女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩と勇戦

鷹月のり子

第1話 五月 通知と勧誘

 その通知書が芹沢鮎美(せりざわあゆみ)の手元に届いたのは、18歳の誕生日から一ヶ月が経ったゴールデンウィーク明けだった。鮎美が高校から帰宅してキッチンに入ると、夕食の支度をしていた母親に声をかけられる。

「アユちゃん、市役所から何か届いてたわよ」

「は~い…」

 麦茶を飲みながらテーブルにあった封書を手にする。

「何やろ」

「選挙関係のことでしょ。選挙管理委員会からってあるから」

「へぇぇ…まあ、うちも18歳やし…」

 あまり気乗りしない顔で鮎美は、さらりとした長い黒髪の一部を耳にかけた。黙っていれば美人とクラスメートに言われる鮎美は整った顔立ちをしているけれど、薄いソバカスがある。それを気にしているのは本人だけで、強めの関西弁であることの方が転校して二ヶ月目、周囲に彼女を印象づけている。鮎美はアユよりもリスやウサギを思わせるような可愛らしい顔立ちをしているので、男子から人気を得たかもしれないのに、口を開くと遠慮無く何でも言い出す大阪育ちの気質が、田舎では目立っていた。

「アユちゃん、もう学校には慣れた?」

 母親の芹沢美恋(せりざわみこ)が一人娘を心配してくれているので、頷いておく。

「うん。まあ、五月病にはならん程度に。けど、学校よりも家のまわりの方が問題な気はするよ。コンビニ一つないし。ド田舎というか離島やん」

 そう答えながら鮎美は市役所からの封書を開けて読む。

 

   告

平成22年4月30日

参議院議長 竹村正義

衆議院議長 久野統一朗

 芹沢鮎美殿、貴殿を参議院議員候補予定者として決定いたしました。

 つきましては六角市選挙管理委員会まで、この通知を知った日から14日以内に受任されるか、辞退されるかの意志を出頭して表明してください。

 

 鮎美は口に残っていた麦茶を少し垂らしてしまいながら、そんなことには気がつかず何枚もあった書類を読み進めていく。

「マジもんなん? ……エープリルフールは一ヶ月前やろ。……だいたいクジ引きで国会議員を決めるとか、……ありえんわ……いくら参議院が衆議院のオマケでも……」

 耳にかけていた黒髪がハラリと落ちている。

「……どないしよ……今年、受験やのに……と、とにかく落ち着かんと……」

 困惑しつつも全ての書類を読み通した。その内容には辞退も可能、ただし、疾病や進学、事業の存続にかかわる重要な仕事上の支障、宗教上もしくは思想信条上の重大かつ強固な理由、65歳以上であること等の辞退理由が必要だった。任期は6年、年収は660万円、その他に経費の支給もあったし、不逮捕特権の説明も書かれていた。

「アユちゃん、ご飯よ」

 着実に夕食を作っていた美恋が呼んでくれる。通知には驚かされたけれど、食欲は旺盛にあるので返事する。

「はーい。父さんは?」

「お父さんは今夜も市内に泊まるから、島には戻ってこないそうよ。まったく、あの人が島で暮らそうって言い出したくせに……」

 引っ越してきて、まだ生活環境に慣れていない美恋は不満そうに、鮎美へ味噌汁を渡してくれる。鮎美は引き替えに書類を差し出した。

「母さん、さっきの手紙、こんなんやった。どないしよ?」

 鮎美が書類を見せると、美恋は穏やかだった顔色を変えて真顔になり、食事も忘れて何度も読み返し、すぐに父親へ電話をかけている。その間に鮎美は食事を終え、使った皿を流してから食器洗い機に入れた。まだ美恋が電話で父親と話し込んでいる書類のことについては、二階の自室で考えることにした。

「……今夜……寝られるかな……」

 とても寝付けそうにない気分で畳に布団を敷いて寝転がった。制服を脱いでいなかったので、横になったまま制服を脱いで下着姿になった。

「うちが……国会議員って……まだ高校生やのに……ありえんわぁ……けど、報酬660万円って……バイトでは絶対無理やん……、しかも6年………3600万以上……約4000万ってか………宝くじみたいや……」

 色々と考えているうちに、入浴も忘れて眠ってしまった。

 

 

 

 朝、急いでシャワーを浴びて制服に着替えた鮎美は家を出ると、狭い路地の100メートル先にある港まで走った。船着き場では通学のために小型連絡船が待ってくれているけれど、毎日いっしょに乗っている同級生の宮本鷹姫(みやもとたかき)は冷たい表情で手首の腕時計を見つめている。最近は携帯電話やスマートフォンで時刻を確認するのが多数派なのに、それらをもっていない鷹姫は左手首の内側にある時刻盤を女性らしい仕草で見ているけれど、ちょうど出発の予定時刻で、鮎美が走って来るのが見えているのに鷹姫は船頭へ「定刻です。出発してください」と告げているのが遠目にわかる。

「くっ…あいつは…ハァ…ハァ! 待ってや! ちょっと待ったって!」

 鮎美が叫ぶと、80歳を超えている船頭が小さく頷いてくれた。中学の頃には剣道で鍛えていた鮎美は桟橋から小舟へ飛び込んだ。連絡船とは名ばかりの小舟は長さ5メートル、幅も1.5メートルほどしかないので走ってきた鮎美が飛び乗ると、かなり揺れ、鷹姫が顔をしかめ、叱ってくる。

「静かに乗りなさい! この馬鹿者!」

「ごめんごめん。そんな怒った顔したら、せっかくの美人が台無しやで」

「あなたは、いつもそうやって話を誤魔化そうとする」

「あ! もっと大事な話があんねん! これ見て!」

 鮎美は携帯電話のカメラ機能で取ってきた昨夜の書類を鷹姫へ見せた。舟が出発したので、細かい字を揺れる中で読むのに苦労した鷹姫は、鮎美が期待したほどには驚いてくれなかった。むしろ、冷静に言ってくる。

「前科者や公務員を除いた有権者の中から、無作為に選出するのですから、芹沢が選ばれることもあるでしょう」

 鷹姫は生まれつき少しだけ赤みがかった髪をしている。その髪をポニーテールへ結い上げているので、ピンと伸ばした背筋や凛とした雰囲気、そして剣道の全国大会で個人戦連続優勝という実績が、女子であっても彼女を武士のように、ポニーテールは髷のように印象づけている。

「なんや、もっと驚いてくれてもええやん。すごいやろ? うち」

「すごいのは芹沢の実力ではなく、クジ運にすぎません」

「運も実力のうちよ」

「………」

「うらやましい?」

「いえ」

「即答かい!」

「………。芹沢、浮かれているのなら忠告しておきます。この当選は、あなたにとって幸福なこととは限りませんよ。落ち着いて考えないと後悔することになりかねません」

「ぐっ……」

 鮎美は一欠片の羨望もなく、代わりに真面目に心配してくれた鷹姫に返す言葉が無い。

「あんたは、しれっと核心を突く……剣先で喉元を突くみたいに……」

「慎重にお考えなさい」

「………キレイな顔して、言うことが年寄りみたいやよ。それが無ければ、男にモテたやろに」

 鷹姫は色白で微笑めば、その名の通り姫にも見える整った顔立ちなのに、舌鋒も視線も、そして竹刀を握ったときの剣先も鷹のように鋭いので、入学時から高校で浮いている。けれど、同じく浮いている鮎美は、もう慣れているので鷹姫の気遣いを嬉しく感じていた。

「ま、あんたの言うことは、もっともやけど……どないしよ……もし、あんた、やったら受ける? 辞退する?」

「引き受けます」

「………慎重に考えた?」

「どんな苦難があるにせよ、与えられた役割は、全力で取り組みたいからです」

「……………当選、あんたやったら良かったね」

 二人が話しているうちに、舟は島を離れて本土に向かっていた。舟はエンジンと舵が一体になっている船外機で動くほど小型ではあったけれど、航行しているのは海のように大きく見えても淡水の湖なので波は小さい。風のない日には鏡のように凪ぐこともある琵琶湖を進み、六角市の古い街並みに伸びる石造りの水路を通って、鮎美と鷹姫が通学している私立高校の前で停泊した。二人が老船頭に礼を言う。

「ありがとうございます」

「いつも、おおきに」

「おう。帰りは何時や?」

「いつもと同じだと思います。あ、いえ、芹沢の件で少し遅くなるかもしれません。そのときは連絡いたします」

「アユミちゃん、どうかしたんか?」

 女子高生の会話に興味をもっていなかった老船頭が問うと、鷹姫は数瞬考えて誤魔化すことを選んだ。

「はい、少々」

「ほうか。ほなら、もんてくるときは連絡くれたって」

「はい」

 鷹姫と鮎美は静かに登校して、何も打ち合わせしたわけではなかったけれど、当選のことはクラスメートたちに言わなかった。おかげで昼休みまでは平穏な、いつも通りの学校生活を送ることができた。二時間後、鮎美と鷹姫は体育の授業を受けるために女子更衣室で着替えていた。

「お腹空いたわぁ」

「まだ二時間目が終わったばかりでしょう。我慢のないのは見苦しいです」

 そう言った鷹姫のお腹がクーと鳴ったので、恥ずかしくなり目を背けている。それが可愛くて鮎美は彼女の赤くなった頬に触れたかったけれど、自重してフォローする。

「ま、成長期やからね。食べて成長せんと」

 ついでに、少し自慢げに鮎美は胸を張ってブラジャーに包まれた乳房を鷹姫へ向けた。平均的な女子より大きめの乳房を向けられても、ごく平均的な大きさをしている鷹姫は気づきもせずに着替えを終える。

「くっ……無視しおって」

「? 何がですか? 早く着替えなさい、遅れますよ」

「へいへい。今日の体育はなんやの? 先週までソフトボールやったけど」

「剣道です」

「……剣道か……」

 いつも快活で単純な顔をしているのに、やや複雑な表情をした鮎美は体操服に首を通してハーフパンツも穿いた。体育館に隣接した武道場へ2クラスの女子が集まり、女性の体育教師が授業を始める。

「では、黙祷から。担当の生徒に、お願いします」

「はい!」

 別のクラスの女子が返答し、黙祷の指揮を執る。とくに事故があったわけでもないけれど、もともと学校自体がキリスト教系の学園なので毎授業ごとに短い黙祷を行っていたし、それは教師が指揮することもあれば、生徒に任せることもある。体育教師は信仰心はないようで学園の方針にサラリーマンとして従っているだけという態度だったけれど、返答した生徒は強い信仰をもっていて生徒会長のような雰囲気がある。

「天にまします我らが主よ、願わくば御名を…」

 長い祈りをしようとする生徒へ体育教師が注文する。

「時間がないので短めに」

「はい。では、黙祷してエホパに近づいてください。黙祷」

「「「「「………」」」」」

 教師も生徒たちも目を閉じる。鷹姫は信仰心は無くても剣道の試合前に集中力を高めるために同じようなことをするのに慣れているし、鮎美は周囲の生徒が目を閉じているのに自分だけ開けたままなのも気が引けるので、合わせて毎授業前に目を閉じている。

「アーメン」

 指揮を執った生徒が締めくくったけれど、それに続く生徒は少ない。

「「「アーメン」」」

 わずかに3名の生徒が同調した。他の大半の生徒は、学力や通学距離で入学してきただけなので、とくに信仰はもっていない。多くの生徒は家が仏教の檀家で、神社への初詣にも行くけれど、神や仏よりセンター試験や内申点を大事にしている。やっと体育教師が授業に入る。

「今日からは剣道になります。この中に経験のある人はいますか?」

「はい」

 鷹姫が挙手したけれど、全国大会に出ている彼女に経験があることは全員が知っているので、とくに反応は無い。

「一人だけですか。他には?」

 あまり女子が参加する競技ではないので誰も手を挙げない。それでも教師は模範演技をさせるのに2名以上の経験者がいてくれると便利なので重ねて問う。

「少しの経験でもある人はいませんか?」

「………」

 鮎美が、わずかに手を挙げて言う。

「……中学で少しだけ……」

「あなたも剣道をしていたのですか」

 意外そうに鷹姫が問うと、鮎美は無表情に答える。

「…ちょっとだけや…」

「転校してきた芹沢さんでしたね。では、宮本さんと前へ出てください」

 二人が前に出ると教師はソフトビニール製の剣を渡してくれる。

「まだ今日は竹刀や防具は着けず、このスポーツチャンバラ用の剣で型を紹介します。二人は向かい合って構えてみてください」

「はい……これが竹刀の代わりとは……たよりない…」

 鷹姫は軟らかい剣を少し不満そうに、鮎美も剣の軟らかさを撫でて確かめながら構える。

「さすがに宮本さんは、さまになっていますね」

「当然です」

「……そ…そうですね…」

「あんたは謙遜という概念を知らんのか?」

 鮎美も構えながら、一歩、鷹姫へ踏み込んでみて、すぐにさがった。

「……あかん……正面からでは、とても……」

 鮎美は構えを解いてダラりと立つ。やる気の無さそうな様子を見て教師は構えたままの鷹姫をモデルに決めた。

「はい、まずは宮本さんの足元を見てください」

 基本の説明が始まり、鮎美は聴いているフリをしながら鷹姫の背後に回ると、後頭部を狙って剣を振った。

「せいや!!」

 スパァン!!

 次の瞬間、強烈な一刀が鮎美の額を撃っていた。先に打ちかかっていたはずの鮎美の剣は鷹姫の頭に当たることなく避けられ、避けると同時に鷹姫が放った一刀で強かに顔面を打たれている。ソフトビニール製の剣でも目から星が出て、鮎美はフラフラと立ちくらむ。

「ぅうっ…痛ぅぅ…」

「卑怯者」

 鷹姫が冷たく言い放つと、鮎美は頭に血が上って打たれた以上に赤くなった。

「くっ! よくも!!」

 懲りずに再び打ちかかるけれど、実力差が大きくて易々と剣先で払われ、また額を打たれる。

 スパァン!

 痛そうな音が武道場に響く。

「くぅぅッ! 痛ァっ、もう許さん!!」

「「「「「……………」」」」」

 見ていた生徒たちも教師も、許すも許さないも先に不意打ちしようとしたのが鮎美であることは明白なので不思議に感じたけれど、とうの鮎美は怒り心頭で打ちかかっていく。その鮎美の動きは三年のブランクがあったけれど、かなりの実力があったことを感じさせるものだった。

「でやぁ!」

「愚かな」

 それでも鷹姫にかなうはずもなく、また額を打たれて鮎美は涙を滲ませると防御を無視して突撃する。剣で打たれてもソフトビニール製なので覚悟していれば倒れることはない。鮎美は剣を捨て、そのまま鷹姫に掴みかかって押し倒そうとする。

 バッ!

 掴みかかられた鷹姫も剣を捨て、鮎美の襟元を両手で捕まえると、右足を鮎美の下腹部にあてながら後方へ倒れ込むように回転して、相手の勢いのままに投げ飛ばした。

 ドンッ!

 巴投げされた鮎美は受け身を取れず背中を打ったけれど、それでもフラフラと立ち上がり、また鷹姫へ挑もうとするので、ようやく教師が止めに入る。

「芹沢さん、やめなさい!」

「くっ、離しぃや!」

 鮎美は教師に押さえられても、なおも挑もうとしている。さすがに鷹姫も不思議に感じて問う。

「あなたは私に何か恨みでもあるのですか?」

「あるわい!! 忘れもせぇへん! 三年前の準々決勝!」

「三年前……」

 そう言われても鷹姫は思い出すことができなかった。それが、ますます許せないというように鮎美が吠える。

「よくも忘れおって! 再会したのに! 思い出しもせん!!」

「…………」

 やっぱり鷹姫は思い出すことができない。

「よくも、よくも! キレイさっぱり忘れおって! あんたに負けて、うちは剣道を辞めたし! ずっと、ずっと、あんたのことは覚えておったのに!」

「そう言われても……」

 かなりの執念を向けられて鷹姫も困っている。鮎美が転校してきてから二ヶ月、たまたま登下校がいっしょなことと、もともと鷹姫もクラスで浮いていたこともあって行動をともにすることが多かったのに、鮎美が心の中で何か抱えていたようで鷹姫は美しい顔を困惑で曇らせている。

「三年前……そのとき、私は何か卑怯な勝ち方でもしたのですか?」

「そんなことやない! 試合のあと、うちは、あんたへ挨拶に行って、優勝まで応援するよって! ほんで、あんた優勝したんや!」

「………」

「やのに、すっかり忘れて! 少しも覚えてへんなんて! ひどいやん!」

「…………それは逆恨みというか……何というか……」

「「「「「……………」」」」」

 もうクラスメートたちも、覚えていて欲しかったのに忘れられていた悲しさで怒っているだけという鮎美に気づいている。鮎美は乱暴に涙を払って鷹姫を睨んだ。

「ホンマに、うちのこと少しも覚えてへんの?!」

「……はい、覚えていません」

「くっ……平然と肯定しおって!! あんたの、そういう真っ直ぐなところが………ところが、……腹立つわ!!」

「…………」

 一応、鷹姫は記憶を遡ってみる。けれど、やっぱり覚えていなかった。芹沢鮎美という名を認識するようになったのは、転校してきてからで、それ以前に覚えはない。

「やはり覚えていません」

「くっ…ぅぅ…」

 これ以上の授業妨害をされたくないので教師は鮎美に指導する。

「芹沢さん、保健室へ行って頭を冷やしてきなさい! 保健委員の人は送ってあげてください」

 鮎美は保健室に送られる。しばらくして落ち着いたけれど、すぐに次の事態が起こった。なんとなく教室へ戻りにくくて、保健室で昼休みをむかえると、校内放送で呼ばれた。

「3年生の芹沢鮎美さん、校長室まで来てください。繰り返します、3年の芹沢鮎美さん、校長室まで来てください」

「なんやろ………生徒指導室ならともかく…、校長室に…呼ばれるほどの乱闘やったかな……」

 乱闘を挑んだ認識はある鮎美は不安そうに校長室へ出向いたけれど、そこで待っていたのは見知らぬ大人たちだった。

「眠主党の細野太志(ほそのふとし)です」

「自眠党の石永隆也(いしながたかや)です」

「供産党の西沢光一(にしざわこういち)です」

「は…はぁ…芹沢ですけど…うちに何か?」

「「「ぜひ、芹沢さんとお話をしたいのですが…」」」

 異口同音され、そして大人たちの微笑みから勧誘の匂いが立ちこめていたので、鮎美も社会経験はなかったけれど、なんとなく用件はわかった。そして、校長まで微笑んでいる。

「芹沢さん、ご当選、おめでとう! 我が校から、日本初の高校生国会議員が誕生すること、私も嬉しく思いますよ」

「は…はぁ…」

「ぜひ、芹沢さんには眠主党へ入っていただきたいのです! どうか、お話を聴いてください!」

「まずは自眠党の堅実さについて、どうか知って欲しい!」

「新しい世代には新しい思考が必要です。どうか、供産党へ!」

「そ…そんな、いっぺんに言われても……。校長先生、うちは、この人らの話を聴かなあかんの?」

「それぞれの党には候補者に対して面接を求める権利があります。ただし、他党の議員が立ち会うもとでのみ、自らの党への勧誘が許されます。三年生なら習ったでしょう?」

「ちょっとは……けど、受験には出にくい範囲やから……うちは日本史で受験するつもりやったし現代社会は、軽くしか……」

 困惑する鮎美を三党の政治家が口々に勧誘してくるので、見かねた校長が一党につき30分ずつ話すということで面談し、その長い90分が終わって、やっと解放されると思ったのに、鮎美が聴いたこともないような党名の政党まで終わるのを待っていて、面接を求めて来ていた。

「芹沢さん、次は我が党について説明させてください!」

「うちは……お昼ご飯も、まだなんやけど……」

 そう言って、やっと弁当を食べることができたけれど、食べ終わると、また各党について熱心に説明され、とても疲れた。下校時刻まで次々と勧誘を受け、重い疲労感と明日も会いに来るという煩わしい予定を背負って鮎美が校門を出ると、鷹姫が待っていてくれた。

「……あんた……待っててくれたん……?」

「あなたを待たなければ船頭さんが二度手間になるでしょう」

 鷹姫は待ち時間に読んでいた戦国時代物の文庫本を閉じ、公衆電話で島へ連絡を取った。すぐに老船頭が迎えに来てくれるはずで、それを二人で待つ。

「…………」

「…………」

 体育の授業中にあったことを思い出して鮎美は気まずそうに黙り、鷹姫も黙っている。沈黙に耐えかねたのは鮎美だった。

「政党って知ってる?」

「………その前に、あなたは私に謝るべきことがあるでしょう」

「うっ……うちが悪いの?」

「…………」

 沈黙で肯定され、鮎美が負ける。

「ごめん……ついカッとなって……せやけど、まったく覚えてへんなんて……ひどいやん。うちは、あんたとの試合で実力の差ちゅーもんを思い知って……高校に入ってからは剣道せんかったんよ」

「………」

「…………。応援してあげたのに……あんたかて、ありがとう、って笑顔で言ってくれたのに」

「……………」

「大阪で高校に入ってからも、あんたが優勝してるの何度も聴いたし、心の中で応援してたし。まわりの友達にも、あんたと勝負したこと自慢してたのに」

「つまりは私が、あなたを忘れていたことを怒っていたのですね」

「……そうや! ちょっとくらい覚えていてくれてもええやん! うちは父さんの都合で転校が決まって、それが、あんたのいる学校やって思ったら、すごい嬉しかったのに! 引っ越してみたら、あんたと同じ島やったから超嬉しかったのに! あんた再会しても少しも思い出してくれへんやん!」

「………芹沢、一つ、あなたに問います」

「な、なんよ?」

「あなたは私と準々決勝で対戦したと言いましたが、では、その前の試合で対戦した者の名を覚えていますか?」

「え………そんなん、覚えてるわけないやん」

「ということです。人は勝った試合など覚えていないのです」

「ぅっ…………」

 言われてみれば、鮎美も直前の試合相手など覚えていなかった。負けたからこそ、強く記憶していたのだ、と言われてしまうと反論が無い。

「……くっ……また一本取られた……」

 悔しいからなのか、恥ずかしいからなのか、鮎美の顔が赤く染まる。それに配慮したのか、鷹姫は話題を変える。

「それで政党が、どうしたというのです?」

「………さっきまで、ずっと勧誘されたんよ。うち、もしも議員になるんやったら、どこかの政党に入った方がええのかな?」

「たしか、無所属の議員もいたでしょう」

「そうなん?」

「ええ、3年前に選出された新制度において第一期となった参議院議員は半数が3年任期、もう半数が6年任期でしたが後者でも30%が、いまだに無所属のはずです」

「そうなんや……ほな、うっとおしいし入らんちゅー手もあるんや」

「急いで決めることでもないでしょうが、入らなければ入らないでデメリットもあるでしょう」

「どんな?」

「自分で方向性を決めなければならず、また情報も限られ、迷うことも多く、付和雷同しやすいでしょう」

「ほな、入った方がええんや」

「入れば、入ったで情報は偏り、方向性は自分だけで決められるものでもなくなるでしょう」

「………どっちも、どっちなんや……」

「急いで決めず、ゆっくり考えなさい」

「そうやね……なんとなく、眠主党か、自眠党かなって気はするんやけど」

「そうですね。その二つが二大政党ですから」

「あ、お迎えが来てくれはった」

 話しているうちに二人を迎えに来た小舟が船着き場に泊まってくれる。

「おおきに!」

「ありがとうございます。遅くなって、すみません」

「ええよ、ええよ」

 ニコニコと微笑んで老船頭は二人を乗せてくれ、石造りの狭い水路でUターンして湖中の島へ向かう。人口は千人に満たない小さな島は大きな湖に浮かび、漁業と観光で生計を立てている。鮎美と鷹姫は、どの政党に、どんな特徴があるか、話し合いながら揺られていたけれど、島へ近づくと、もう選択の余地が無いことを思い知った。

「「「当選おめでとう!!」」」

「「「芹沢先生万歳!!!」」」

 小さな港に島の大人全員が出ているのかと思うほど、人が立っている。そして鮎美を祝う横断幕と旗が並び、もう当選辞退などありえないと理解できたし、さらに自眠党の議員だけが多数上陸していて、鷹姫は思い出した。

「私たちのような小さな島は伝統的に自眠党支持でした………他の選択肢は無いでしょう」

「……そうなんや……世の中、いろいろ……人生いろいろ、とか言うた人も自眠やったかな……ははは…」

 力なく鮎美は笑い、これからの大変さを予感していた。そうして、鮎美と鷹姫を乗せた小舟が港につくと、島民たちが万歳三唱を始めたので鮎美は怖くなった。

「……そんな……みんなで……うちを……」

「「「当選万歳!!!」」」

 皆が諸手を挙げて島民から参議院議員が選出されそうなことを喜んでいる。その気迫が怖くて鮎美が一歩さがると舟の重心が少し変わり、わずかに傾く。鮎美が倒れないように鷹姫が腰を支えてくれると、その手を握った。

「うち……怖いわ。あんたら島の人ら、みんな顔見知りで家族同然かもしれんけど、うちらは四月に越してきたばっかりなんよ」

「そうでしたね。いささか大袈裟すぎて私も驚いていますから」

 小舟が桟橋に着くと、島の自治会長以下、役員たちと昼に校長室で出会った自眠党議員の石永もいて、他にも県会議員や六角市の市会議員たちがいて、みな自眠党だった。鮎美の両親もいて、二人は鮎美と同じく困惑した顔をしている。

「母さん……父さん……」

「アユちゃん、おめでとう」

「おめでとう、鮎美」

「うん……おおきに…」

 親子は困惑したまま言葉を交わし、すぐに初老の自治会長と、中年の自眠党議員たちが鮎美へ握手を求めてくる。

「おめでとう、芹沢さん」

「ど、どうも…」

「自眠党は芹沢さんを全面的にバックアップしていきますよ」

「そ…そんな……決まった風に言われても…」

 鮎美が引くと、少女相手に強引だったことに気づいた石永はわきまえて抑制してくる。

「そうですね、つい急ぎすぎた。ゆっくり考えてください」

「ワシらの島は、ずっと自眠党さんを応援しておるから、それを忘れんように」

 自治会長は少しも抑制せずに鮎美へ言い放ってくる。鮎美は思春期後半らしく反発を覚えたけれど、島民全体の期待が圧力になって襲ってくるので口を開くことができなかった。このまま宴会になると誘われて、また困惑していると鷹姫が助けてくれる。

「急な話で、まだ芹沢は混乱しています。そも18歳では被選挙権はあっても20歳まで飲酒はできません。何より心を落ち着ける時間を与えてやっていただけませんか。急いては事をし損じるといいましょう」

 鷹姫の口上で大人たちは引いてくれた。それでも、このまま鮎美の家に帰ると、押しかけられそうで二人で鷹姫の家へ避難した。鷹姫の家は島内に大小二つある山の小さい方の中腹にあり、自宅と剣道道場が一体化した造りになっている。いつもなら誰彼と無く稽古している大人や子供がいるはずなのに、今夜は港に集まっていたからか、誰もいない。おかげで静かになった。鮎美がタメ息をつく。

「ハァ……まるで、お祭り騒ぎやん…」

「まつりごととは、よく言ったものですね」

「は?」

「政治の政は、まつりごとと読むでしょう」

「あ~、そういえば、そうやね」

 鮎美は道場の端に座った。鷹姫は竹刀を持つと素振りを始めたので鮎美が言う。

「こんなときでも稽古すんのかい」

「日課ですから」

「鬼ヶ島とは、よく言うたもんやね」

「鬼々島です」

「鬼ばっかりと書いてオキシマか、ホンマにみんな剣道の鬼やもんな。こんなところで育ったヤツに、そら勝てんわ」

 漁業で生計を立てていても、もともとは武士だったらしい祖先をもつ島民は、みな武術に熱心で剣道、弓道、柔道が盛んで鷹姫の家は剣道場になっている。いつもより時刻が遅いからか、それとも他の道場生がいないからか、鷹姫は制服のまま竹刀を振るっているので、動く度にスカートの裾が舞っている。ぼんやりと、それを見ていた鮎美を鷹姫が誘う。

「芹沢も、いっしょにやりませんか?」

「……うちは……やめとく……もう剣道は、やめたんや…」

「そうですか。いつでも気が変わったら参加なさい」

「素っ気ないくせに、その方面だけは押しが強いなぁ……」

 座っていた鮎美は膝を抱いて丸くなった。鮎美は制服のスカートを少しは短くしているので膝を抱いて座ると、鷹姫からは下着が見えるかもしれない。けれど、鷹姫は気にもとめず竹刀を振っている。

「うちは、これから、どうなるんやろ……辞退なんてできんよね……」

「本気で辞退したいのであれば、そうなさい。たしか、進学も辞退理由に入っていたでしょう」

「よお知ってるね」

「あなたを待っている間に一通り復習しましたから」

「さすが……。けど、辞退なんかしたら、島のみんなに、めちゃ怒られそうや」

「残念には思っても、それほど怒りはしないでしょう。まだ18歳なのです、重責に耐えられそうになく辞退するというのであれば、途中で投げ出すより、よほど良いですから」

「うちが辞退すると、どうなるん?」

「また、この選挙区内の有権者の中から無作為に選出されます。さすがに確率的に再び島民が当たることはないでしょうから、そのあたりは大人たちは残念に思うでしょうが……一人の参議院議員が出ることで、それほど島に影響があるものなのでしょうか……」

「大有りだよ」

 不意に道場の外から若い男性の声がした。二人が見ると、青年が立っていた。鮎美は抱えていた膝をおろして下着を隠す。声をかけてきた青年は、さきほど港にいたような気もするけれど、明らかに島民ではないと鷹姫が判断して睨む。

「何者ですか?」

「はじめまして。ボクは雄琴直樹(おごとなおき)、どこかでボクの名を聴いたことないかい?」

「「……………」」

 鮎美も鷹姫も、どこかで聴いたことがあるような気がしたけれど、すぐに出てこない。そんな二人の様子に直樹は微笑して肩をすくめた。

「そうか……やっぱりクジ引きで選ばれると印象が薄いね。ボクは第一期の参議院議員だよ。芹沢さんと同じ選挙区の」

「うちと同じ……ってことは先代さん?」

「いや、半数改選されるからね。ボクの任期は残り3年だから、君が受任するなら同僚みたいなものになるかな。もしくは先輩か」

「その雄琴が何用ですか?」

 まだ鷹姫は睨んでいる。

「もちろん、ご挨拶に来たのさ。当選、おめでとう、芹沢さん」

「ど…どうも……。雄琴はん、若う見えるけど、いくつなん?」

「忌憚ない質問だね。27歳だよ」

「ってことは当選したときは24歳なんや?」

「そうだね。あのときの最年少は21歳で、ボクは二番目の若さだった」

「今回って、うちが最年少?」

「そうなるだろうね。というか、18歳が下限だから」

「………ちなみに最高齢は?」

「たしか97歳で受任したお爺さんがいたね。ただ、2年で亡くなられて、今は補欠選挙で埋められてるはずだよ」

「18歳に当てるのも無茶やけど97歳も無茶やで確実に寿命が縮まったんちゃう?」

「どうだろうね。本人は張り切っていたけれど、身体がついてこなかったのは確かだろう」

「女性の議員さんって、どんくらいいはるの?」

「ほぼ半数。無作為だからね。そうなるさ」

「半数か……」

「もともと、この制度の狙いは性別の不均衡や年齢の偏りを無くし、広く国民から政治にたずさわる者を選出することだからね。あの2000年にあった加藤の改革からスタートして2004年に制度準備が具体化し、2007年末に旧来の参議院議員は、すべて衆議院議員へ編入されて議員総数が大幅に増えたことで、選挙区割りを見なおしできて、一票の格差は島根県と東京都でも1.25倍まで押さえられた」

「「………」」

 二人とも現代社会で習ったことを思い出した。

「そして、第二期にして、とうとう制度上の最年少18歳、女子高生の参議院議員が誕生するかもしれない、ってわけだよ」

「………で、それを言いに、来てくれはったわけなん?」

「そうだよ」

「それだけなん?」

「いや、君だってボクに色々訊きたいことがあるだろうし、そしてボクは自眠党所属を選んでる。そういうことさ」

「また勧誘か……」

「この島は、すごいね。眠主党や供産党の議員を上陸させなかった。なんというか……治外法権というか……現代において、こんな場所があるんだって気分だよ」

「うちらの島の悪口、ここにいる間に言うのはやめた方がええよ」

「一応、ボクとしては誉めたのかもしれないよ。自分たちに都合のいい事態だったから。けど、他党の議員や秘書たちは憤慨しているだろうね」

「………まあ、ええわ。先輩に訊きたいことがあるんは確かやし」

 そう言った鮎美は色々と質問して考える材料をもらった。

 

 

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