刀禰谷3

第52話 ゲネプロ

 文化祭はリハーサルの朝を迎えていた。

 上演の予定は講堂のステージで二回。PC部は昨日まで網戸スクリーンに投じるエフェクトの改良を続けてくれていた。工作部もフレームやワイヤー、追尾照明の調整に付き合ってくれた。合唱部もシナリオも最後の最後まで変更に応じ、舞台の完成度を上げ続けた。人形の最終調整が終わったのも昨日だ。

「トニー、乙女文楽良い仕上がりなんだって?」

 二学期が始まってからも配信を続けたVRコントと関係者たちからの噂でコラボの前評判は上々だった。乙女文楽部の稽古も覗きにくる子がぽつぽつ現れていた。

「ドリーム・チームを揃えたからね」

「危うい噂もあったじゃん」

「月華さんが参加してる以上当然。でもそっち方面の期待も裏切らないと思う」

「何。惨劇ショウ?」

「ううん。月華さんが本気を出した。人形、凄いよ。あの人の噂に命を吹き込む出来だから。見においで」

 宣伝の言葉ではあっても掛け値なしで口にできるのは嬉しかった。

 ひとつだけ不安、というより物足りなさが残ったのはやはり合唱部だった。練習は十分に重ねていて曲も歌詞も良い仕上がりに思えたけれどハーモニーが不完全であるのは夏前と変わらない。部内の人間関係は相変わらずであるらしい。三人の五年生は今も互いには口を利かず、それぞれが部長とだけ会話していた。

 ――時間切れ。

 全員が顔を揃える通し稽古も十分とはいえなかった。夏休み後半以降、南畝さんと松里さんの演技が激しく変わっていく様は合唱部の面々にこそ見てもらいたかったのだけれど。

 ――二年もあの状態で来てしまったら、そうそう変われない。

 スクール・カウンセラーとの相談や声楽経験者の音楽教師に知恵を借りたりといった試みは空しく終わっていた。問題の解決に積極的なのが彼女たちの中で部長のみで、むしろこっちのお節介で引っ掻き回し五年生三人を頑なにさせてしまったかもしれない。人間関係には生徒会の野暮なノウハウは通じない。

 出番を待ちながら前の出し物の様子を見る。有志グループのバンド演奏だった。いかにも高校生らしい凸凹バンドだ。終演と同時に私たちは総出でプロジェクターを抱えて通路や舞台前に飛び出していく。大道具のない舞台はシンプルだ。

 四分十五秒。用意された時間の半分以下で準備を済ませることができた。順調だ。

 開演のブザーが鳴り、私たちのリハーサルが始まる。

 PC部の網戸スクリーン演出は予想以上に映えた。人と人形を追う自動追尾のスポットライトやカメラもきちんと機能した。客席の天井や壁を使うプロジェクションの背景は観る者の頭を揺らさずにはおかない。上演中は通路を歩くことさえ難しくなりそうだった。

「刀禰谷、次、三、二、一」

 PC部部長がキューシートに沿って私に指示を出す。といっても手動でやるのは動作の誤検出を防ぐためのジェスチャー機能のロック解除だけだ。

 ――まだまだ。

 南畝さんの操る人形が舞い始める。月華さん渾身の人形も客席からはさすがに小さくしか見えず、カメラを使い背景下手しもてに大きく映し出す。

「人形、掴みはいいみたいですね」

「誰が作ったと思ってるの」

 隣の月華さんに小声で話しかけるといつもの口調で囁きが返る。南畝さんが最初の見得を切った。足が踏み込まれ板張りの舞台が鳴る。ぱあん、と。

 ――どうだっ。

 南畝さんの演技は乙女文楽的には異端であるらしい。彼女は演技中のほとんどの時間、人形から視線を切って動作の先を見る。ネットにある動画を見た限りでは文楽でも乙女文楽でも人形遣いが人形から視線を切ることは皆無ではないけれど、稀だ。

 南畝さんのこの演技は大きな武器になる、と私は思っていた。出遣いならではの視線や表情にものをいわせることができるからだ。演技をはじめれば人形遣いの存在は観る人の意識から消えてしまうけれど、気がつかなくても眼は操る者の手や顔や表情を受け取っているはずだ。

 笑顔を作るわけではない。あたまの向きも人形のと連動するために制限があった。強いていうなら視線だろうか。工作部が組み込んだジンバルもそんな南畝さんの演技と相性が良かった。

 ――掴んだ!

 会場にいた人々の間に波のように広がる何かが見て取れた。

 次いで合唱がはじまる。

「相変わらずね」

 月華さんが呟く。

 物語は倭人がこの土地の支配を固めて間もなくの時代、アイヌ女性の駆け込み寺にもなっていた学校の歴史を歌ったものだ。さらわれ、人間以下の扱いから逃れようとした娘たちに庇護を与えたミッション校は官憲とも対立し、倭人からも非難される厳しい時代があったという。

 アエキモヌバ、アエトゥシリカラ、クワ、コケラ。死や墓地を意味するアイヌの単語が羅列される中に、逃げる、娘、捕らえろ、渡せ、と日本語がばらまかれる。散り散りの単語でしかない歌詞は歌に合わせ、文字の流れとなってスクリーンに現れ消える。時代背景を知らない観客にとっては物語は存在せず、ただエキセントリックで華やかで、わずかに不吉さをともなう前衛劇に映るだろう。合唱は美しく、ひたすら美しくあるように、忌まわしげな単語を歌い上げる。教会音楽に似せた旋律に乗せて。無声化され情感を削ぎ落とされた歌は歌詞はあってもアイヌ語が中心で、逆に母音唱法ヴォカリーズめいて響く。

「南畝も加減を覚えたわ」

 私は同意の頷きを返す。夏までの南畝さんは観客の注意を強引に惹きつけ、縛り付けていたけれど、今は緊張に緩急を作れている。冒頭で一気に掴まれたスタッフたちの視線は今緩やかに舞台を追っていた。

「合唱も上手くて不足はないけれどそれだけにもう一歩を期待しちゃうのよね」

「『月華工房』の作品としては不満ですか」

「完璧な作品なんて一度もないわ」

 歌で綴られる物語パートが収束し三味線パートへと引き継がれる。アイヌ娘の行方を問う官憲が『壇浦』のごとく親友あるいは恋人であった倭人の女生徒を問い詰め無茶な演奏を強いる最初のシーンだ。ここで奏でられるのは『津軽よされ節』だった。探るような音色ではじまり四音目で講堂の隅々まで響きの満ちた気配があった。

「松里は素敵な音を出すようになったわ」

「呼吸もぴったりです」

 月華さんがぎりぎりまで時間を使い作り直した人形は半面に松里さんの面影があった。かみ――舞台右を向いたシーンで見て取れるのがそれだ。

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