第5話



 7ヶ月前に見た地球の空が、未だに脳裏にこびりついて離れないでいる。



 深宇宙探査船第43号、アストーク。そのどこか壮大でいじらしい名前とは裏腹に、僕の乗っているこの船は矮小な使命を背負って、積日の夜を漂っている。かつての地球はすでに遠い星雲の向こうへと消えて、僕の周りには名前も知らない列星たちがぽつねんと浮かんでいるばかりだ。たぶん、僕はいま、遺書を書いているんだろうと思う。ただ、誰かに届けるために書くものが遺書だというならば、きっとこれはただの独り言だ。



 かの偉大なるボイジャー1号が打ち上げられてから、実に400年の後が経過したあと、人類は際限なく発展する観測技術をもってして、未だにその仲間を見つけられないでいる。もちろん、それを実際に探査するための新しい素材や、亜空間航法等の開発も為されたが、それらを用いた実地への調査すら、功を成しうることは無かった。恒星は我々のものよりも特段に熱いか、もしくは冷たく、液体の水を湛える惑星など、宇宙のどこにも存在しなかった。現在観測可能な宇宙において、有機生命体および無機生命体は、我々を除いて存在しないー。それが、あらゆる調査から導き出される唯一の結論だった。



 きっかけは、至極単純なものだった。



 今から70年前、旧樺太連邦の宇宙飛行士であるポリャコフは、はくちょう座v1489星への航行を続けていた。当時の観測技術は今ほどには発展しておらず、したがって航海のルートを組むことができる範囲は遥かに狭小だった。地球から約5000光年離れた、特に巨大な赤色巨星。彼のミッションは、その恒星の観測可能範囲まで接近し、その姿を三次元投影カメラで撮影後、地球へと亜空間ワープで帰還するというものだった。



 しかし、その撮影を終えた、との通信が入ったあと、彼はその結果とひとつのメッセージを送信し、まったくの交信をやめてしまった。ただし、機体情報のリアルタイムフィードバックからは、デブリ回避のための旧式ブースターが地球への方角に向けられていることと、そのパイロットハッチが開かれていることだけがわかった。2年後、上層部は彼の回収を決定し、数カ月かけて未だ4998光年の地点にいる彼の元へと船を出した。そして、誰もが薄々気付いてはいたがー彼は既にそこにいなかった。彼の船内にある小さな机からは、1枚のノートと、挟み込まれた彼の家族写真だけが、釘に刺されて見つかった。ほとんどのページは破り取られていたが、残った1ページには、妻よ、どうか許してほしいとだけ書かれてあった。



 このニュースはすぐに全土を駆けめぐり、一時は各国の大統領が彼にはなむけの言葉を送るほどの大きな騒ぎに発展した。しかし、その一週間後にスペースコロニーの住人が大規模なデモ活動を始めると、そんなことは皆もうすっかり忘れてしまっていた。ただし、それはあくまでも人類がひとりぼっちではないと、誰もが信じていたからだ。30年後、人類のほかに知的生命体は存在しないと誰しもが完全に理解したとき、それはすぐに絶望へと変わった。そして、ある宇宙に聡い人間が、かつて空の彼方に消えたちっぽけな男のことを思い出すのに、そこまで時間はかからなかった。



 そして、人類はその実りある方舟を、幾ばくもなくただの墓標へと作り変えてしまった。というのも、政府の公式での発表後、ポリャコフの行った崇高な遊泳を、概して自殺であると、そしてその後を追い、宇宙の藻屑になることこそが不変の存在意義であると、そう考える者が大勢現れたからだ。彼らは終末思想を布教して回り、着々とその賛同者を増やしていき、長らく続いたコロニーとの対立による社会不安もあってか、ついにはひとつの政党を結党するまでになった。彼らのもとに舞い込んだ政党助成金を用いて、まさに棺桶そのものとなる次世代型宇宙探査船を開発し、その販売が開始されたのは、実に今から20年前のことであった。



 それからというもの、人類はこぞってその探査船に乗り込み、終わりの無い旅に興ずることとなった。もちろん、この船もその系図の末端にあるものだ。人類の尊厳のためにあえていうならば、このような無為な死に殉ずる者たちはそれでも全人口の中では少数であり、現在はありふれたビジネスの1つとして成立しているにすぎない。すべての人間を載せて出発できる船は未だ無く、そもそも船の手配にすら一般の成人の年収10年分くらいの資金を要するので、誰しもに門戸が開かれているというわけではないのだ。それでも、積載する反物質はワープ1回分の片道切符、計器等も最低限のものに限定された「次世代の」航宙船は、目に見える星の数ほどに打ち上げられた。



 さて、ついぞ僕の話に戻ろうかと思う。僕は…いや、名前は伏せておこう。地球では灯台の守りをしていた。コロニーに妻と子がいた。3年前の第二衛星プラント落下事件において、どちらも消息を絶ってしまったが。かつての夢は航空管制官。この船に乗った理由は、ー僕はどうしたって、そんなふうにしか生きられないから、だろうか。



 この船、アストークには、これまでの船と違う点が2つだけある。1つが、ワープ2回分の反物質が用意されていること。もう1つが、常に外部に向けてある一定周波の電波を発し続けていることだ。前者は倫理団体からの抗議を受けて制作されたバリエーション、後者は僕のオーダーメイドだ。この文章を書き終えたあとは、地球の写真データと共にその電波に乗せて、果てのない空間を漂流するつもりだ。これが、完全に無為な試みであることは、すでに数多くの学者たちが証明している。ただし、僕は何も、新しい生命を見つけるためにその行為を選択したわけではない。僕はー、灯台守りだ。夜の海の深闇にさまよえる船に、光を届けるのが僕の仕事だ。僕が2度目のワープを行うことはないだろう。しかし、僕の持つこの船を、そこに残った反物質を必要とする人は、確実にいるはずだ。



 そろそろハッチを開けようと思う。アストークという宇宙船は、旧ソ連のボストークという船と、日本語の明日、遠く、から取られた造語らしい。僕のこの独り言が、ここに確かに存在する救済が、明日、遠くにいる誰かに届きますように。



 

 

 ー西暦2612年 回収されたテープレコーダーより

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