する公共電波は、それきり沈黙した。


 兼ねてから温暖化による海面上昇と、プレートの影響による沈下が重なり、逃げる間もなく、40%近くの国土が海となり、おびただしい数の人が犠牲となった。


 唯一の朗報といえるのは情報だ。各地をつなぐ電力や通信といったインフラは、部分的に生きているのだ。しかし港湾も生産工場も、それら大型施設を建造する技術や人材が失われた。荒れ狂う海と空を超える手段はない。


  揺れ続けた3日間の大地震は5月の3日間スリーディと呼ばれ、人々の恐怖の記憶となった。永遠と信じていた文明の灯が、脆弱な基盤のうえに立った安寧であったと、生き残った誰もが知らされた。5月の3日間スリーディはそんな記念日なのだ。ときおり、故障しなかった震度計が地震警報を告げてくる。人の住まない地域の地下状況を報せるのは、高性能長寿命の代名詞であったメイドインジャパンの呪いかもしれない。


 北海道は東西に海で分断された。石狩から胆振にかけての低海抜地域は、太平洋と日本海をつなぐ、潮流の速い内海となった。内陸の都市札幌の被害は、比較的少なかった。豊平川を逆流する津波や、ときおり無情に上陸する台風によって、土地は半数の更地となった。


 開拓精神がそうさせたのか、農業拠点としての地位は引き継がれ、荒れ果てた大地をたくましく耕していった。海が近くなったことで漁業も活況になった。昔の高速道路を石と瓦礫で堤防に生まれ変わらせ、上から釣り糸や投網を投げて、漁をする。小型ながら船も作られ、養殖もおこなわれるようになり、近海漁業が定着していく。


 北へいけば、飢えず、食うことができる。


 死をかけての渡航や青函トンネルを歩いての難民が、じわり押し寄せてきた。半分まで減った人口は激増。日本政府の指揮がなくなった大都市は再編を余儀なくされ、北海道・札幌に縦分割された行政は、巨大化した企業の支援のもと、冬都シティと改められ、一本化する。住民は、選挙権をもつ市民、権利はないが納税と引き換えに一定の行政サービスを受けられる準市民で構成。それ以外の難民や戸籍を確認できない人々は非市民とされた。


 失われた金属を使った大型技術にかわって、農作物や原料にする小規模工場によるバイオテクノロジーが基幹産業となった。


 ときおり発生する巨大地震になぎ倒される建造物。それに抗うように軽量頑丈なバイオ骨材で建て増しする都会。400万人まで膨れあがった人口はどうにか統制され、壊滅におびえる人々は、崖っぷちの繁栄にすがって生きていた。





「だ、大丈夫三十路にはみえません。お巡りさん。若いですから」

「若いって言われたらもう年なのよ。言葉に気をつけなさい」


 ニッコリと、ミカのほっぺたをつねる。


「ずみません」

「いいわ。行くわよ」


 3人は、人でごった返すロビーを出た。長いエスカレーターを昇って着いたのは、開放的な2階。そこは、カウンターとパーティションで仕切られた役所のようなオープンスペース。天井に吊り下げられた案内板に、ブースの役割が示してあった。手前から、人事、経理、DV・イジメ相談、詐欺相談、訴訟相談、警察への苦情。


 どこのブースに相談すべきか、鼻をほじりながらタッチパネルをにらむ中年男。120万円だまし取られたと涙を流し訴える老婆。住むマンションの3階の窓横に駐車した車をレッカー移動されたと激怒する若者。補導された息子を返せとつかみかかる母親。市内のいざこざをかき集めたような、ちょっとしたカオスがあった。


 空気から、むせた臭みが減っていた。人は多い。広くなったぶん、1階よりは空気がましになっていた。


「どこにいくんでしたっけ?」

「この階の奥よ」


 オープンスペースを過ぎると、部屋が教室のように区切られたエリアになった。案内板には「多目的ルームエリア」。各室には年季のはいったプレートがつけられてる。書籍スペースとか、畳こあがり部屋とか、視聴覚部屋とか、懇談部屋とか。


 面会室とか尋問室といった、いかにも警察っぽい部屋がみあたらない。別の階にあるのかもと、あろま・・・は残念がった。


「連行される囚人を見たかった」

「それは刑務所だよあろま・・・


 ミルキーと呼ばれる綿製の中折れ帽子を直しながらミカが言った。あろま・・・は、まわりの空気に首をかしげた。こちらを視る人が、やけに多かい。すらりとモデル体形のミカが注目されるのはわかる。だが視線はそこから、下のほう。自分のあたりで静止する。目が合うと慌ててずらす。女子高生が珍しいんだろう。場所的に。


「それ、もう外したら?」

「それ?」

「ガスマスク」

「そうだった」


 臭い除けのをつけたままだってのを忘れていた。後頭部のホックを外してぺりりと脱ぐ。空気が勢いよく肺の中に流れこむ。久しぶりに味わったような開放感。


「聞きにくかったんだけど。最近の高校生って、みんなそんなマスクをつけてるの?」

「まさか。つけるのはあろま・・・だけです。事情がありまして」

「汚い空気はキライ。加齢臭オヤジなんか死滅すればいい」

「わかったわ。そういう人なのね」


 第2会議室という部屋の前で、案内は止まった。ミカが訊ねる。


「会議室なんですか?」

「普通は面会室が使われるんだけどね。予約いっぱいで使えなかったのよ」

「予約って……三ツ星レストランみたい」

「犯罪者が増えてるからね。これでも非市民の小さい事件は対象外にしてるのよ。盗みやケンカなんかは多すぎてスラム自治に丸投げ。いいことじゃないけどね」


 あろま・・・はあいかわらずの無表情で、自分より位置の高いプレートを見上げる。


「極悪人の引き渡しだから、取り調べ室っぽい部屋を想像してた」

「極悪人って……紅葉山ごうくんのこと? クラスメイトなんでしょ?」


 警官が、困ったように笑う。


「初顔合わせ」

「お相撲みたいね」

「敵の出方によって、組む張る投げる。手を決める」


 そんなことを言いながら、無セキュリティの部屋を開く。中は、ありふれた折り畳みテーブルと、パイプ椅子があるだけ。本当にどこにでもありそうなミーティングルームへ入った。


 テーブルの正面に立つ女性に目がいく。人間ではなくアンドロイドだったことに、ミカはびっくりした。通路でも、一体の男性型とすれ違ってる。アンドロイドが珍しいわけじゃないが、同級生がひとりで待ってるいるものと、思い込んでいたのだ。


「お前ら誰?」


 その同級生は、アンドロイドの手前に座っていた。あろま・・・やミカより年上と見受けられる少年。双眼鏡のストラップを首にかけ、片手でスマホをもてあそんでる。高度で便利な眼鏡型アイデバイスを使わず、胸ポケットにひっかけてあった。


 パイプ椅子に斜めに腰かけ、まるで、自分にも他人にも関心がなさそうに、疲れて眠たそうな半眼をこすりながら、大きくあくびをした。


「ミルフィーユさんに失礼だろ」

「お菓子に、さん付け?」

「直訳は”千枚の葉”。パイ生地を重ねたフランスの伝統菓子のこと。それがなにか」


 テーブルには一欠けらも食物がなかった。意味が分からず、ミカと顔を見合わせた。説明があるものと言葉を待ったが、二人を一瞥して息をつくと、視線をスマホに落とした。女性警官がフォローする。


「そのアンドロイドの名前よ。うちでは、女性型にお菓子やケーキに関する名前をつけてるの」


 これが落第したという同級生。あろま・・・は観察する。先年まで、いや、半年前までは同じ校内にいたのだから、すれ違うことくらいした紅葉山ごう。成績は優秀だったようだ。なぜ退学届けをだしたのか。学校が保留とした理由は何か。


 印象に残る顔立ちではない。黒髪の日本人遺伝子をもつ17歳には、さしたる特徴がなかった。片足が不自由で松葉杖をついてると担任から聞いていた。右手にはマメが確認できたが、杖は見当たらない。


 犯罪で補導されるような不良にはみえないな。複雑な家庭のため、保護者が身元引受人になれないとか。未成年のくせに農園を経営していると聞いてる。バカに事業は務まらない。アイデバイスに画像と第一印象を思考保存した。初対面の人物を記録するのは彼女の習慣だ。


「あれは?」

「どうしたの?」


 肩のあたりに何か見えた……気がした。ヌイグルミのような、ホログラムのようなものが居て。消えた。もう一度よく見ようと、目をごしごしこする。今度は見えない。


「ううん」


 気のせいだったようだ。マスクのせいで酸欠気味になっているのかもしれない。アロマ香炉インセンスバナーをスパイスに切り替える。セットしてあったジンジャーの香りが立ち昇り、ぼんやり頭に、鋭利な集中力がみなぎった。凝視したが何もない。幻覚だったようだ。


「お疲れさま紅葉山ごうくん。君は釈放されます。彼女たちが身元引受人よ」

「こいつらがですか? 教師でも事務員でもなさそうだけど?」


 ごうの目が丸くなった。その意見には賛同できた。普通の感覚は持ち合わせている男子だと、あろま・・・は追記する。

 勢いに弱いミカが、となりで頭をさげた。


「ごめんなさい。先生なら帰りました。わ、私はあなたのクラスメイトです」

「へぇ。ここから出られるなら誰だっていいけど。待ってる間に書類へのサインも済んだし、帰ってもいいんですね?」

「え、ええいいわよ」


 紅葉山ごうはよっこらしょとテーブルに手をつき、けだるそうに立ち上がった。


「じゃ、ミルフィーユさん」

「お世話になりました。紅葉山ごうくん」

「こちらこそです」


 ほかの者には目もくれず、アンドロイドにだけ片手であいさつ。さっさと、会議室から退去していった。ドアがパタリと開いて閉じて、空気が静かになった。


「たんぱくな少年ね」


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