第10話 リヴァイアサン

 深夜、夜明け前。悠馬の部屋ではラルアが寝ていた。

 悠馬は落ち着かず窓から月を眺めている。

 部隊はそろそろ京都に着いた頃だろう。

 そう思うと悠馬は部隊が心配になる。


「……ゆう」

「すまん、起こしたか?」


 まだ緊張しているのか遠慮がちにベットから顔を覗かせてる。

 ラルアは首を振って上体を起こす。

 ラルアは今、寝間着として愛理からもらったクマの上下一体のパジャマを着ている。

 年相応で可愛らしい。だが、月の光に照らされたラルアの表情は冴えない。


「いやな、感じがする……」

「いやな感じ? どうしたんだ?」

「わか、らない……」


 自分を抱きしめるラルアに怪訝な顔をする。どうしたというのか、顔は青白い。


「体調を崩したのか?」


 聞くが首を横に振るだけのラルア。

 悠馬はどうするべきか迷ったが愛理のところか、夏美のところに行こうと思う。

 女の子の異変は女性に聞くのが一番だろう。


「ラルア、愛理か本郷さんのところに行こう。二人なら何か分かるかもしれない」

「……なつのところがいい」


 ライアのつぶやきに頷き、手を取り部屋を出ていく。

 部屋を出る際にジャケットを羽織り、腰に『天羽々斬』を念のために刺していく。

 一応待機命令が出ているため、外に出るときはいつでも戦闘できるようにすることを心がけなければいけない。

 特に愛理に見つかったら小言を言われ続けてしまうかもしれない。

 それは勘弁願いたいと内心苦笑する。


「……ラルア、どこか痛いとかはあるか?」

「……ううん」


 月明かりに照らされた廊下を歩きながら首を振るラルアに困惑する。

 だんだん顔色が悪くなっているように見える。

 心配になって戻ろうかと思う。


「悠馬」

「あれ、本郷さん?」


 後ろから声をかけられて振り返る。

 全く気づかなかった。


「こんな時間にこんなところで何をしているかわからないけど、ちょうどよかったわ、あなたとラルアちゃんに用事があってきたのよ。部屋にいないからびっくりしたわ」

「俺たちもちょうど用事があったんです。少しラルアが具合悪そうで。俺の部屋まで来てもらってもいいですか?」

「ええ、わかったわ」


 夏美が快く快諾してくれたので遠慮なく青い顔をしたラルアを連れて部屋に戻る。

 すぐに部屋に着いて中に入る。


「悠馬、そのままの格好でお願い」

「? わかりました」


 不思議に思いながらもジャケットと『天羽々斬』を持ったままの状態で部屋に入っていく。

 ラルアをベットに座らせ、悠馬は床に腰を下ろす。


「それじゃあ、まずラルアちゃんね」


 そういってラルアの額に手を当てて熱を測り、触診していく。

 くすぐったそうにするラルアだったが、顔色はすぐれない。


「体に異変はないわね。何かあった?」

「いや、特に何かあったとかはないですね」


 首をかしげる夏美に悠馬が返す。

 ラルアが少し震えていることがわかる。


「あ、あの……。な、何か……怖いです」


 怯えた表情でそう口にするラルアにますます首をかしげる二人。

 悠馬がどうしたものかと思っていると夏美がラルアから離れる。


「一応診てみたけど特に異常はないわね。とりあえず様子見」

「わかりました」


 何か引っかかる思いをしながらも今は様子見に徹するしかないと切り替える。


「それじゃあ私の用事ね。まず、ラルアちゃんの細胞とかの解析が終了したわ。本当にこれには驚いたのだけれど——」

「来る……!」


 夏美の言葉の途中で急に顔を上げて呟いたラルアに二人は目を丸くする。


「ラルア、来るって何が来るんだ?」


 悠馬が怪訝な顔をするが、ラルアは反応する余裕がないのか自分を抱きしめて震える。

 夏美と顔を合わせて首をかしげる。


「……私を、殺しに……来る。逃げてっ……」


 瞬間。セイレーン全体の警報がけたたましくなった。


「なんだ!?」

『緊急警報。市民は今すぐ地下シェルターへお逃げください。繰り返します。今すぐ地下シェルターへお逃げください。輪龍悠馬中佐は至急港までおいでください。総督がお待ちです』


 緊急警報。数度しかなったことがないセイレーンの最終ラインを超えられた証。

 実はセイレーンの周りには旧時代の遺産である、レーダー装置が設置されている。そこを超えられないように仕掛けが施されている。残念ながら今回は意味をなさなかったらしい。

 悠馬は外に飛び出そうとする。


「ま、待って! ゆう、行っちゃダメ!」


 初めて聞くラルアの焦った声。

 その声に夏美は驚愕するが悠馬は優しい微笑みを浮かべる。


「……俺が行かなきゃいけない。ラルア、安心しろ。何があっても俺が守ってやる」

「ダメ、ダメ……絶対に行っちゃダメ! アレには勝てないっ!」

「人には行ってはいけない瞬間はある。でも、それでも行かなきゃいけない時もあるんだ」


 いやいやと駄々をこねるように、ジャケットを握りしめて首を振るラルアの頭をそっと撫でる。


「行ってくる」


 最後にそれだけをいいラルアの制止を振り切る悠馬。

 ラルアの目には逞しくも寂しい印象を与えた。


          ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎


 市街を走り抜ける。

 空中に足場を生み出し加速する。

 昼間賑わいを見せる港が近ずいてくる。

 夜の街を見てこうやって昔夜の港を見に行ったなと場違いな思いが浮かんでくる。


「ああ、怖いのか……。多分リヴァイアサンだよな」


 自分の内にある感情と面と向かって対峙する。

 走りながらもできる限り心の整理をしていく。

 自分が戦闘を恐れていることを認め、その上で恐怖をねじ伏せる。

 ずっとそうしてきた。研究所をでて、志雄に拾われ、戦闘を学んだ時から。

 剣を与えられてからずっと研鑽を積んだ。積み重ねてきた確かなものがそこにはあると信じる。

 大丈夫だと自分に言い聞かせていると港に着く。


「悠馬ぁ! やっぱりこっちにきやがった!」

「総督! 状況の報告を先にお願いします!」

「ああ、最終ラインを”何か”が超えた! でけぇのがな!」


 苛だたしそうに叫ぶ志雄。悠馬はなおさら緊張した面持ちになる。


「なんだ悠馬、緊張してんのか?」


 呆れた顔で志雄が聞いてくる。


「まあ、そうですね」

「はぁ……。いいか悠馬。死地こそ楽しめ。人生は最後まで楽しんでこそだろ? 後悔を残すな。どうしてぇかだけ考えろ。戦場では緊張したら死ぬ。それが嫌なら楽しんであがけ」


 ばつんといい音を鳴らしながら志雄が悠馬のケツを蹴る。


「いってぇ! 何すんだ志雄さん!」

「はっ! ガキが一丁前に覚悟決めた顔したからだよ! 生きてナンボだろうが、死ぬんじゃねぇぞクソガキ!」

「もうガキって歳じゃねぇよ!」


 緊張が解ける。口では反抗しているような言い方をするが、心の中では心底感謝している。

 志雄なりに元気づけたのだ。これ以外は知らねぇと背中が語る。


「ありがとう……」

「ああ!? いつまで惚けてんだ! くるぞ!」


 うっすらと空が白み始める。その瞬間、光すら押し隠すような巨体が海面から現れる。

 それは形を成した絶望だった。

 細長い肢体。置く時に発光しているのか、青白く光る鱗。全てを絶望に引きずり込むような青い瞳。

 まともな形をしていたら美しいと感じてしまうかもしれない。

 だが、”それ”はまともな形を成していなかった。


「異形……」

「あれがリヴァイアサンだ! 気ぃつけろ!」


 体の所々に大きな眼球。意味を成さない小さな手が至る所から生えている。何よりも醜悪なのはいびつすぎる形の王冠だろう。人や動物の骨、肉などをかき集めて形を成しているような、そんな印象だった。


『我に歯向かう愚か者どもよ。今なら傘下に加えてやろう。青い髪をした娘を出せばだがな』

「しゃべっ!?」


 驚く悠馬にリヴァイアサンは嘲笑する。


『矮小なるものよ。我が話すのは意外か?』


 地の底から響くような恐ろしい声。リヴァイアサンの醜悪な見た目にはあっているように思える。


『まあいい、久しぶりに人語を介した会話をして我も舞い上がっているようだ。我は今気分がいい。特別に青い髪の娘を差し出したら庇護下においてやろう』


 再度の通告。青髪の娘というのがラルアを指すのは明白だろう。

 悠馬の頭には最初からラルアを渡すという選択肢はない。


「すまん、お前が言っている青い髪の娘に心当たりがないな」

『——なるほど。匿うのか。なら、覚悟せよ』


 志雄まで呆れた顔をしたが腰に差した短剣を抜き放つ。


「いいじゃねぇか悠馬! いくぞ!」


 叫ぶと同時に駆け出す志雄に悠馬も続く。

 腰に下げた『天羽々斬』を居合の要領で抜き放つ。

 何もしないリヴァイアサンに裂帛の気迫を込めた一閃が迫る。


『くだらん』


 カァン! と硬質な音が響き弾かれる。

 その間に志雄が背後に回る。

 志雄の能力は気流操作と呼ばれるもの。難易度が高い能力だが、志雄は完全に使いこなし滑るように移動する。


「シッ!」


 鋭く空気を吐いて鱗と鱗の隙間に短剣を滑り込ませようとする。

 だが、鱗の下に覗く皮膚にすら刃が通らない。


「クソがっ!」


 悪態をつきながら離脱を試みる志雄だったがリヴァイアサンに生えている腕に殴り飛ばされる。


「志雄さん! ガッ!」


 志雄に意識を向けた瞬間に悠馬も同じように殴り飛ばされる。腕だけでタンカーにぶつかったんじゃないかと思うほどの衝撃に見舞われる。

 臓器がかき乱され、血が吹き出る。骨は砕け、意識が刈り取られそうになる。


『矮小なる存在よ、我に歯向かうだけ無駄だ。降伏せよ』


 志雄が海から上がってこない。

 悠馬は港で立てなくなっている。

 リヴァイアサンには傷一つ付いておらず、絶望的な実力差が垣間見える。

 身じろぎひとつしないリヴァイアサンを睨みつける。


『ほう、まだ折れないか。では、街から先に済ませるか』

「や、やめろ!」


 渾身の力を振り絞り立ち上がる。


「ゆう! 逃げてぇ!!」

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