第七話 娘呼び 星を喰らう 父の愛


「ねえ、今の言葉、どいういう意味?」


 深雪は訳が分からないまま、奈々に尋ねた。

 奈々は困ったふうに首を横に振った。


「ちょっと、待って!」


 深雪は急いで男性の後を追った。奈々とリリィは、リビング・ダイニングの床にしゃがみこんでいた。

 裏口を出て外を見渡すと、男性は空き地のずっと奥のほうにある戦闘機の前に立っていた。

 深雪は走って、男性から少し距離を置いたところで立ち止まった。


「待ってください。さっきの言葉は、どういう意味ですか」


 戦闘機はブラック・バードだった。機体には白い文字で『メッテーヤⅡ』と大きく刻まれている。八年前に殉職した岡山隊の高橋仁少尉が操縦していた機体と同名だった。

 男性は深雪に背を向け、沈黙したまま、ブラック・バードにそっと手を置いた。

 深雪の奥歯がギリッと音を立てた。


「あなたは、どこまで知っているんですか」


 深雪は一歩、男性に近づいた。


「あなたたちの戦闘機が地球を破壊すると、破壊された建造物が、人が、動植物が、少し違う形でこの星で再生する。その事実を、あなたは知っているんですか」


 男性は顔を背けたまま、手を置き続けている。


「あなたは、その事実を知っていて、地球を攻撃するんですか」


 男性は空を仰いだ。唇は硬く閉ざされている。


「あなたたちの母艦は、この星は、どこからやって来たんですか。何故、私たちの星を選んだんですか。あなたは答を知っているんですか?」


 男性は空を仰いだまま、そっと息を吐いた。


「あなたたちは、地球を完全に破壊するまで、攻撃をやめないつもりですか」


 ふっと、男性は笑みを浮かべた。


「あなたたちの母艦を撃墜したら、この星はどうなるんですか。消えるんですか? 地球は、星喰い人に攻撃される以前の状態に戻るんですか?」


 男性は振り向いて深雪の顔を見つめたが、なにも答えなかった。ただ、柔らかな笑みを浮かべたまま、静かに立っている。

 深雪は屈みながらコルトディフェンダーを取り出した。両手で構え、銃口を男性に向けた。


「質問に答えて!」


 男性の顔から笑みが消えた。ゆっくりとこちらに歩いてくる。


「そこで止まって!」


 拳銃を握った両手が震える。男性が歩みを止める様子はない。深雪は思わず目を閉じて叫んだ。


「やめて、来ないで!」


 男性の気配を、すぐ側で感じた。彼の手が銃口を握り、そのまま下に向けられる感覚がした。そっと目を開けると、彼の顔が目の前にあった。彼と、目が合った。

 透明感のない、オレンジの瞳。色は違うけれど、時生の瞳によく似ている。

 口元も似ていた。時生はいつも温かな笑みを浮かべていた。口角が少し上を向いているのが、時生の唇の特徴だった。

 時生の唇とよく似た彼の唇が、ゆっくりと動いた。


『──深雪』


 声は聞こえなかったが、彼の唇は確かに、深雪の名前を呼んだ。

 その瞬間、張りつめていた緊張の糸が、プツリと音を立てて切れた。身体から、どんどん力が抜けていく。

 深雪の手から拳銃が離れた。銃口はそのまま彼の掌に収まっている。

 深雪の身体がガクリと崩れた。拳銃を握っていない彼の左手が、深雪の身体をそっと抱きとめた。それからしばらく、深雪たちは無言で抱き合った。

 深雪も彼も、何も語らなかった。どのくらい時間が経っただろうか、ふいに彼の声がゆっくりと耳に届いた。


「僕の夢はね、この家の空き部屋を、全て埋めることなんだ」


 彼の言葉は、さらに続いた。悲しみに沈んだ暗い声だった。


「この家の空き部屋を全て埋めて、また家族みんなで一緒に暮らしたい。それが、僕の夢なんだ。とても切実な願いなんだよ」


 深雪は彼の目を見つめた。オレンジ色の瞳には、心が冷えるような悲しみの色が浮かんでいた。

 唇が、うまく動かない。やっとの思いで、深雪は言葉を搾り出した。


「私を、今、ここで、殺しますか……?」


 彼は、ふわりと微笑した。


「まさか。自分の娘を、娘の顔を見ながら殺せると思うかい?」

「私を、本当に、自分の娘だと思うのですか?」

「違うのかい?」

「あなたがこの星の住人になってから、十二年が経ちました。今の私は、あの頃の私とは違います。それでも、あなたは私を娘だと思ってくれるのですか?」


 彼は笑顔を崩さなかった。彼の額が、深雪の額にそっと触れた。


「見た目なんて関係ないよ。むしろ、立派に育ってくれて嬉しいと思ったほどだ。君は、僕や奈々やリリィを見てどう思った? 容姿が変化し異様な色彩を放つ僕らを見て、不気味だと感じたかい? たとえ僕らが面影を残すだけの姿になっても、記憶が欠落していても、それでも自分の家族だと思っただろう」


 優しい声が、言葉を紡ぎ続けている。


「僕と奈々が暮らす家は、君の記憶に残っている家とは、違う部分もあるだろう。しかし、君は、あの家を空襲で失った愛しの我が家だと感じたはずだ」


 彼の言葉が、するすると耳に入っていく。


「この星で生活している人々は、かつて地球で生活していた人間だ。僕も戦死する以前は人間で、今は星喰い人だ。戦死した人々の魂が、この星に辿り着くらしい。けれど、皆、記憶を失っている。記憶の一部を残している人もいるが、何も覚えていない人が大多数だ。逆に、僕みたいに、色々と覚えている存在のほうが少ないくらいだよ」


 彼の言葉は、まだ続いている。


「真実は、とても残酷だ」


 オレンジ色の瞳が、深雪を力強く見つめた。


「君は、弥勒菩薩の救済を信じるか? 仏の下生げしょうを信じて待てるか?」


 深雪の脳裏に、二等兵だった頃に操縦した、メッテーヤⅧの姿が浮かんだ。


「五十六億七千万年後の未来まで、すぐ手を伸ばせば届くところにいる家族と再会せずに、ただ指を咥えて救済を待てというのか。あまりに惨いではないか」


 透明感のないオレンジ色の瞳に、光が灯った。


「僕には待てない。待つ余裕などない。未来仏の下生を待てないのであれば、自分の手で家族を取り戻す以外に方法はないだろう?」


 頬に、氷のように冷たい彼の指先が触れた。死人のように熱を失った指に触れた瞬間、深雪は涙を零した。


「僕は、君を、はっきりと覚えているよ。君は、僕の大切な娘だ」

『深雪、深雪』──唇だけが動く。

「会いたかった。ずっと、会える日を信じて待っていた」

『深雪、僕の娘』──空気だけが漏れる。

「呼びたい。君の名を。言いたい。僕の娘の名を。忘れた日などなかった」

『深雪、愛している』──唇が、再度、深雪の名を呼んだ。


 深雪の身体が力強く抱きしめられた。

 熱い塊が深雪の胸に込み上げてきた。抱きしめられた体が小刻みに震えている。

 深雪は彼の胸の中に顔を埋めて、叫んだ。


「──お父さん……!」


 涙が溢れた。目を瞑ると、頬を伝って止まらなくなった。べつにいい。このまま涙が枯れてしまっても構わない。


「──お父さん! ずっと、ずっと、会いたかった! 会いたかったよ!」


 頭が割れそうな勢いで、深雪は泣いた。


「いいんだよ、泣いて。ずっと抱きしめていてあげるから」


 深雪が泣き止むまで、時生は優しく抱きしめてくれた。深雪は時生の胸の中で、ひたすら泣き続けた。

 泣き続けて、どれくらいの時間が経っただろうか。涙は、本当に枯れてしまったようだった。

 深雪が泣き止んだ様子を見て、時生は語り始めた。とても真剣な声だった。


「本当に、行ってしまうのかい? ここで一緒に暮らしてはくれないのかい?」

 

 紅茶を飲みながら話し合ったとき、深雪は時生の顔を見ることができなかった。だが、今度は真っ直ぐに、時生の瞳を見つめた。


「ごめんなさい。母と姉が、私の帰りを待っています。私は地球に帰ります」

「考え直してくれないのかい? どうしても、行ってしまうのかい?」


 時生の言葉には、強い引力が込められていた。

 このまま引っ張られてしまいたい。そんな衝動に駆られそうになる。

 それでも深雪は、飛び立つと決めたのだ。母と姉と、地球を守るために。未来を守るために、過去の世界とは決別する。

 深雪がゆっくりと首を縦に振ると、時生は、深雪の掌にコルトディフェンダーを、そっと乗せてくれた。

 真剣な面持ちで、時生は呟いた。


「僕は、夢を諦めるつもりはない。だから、戦場では手加減はしない」


 深雪は時生の目を、じっと見つめた。冗談を言っている様子ではない。時生は、本気だ。


「僕の願いは、空き部屋を全て埋めて、家族全員で楽しく暮らす。ただ、それだけ」


 時生は右手を伸ばし、深雪の掌に乗せられた拳銃に、そっと重ねた。


「僕は君を撃墜する。その事実を、どうか忘れないでほしい」


 深雪は沈黙をもって、時生の言葉を受け入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る