番外 ~啓示の記憶~

 最初、俺が自分のことで覚えているのは啓示と言う名前だけだった。


 それ以外は全く覚えていない。

 覚えていたのは、『俺は必ず生き返らねばならない』と言うことだ。なにかやり残したことがあるのか、それとも単なる意地なのか、それはわからない。


 だが、俺はきっと異世界なんてものにいきなり放り込まれて、納得できるような生き方はしていなかったのだろう。

今の現状が気に入らなくて仕方なかった。


 現世にやりのことしたこともなく、自分の成果に努力したり、結果にプライドを持ったりしない人間は、残した物を忘れて楽しくやれるのだろう。

少なくとも、俺にとってはそうではなかった。


なんにせよ、俺達はあの得体の知れない怪しい男に啖呵切って、地獄に落された。

徐々に記憶が戻ってきたのは、それからだ。


 死に溢れた世界の中で、思い出す記憶はすべてクソみたいなもの。


 まず、父親が最悪だった。


 働きもせず、暴力を俺や母親に振ってきていた。自分が絶対的な強者として力を振るい、理不尽に理屈にならないことを並べ立て感情をぶつけてくる。それが俺にとっての父親と言う存在だ。


 そんな父親は家を空けることも多かったから、その間、俺と母親の二人きりだったわけだ。


 ふと気が付くと、父親と母親はいつの間にか別れたのか別々に生活にしていた。


その辺りはなぜか記憶が定かじゃない。

だが、俺の頭に深い傷跡が残っているのが関係しているんじゃないか。そう勝手に思っている。


 普段は目立たないが、坊主頭にしたらすぐにわかるような傷跡だ。未だに毛の一本も生えてこないからな。


 当時、俺は母親にすごく懐いていて、自分が母親を守るんだと思っていた。

 本当にガキってのはバカだと思う。


ガキにはそんな力もないし、ましてや自分の親がどんな人間かも理解してない。


母親が苦労してたことだけは否定しない。実際、自分の親は世界で一番立派だ、すごい人だ、どこかそんな風に感じてしまっていた。


 母親がなにで金を稼いでいたのかは、当時はわからなかった。

今ならすぐにわかるだろう、母親は身体を売っていた。


 そこまでして俺を養ってくれた、と言えば聞こえはいい話だ。


 だが、母親にとって子供は一番ではなかったようだ。


 母親は恋人を次々に変えていた。なかには暴力的な奴も、ずいぶん下衆な奴もいて、男の俺を変な目で見てくる奴もいたもんだ。


 そんな状況でも、俺は母親を守ろうと思っていた。

俺を危険にさらしたのは母親だってのにな。


 顔も覚えていないが母親の恋人の中じゃ、一緒にキャッチボールをしてくれた一番世間知らずそうな男を俺は気に入っていた。

悪い女に引っかかるのは、だいたい純朴そうな男だ。


 何かと俺のことを気にかけてくれたし、母親のことも思いやってくれていたように思う。

 仕事の関係でそいつは一時的に離れることになったが、いずれは戻る約束だった。


だが、母親はその間に他の男を作った。きっと、たいして時間も経っていなかったんじゃないだろうか。


 いくら子供って言っても、なんとなく世の中の道理がわかってくる。

さすがに腹が立って、母親を問いただした。いや、そんな立派なものでもないな。気に入らなくて文句を言ったわけだ。


 そしたら、なんて言われたと思う?


 『寂しい』んだとさ、『誰かが傍にいるのはケイちゃんのためにもなるのよ』とまで言いやがった。


「ああ、コレはもうだめだ」とそう思ったね。


 今ではキャッチボールどころか、野球そのものが嫌いだ。

嫌な思い出になっちまったからな。


 そこから、また記憶が飛んだ。


 俺はいつのまにか、ばあさんに養われていた。

 母方のばあさんだと思っていたが、本当は直接の血のつながりがない親戚だったらしい。


 俺が母親に捨てられたのか、それともなにか事故でもあったのか。それは定かじゃない。


 なんとなく気になったが、ばあさんに聞くのもはばかられた。

俺にだって空気を読む能力くらいはあった。


と言うか、空気を読めなかったらどこかの男に殴り殺されている。


 もしかしたら、この頭の傷は空気が読めなかった証拠なのかもしれないが、だとすると死ぬような目にあってようやく学習できる程度の残念な脳みそだったと言うことになるな。


 さて案の定、俺を引き取ったのはなかなか変わったばあさんで、確か昔は飯炊き女をしてたとか言っていた。

どういう理屈かは知らないが、当時としてはとんでもない収入だったらしい。


 そこから何がどうなったのか。今では親戚付き合いがまるでなく、関わる人間と言ったら俺くらいなものだった。

他の残りは猫かスズメくらいなもので、人間なんて存在しない。


 要するにこのばあさんも、身内からのはぐれ者だったのだろう。

どういうつもりで俺を引き取ったのかは知らないが、まあ、ありがたいことだ。


俺はこのばあさん以外にろくに身内を知らなかったが、それに不満もなかった。


このばあさんときたら、なかなかのひねくれ者で変人だ。まず素直じゃないし、褒められてもにこりとも笑いやしない。

それに、子供に教えるような内容じゃないことばかりを、俺に話していた。


「他人は信用するな、恩も義理もその場限りで忘れるぞ」

「金は他人にあげるな、商売以外で貸すな」

「稼ぐことを忘れた奴は、腐るぞ」

「クズは治らない、どう足掻いたところでクズだ。 腐ったものは元には戻らん」


 なかなかの英才教育ぶりだと思う。

 だいたい俺とばあさんも他人同士みたいなもんだろうに、地獄に堕ちる前に善行でも積みたかったのかね。


ドキツい金貸しもしていたようで、かなりの人間に恨まれていたみたいだしな。

 代わりに、俺は生活に困らなかったから感謝するとしよう。


ばあさんのせいで何人の人間が泣いて、もしかしたら死を選んだかもしれない。だが、俺だけは感謝しよう。絶対に俺だけは、ばあさんを非難しない。


 ばあさんの教えは不思議と俺に馴染んだ。

そりゃそうだ、ばあさんの教えは全部俺が関わってきた人間そのものだからな。


 それに俺とばあさんは共通した認識を持っていた。

血の繋がりがあろうが他人は他人、と言う事だ。

今までの人生経験から言えば当然の帰結ってやつだ。


 ばあさんとの暮らしは満足できるものだった。なにより初めて飯ってこんなにうまいもんだと知った。


「給食なんてまずくて食えたもんじゃない、学校でもばあさんの飯が食いたい」


 それが俺の食卓での口癖で、ばあさんは笑いもせずにその話を聞いていた。

たまにしゃべりすぎて、「黙って食え」と飯のおかわりを盛られたが不満なんてあるはずがなかった。


 ああ、そうだ。そう言えば、この頃小学校に通っていたような気がする。

 それまでは通ってなかったのだろうか。まあ、たいした問題じゃないか。


 何もかも腹立たしくて、学校に通う他のガキはみんな嫌いだった。


 能天気で意味不明でへらへらしてて、ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる。腹が立てば、引っ掻いたり咬みついたりして来ることさえある。しつけの悪い犬みたいなもんだ。


 そんな中、いじめられている大人しそうなガキがいたんだ。


 靴を隠されたり、勉強道具に落書きされたり、殴ったり蹴られたり、背中にミミズ入れられたり、食事に何か混ぜられたり、忘れ物した時に誰も助けなかったり(隠されたのかもしれない)、無視されたかと思ったら何かを言うたびにクスクス笑ったり。


 弱い奴はいつも狙われる。

それはきっと自然の摂理なんだろう。


そもそも人間の倫理観ってやつそのものが不自然だ。

弱い奴は、強い奴の食い物にされるだけだ。それが真実だ。

 

だが、そんなことはどうでもいい。俺はそれがひどく気に入らなかった。


 自分を圧倒的強者だと勘違いしたガキども。抵抗せずに周囲の顔色をうかがいながら、いじめを受け続ける弱者。それらすべてに無関心なたくさんのクズたち。


 本当に何もかもが気に入らない。

 同じクズだとしても、気に入らない。


 だからぶっ壊してやることにした。身の程を思い知らせてやるのが一番早い。


 その週には、その学校でいじめはなくなった。


 駄犬をしつける才能は、学校で俺が一番だった。

教員たちを含めても俺がトップだったし、教員もずいぶんと行儀がよくなった。


学校に来なくなった奴もいたが、いじめを受けた奴が学校からいなくなるよりは、やらかした奴がいなくなるのが世の道理だと思った。


クズに人権は必要ない。

俺はクズだが、それだけはわかってる。


力で他人を従えたり虐げる奴は、力を失った時死ねばいいんだ。


強さを誇示するってのは、そういうことだ。

誰かを脅したり攻撃するってことは、自分が攻撃される世界に足を突っ込むってことだ。


だから、もう人生をへらへら笑って生きられない程度に盛大に叩き潰してやった。


 覚悟なんてするまでもない、生まれたころから俺はそういう世界で生きている。


 ……まあ、本当はそんな理屈はどうでもよくて。

気に食わない奴を叩き壊すのは、なかなか楽しい作業だと気付いたのはこの時だった。

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