第参話 変革の メタモルフォーシス いざ行かん


 午後九時三十四分。星喰いが、千葉県南房総市上空に出現した。

 星喰い強襲部隊専用機を多く搭載している曙光は、横須賀港に在籍する艦艇の中で最後に出向した。

 同じく吉倉地区に着艦していた〝あかつき〟をはじめとする曙光型軍艦、長浦地区に着艦していた〝金光きんこう〟をはじめとする黄昏型軍艦の全三十三隻は、順次、南房総市に向かって出航した。グレイ・バード殲滅部隊専用機を多く搭載する暁が、最初に横須賀港を離れた。


 曙光の飛行甲板を足早に歩いていた深雪は、アグニカN500の前で立ち止まった。アグニカN500は、深雪が八年前に操縦していたメッテーヤに代わる最新鋭のブラック・バード殲滅部隊専用機だ。

 アグニカN500に搭乗する日本とインドネシア連合班が話し合いをしている。他にも日本とイタリア連合班、日本とアメリカ連合班が曙光に配属されているが、すでに出撃している。


 肌が凍てつくほど、張り詰めた空気が流れている。深雪は瞼を閉じて深く息を吸った。過ちは二度と繰り返さないと心に誓った。恨みは晴れた。これからは世界と、生き残った人々の幸福を守るためだけに戦う。

 瞼を開けた深雪は、自身の乗る機体へと急いだ。

 横殴りの湿った風が、深雪の搭乗機を邪魔だといわんばかりに吹き付けている。


 エグゼータMeに代わる最新鋭の星喰い強襲部隊専用機〝メタモルフォーシス〟が、艦の後端に並んでいる。

 深雪の搭乗機はメタモルフォーシスⅣ。機体カラーはワイン・レッド。モンド隊の機体は、全てワイン・レッドで統一されている。あえて目立つ色で塗装された。 モンド隊は、星喰い強襲部隊の本隊ではない。囮の任も兼ねていた。


 メタモルフォーシスで、今夜、星喰いを破壊する。

 今日で終わりにするつもりで戦う。自分たちを苦しめる一切合財が、今日で終わるのだ。深雪はコックピットに腰を下ろし準備を始めた。


「時と共にうつろいゆく私たち。けれど、変えられない運命なんかない」

『変えられぬ運命などない』

『変えられない運命などありはしない』

『落とせない女ほど落としがいがある。俺がフラれる運命なんかないさ』

『自信満々だな、ブルーノ。私を落してみろ』


 アグネス・モンドの唸るような重低音の声が聞こえた。


『すいませーん。隊長は末っ子だから甘ったるくて苦手なんです。俺はビターテイストの長女が、特に好きなんでーす』

『貴様も末っ子だろうが』

『だから苦みが欲しくなるんですって。ほら、俺ってイチゴみたいでしょ。ビターチョコみたいな女が同じ皿に載ったらバランスが取れるでしょ? スイートな俺とビターな女が同じ布団に入ったら……うーん早く女の子と遊びたい』

『ほざけ、外道』


 アグネス・モンドとブルーノ・バルトは、相性が悪いようでいて妙に息が合う。

 岡山隊で共に戦い殉職した田中勇気上等兵と、ロストした三井義彦上等兵を思い出した。あの二人も喧嘩ばかりしていたが、傍から見るとじゃれ合っているようにしか見えなかった。


「バルト大尉、気合が足りませんよ。変えられない運命なんかない、を言ってください。モンド隊で決めた士気を高めるための言葉ですよ」


 インターコムに向かって呆れながら呟いた深雪だったが、語尾に付けたかった「バッカみたい」は、我慢して飲み込んだ。


『来るもの拒まずベッドイン。去る者には泣いて縋り付いて見捨てないでって叫んでうるうると見つめてナデナデしてもらって褒めちぎって気を良くしたところでベッドイン。その場にいる者まるっともれなくベッドイン。さいこー』

「バッカみたい」


 やせ我慢はやめよう。体に悪い。ブルーノ・バルトがいるせいで、モンド隊は〝士気の低い期待できないアホ集団〟と見下されている。そのため囮役を任されることが多い。

 囮となって戦っているにもかかわらず、モンド隊の結成から八か月が経過しているが、殉職者を三名しか出していない。実際は戦力のあるチームなのだ。特にモンドとバルトの比類なき戦績は、もっと評価されてもいいはずなのだ。見苦しい罵り合いをして自らの首を絞めている事実に、二人とも気付いていない。


「バルト大尉は呑気すぎます。というか、ふざけすぎです。他の隊を見習ってください」

『だから士気を高めてるじゃん。俺は変な呪文を唱えるより、ベッドインって連呼したほうが士気が高まるの』


 深雪はインターコムに向かって「さいってい。ほんと信じらんない」と呟いた。


『深雪ちゃんは次女だから、ややビターって感じだね。もっとキツイ言葉でなじってくれていいのよん』


 アホに付きあう暇はない。勝手にやってろ。深雪はバルトを無視して着々と準備を進めた。


『女の子さいこー。ウェーイ』

『黙れゴミクズ。今日こそ撃墜されて鉄クズまみれの肉クズになっても知らんぞ』

「肉クズは日本語としておかしいです。この場合は肉片と言ってください、隊長」

『ミディアムレアのステーキが好きな女の子は、ベッドに入ると情熱的になるっていうよねー』

『私はミディアムとウェルダンの中間が好きだ。隊長としてミディアムレアの肉は許さんぞ』

「いい加減にしてください」


 深雪は頭を抱えた。仮設住宅に現れたときの、厳格なアグネス・モンドはどこへ行ってしまったのだろう。

 アグネス・モンドは天然ボケだ。彼女は以前、「天然ボケがいるのであれば養殖ボケがいてもおかしくないだろう。養殖ボケはどこにいるのだ」と、深雪に尋ねてきた。

「養殖ボケは……そうですね、お笑い芸人が該当するかもしれませんね。ボケを演じているわけですから」

 なるほど、と頷くモンドに、バルトが余計なひと言を放った。

「養殖ボケがいるなら、生簀ボケとか水槽ボケとか金魚鉢ボケとか、沿岸漁業ボケとか地引網ボケとか置き網漁業ボケとか、他にもいっぱいボケがいそうですねー」

 以降、モンドの頭の中はあらゆるボケでいっぱいとなり、ボケ仲間なる者を探している。


『貴様ら、士気を高めろ。敵は、乱獲ボケや密猟ボケだ。容赦せず躊躇せず撃ち落せ』


 頼む、もうやめてくれ。深雪は急降下した士気を高めるために、必死に「変えられない運命なんかない」と唱え続けた。

 張り詰めた空気が欲しい。他の隊に見下されて当然だ。出撃直前とは思えないほどの緊張感のなさに、脱力して立ち直れない。オラオラと熱気を放っていた十三歳の頃が懐かしい。

 だが、もしかしたらこの緊張感のなさが、殺気立った空気を浄化して隊員たちの肩の力を抜き、落ち着いて戦えるようにしているのかもしれない。生還率が高い理由は、案外、モンドとバルトのくだらないやり取りのおかげのような気がしてきた。

 また岡山隊を思い出した。憎しみに駆られて我を忘れた深雪が正気を取り戻したきっかけは、岡山隊のメンバーの軽口だった。真剣に聞いていたら殺気立っている自分が愚かに思えて、段々と頭が冷えていったのを覚えている。彼らの楽しそうな声で目が覚めた。


 深雪は、ふふっと笑った。落ち着き払っている自分がいる。今ならば冷静な判断ができる。

 なんだ、そうか。モンド隊も好きなのか。岡山隊と同じように、好きなのだ。


 ほどなくして、出撃命令が下された。飛行甲板の上を滑るように移動する。

 今度は隊列を乱すことなく、隊長の指示を聞きながら慎重に前へと進んでいった。

 星喰いの周囲を旋回するように飛行する、数十機の国家連合軍の機体が、ブラック・バードを次々と落としていく様子が見えた。

 深雪が、かつて所属した、ブラック・バード殲滅部隊の機体だ。

 今、視界に映っている機体は、深雪が搭乗した機体ではなかった。


『今日はブラック・バードの数が少ない。星喰いが口を開く前に、一気に正面に突っ込むぞ』

「ラジャー」


 ブラック・バード殲滅部隊が周囲のブラック・バードを片付けている間に、深雪たちは一気に速度を上げて星喰いを目指した。

 その時だった。


(え? なに?)


 突然、機体が頭の方向へ急上昇していく。深雪は、何もしていない。急上昇する操作などしていないはずなのに、とてつもない力に、機体が引っ張られていく。


『佐原、どうした。隊列を乱すな』


 スピーカーから流れるモンドの言葉に、深雪は動揺しながら答えた。


「いえ、私は何もしていません。物凄い力で機体が引っ張られているんです!」

『何に引っ張られているというのだ』

「わかりません。ですが、物凄い力です。抗えません!」


 凄まじい力で引っ張られ、機体は雷に撃たれたような激しい音を立てながら、さらに速度を上げて上昇した。気が付くと、あっという間に星喰い星が大きく見える位置まで移動していた。


(ほ、星喰い星が、目の前にある。星喰い星が、すぐそこに──!)


 スピーカーから人の声らしき音が聞こえる。だが、その声が何を語っているのか、今の深雪にはわからなかった。

 深雪の意識は急速に遠退いていた。霞む瞳に、青い海のようなものと、雲のようなもの、大地のようなもので形成された、星喰い星が映っている。

 星喰い星が、ゆらりと左右に大きく揺れたように感じた。同時に、深雪の意識も、左右にゆらりと大きく揺れた。

 大きく揺れながら徐々に回転し、やがて、深雪の意識は暗闇に包まれた。

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