第22話 舞台の手応え

 乙女文楽では「呼吸」という言葉が様々な場面で使われる。吸って吐く息。演技のタイミング。身体を動かす前の一瞬の間。腹筋や背筋に力を入れ、抜く瞬間。場面に応じて指すものが変わりはしてもそれぞれ具体的な対象がある。伝統芸能は理不尽なくらいに修練を要求することもあるけれど、曖昧な精神論や感情論とは縁がない。

 刀禰谷さんが掴ませてくれたのもそれらと似た「呼吸」のひとつで、客席と舞台の間で生み出される何かだった。

 一体感。グルーヴ。――支配。

 少しあやふやだ。

 彼女は初めて私の演技に関心を持って向き合ってくれたただひとりの観客だ。初めて演技に引き込めた人。初めて呼吸をこの手に掴むことのできた相手。

 あの時から私の演技は刀禰谷さんが基準になってしまった。一人で稽古している時でも「今の演技は刀禰谷さんを引き込めただろうか」「刀禰谷さんからどんな反応を引き出しただろうか」と思わずにはいられない。

「それで『舞台を作る』なんですね」

 会話をしながら頭の糸と胴金を外す。手渡した扇子で刀禰谷さんが私の稽古していた舞いを人形ではなく人の動作で真似はじめた。

「私が持つと変にぎくしゃくするよ」

「姿勢、姿勢」

 抱えた人形の手で刀禰谷さんの背を軽く叩く。部活で教えたとおり一動作ずつ分けた摺り足で向きを変える刀禰谷さんはまだロボットダンス状態だ。一往復したところで扇子が返ってくる。

「拙者は入浴してくるでござりますよ」

「はい。いってらっしゃい。また明日」

「うん。あ、明日は生徒会の仕事をしてから行く。一時間くらい」

「わかりました」

 稽古の足運びのまま遠ざかり手を振る刀禰谷さんに向けて私も人形に手を振らせる。部屋に戻ろう、と階段に向かいかけたところで寮生には使えないはずのエレベーターが降りてきた。

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