渦中

第二十九話 渦中(一)

 事が起こったら、いつも兄はどうしていたか。辣腕と言われる若き後継者の不在に、アウロラが感じる重圧は大きかった。またも思い出されてしまうあの言葉。かえ

 だが自分も兄と同様、もう一人の為政者である。そのような身で取り乱すわけにはいかない。兄がいない以上、いま民の支柱になるのは自分の他にいない。何か行動を起こさなければ、何も動かないのだ。

 思いつく限りの可能性を頭の中に並べ、最適と思うものを選んで指示を出していく。

「時計台についての報告は残念ながらまだ入っていないから、まず大臣は地下水脈の調査を手配してください。部屋の壁にも異常が無いか確認を。並行して豊穣祭と一周忌の式典準備を進めます。式次第を再確認して司祭に回して。それから」

 客人に頼むのはまだ遠慮を感じたが、悠長なことも言っていられない。

「ウェスペルは式典準備の補助をお願いします。厨房の方で式典用の食器の選別と……そうね、倉庫から祭事用の衣装を出して、ほつれや何かが無いかを確認してください」

 正直に言ってウェスペルの申し出はありがたかった。他の政治的な事柄への配慮に手間を取られていて、ごく簡単な作業が進んでいないのだ。国事に通じた者が手一杯であるため、単純作業には子供の手も借りたい状況である。その中でもウェスペルにこそ任せられる仕事があった。頼んだわよ、とソナーレに目配せすると、侍女は頷きで応える。

「では、ウェスペル様は私と厨房へ」

「あ、はいっ」

 ソナーレとウェスペルが出て行くのを見送り、アウロラは過去の式典記録を再度確認する。一周忌は新月。つまり明後日に設定してしまった。兄王子にそれを伝えてあると言っても、当初の諸外国歴訪の日程から考えて帰還は明後日の朝になるだろう。ぎりぎりの日取りである。しかもこの予定も、万が一の事が起こらないという前提でのものだ。兄が間に合うと信じてはいるが、出来るだけ余裕を持って式次第を調節しなければ。一方で外面的なことを考えれば、市場もそう長いこと閉められない。連休の後に運よく新月が続いていたからこそ、この日に一周忌を当てられたのだ。現在取っている方策は、そういった事情があるもとでの賭けだった。

 城仕えの者をどの持ち場に配備するか大臣と話し合っていると、音もなく自室の扉が開いた。シードゥスだった。

「お疲れ様。伝達ありがとう」

 アウロラは書類に目を落としたまま礼を述べる。

「あれ? 鳥、見えました?」

 やや驚きを表しながら断りもなく入ってくると、シードゥスはアウロラたちが書類を広げた机へ近づいて上から覗き込んだ。

「結構、仕事詰まってますね。うーん、しかもどれも時間ぎちぎち

「仕方ないわよ。お兄様の代わりのところもあるし、他の部署に回せないことも多いし。大臣がかなりの量をやってくれるからましな方だわ」

 シードゥスは大臣の処理業務に目をやり、うげぇと渋皮を噛んだような顔になる。当の大臣は涼しい顔でそれを黙殺した。

「どうもこの手の国事は王族以外に出来ることが限られてきますな。殿下がいらっしゃればいざ知らず……」

 式次第は、各部分で司祭、助祭、大臣など担当者が分かれているが、王族だけはほぼ出ずっぱりである。結局のところ、準備も大半が王族と各担当者との打ち合わせになってしまうのだった。

「姫さまが倒れそうな予定だな……ところでウェスペルは?」

「いまは厨房。そのあとに衣装部屋の方、頼んでる」

「じゃ、このあと、僕もそっち行きます。えーっと姫さまは……」

 シードゥスは書類の上で指を泳がしていき、「ん?」と豊穣祭の備品を記した項目の上で止めた。

「これ、確認できてます?」

 豊穣祭ではつづみや鈴を使って王族が舞う。シードゥスが指したのはそれら祭器の類だった。一年の間、即位式など特別な式典がなければ祭りの時にしか使われないものだ。大臣が眼鏡の縁を上げて唸る。

「まだですな。これは厄介な。祭器だけは姫様にやっていただかなくては」

 祭器の出し入れは王族のみに許されており、他の者は触れないというしきたりがある。祭器たる神器は楽の拍子をとり、舞う人々を統率し、踊りの列を導くものである。

「王族が祭りの秩序を保つのには意味がありますからな。国の秩序を守り、国をべて民を導く王族の使命と同じですぞ、姫様」

 舞の足並みを整え率いる王族こそ、国の秩序を整え、それを守る者。

「一回、掟破りしたらどうなるか試してみる?」

「馬鹿を仰いますな、この非常時に。清めの儀をないがしろにしては祭りの儀そのものが狂いましょう」

 祭器は舞の列が出発する東塔に保管されている。時計台と並んで西塔、東塔は地理的にも城下の要だ。東塔を出た舞の列は、時計台まで進み、海から移り住んだと言われる妖精に舞を捧げる。この方位は日の動きと合致する。祭りは太古から伝わるものなので、当初から太陽の進行と合わせていたのかどうかはもはや記録にもないが、現在でも舞の列は日の出と同時に東塔を出発する。ただその前に、時計台で祭器を清める儀式を行わなければならない。

「だがしかし、困りましたな。姫様に城を離れられても……」

「じーさん、なに迷うことありますか。これだけ異常が続いてるんだ。こっちも明日にでも姫さまが見ておいたほうがいいですって。他の細々したことなら、姫さま抜きで出来るぎりぎりまで僕らがやるから」

 普段あまり真面目にならないシードゥスだが、珍しく神妙な面持ちである。語調も常にないほど熱のこもったものだ。

「確かに、いざ清めを行う時に鼓が割れてました、とか言ったら笑えないわね。行っておいたほうがいいか……そうしたら今日のうちに他のことを出来るだけ片付けましょう。ウェスペルが私の代わりをやってくれるおかげでこちらの負担も減るもの」

「なんです? ウェスペル様が姫様に代われることなんてありますか?」

 国家の大事を、と眉をひそめる大臣に、アウロラは悪戯を計画した子供の如く口の端をあげた。

「衣装合わせ。あれ結構、時間がかかるのよねえ。毎年まだまだ背も伸びるし。私と背格好全く同じだから、代わりにやってもらう手筈よ」

 食べすぎるし? と口を挟んだシードゥスは、分厚い書類綴じで一撃された。

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