第十二話 邂逅(四)

 ――何とか間に合った。

 馬に揺られたあとの激しい動悸に息が上がりそうになる。それをぐっとこらえ、王女は市場中央を見据えて声を張り上げた。

「急の決定ゆえ、隣国歴訪中の第一王子に代わり、市場閉場を伝達します!」

 嘘はついていない。この表現ならば兄王子からの勅令に聞こえることは明白だが、兄の伝達とは言っていない。兄不在の状態で妹である自分が兄の代わりに現状判断をしているのだ。

「事前告示が全くないことにご不満になられるとは重々承知の上ですが、国母たる母后の御霊みたまへの礼儀とご理解を賜りたく!」

 ――お母様、ごめんなさい。

 後ろめたさを感じつつ、顔が歪まないよう群衆をきっと見つめる。

「亡き王妃の一周忌の儀礼がしくも豊穣祭の最中たる盛秋の満月に当たりました。この新たな実り祝うき日にき去った御方を偲ぶのは幸先芳さいさきかんばしくないとして、ふさわしき日取りを選んでおりましたが、我らをおまもり下さいます月と星座の暦から、市場の翌営業日に当たります次の盛秋新月が最良との決定がくだりました」

 豊穣祭と一周忌がぶつかったのは本当なので、半分は嘘ではない。御霊みたまの安らかな眠りと来世の出発を願うという意味で新月に一周忌をぶつけるのも、一応のところ理に適っている。しかしそれでも亡き母に向かって素直に胸中で謝らざるを得ない。いくら理屈に合っていても、その日程を最良とする決定は、下ったのではなく自分が自己裁量で下したのである。ああ母を口実にするとはなんてこと――良心がちくちくするのを感じながら、王女はさらに嘘を重ねる。

「本来ならば事前通達が義務ですが、天暦てんれきうらと議会承諾の運びゆえに直前のご連絡となりました。つきましては出店中の皆様に休業を願います! また、帳簿に逗留届はありませんでしたが、国外からご来訪の方々には念を押してお願い致したく存じます。善き魂を偲ぶは国家の務めであり内々の事にして、親しき隣国の皆様方におかれましては御臨席を御遠慮いただきます決まりとなっております。したがって本日の閉場にて一度ご帰還いただき、次の開場にて再度お目見えを!」

 全く例のない急な勅令である。もっともらしい理由をつけたとしても、困惑や苦情は不可避だ。その証拠に広場に集まってきた商人の面々にも明らかな動揺の色が見える。だが王女は、国家の面目のためにもすでに策を考えていた。

「国事決定の遅延という不手際を償いますためにも、此度こたびの閉場に代わりまして、例年は国内商人のみに限定される豊穣祭の市場開放を隣国の友人方にも認めます。実りの感謝を共にし、秋の恵みを祝い、先々の繁栄を祈りましょう!」

 豊穣祭の出店を国内業者に限定するのは、祭りで売り時なこの日に国外商人の爆進的な利上げを押さえる目的で随分と昔に取り決められ、慣習化したものだ。豪族が信じられないほど富をばらまいて輸入品を高値で買っていった過去ならともかく、今はそこまでの利上げは考えられない。だがそれでも売上高は跳ね上がり、少なく見積もっても通常の三割増を期待できるのがこの祭りなのだ。

「詳細はわたくしの兄及び議会の正式な書状をもって、追って御連絡致します。本日の市場閉場までわずかとなりました。速やかな退場と、無事の御帰郷をお祈り致します。次回の開場まで間が空きますが、佳き新月の日を!」

 王室正式の礼をとり、この知らせが正当であることを証明する。聴衆には驚きの顔こそあれど、疑問や反論の声はない。とりあえずは納得させるだけの理由として受け取られたようだ。自分は急ぎ城に戻り、再び大臣らと時計修復の手立てを探さねば。

 王女は礼から直り顔を上げる。

 その時、瞳が馴染みすぎた双眸に捕まり、体が凍りついた。

 相手のそれも自分と同様の驚愕に大きく開かれ、お互い磁石のごとく、意図しない見えない力で相手を掴む。

 時が止まったと錯覚するほど長い一瞬。

 目の前にいるのは、わたし、だ。

 頬の丸みと小さめの顎、はっきりした目鼻立ち、柔らかな濃茶の髪、鏡に写したとしか思えない姿。いや、それらを抜いても瞳だけでわかる。

 秋の紅葉を映したのと同じ、鮮やかな橙色。

 わたし、がいる。

 沈黙の中でしか聞こえない、鋭く耳を裂く神経の高い緊張音――

 動いたのは少女が先だった。踏み出した足を軸に後ろへ向き直り、人混みへ埋もれる。踵を返すその動きに王女を縛っていた力も解けた。

「それではこれをもって閉場とし、どうか帰路のご無事を!」

 体裁を繕って高々と叫び、共に来た騎手に「あとよろしく」と一言、人垣がばらけたところへ紛れると駆け足になった。

 残された騎手は、あとよろしくと言われても、どうすればよろしいのか解らない。

「まったく姫様はいつも通りなんだから……市場に知らせがあるから行くとしか聞いてませんよ僕は」

 ただ、いつも通りのことである。あの頭の回る王女の普段の行動から推測するに、善後策が取られているに違いない。恐らく城を出る前、誰かしらに諸々の手続きを命じているだろう。

 そんなことを思った矢先、自分たちが来た城方面の道から軽快な蹄の音が聞こえてきた。市場について残りはいま駆けてくる彼に任せればいい。自分は帰って遅ればせながらの休憩の続きをもらうとしよう。

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