25

 ――振り返らずとも彼女にはわかる。

 これは戦う前に忠告をくれた、カイの声だ。

 そして、彼女の頭には――鮮烈によみがえる。


 直後、慌てて防御姿勢をとった彼女の視界に、得意げなミランと彼の手元でが映った。


「なっ――!?」


 闘技場にいた誰もがその目を疑ったに違いない。

 突如現れた目映いばかりの赤い光は、発生と共にセシリアの腹部に一気に襲いかかった。

 次の瞬間、彼女の身体に熱波と衝撃が訪れる。


「お嬢様ッ!?」


 半分悲鳴に近いような叫び声を、試合を見守っていたリーヤが放った。


 瞬間、セシリアの身体は、爆裂音と共に大きく後方へと吹き飛ばされている。

 直前まで決定的有利に立っていたはずのセシリアは、その直後、仰向けになって地面に転がった。


「な、何だ今のは――?」


「ま、魔法!? 魔法道具マジックアイテムを使ったんだ!」


「魔法? 失格っ、失格だっ――!!」


 闘技場の観客たちが、一気に色めき立った。


 セシリアの身体を打った光は、ミランが隠し持っていた炎の魔法道具マジックアイテムが放ったものだったのである。

 審判ジャッジは想定していなかったことが目の前で起こって、対応を迷っておろおろと落ち着かない動きを見せた。


 模擬試合デュエルは伝統的に、魔法道具マジックアイテムの使用が禁止されている。

 その規定ルールに照らし合わすなら、ミランは反則で失格のはずだった。


 だが問題は、この特殊な戦いを、模擬試合デュエル規則ルールで裁いて良いものかどうか――。


 すると観客席の前列にいたオヴェリアが、その場に立ち上がって審判ジャッジに指示を与えた。


「ダメよ! そのまま続けなさい!!」


 だが当のセシリアは、腹部に魔法の直撃を喰らって、倒れてしまっている。

 彼女は仰向けの状態のままで、その場からピクリとも動く気配がなかった。


「お、お嬢様は――!?」


 焦るリーヤをなだめるように、カイが彼女の肩に手を置く。

 リーヤがカイを振り返ると、彼は無言のまま横たわるセシリアを眺めていた。


「大丈夫。

 魔法に特別強い訳ではないが、あれぐらいの衝撃であれば、あの鎧はビクともしない」


 その自信を持ったカイの言葉に促されて、リーヤは倒れたままのセシリアを見た。


 ――と、視線の先のセシリアの両腕が、ピクリと微かに動いたのが判る。


「まさか、あの直撃を受けて、まだ戦えるというのか?」


 ゆっくりと起き上がったセシリアを見て、観客たちがさすがにザワザワと声を上げ始めた。


 セシリアは魔法を喰らった瞬間、自分の身に一体何が起こったのかを把握できなかった。

 とにかく途轍もない力で吹き飛ばされて、地面に叩きつけられてしまったのだ。


 ただ幸い、熱も衝撃も、無機焼結体セラミックスはおろかホワイトリザードの革を突き破っていない。

 それに特殊な髪飾りのお陰で、後頭部も打たずに済んでいた。


「む、無傷だというのか――」


 ミランはその事実を確認して、緩んでいた口元を歪ませる。


 果たしてセシリアの腹部には、目立つような傷どころか、焦げ目のようなものすら付いていなかった。

 鎧は燃え上がることもなければ、魔法の衝撃で傷一つついていなかったのである。


 そして、セシリアは剣を構えると、目の前のミランに向けて襲いかかった。


 制止の声は審判ジャッジから掛かっていない。

 無論、目の前のからも、命乞いをされていなかった。

 だとすればまだ、対戦は続いている。


 ならば、目の前の敵を倒すしかない――!!



 既に丸腰状態のミランは、セシリアの攻撃を躱す術がなかった。

 魔法道具マジックアイテムも連続では使えないのか、新たな魔法を繰り出してくる気配がない。


 果たしてセシリアが力一杯振り抜いた剣は――。


 見事にミランの腹部をなぎ払い、ミランはその衝撃によって、身体をくの字に折りながらバタリと倒れた。


「――しょ、勝負あり!

 勝者、アロイス家の長女セシリア!!」


 一瞬、気後れした審判ジャッジが、慌ててセシリアの勝利を宣言する。

 直後割れんばかりの歓声が、闘技場を包んだ。


 勝利の宣言を聞いたセシリアは、真っ先にカイとリーヤの姿を探し出す。

 見れば歓声に囲まれたリーヤが、涙を流しながら喜んでいるのがわかった。

 それを戸惑いながら慰めるカイの様子に、思わずセシリアの頬が綻ぶ。


「気に入ったわ!!」


 オヴェリアは観客席から身を乗り出すと、セシリアを見つめながら大きな声を張り上げた。

 そして近くに控えていた騎士団長のアルバートを捕まえながら言う。


「アルバート!

 セシリアは私がことに決めたわ。

 文句はないわね?」


 アルバートはその言葉を聞くと、途端に困惑した表情になった。

 見れば眉間に深い皺が寄って、発する言葉を選んでいるように見える。


「オヴェリアさま直属と仰いますと、その者は正騎士でなく、更に上位の上級騎士パラディンである必要がありますが」


「じゃあ、セシリアを上級騎士パラディンに任命するわ。

 騎士長に勝てるのだから、文句はないでしょ」


「恐れながら騎士憲章において、上級騎士パラディンに任命されるには、少なくとも遠征経験が必要とされています。

 セシリアは騎士に叙任されたばかりで、騎士としての遠征経験がございません。

 ――無論、来月には騎士として、遠征に参加いたしますが」


 微妙にオヴェリアとアルバートの間で、無言の視線が交差した。

 その間に何の駆け引きがあったのかはわからない。


 だが、少し冷静になったオヴェリアは、声色を落としつつ答える。


「――まあ、それぐらいは待ってあげないこともないわ。

 遠征に出たことのない騎士というのも、覚えは良くないでしょうしね。

 でも、来月の遠征が終わったら、セシリアはにする。

 それだったら異論はないわね?」


「承知いたしました」


 完全に本人を置いてけぼりにして、セシリアの処遇が決まっていく。




「――しかし、本当にあんな強い女騎士がいるなんてな。

 女騎士の活躍なんて、おとぎばなしの中だけだと思っていたよ」


 声援を送っていた観客の一人が、セシリアを見てポツリと呟きを洩らした。

 すると、それに追従するように、別の観客が反応を返す。


「確かに俺も今更『建国の聖乙女伝説』とやらを、思い出しちまった」


 この国には建国期に、通称聖乙女と呼ばれたが活躍した伝説が残っている。

 無論、それは人々にとって、ただのお伽噺に過ぎない。


 だがこの国で暮らす人々は、誰もがその物語を聞いて育った経験を持つ。

 そして、その物語の中で、聖乙女が纏っていたとされる鎧が、女性らしさを強調しただったのだ。


 もちろん、彼らは聖乙女の姿を実際に見たことはないし、その鎧も物語の中の文字でしか語られない。

 だが今、彼らのまぶたには、子供の頃に脳裏に描いた聖乙女の姿が甦っている。


 そんな彼らが思い浮かべたお伽噺の主人公は――目の前のセシリアに、よく似ていたのだ。





「カイ、本当にごめんなさい。

 わたし、あなたが作ってくれた鎧を傷つけてしまったわ――」


 戦いが終わって自宅に戻ったセシリアは、カイに向けて申し訳なさそうに呟いた。


 鎧には目立った故障はないものの、二度戦ったことで細かな傷が無数についている。

 特に戦いの中で弾き飛ばされてしまった盾は、多少修理が必要なほどに傷んだ状態になっていた。


「何を言う。

 どちらの対戦も、見事な戦いだったよ。

 それに鎧は傷ついてこそ、初めて価値があるものだ。

 汚れたり壊れたというのなら、修理すればいい。

 だが人間は、壊れたからといってということでは済まないからな」


 セシリアには、朗らかな笑みを浮かべるカイの表情が、何ともありがたかった。

 だが、彼女はこの鎧を仕上げるために、カイが何日も夜なべしていたことを知っている。


「でも――」


 沈んだ表情のままのセシリアに向かって、カイは再び口を開いた。


「この鎧の役割はということだ。

 そして、その鎧を作って直すのがだろう?

 であれば何の問題もない。

 君は君にしかできない役割を果たし、この鎧も思っていた通り、役割を果たしてくれた。

 だとすれば次に役割を果たすのは、俺の番だよ」


 セシリアはその言葉に頷くと、両目を閉じたまま柔らかく微笑んだ。

 そして彼女はカイに向けて――ありがとう――と、小さく呟く。


 こうして、何もかもが異例ずくめだった叙任式は、二人の笑顔と共に幕を閉じたのである――。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る