Nice to meet yu.


 今日は朝から頭がガンガンする。


 ブラインドから射す秋晴れの陽光がちらちらと網膜もうまくを刺激するとなおさらだ。


 ふう……、これではまとまるものもまとまらない。



 俺は統計データの分析作業をひとまずデスクトップに置き去りにしてその場を離れた。


 今はまだ朝の9時過ぎ。


 お昼の休憩時間には程遠いが、別に時間に追われている訳でもなく後からいくらでも挽回ばんかいが可能。だからこれはある意味作業の効率化をはかった上での英断なのだ。


 などと都合の良い言い分を頭の片隅に浮かべながら、各部署に設けられた小さな休憩室の扉を開ける。



 ……よし、誰もいないな。



 長いローテーブルを囲むように配置されたいくつかの椅子。

 左右に置かれた長椅子を避けて、俺は一番奥の革製の一人用ソファーに重い腰を沈める。



 ふうーっと長い溜息を吐いて天井を仰ぐ。



「完全に飲みすぎたな……」



 昨晩、ハルハルさんとのチャットを終えて床に就いたのだが、どうしても眠れなかった。

 だから眠剤代わりに日本酒を一杯のつもりでひっかけた。


 俺はお酒に弱い。

 缶ビールで言えば2、3本で抗えない眠気に襲われダウン。

 日本酒ならおちょこサイズでほんの数杯で事足りたはずなのだが、一体何杯飲んだのか記憶が曖昧あいまいになっている。


 

 少し体を動かしただけで、ズキン、ズキンと目の奥が脈打つように疼く。


 

 しかたがない……。ほんの十数分だけ休ませてもらおう。

 

 

 最後の抵抗を解くようにソファーに体を預けると、脈打つ痛みの間隔が徐々に広く、そしてだんだん遠くなっていった。




 




  


 何に起こされるわけでもなく、俺は重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。

 頭の痛みや気持ち悪さは嘘のように消え去り、代わりに空腹感が胃袋を締め上げていた。



 ソファーで寝たわりに体のコリや痛みはなく、それほど時間は経っていないだろうと推測。再び襲ってきた眠気を吸い込むようにゆっくりと息を――。



「……て、冷たッ!」



 頬にぴとりと何かが当たって、俺は体を跳ね上げた。



「やあ勉。起きたか?」



 後ろ振り返ると俺のかつてのライバルだったゆうがシニカルな笑みを浮かべていた。

 


「ほら、これでも飲んどけ」


 半ば強引に手渡されたのはキンキンに冷えたアイスコーヒー。

 

 俺は思考が追いつかず、


「……ああ、さんきゅう……」


 と言って缶の蓋をプシュっと開けてグイっと一口。


 澄み渡る思考。 

 二日酔いの時のアイスコーヒーはこれまた格別……


「……って、違うだろ! なに中学生みたいな悪戯いたずらやってんだ!」


「すまんすまん。あっはっは」


「謝罪が軽い!」


「まあ、まあ。おかげで目が覚めただろ?」


「それはそうだが……」


 まあ、出社早々に仕事場からエスケープしていた俺に言い返す権利はないのだが、何か腑に落ちない。


 俺は不貞腐ふてくされた感情を隠さずもう一口コーヒーを仰いだ。

 

「しかし、珍しいな。模範社員の勉がこんなところで居眠りなんて。それにアルコール臭が……」


 ハッとして口臭チェックをしてみるが自分ではわからない。

 他の同僚たちにあらぬ噂をたてられていないだろうか、と嫌な予感が頭をよぎる。


「そんなに……臭うのか?」


「いや、全然」


 優は両掌をひらひらさせて満足気な笑みを浮かべながらそう言った。


「く……」


 こいつは人が怒り出さないぎりぎりを攻めるのがうまい。


 なんて迷惑なスキル。



「まあ、冗談はこれくらいにして。何か悩みでもあるのか?」


 急に真面目なトーンでそう聞かれ、俺はやっと思い出した。


「そうだ! お前に聞きたい事があったんだよ!」


 優は片眉を上げるほどの小さな驚きを見せたあと、長椅子に座って「さあ、どうぞ」と言わんばかりに掌をひらりとめくった。


 優は恐らく俺が聞きたい事をすでに知っている。

 爛々と輝く優の目を見てそう悟ったが、それを悔しいとも思わなかった。


「Faciliだ。あれは……どうなってんだ?」


 悩みすぎたせいで逆に考えがまとまらず、抽象的すぎる質問をしてしまった。


 肉声と区別のつかない合成音声。

 既存のチャットボットでは再現できない柔軟性のある応答。


 どのようにプログラミングして、どれだけのビッグデータを元にディープラーニングを幾億回繰り返せば完成するのか、自分には見当もつかない。


「気に入ってもらえたようで嬉しいよ。本当は世に出る前に勉にモニターしてもらいたかったんだが、まあ、それは今言ってもしょうがないからな。……とにかく、社運を賭けた最高傑作だと理解してもらえたようで良かった」


「プログラミングは優がしたんだろ?」


「まあ、そうとも言えるが俺はあくまで……調律アジャストメント……しただけだ」


 “調律アジャストメント”という言葉に少しだけ違和感を覚えたが、優の微妙な表情から察して追求するのはやめておいた。


 ファシリのプログラム名が開発部部長の名を冠して、『ISHIBAプロトコル』と呼ばれていることからも、優は最終的なバランスの調整に携わっただけのかもしれない。

 もしそうなら優も俺が優に対して抱いているそれと同じような劣等感を開発チームのメンバーに対して抱いているかもしれないのだ。



「……とにかく、あれをプログラミングした奴は天才だな。俺じゃ到底思いつかない。どんなアルゴリズムを使ったのか、少しでいいから教えてくれないか?」


「……すまないが、それはできないんだよ」


「企業機密情報保護プロトコルか……」


「ああ。Faciliは既存のAIとは一線を隔するアルゴリズムを元に設計されていて、まだ一般公開が認められていない」


「それは社員であっても……ということなんだな?」


「ああ。すまない」


 俺の今の気持ちを例えて言うなら、超一流のイリュージョンを魅せつけられた三流のマジシャンだ。

 明かされることのない種。

 お預けを喰らったまま放置され、焦れったさと悔しさが複雑に絡み合っている。


 俺と優の仲じゃないか……。


 そんな都合のいい言葉を言えるわけもなく。


 視線を逸らし、表情を暗くする優を前に、これ以上詮索する気も失せた俺はそっと呼吸を整えた。


「……いや、俺の方こそ悪かった」


 万が一情報漏洩が発覚した場合、首切りだけではすまない事を俺は知っていた。

 開発チーム員でもない俺が機密を聞き出そうとしたこと自体が間違いだ。

 だが、心のどこかで“優ならひょっとしたら教えてくれるかもしれない”と期待してしまっていたのだろう。


 どんよりと漂う重たい空気。

 そんな息が詰まるような雰囲気を壊してくれたのは優だった。


「それで、“彼女”はどうだった?」


 俺はその言葉を聞いた瞬間、縮こまっていた視界が急に広くなり、心が軽くなった気がした。


 言うまでもなく“彼女”とはファシリの事だ。



「……ああ、何ていうか……とても自然だった。格式ばった受付嬢とも少し違う……。親しみやすさがあって、しかもユーモアもある。はっきり言ってとてもAIとは思えない。本当にそこに“彼女”がいる……そんな気さえしたよ」


 それを聞いた優は拳を突き上げ、飛び跳ねるように喜んだ。


「そうか! よしッ! 勉なら絶対そう言ってくれると思ったんだよ!」


 きっとあそこまで仕上げるのによほど苦心したのだろう。

 その尋常でない喜び様も何となくわかる気がして、感慨に浸る優を眺めながら俺は静かな笑みを浮かべていた。


 すると優は急にふっと真顔に戻って……、


「ところでさ」


「ん?」


「仕事大丈夫か?」


「ん? え?」


 優の視線の先。俺の背後にそそりたつ壁に高々と掲げられた壁掛け時計におそるおそる首を向ける。


 いやいやいや、どうせまた俺をからかって――。


「うえッ⁉ 二時半⁉」


 俺はソファーから跳ね起きた弾みで、ローテーブルに脛をぶつけ悶絶もんぜつ

 足を引きずるようにして部屋から出ようとしたところでニヤケ顔の優が一言。


「これからもモニターを続けてくれるか?」


 俺は込み上げてくる来る感情を声には出さず、ドアから上半身だけをのぞかせた状態で左の人差し指に渾身の力を込めて突き出し、ねめつけてやった。

 

「じゃあ、よろしく頼むよ」


 皇族がするようにおごそかに手を振る優。

 過不足なく伝わった様で、逆にそれが腹立たしい……が、今はそれどころではなかった。

 

 

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