誓いの剣

 青年は金髪を風になびかせ、意気揚々と帰郷する。

(きっと親父も兄貴も、俺を一人前だと認めてくれるだろう)

 彼はまだ誰も見たことのない、北海のさらに北の果てにある大地に到達し、珍しい品々と氷の国の姫の愛を手に入れた。航路はきちんと記録している。次からはもっと容易に渡れるはずだ。新しい交流は富をもたらすに違いない。偉業を成し遂げ、青年フリオ・トマは誇らしげに胸を張った。

 桟橋に出迎えた兄が肩を叩き、よくやったと豪快に笑う。だが、父は険しい顔のままふんと鼻を鳴らして背を向けた。兄がそっと耳打ちする。

「おまえが旅立ったすぐ後に、ウェーザーと戦争になってな。降伏を迫られてるんだ」

 まさか、とフリオは叫んだ。

 ウェーザーといえば南の大国、正式な国交こそなかったが、商人や市民は自由に行き来できるほど良好な関係だった。彼らの母親もウェーザー人である。なのに、なぜ。

「ウェーザーは俺たちを、海軍として取り込みたいらしい」

 北海最強の海賊とその本拠地として整備された街、それらを支配下に置くことでウェーザーの軍事力と領土はますます強大になる。

 折しも北の大地と交易がはじまろうとしていた。ウェーザーの王には予知の力があるのか。フリオは感心する。

「なんで親父は、さっさと降伏しないんだ?」

 ウェーザーに従うことは彼らにとっても悪い話ではなかった。他の海賊団とは違い、彼らはその武力をもって海の安全と秩序を守り、契約次第では商戦の護衛なども引き受けることがある。海軍という正式な地位があれば、彼らの行為は正当化されるうえに、牽制になり無駄な争いをなくすことができるだろう。

「……疲れているだろう。呑みながら話そう」

 兄のイサーク・トマは言いにくそうに口ごもり、青年を近くの酒場に連れ込んだ。

 酒場の顔なじみたちは青年の冒険譚を聞きたがったが、それよりもウェーザーとの戦況が先だ。フリオが詰め寄ると、イサークは麦酒をあおって申し訳なさそうに頭をかいて苦笑した。

「どこで知り合ったんだか、ウェーザーの若い王様が俺の娘を気に入ってな」

「エリシアを?」

「ああ。駆け落ち同然に出ていったかと思ったら、結婚を認めろと攻め込んできやがった。俺は反対するつもりなんかなかったのにな」

 なるほど、父が機嫌を損ねる理由はわかった。おそらく海軍の話などは後付けなのだろう。かわいい孫娘を奪われ、大軍で攻め込まれ、降伏勧告となれば簡単にはうなずけまい。

「エリシアのせいでこちらの情報は筒抜けで、おまけに慣れない陸上戦だ。勝てるわけがない」

 イサークはやれやれと肩をすくめる。

 さて、どうして異国の姫と結婚したいと伝えようか。フリオは頭を抱えた。

「それで、おまえはどうだったんだ。新大陸の話を聞かせろよ」

 フリオの気持ちなど知らずに、イサークは新しい麦酒を注文してナッツをかじる。一族の危機だというのに、どこか楽しげに。

 フリオは兄に勧められるまま麦酒をすすり、ぽつりぽつりと不器用に語った。

 友好的な住民に歓迎されたこと、美しい女王と妹姫のこと、妹姫を妻として迎えると約束したこと……イサークはグラスを高々と掲げ、顔なじみたちを呼びつけて弟を祝福した。あちらこちらから拍手と口笛が鳴り響く。

「なんてこった。ちくしょう、エリシアのことがなければ、親父も泣いて喜んだだろうに。あのじゃじゃ馬め」

 豪気で陽気な兄は、父の説得は任せておけと機嫌よく笑う。フリオも不安はあるものの、ぬるくなった麦酒を飲み干し一息ついた。


 それから幾日過ぎただろう、寒冷地の冬にウェーザー軍は撤退し、一時休戦となる。厳しい寒さに孫娘が戻らぬ淋しさを抱え、トマ一族の統領は雪解けまでに決断を迫られた。

 愛しい孫娘の幸せと仲間たちの安全を思えば答えは明白。しかし、最強と謳われた誇りは捨てられぬ。深いしわの刻まれた顔には疲労の影が浮かんでいた。

 フリオは焦る。兄に言われるまま離れを改修し、親戚の女や女中たちに頼んで姫のための部屋を整え、花嫁を迎える支度だけは進んでいるのだが。相変わらず父とは話せないでいた。


 いよいよ春の訪れを感じるほどの日差し、雪割り草が芽吹く頃、港に一隻の商船がたどり着いた。船体は大きく傷つき、帆は破れ舵は効かず、乗組員たちは衰弱し憔悴しきっている。よく、これで航海に耐えたものだ。

「か……海賊に襲われて……」

「他の船がどうなったか……」

「ここはどこだ? ああ、目的の地だったか……」

 彼らは口々につぶやき、ため息をつく。フリオとイサークは気落ちする船員たちを励まし、手厚く看護した。

「命があれば、いくらでもやり直せるさ。仕事を紹介しようか?」

「ありがたい。だが……」

 ひときわ大きなため息。仲間を見捨てたことを悔やむのか、諦めきれぬ荷でもあったか、否。

「旗艦に乗っていた姫さんが気の毒で」

「嫁ぎ先に向かう途中だったのに……」

 フリオは耳を疑った。そんなはずはない。待っていろと約束した。ごくりと固唾を呑む音がやけに響く。胸は早鐘のように鳴り、膝が震えた。

「そ、その、姫というのは……」

 彼らは瞳を閉じて思い出す。

「長い黒髪、深い海のような色の瞳……」

「歌うように話すきれいな姫さんだった」

 止める兄の腕を振りほどき、フリオは剣を掴んで飛び出した。

「おや、フリオ、血相変えてどうした」

 港の監視をしていた仲間が声をかけても、まるで届かず。ろくな装備もせずに、小回りの利く船を選んで乗り込んだ。

「ちくしょう、早まりやがって!」

 急いでイサークも後を追うが、フリオを乗せた船はみるみるうちに遠くなる。荒れ狂う波も吹きつける風も、フリオを引き留めることはできなかった。

 きっと前を見据える瞳からは枯れることなく涙があふれ、噛みしめたくちびるに血がにじむ。

 なぜ、もっと早く迎えにいかなかった。準備はとうにできていたのに。

 なぜ、待っていてくれなかった。海の恐ろしさも知らずに、なぜ海に出た!

 やがて風が止み、霧が晴れ、立ちはだかる壁のような黒い船団。

 憎い海賊どもは近付く小舟に驚き、そして残忍な笑みを浮かべた。果敢に挑む青年を嬲り、嘲り、奪う。ぎらりと光る半月刀に誓いの剣は折れ、ついに青年は息絶えた。

 波のいたずらか海の女神の慈悲か、青年の小舟は故郷の港に流れつく。

 父親は変わり果てた息子をかき抱き、一族に弔い合戦の号令をかけ、ウェーザーに降伏を受け入れる書簡を送った。

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