第3章 うつろう者

第壱話 出撃前 三人家族 茶を啜る


 星喰い星と地球の間に、四百年の時の差など存在しなかった。

 深雪は、時間の概念について思考しないように努めた。結果、岡山の言葉通り、深雪は曙光から出撃して十六分後に、地球に帰還できた。星喰い星に何時間、滞在したかは定かではないが、少なくとも十六分間ではない。

 深雪は上層部に、星喰い星で見聞きした内容を報告した。

 信じてもらえたかどうかはわからない。だが、例え信じてもらえなかったとしても構わない。深雪の果たすべき使命は二つ。戦争を終わらせる。地球を、残された家族を守る。それだけだ。

 二週間が過ぎた頃だった。上層部は、どうやら深雪の報告を信じたようだ。

 ほどなくして、深雪の報告はマスメディアによって大々的に報じられた。

 世間では様々な議論が交わされた。国家連合軍が発表した内容を信じる者と信じない者とが対立し、死傷者まで出た。死んだ家族が星喰い星で生きている事実を知った人々の中で、星喰いへの攻撃をやめるようにデモ活動をする団体も現れた。

 だが、国家連合軍は、このまま星喰いへの攻撃を続行する意思を表明している。深雪にも戦いをやめる意志はなかった。

 ふと、プレハブ住宅の玄関ドアをノックする音が聞こえた。時計を見る。時刻は午後の三時を回ったところだった。ドアを開けると、翠と由香里が手土産を持って立っていた。真冬の冷たい風が、同時に入ってくる。


「久しぶりね、深雪。変わりはない?」


 翠は玄関先に立ったまま、笑顔で手土産を差し出した。


「うん、元気。さあ、入って」

「なんか臭いね、この部屋」

「お姉ちゃん、ひどい」


 由香里は相変わらず一言多かった。

 湯を沸かしている間、由香里はプレハブ住宅の中を、まるで家探しするみたいに荒らしていた。勝手にクローゼットを開けて「この服、だっさーい」とかなんとか騒いでいる。


「今すぐにやめないと、お姉ちゃんだけ出てってもらうからね」


 由香里は深雪の言葉などお構いなしに、カラーボックスの抽斗を開けて中身をぶちまけた。深雪は額に手を当てた息を吐いた。この姉は、本当に自分よりも年上の大人なのだろうか。例え年上であっても、絶対にまともな大人ではない。


「由香里、いい加減にしなさい」


 ようやく翠が怒ってくれた。もっと早く叱ってほしかったと深雪は思った。

 緑茶を啜りながら、三人で、ほうっと息を吐いた。緑茶好きのバルトからの差し入れで、とても美味しい緑茶だ。


「──仕事、どうなの?」


 湯飲み茶碗を持ったまま、由香里が訊ねた。


「順調とは言えないかな」

「そうだろうね。また、国が一つ滅びたしね」


 由香里はつまらなそうに、そっけなく呟いた。


「興味ないって感じだね、お姉ちゃん」


 由香里は卓袱台に湯飲み茶碗を置くと、ニヒルな笑いを浮かべた。


「別に、そんなわけじゃないよ。ただ、感情が固まっちゃってるだけ」


 無理もない、と深雪は思った。深雪たちの周りで、あまりにも多くの人間が死に過ぎた。家族を含め、友人、知人、多くの人が逝った。


「人が死ぬのは嫌だわ。これ以上、見たくないわ」


 翠も湯飲み茶碗を卓袱台に置いた。深く皺の刻まれた瞼を伏せ、首を振った。


「あーあ。お父さんと奈々に会いたいなー。リリィにも」


 寝転がりながら由香里が呟いた。


「本当に、お父さんたちに、会いたい?」


 深雪の言葉を聞いて、由香里が怪訝そうに眉を顰めながら起き上った。


「……なに、今の意味深な質問は?」


 深雪は卓袱台に載せてあった籠から、まんじゅうを取り出して包み紙を開けた。

 一口、頬張る。餡子が甘すぎる。深雪の口には合わなかった。


「──この間、会ったよ。お父さんと奈々、それとリリィに」

「こんの、馬鹿野郎!」


 由香里が立ち上がって卓袱台を蹴とばした。湯飲み茶碗とまんじゅうが宙を飛び、畳を汚した。

 深雪の口から餡子が飛び出した。なんて乱暴な姉なのだ。眩暈が止まらない。


「なにすんのさ、お姉ちゃん」

「あんたが、頭がイかれたような妄言を吐くから悪いんだ! お父さんたちに会えるわけないでしょ!」


 由香里の怒りは収まらず、今度は、畳に転がっている湯飲み茶碗をクローゼット目掛けて力いっぱい投げつけた。湯飲み茶碗は音を立てて〝燃やさないごみ〟になった。

 助けを求めるように翠に視線を送ると、翠も困惑した表情で深雪と由香里の顔を交互に見つめている。


「わかった。ちゃんと説明するから」


 深雪は物置から箒と塵取りを取り出して、畳を掃きはじめた。


「少し前に報じられたでしょ? 星喰い星の真実が」

「それが、何?」


 由香里は憮然たる面持ちで仁王立ちになっている。


「真実を突き止めたのは、私なの。実は私、星喰い星に行ってきたの」


 掃除を続けながら、星喰い星に行くことになった経緯を話した。


「その話、本当なの?」


 翠が驚愕を隠しきれない面持ちで訊いたので、深雪は強く頷いた。


「うん、本当だよ。奈々に遭えたのは、今にして思えば幸運だったと思う。もしも出会っていたのが違う星喰い人だったら、真実はわからずじまいだったはずだよ」


 深雪は星喰い星で見聞きした内容を、上層部に伝えたように、正確に話した。


「──本当に会ったんだ。奈々とお父さんに」


 由香里は座り込んで、呆然とした顔で呟いた。


「元気そうにしてたよ。二人とも、とても幸せそうだった」


 時生と奈々の優しげな笑顔が、脳裏に浮かんだ。


「お父さんね、ブラック・バードのパイロットなんだって」


 語った事実に、翠は困惑したように顔を伏せた。

 由香里は、「ふうん」とだけ呟いて、再び寝転がった。

 深雪も、翠も、由香里も、なにも話さなかった。そのまましばらくの間、沈黙が続いた。

 時刻が午後六時を過ぎたところで、翠と由香里は帰り支度を始めた。

 深雪には、翠たちに伝えなければならない話があった。時生のことだ。


「お母さん、お姉ちゃん」


 玄関で靴を履きながら、翠と由香里は不思議そうな表情を浮かべながら振り返った。


「お父さんが言ってたの。また、私たちと一緒に暮らすのが夢なんだって」


 二人の、靴を履く手が止まった。


「お父さんたちの家にね、空き部屋が三つあったの。私たちの部屋だった。私ね、お願いされたの。星喰い星に留まってほしいって。お母さんとお姉ちゃんが星喰い星に来ることも願ってた。空き部屋を埋めてほしいんだって。もう一度、家族全員で暮らしたいって話してた」


「あんた、ウンって言ったの?」


 由香里が訊ねたので、深雪は首を横に振った。


「ウンって言っていたら、地球には戻っていなかったよ」

「そっか、そうだよね」


 由香里はなんの表情も込められていない顔で、「そっか、そっか」と頷いた。

 由香里は再び靴を履きはじめた。履き終ると、深雪の顔を見ないまま、声を掛けてきた。


「ねえ、深雪」

「なに、お姉ちゃん」

「お父さんのこと、止めてね」


 言い終わると、由香里は深雪の返答を待たずに、扉を開けて姿を消した。


「深雪。ちょっといいかしら?」


 翠が鞄を下げたまま、神妙な面持ちで話しかけたきた。


「うん、なに?」


「お父さんから色々と聞かされて、複雑な気持ちだと思うわ。けれど、お父さんの元には行かないでちょうだいね。あなたまで行ってしまったら、私はもう、生きていけないわ」


 翠は静かに涙を零した。

 深雪はポケットからハンカチを取り出し、そっと涙を拭いた。


「わかってるよ、お母さん。大丈夫だから──」


 翠の姿が見えなくなったあと、深雪は一人、ベッドに寝転がった。


「大丈夫だよ、お母さん。お父さんのところには行かないから」


 掌をかざすと、時生の笑顔が浮かんだ気がした。


「心配しないで、お姉ちゃん。お姉ちゃんの願いは必ず叶えるから」


 自分たち三人は、誰一人として星喰い星には行かない。自分も行かないし、誰も行かせない。


「大丈夫。絶対に、止めてみせるから──」


 深雪はそのまま、そっと目を閉じた。

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