第27話 少女文化

「それだけじゃないですよね?」

「うぅん。ええとね、どんなお話でも南畝さんが人形を操ればそれだけで少女文化になるって」

「少女文化、ですか?」

 意外なことを言われた気がした。

「うん。乙女文楽の動画、いくつか見てみたんだけど南畝さんの演技とずいぶん印象が違うんだ」

 

「それは、名人たちのようには、とても」

「ううん。技術の話じゃなくて」

 胸の奥底が軋んだ。『そんなの乙女文楽じゃない』。私を嫌った同門の子の言葉だけれど刀禰谷さんはそんな私の過去を知らなかった。

「南畝さんの演技をじかに見てわかった気がしたんだ。乙女文楽がなんで一人遣いで出遣いなのかって。顔を見せて人形と一緒に少女が舞い踊るのは少女の夢の塊みたいじゃないかって」

「少女の夢?」

「うん。順を追うね。えっと、乙女文楽って昭和の初めにできたんだよね? 大人の女性じゃなくて少女が演じてた」

「ええ」

「月華さんじゃないけど、若ければ下手だよね。天才がいたとしても演技の正確さと技術のバリエーションって意味で。少なくとも本家の文楽の襲名人形遣いみたいにはいかない」

 乙女文楽の演技はおおよそ五十種類ほどの技で構成されている。私が習ったのはそのうち三十ほど。割と良い感じに演技できると思えるものは十。先生のレベルに達しているものは――ゼロだ。

「それは、当然」

「だとすると当時のお客さんは何を観に来ていたんだろう」

「可愛らしい女の子が、拙い芸を見せるのを、微笑ましく観ていた……でしょうか?」

「それじゃ、演じてる方が辛くない?」

 刀禰谷さんの前で演じた時のことを思い出す。一人しか観客のいない舞台でも惹きつけることのできた手応えは確かだった。逆に、客席が身内や関心を持たない人ばかりのそれまでの舞台は手応えというものを欠いて辛かったのだとも知った。

 刀禰谷さんが私の心を読んだように頷く。

「でしょ。私、乙女文楽って最初から少女が演じて少女に楽しんでもらうための少女文化として始められたと思ったんだ。当時の宝塚もすでにそういう位置づけになってたみたいだし。今の女性アイドルグループの女の子のファンもそうやって楽しんでる。舞台の上の美しく華やかな少女たちに共感して」

「ですが、それだと少女期を過ぎた役者は〝卒業〟では?」

 女性アイドルグループはある程度の年齢までしか所属できないし、宝塚歌劇の舞台も既婚者は立たない。少女たちが共感を見出せる対象は限られている。

「それでいいんじゃないかな」

「そんな」

「残酷な気はするけど。一部は教師役になって次の世代の少女たちを導き、一部は大人の人形劇なり演劇へ進む。大半は、乙女文楽を演じた少女時代の記憶を胸に違う人生を生きていく、かな?」

 いつの間にか刀禰谷さんとは互いの腕を取るように向き合っていた。

「それがひとつめのイメージ。もうひとつ、男しか人形遣いになれない文楽に対して女の演じる伝統芸能としての乙女文楽。南畝さんのイメージはこっちじゃない?」

「ええ」

 私の先生は文楽の舞台には立てないことはわかっていて、それでも人形遣いとして舞台に立ちたくて、途絶えかけていた乙女文楽を選んだのだと思っている。先生はそんなことは一言も言わなかったけれど。

「芸の内容は伝統のまま、女性の人形遣いという改革でもあるよね」

「そうなんです。本家の文楽は今も女性の人形遣いはいないまま」

「封建的だなって思うけど、でも、文楽がそうじゃなければ南畝さんはここにはいなかったよね」

 そういう考え方もできるのか、と新鮮だった。

「文楽が女性を受け入れていたらどうなっていたでしょう?」

はくおう高校で本家の文楽を学んでいたんじゃない?」

「ハクオウ?」

「伝統芸能が学べる唯一の高校が東京にあるんだって」

「そんな学校が?」

「知らなかった?」

「はい……」

 私は、こんな風に何も知らない。この学校も、ただ生まれ育った土地から離れたくて、登校拒否児へのケアがあるらしいと教えられ選んだだけだ。

「そっか。南畝さんがここにいなかったら、私、きっと、生徒会とテレビ布袋劇のリピートだけで卒業まで過ごしてたと思う」

 そんなことはないだろう。きっと、他の誰かが刀禰谷さんを必要とし、刀禰谷さんはその誰かのために尽力し、成果を挙げたに違いなかった。

 ――あれ?

 刀禰谷さんの誠心が見知らぬ架空の誰かに向けられると思っただけで不満を覚えた自分に気づく。

 ――これは、もしかして私の方が重症かも。

 そんな私の内心に気づくはずもない刀禰谷さんが笑顔で話を続ける。

「私は少女文化としてって捉え方が素敵だなって思ったよ」

「私も新鮮でした」

「うん。女子校向きなんじゃないかって」

 あ、と虚を突かれた気がした。

「上級生が演技で下級生を魅せ、魅せられた下級生が舞台を継いでいく。中高一貫校で六年あるからね。ずっと続けた子はけっこうなレベルに達するんじゃない?」

「それは、例えばここの演劇部でもできていることですか?」

「ううん。演劇部はもう何年もスターが出てない。コンクールも出られない年の方が多くて出ても緒戦の地方大会止まり。部員も減って苦労してる」

「乙女文楽も同じにならないでしょうか」

「かも。――最初はさ、南畝さんも演劇部に送り込んじゃえって思ったんだ。演技を見るまでは」

「そうなんですか?」

「演劇部に押し込んでも南畝さんは活躍したと思う。乙女文楽は細々と自分の楽しみのためだけに続けながら、ね。でも、演技を見て考えを改めました。南畝さんには南畝さんのための場所が必要なんだって。それで思ったんだ。乙女文楽が持つ少女性と伝統芸能の形のどっちを実現したらいいのかって。私はこの学校には少女性が合うと思ったんだけど、南畝さんの芸を支えていたのは伝統から受け継いだものでさ」

 月華さんは――と刀禰谷さんの話は脱線していく。

「あの人は自分の人形作りに南畝さんの全部を注がせたいんだと思う。あの人にはもう半年強しかここでの時間がなくて、伝統の技が磨かれていくのなんて待ってられないもんね」

「人形といってもギャラリーにあったような人形ではとても」

「ビスクや石粉粘土だと動かすのは無理。壊れちゃう。だから、あの人は工作部やPC部に声をかけてる」

「……刀禰谷さんと同じですね?」

 困ったような笑顔が返ってきた。

「そうなんだよね。私が思った少女性って月華さんの人形と近くて。だからいざ動き出すとニアミスが起きちゃう」

 あと、と早口に続ける刀禰谷さんはこれまでで一番饒舌だった。

「月華さんはさ、エゴイズムの塊なんだよね。周りの人を使い潰しても平気。本当に平気でやってるかどうかはわからないけど、結果として消費して捨てて行く形になっちゃってる」

 彼女の月華さん評が正しいかどうかはわからなかったけれど、確かにもう『月華工房』を一人で訪れようとは思わない。

「工作部へのアプローチだって十五キロ近い人形を五キロにする急進的な方法もあれば小さな工夫で遣い易くしていく方法もあるはずなんだ。PC部の技術だって部員不足を補う照明係や大道具の代用という使い方もできる。新奇なものを改めて加えなくても、少女性は乙女文楽自体が十分に持っていて、脚光を当てるだけで輝く気がするよ」

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